戦争遺跡の最近のブログ記事

(前回の続き)
vol.53 多摩湖自転車道を行く・その1
vol.54 多摩湖の取水塔・その2
vol.55 多摩湖もう一つの取水塔・その3
vol.56 多摩湖おとぎ列車終着駅跡・その4

57_map.jpg この先はもう狭山湖こと山口貯水池だ。
ここは狭山自然公園となっていて、広場脇には城跡のような石積みの物体が見え、なんだか妙にだだっ広く感じる。多摩湖に比べ自転車道が繋がっていないなどといった立地的な不利もあってか閑散としている。
湖側に目を転じると、ベンチと日除けが設けられた箇所になにやら柱のようなモニュメントが見える。
57_01.jpg 案内板によると、第二次大戦中に爆撃から堤体を守るためにコンクリートでブロックした対弾層というものを設けたようだ。
平成に入り改装工事をした際、不要となった対弾層を破壊したところ、中から昭和8年完成当時の堤体の高欄(手すり)と親柱が現れたという。この親柱は照明と避雷針の役目をしていたようで、ここに保存されている姿は当時と殆ど変わらないという。
それでも金属製の頭頂部の飾りや灯具は損傷が激しくリニューアルされており、戦時中に塗られたコールタールは剥がされているそうだ。
実はこの親柱の脇に石碑もあったのだが、堤体の耐震強化工事の完了を記念して平成14年に石原慎太郎の書を彫ったものというから、ここでは取り上げない(笑)

さて肝心の山口貯水池第一取水塔だが、水道局の施設のバカフェンスに阻まれ、近くで見れない。
57_02.jpg 外径約9m高さ約40m昭和9年に完成とある。村山下貯水池の第一取水塔の凡そ10年後の完成となるが、頭頂部がなんだか遊園地に合わせたかのようにメルヘンチックで恐らく後から作り変えたものだと思われる。
57_03.jpg そこがチト萎えるが、入口周りの意匠や塔自体の煉瓦の質感は多摩湖と並び一連の取水塔の形式を踏襲しており壮観である。間近で見られないのがつくづく悔やまれる。
57_04.jpg (一旦終り:期を改めて多摩湖周辺の別スポットを連載します)

   

だいぶご無沙汰してしまったが、先日、昨年訪れた石神井川沿いの桜を今年も花見と洒落こんだので、拙ミニコミ誌11年夏号『戦跡商店喰い』で取り上げた板橋区加賀の陸軍工場跡地の補足も兼ねてレポートしたい。

板橋区の加賀という地はその名の通り嘗て加賀藩の下屋敷のあった土地で、金沢など石川県に因む名が随所に残っている。
43_01.jpg 明治以降にその7割方が軍用地となり、未だ往時の痕跡を色濃く残しているが、特に石神井川沿いは、川の水力を使って弾薬に用いる火薬を磨り潰す圧磨機を回していたので、転用された火薬工場跡が多く残っている。

場所は都営三田線の板橋本町近くにある、板橋の名前の由来となった板の橋から、JR埼京線の十条あたりまで続く石神井川沿いに、満開の桜がしだれかかる。
43_02.jpg

43_03.jpg

途中途中にある公園では控えめながらボンボリが掛かり、一応花見宴会も盛り上がるようだが、基本、川の沿道は宴会が出来るような雰囲気ではなく、道行く人々もまばらで、ゆっくりと間近に桜が鑑賞できる。
43_04.jpg 都内でも数少ない、のんびりとした静かな桜鑑賞スポットとして、実に穴場だと思う。
43_05.jpg 花に見とれていても、その隙間から覗く歳月を経て黒ずんだ煉瓦塀がいくつも、嫌でも目に付く。
43_06.jpg 中でも加賀橋の袂にある旧火薬庫跡、歯科技工専門学校の一部校舎は、南国趣味の樹木と共に、そのコンクリートの黒ずんだ迫力は一際迫力を増している。煉瓦塀とはまた違った存在感だ。

43_07.jpg

43_08.jpg

43_09.jpg

43_10.jpg

昨年取材時はその外観だけだったが、今回の記事では内部もお見せしよう。
内部は改装され、卓球台などが並んでいたので、専門学校の体育館かレクリエーション施設となっているようだが、一部自転車置き場だけ往時の姿が残されていた。
43_11.jpg チープな表現で申し訳ないが、戦争映画のセットの如く、市民が非難していそうな空間だった。
43_12.jpg 焼けただれた肌のような壁面を窓からの明かりが照らす空間。
43_13.jpg 先ほどの満開の桜とは真逆のような、ひんやりと冷たい空気が充満していた。

