ファイルを整理していたら秘蔵写真が出てきた。かなり前だが、07年正月の熱海旅行記を留めておこう。
熱海は2度目で実に10年ぶり。前回は秘宝館やら鄙びた温泉観光を満喫したわけだが、今回は赤線跡に残っている物件を現存している内にこの目に焼き付けておきたかった。
駅から歩くこと十数分、熱海銀座に出る【熱海銀座商店街振興組合】。◯◯銀座といういわゆる商店街なのだが、どこか寂しく、旧時代の温泉街である雰囲気が漂う。元々はこの辺が中心地だったような風格を感じる。
町中には糸川が流れ、ここから海まで200mほどの距離になる。糸川を挟んで向こう岸が中央町。川の先の海側が渚町となっている【周辺地図表示】。
この糸川縁中央町のエリアに赤線があり、黙認された公娼だったわけだが、昭和32年いっぱいで営業停止になった後は、渚町に青線、つまり私娼として移った。渚町の青線がいつ頃まで続いたかわからないが、糸川の赤線は当時相当名を馳せていたらしい【参考文献:木村聡『赤線跡を歩く』ちくま文庫】。
熱海銀座から糸川へ十数mの距離だがこのエリアはさすがに赤線の名残は感じられないものの、現在はスナックの類が犇いており、独特のトーンで彩られている。
糸川を渡り中央町に入ると、なにやらドヨンとしたカタギでない空気がなんとなく辻辻から漏れている。
ラーメン屋など飲食店の姿をしているが、2F部分の手摺の木型に意匠が施されていたり、タイル張りの壁に電灯のガラスボール、丸窓もあった。
だんだんテンションも上がって来ると感がさえるのか、路地へ路地へと入っていくと、湾曲して模られた正面2F部を持つ不動産屋を発見。
さらにはかなりの大店だったと思われる、紋章も立派な物件。屋号は「つたや」だろうか。コーナーの湾曲とトップの波の入り方がキレイだ。
思った以上の現存率でつい浮き足立ってしまうが、イマヒトツ、本当に娼館だったのかという煮え切らないものがあった。歴史的背景から見てもそうである可能性のほうが高いのだが、もう少し年代の新しい単なる旅館だったんじゃないか、なんても思ってしまう。
というのは、意匠がイマイチ凝ってないのだ。あの不動産屋は確定までも、タイルならもっと彩があってもいいし、柱の飾りなど木部ももっとクネクネしててもいいんじゃないか。
まぁこの界隈の当時の建築流行がそっちに向かなかっただけなんだろうが、そんなことを考えているうちに熱海街道という車通りに出た。さてどうしたものか、このまま海に出ようかなぁと辺りを見回すと、突如、目の前に厳つい物件が現れた!
(続く)