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第17回
「マダムジュジュは
大人の匂い?」の巻
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高度成長時代、私や私の周りの子どもたちに奇妙な風習があった。自分の親戚や知り合いのオジサン、オバサンを呼ぶ時、地名を頭に冠するのだ。大和田のオジサン、新町のオバサン……などと名前でなく地名で峻別する。姓だと、親戚がみな同じ名字になってしまうからだろう。戦中戦後の多子多産時代のなごりで、私たちの親の世代には兄弟が多かったのだ。昭和四〇年代の名作テレビドラマである「おやじ太鼓」(進藤英太主演)にも『高円寺のオバサン』という名前の脇役が出ていたという事実もあるから、そんなに狭いエリアだけの風習ではなかったのかもしれない。
私には『トーキョーのオバサン』がいた。母の妹であるトーキョーのオバサンは、当時目黒のアパートに住んでいた。クリスマスや正月になると、東京のデパートで買った玩具をプレゼントしてくれた。その西武や東武の包み紙のデザインは垢抜けていて、千葉にある、地方デパートはやはり野暮ったく感じられるのであった。
トーキョーのオバサンは当時二〇代だったろうか、いつもきれいな格好をして、良いにおいがしていた。ビニールのバッグを持ち、髪の毛をカールさせていた。千葉の地元で家の周りだけが生活圏の私の母はお化粧が必要でない女性であった。だが、トーキョーのオバサンは東京で働いているので、近づくとツンと化粧品の香りがするのだった。
あるときオバサンが化粧をしているシーンを鏡台の鏡越しに見たことがあった。瓶から手のひらに白いクリームを出してこすり合わせ、頬に手早くクリームを伸ばしていた。クリームは桃色の箱に入っており、紙箱には花びらが散ったデザインが施されていたような気がする。あれはマダムジュジュではなかったろうか。
ジュジュ化粧品株式会社が化粧クリーム「マダムジュジュ」を出したのは昭和二五年のことだった。卵の黄身から抽出したビタミンE『卵黄リポイド』の開発をきっかけに小じわや肌荒れを予防する、浸透性の高いバニシングタイプのモイスチャークリームだった。宣伝コピーは『二五歳以下の方はお使いになってはけません』。広告モデルの小暮美千代とともに強烈な印象を消費者に与えた。
「栄養豊富なクリームということで、逆にお若い方には強すぎるということです。当時、奥さんになったら化粧はしない時代でしたが、この製品の発売が既婚女性の化粧を一般化させるきっかけになりました」(ジュジュ化粧品株式会社)
世界初の年齢別化粧品ともいえるマダムジュジュは、たちまち大ヒットとなり、当時で月商一億円を達成した。工場は厚木。多くの契約農家が持ってくる卵を人力で割り、一つひとつ白身と黄身をより分けていた時代もあった。残った白身の行くえが気になるところだが、「わからないですね(笑)」ということだ。キラキラとしたパール感も特徴のひとつだが、これはキラキラする成分を入れているのではなく、一〜二週間熟成させて光沢をだしている。大量生産の時代にあっても、手間がかかっている商品である。
発売され、爆発的ヒットになったとき『百年化粧品』といわれたという。同社は「固定ファンもいますし、あともう半世紀は作り続けますよ」と愛用者をほっとさせる。
母から娘に、娘から孫にと受け継がれてきた二〇世紀の化粧品、マダムジュジュ。二一世紀も、安心と安全の基本理念の基で、消費者にロングセラーを提供し続けて行くのだろう。
●毎日新聞を改稿
2005年3月25日更新
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