しかし桜でさえ、梶井基次郎ではないが死体を連想させる妖気のような、一種、負のイメージがまとわりつくから、あながち戦跡とは相反するとも言いがたいかもしれない。
宵闇に浮かび上がる火薬庫跡をバックに夜桜見物もまた感慨深いかもと、なんだか思えてきてしまう。
爆弾は檸檬ではなく本物の弾丸だったわけだ。

   

右メニューにも紹介させてもらってますが、拙著B食町歩きミニコミ誌の新刊を8月に発行します。初売はコミックマーケット80の3日目(8/14)です。
スペースは、
東"R"-11b 「ガキ帝国」
となります。そちらにご興味のある方、ぜひお立ち寄りください。
各委託先へは8月下旬納品予定です。 >サークルページへリンク

その新刊の特集は「商店喰い-SHOW TEN GUY-」と題しまして、台東区・板橋区メインに、佐竹・鳥越・仲宿・蕨といった商店街とその路地裏をめぐる予定です。
今回は商店の連なり・繋がりを軸に据えていますが、そこから、これまで取り上げてきた戦前~戦後庶民建築はもちろん、戦争遺跡へも迫ります。そして超久々となる、昭和駄菓子屋ゲーセンもピックアップしています。
既に取材は大詰めを迎えているのですが、写真は板橋にある仲宿商店街の路地裏に眠る旧日本軍の遺構の一部。
itabashi_sample.jpg
ちょっと早出しですが、今回もこんな感じで進めてますので、好きな方は期待してくれると嬉しいです。

   

これまでの記事:その1その2その3その4 その5

熱帯植物園の奥は急な坂道...というか崖とも形容したくなるような上り坂となる。
椿の森と名付けられ、無数に伸びる椿の木々の間を進む。急勾配なので、小道はジグザグに設けられ、それも人一人通るのがやっとだから、花が咲く時期はその見事さと引き換えに、危険を覚悟せねばならないだろう。

椿の森を抜けた先が、園内の最高緯度地点となる。椿園を見下ろすベンチが設けられているのか...にしてはコンクリートが朽ちて危険な状態だ。

これこそ、今回イサム・ノグチ作ともう一つのお目当て、高射砲の台座だ。

表面が崩れてはいるが、4つの柱はシッカリとした太さで、イカツイ出っ張りを今日に晒している。
台下は崩れ落ち、まるで空房のようだ。

中はどうなっているのか、カメラだけ突っ込んで撮影してみた。

が、やはりなにもないようで、石片が転がるのみだった。

60年以上前の建材の手触り。当時の人々の想いや場の空気が知り得ようもないが、その頃からここにあるものに触れることで、なにか感じられることは確かだ。
そんな感慨に耽りながら、再び椿の森を抜け帰路に着くと、普通に家族連れが通る通路脇に、枯葉にうもれてはいるが、コンクリート製の細かな段差を発見した。

その上部には、なにやらモノリス状態のコンクリの壁面の一部が露出している。

急な斜面を階段状に登れるように段差を付けているようだ。

恐らくこれも弾薬庫の一部なのだろうが、この脇に、境界石のように四角いコンクリの塊が一部露出しているのを見つけた。

そのすぐ隣には、先程の高射砲の台座のようなコンクリが横たわっていた。

弾薬庫の頭頂部ではないだろうか。急な斜面を削って弾薬庫にしたので、知らぬ間に屋上に登っていたのか。
すると、換気口のような穴が空いていた。
覗いちゃう? 覗いちゃうか!?
怖いけど、カメラだけ突っ込んでフラッシュを炊く。何が写っているか、感想は各自に委ねる。

なにが写っていただろうか。

なにもなかっただろうか。

見えたかもしれないし、ないのだからみえるはずもない。
ただ、当時よりの風が、中から吹いてきたように思えたのは...勘違いだろうけど...そう感じたことだけは確かだ。


【終】

   

これまでの記事:その1その2その3その4

住吉神社からいよいよこどもの国へ向かう。

神社脇道路
先述の通り、廃線跡は神社東側からこどもの国の駐車場へ向かうそうだが、西側もなにか痕跡はないかと疑ってみるも、風雲たけし城でお馴染みとなった緑山スタジオへ続く整備された道路が続くばかりだった。
水道架橋
それでもやや荒漠とした田園風景は廃景探索に相応しく、水路の架橋に惹かれ、東急こどもの国線脇へと導かれた。
線路脇生コン工場路地
ここで、今回の連載の冒頭で紹介した【該当記事】、小規模生コン工場に出くわす。
生コン工場景

工場脇電車通過
工場のすぐ脇を電車が通り、目の前のこどもの国駅へ入線する様が間近に伺える。さて、自分もやっとこ、1年ぶりの入場と行こう。
●一年前の記事:前連載第33回「弾薬庫ばかりの"子供のくに"」
昨年同様、巨大鏡餅がお出迎え。
こどもの国鏡餅

相変わらず正月早々家族連れで賑わっているが、今回は前回見落としてしまった一部の戦跡と、イサム・ノグチのオブジェを目撃するのが目的だ。

プールを冬期だけリンクに変えたスケート場の脇を進む。こどもの国自体はすり鉢状になっており、入口から放射状に広がるように坂が伸びている。つまり、奥へ行けば行くほど、すり鉢のヘリに向かって坂が急勾配となる。
スケート場脇から坂がはじまる。まず第一のキツい坂を登り終えると、石積みのトンネルが突如として現れる。

石積みトンネル
斜面に埋没するように作られた遊具で、打ちっぱなしのコンクリート煤けた風合いといい、知らなければ旧日本軍時代の遺構と見紛う存在感。
コンクリ突出遊具頭頂部
コンクリ遊具広場
この先、石垣の切通しに、格納庫のような青緑の鉄扉がこれまた遺構のようだが、こちらも後付の単なる設備らしい。
石垣切通
切通鉄扉
切通トンネル
しかしこの先のトンネルといい、軍施設内の引込線跡の気がしてならないのだが、勘ぐり過ぎだろうか。

切通の上には、格納庫の換気口のような、半端に切られた阿部定的なコンクリの物体が整列していた。

換気口整列
よくみると昨年みた旧日本軍のそれとは趣が異なり、ややガンダムチックというか、機能美を超えたものを感じる。
換気口イサムノグチ
これがイサム・ノグチの作品で、言われてみれば先程の切通のトンネルも、形状的にはデザインされた風が感じられなくもない。1965年の開園の翌年、イサム・ノグチ61歳の時の作だそうだが【参照サイト:稲城と田奈の弾薬庫跡】、園内にそれを示す案内板のたぐいが存在しないのは残念でならない。

切通しを抜けると少しの間、閑散とした冬の枯れた山林風景が続く。一部崖か崩れたような山肌を覗かせる箇所があったが、下の方に穴を埋めたような、明らかに土の質の異なる半円状の痕跡を発見した。

弾薬庫跡容疑山肌
やはりこの通り道自体が米軍接収以前より存在していたのではないだろうか。

この先、熱帯植物園手前にイサム・ノグチによる遊具があり、こちらは明らかに後付けされた恣意的なデザインとすぐに見て取れる。

イサムノグチ遊具
高度経済成長期に近未来的とされたような幾何学的な形態ながら、コンクリートをなにかでコーティングすることなく、素材感を全面に出すラインの感じは、一般的な児童向け遊具とは一線を隠していると思う。

そしてここからはさらに先、園内のヘリ、最高位地点を目指す。
(続く)

   

(その1はコチラ)
(その2はコチラ)
(その3はコチラ)

道を阻むように聳える神社。
住吉神社.jpg
とりあえず急な石段を登りお参りを済ませ、脇の旧道のようなスロープ状の緩やかな坂を下ってみる。
女坂的.jpg
かなり切り立った崖であることが、こうして上から見下ろすとよくわかる。
住吉神社上から交差点見下ろす.jpg
崖肌は荒れ、削られてこの勾配ができたようだ。
崖肌.jpg
坂を下り終えると、再びこどもの国通りの神社前交差点に出る。

山側の交差点角には郊外らしく、車検屋や産業廃棄物処理業者の看板が並んでいる。
看板群その1.jpg
すると、看板の後ろに穴が開いている空濠を発見した。
看板裏.jpg
周囲を注意してみると、他にいくつかあるようだ。
看板裏UP.jpg
穴の中を覗いても案外奥が深いようで目視に限界があった。
穴.jpg
これが一体なんのか、確かめる術は今のところ持ち合わせていないが、旧陸軍の痕跡が現在のこどもの国の敷地内だけではなく、この周辺の山にあったとしてもなんらおかしくはない。しかも、その弾薬庫への引き込み線跡沿いとあっては尚の事。
あるサイトによると【B級スポット&動物園】、収容しきれなかった物資を貯蔵する目的と、不意の空襲時の待避場所だったとのこと。

看板群脇に記念碑がたっている。
記念碑.jpg
関東大震災で住吉神社が倒壊してしまい、その再建の記念を示したもののようだが、この碑は嘗ての鳥居を用いているそうだ。
この裏にも、穴を埋めたような跡を発見した。
記念碑裏.jpg
よく見れば、周囲は朽ちたコンクリの土台のようなものがいくつも露出していた。
看板群その2.jpg

この交差点から、山に沿って東側が廃線跡でずっと行くとこどもの国の駐車場へぶち当たるが、西側(現・こどもの国通り)はこどもの国駅の脇を通って、こどもの国正面ゲートへとたどり着く。こっちにも引込線が分かれていた可能性もなくもない。多くの廃線跡レポートでは東側に進路をとって駐車場にぶち当たって探索を終えているが、この神社の弾薬庫跡らしき穴を見つけた以上、進路を西にとってみたい。

(続く)

   

(その1はコチラ)
(その2はコチラ)

こどもの国線が奈良川を跨いだ先に、砂利敷きの駐車場となっている小さな三角地帯があった。
3-1.jpg
ここから県道139号こどもの国通りと東急こどもの国線がほぼピッタリ並走する区間に入るのだが、こどもの国通りにある奈良橋というその名の通りのバス停に向かって、やや曲がりつつも一直線に伸びる錆びたレールが、砂利敷きの駐車場に残っている。
3-2.jpg
3-3.jpg
この線形からするに、ここから東急こどもの国線と分かれ、奈良川とこどもの国通りの中間ぐらいを北上していたと思われる。

道路と川の隙間、20m足らず。
ここに民家が点在しているのだが、枯れた雑草と置き去りにされたような農耕具意外なにもないような土地を眺めるも、廃線跡と思しき痕跡は見受けられなかった。
3-4.jpg
奈良川のこの区間は比較的整備され、ちょっとした遊歩道になっている。
3-5.jpg
奈良川に架かる橋も小体で古く可愛らしい。柱に竣工年が書かれていたので見ると、昭和51年とあった。
3-6.jpg
思ったより古くはなかったが、自分とほぼ同年代か。周囲の家を眺めると、自分が子供時分によくみかけた木造平屋建ての民家が結構残っていた。
3-7.jpg
もう30年以上経ったとはにわかに信じ難いが、周囲の家々と比べるとその歳月を感じずにはいられない。

川沿いに歩くこと200m程で住吉神社前という交差点にぶつかる。
3-8.jpg
交差点脇に、喫茶王国愛知発祥のコメダ珈琲の関東進出店がある。ここでひと休みすることに。シロノワールというドデカいスイーツ(?)で有名で、詳細は手前のB級グルメブログに書いたので、そちらを参照されたい。

デウスエクスマキな食卓:コメダ珈琲@こどもの国~白のロワイヤル、その先にあるもの

閑話休題。
この交差点、名前の通り住吉神社があるのだが、山一つが御神体であるかのように、交差点の一角にコンモリとそびえ立っている。参道であろう階段が急で、この山自体、周囲に道路を通すんで削ったんじゃないかと思わる程。
3-9.jpg
で、この山、不思議に思ってみているうちに、ある疑念が沸き上がってきた。

(続く)

   

(その1はコチラ)

はっきりと引込線が見て取れた。

1.廃線跡.jpg

この線路の先を目で追うと、奈良川がほぼ直角に折れ曲がっているのだが、こどもの国線の線路が川を跨ぐのに並行して、引込線のガーター橋が架かっていた。

2.並行する2線.jpg

リベットが沢山打ち込まれる様が時代を感じさせる。

3.軍用線UP.jpg

レールが2本、さらに並行して川を跨いでいるが、桁に渡していたものなのか、そもそも剥き出しだったのだろうか!?

4.レールむき出し.jpg

こどもの国線は軍用線跡を利用してはいるが、これを見る限り、全く上書きしたのではなく、並行して敷設されたのではないか。
これが全区間か一部区間かはわからないが、とにかく、長津田4号踏切の箇所では、並走していた痕跡がはっきりと見て取れた。

再びこどもの国線に沿って歩く。
こどもの国線とほぼ並走するように蛇行した奈良川はまた大きく右手に折れ、川幅を広く、ほぼ直線に流れだす。

5.蛇行する奈良川.jpg

この大きく折れるところでこどもの国線は川を跨ぐのだが、先の4号踏切からここまでの区間だけ、川が整備されていないというか、農業用水としての原風景に近い姿をみせている。ここから先は護岸整備されている。

奈良川MAP.jpg

航空写真を見ると、4号踏切の辺りから真っ直ぐ干上がった川のような筋が見える。真っ直ぐながれを変える予定があるのだろうか。多くは農地になっているようだが、氾濫したらと思うと心配でならない。

5.奈良川を跨ぐコンクリート橋.jpg

奈良川を跨ぐ橋梁は一見新しそうに見えるが、支柱をみると補強のアームがみてとれ、古いコンクリートとわかる。

5.コンクリート橋UP.jpg

ここまで並走してきたであろうこどもの国線と引込線だが、この先で分岐する。なんでわかるのかというと、この先にその痕跡が残っているからだ。

(続く)

   

今回から数回に分けて散策レポートをお届けしたい。前回記事から間があいてしまい、エラいフリが長くなってしまったが、そんなに期待せず、お楽しみあれ。

前連載の第33回「弾薬庫ばかりの"子供のくに"」にて、横浜にあるレクリエーション施設「こどもの国」は、旧日本軍~米軍施設の跡地であり、未だ数多くの弾薬庫跡が現存している様子を紹介させてもらった。
こどもの国への主たる交通手段となる、東急こどもの国線は、弾薬庫へと伸びる貨物の引込線と触れるに留まったが、その廃線跡が一部現存すると知り、前回から1年、再び正月に長津田駅へ向かう。

長津田駅はJR横浜線と東急田園都市線を繋ぐターミナル駅なので、正月でも駅前のめし屋くらいやってるだろうと気軽な気持ちで降り立ったが、JR側は旧街道の宿場町として嘗ては栄えたって感じに、鄙びた雰囲気。ロータリーも狭く、木造の日本家屋も多い。
1.JR長津田駅前風景.jpg
これなら逆に駅前食堂か喫茶店を期待してしまうが、見事に正月休み。

2.長津田駅東急側田園風景.jpg
田園都市線側はすぐに住宅街だし、こどもの国線に沿って少し歩いてみるが、畑が広がるほどなにもない。
3.長津田1号踏切.jpg
踏切から線路脇を望むも、住宅が密集し、遺構らしきものは見当たらない。

4.長津田こどもの国線線路脇風景.jpg

3つしか駅がないこどもの国線、仕方なく1駅だけ乗って恩田で降りる。
その間の車窓も田畑が広がり、親子が凧揚げをしているというほのぼのとした風景がただ眺望できるだけだった。
ただ、電車が走るのは小高い丘状の上で、貨物の引込線のために作られたと思われる形状だ。
恩田駅は近代的な、逆に言えば素っ気ない無機質な駅だが、車両基地があり、ホームから東急車輛に保線車も望める。
5.恩田駅車庫.jpg
簡易自動改札機が並ぶだけの味気ない改札を抜け、葱畑脇を歩く。
6.葱畑.jpg
線路は恩田川の支流にあたる奈良川と時折交わりながら並走する。この、何回か川を跨ぐ橋のひとつに、貨物線跡があるらしい。
7.川と並走.jpg
500m以上歩いただろうか、長津田4号踏切と記された脇、矢剣橋の袂に、明らかに不自然な柵がある。
8.矢剣橋.jpg
そこから先を見やると、なにやら水路を跨ぐこどもの国線に並ぶ橋梁のようなものが見えるぞ。

9.矢剣橋の先.jpg

恐る恐る近づくと、線路脇の枯れ草の隙間から、錆びついた線路が2本、ハッキリと見て取れた!
10.線路跡2本.jpg
(続く)

   

引いてみました

トロポ円形@府中.jpg
前回記事で、府中トロポサイトのパラボラアンテナのUPを載せたが、
いきなりでビックリされたかもしれないので、周囲がどんな感じか、
写真はちょっと引いたところ。

   

ここまでよれました

府中トロポUP.jpg
府中の旧陸軍燃料廠が米軍に接収され、在日米軍司令部が置かれた。
昭和48年に返還されるが、通信施設は残され、今も廃墟状態になっている。どデカい錆びたパラボラアンテナが威圧感を与え続けているのだが、この光景に魅了されて、時折赴いている。
今回は今年春前に行ったとき、初めてデジタル一眼で撮ったもの。天気が悪かったが、ここまよれたので、記念に。

   
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    刈部山本-karibe yamamoto-
    自営の珈琲店でスペシャルティ珈琲のドリップやケーキの仕込みに追われる傍ら、路地裏や廃スポットを徘徊してはB級グルメを貪る日々。B食+路上観察を纏めたミニコミ(同人)誌を年2回定期刊行。

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