埼玉県の最近のブログ記事

前回記事で屋上遊園地ノリという話をさせてもらったが【vol.66:ズーラシアンブラスに屋上遊園の面影を見た】、現実、東京に辛うじて残っていた屋上遊園地の閉園が【3/11上野松坂屋】【3/2東急プラザ蒲田】と相次いだ。
特に蒲田東急は東京最後の観覧車が現存していたため惜しまれたが、同じくナムコが運営している川越のまるひろ屋上には未だ観覧車が現役で稼働している。拙ミニコミ同人誌の限定本『これぞ川越』【詳細ページ】模索舎に在庫僅かに有)で昨夏取り上げていたので、ここで紹介しておきたい。
67map.jpg 川越市街地の目抜き通り、新富町商店街のほぼ真ん中にデンと構えるのがまるひろデパート【公式サイト】。南浦和や入間等にもあり、埼玉県民にはお馴染みの地元デパートだ。
創業は戦後暫く昭和26年と古い。今のデパートと比べると天井が低いし、婦人服売場の感じなんかも「ちびまる子ちゃん」でお出かけに行く清水のデパート的な如何にも地方都市の百貨店といった雰囲気。

屋上へは6階から階段でのアプローチ。ペットショップを抜けるとスコーンと空が抜ける。
01.jpg まるひろの看板をバックに観覧車が回り、外周をモノレールが走る。
02a.jpg これと浮上してグルグル回転する飛行機の乗り物がメインの遊具。
02b.jpg これ以外にきかんしゃトーマスやパンダの乗り物など沢山の電動遊具で溢れている。
03.jpg 全体に昭和丸出しな空間なのだが運営はナムコだからか、新しい版権モノの乗り物とか案内板のデザインが今風だったりと、随所に現代の手が入った形跡が見受けられる。昔の経営のままならとっくに潰れていたろうか、こうして存続してくれてるのだから有難いと思う他ない。

まずなんといっても観覧車。
04.jpg 大人になってから乗ると、チョットでも揺れただけでビックリしたりしてしまう。
05.jpg ゴンドラから見る川越の街を一望する風景は見事の一言。
06.jpg 意外と高く位置まで登るように感じられる。

モノレールはミニジェットコースター式で意外と速度が早い。
07.jpg ボタンを押すと愉快な音楽がなるのだが、中途半端な高さと特にカーブでガタガタ揺れる感じがリアルに怖かったりして中々の緊張感が得られる。
08.jpg

そうそう、デパート屋上にはお決まりの神社もちゃんと祀られていた。
09.jpg 民部稲荷というそうだ。

大の大人がはしゃいでいる横で、近所のOLだろうか、クタビレた感じで煙草を吸いに来ている様を見ると、斜陽感が漂って切なくなるが、実際子供も遊びに来てて、アレ乗りたいコレ乗りたいとめっちゃテンション上がってる姿に、今の子供でも楽しいんだな、とホッとさせられるのだった。
10.jpg なんでも消費が大きくなって、海外の資本や合併合併していかないとやっていけない世の中にあって、一人勝ちの某浦安があたかも正義のようなこの業界。
この切なさをも含めた空気を小さい頃から感じながら、日帰りの下駄履きな遊園にしかない興というものをもっともっと共有されて然るべきじゃないだろうか。
色々難しいとは思うが、ここまるひろだけでも屋上遊園地が長く続いいてくれることを望む。
【了】

   

vol.62 川越の赤線

前回告知させていただいた、拙ミニコミ同人誌の新刊限定セット、お陰様で通販分も沢山ご注文頂き、無事受付終了となりました。
限定本の一つ、川越~大宮間を戦前に走っていた西武大宮線の廃線跡巡りは、『これぞ川越』というタイトルで再編集し、タコシェ模索舎のみに置かせてもらっていますので、宜しければそれらも是非どうぞ。

というわけで、西武大宮線探索の際に川越の遊廓跡も覗いてきたので、そのレポートをやってみようかと。

埼玉県は公娼制度を認めていない、いわば廃娼県とされているが、建前は旅館や料理屋として営業するお決まりのパターンで熊谷や大宮などに遊廓は存在していた。乙種飲食店(達磨屋)という名で川越にも、日本三大東照宮の一つである仙波東照宮を有する名刹、喜多院の西側に赤線が存在した。
赤線跡としては余り知名度がないように思われたので、往時の建物は少ないか、規模が小さいのを想定して、見逃さないよう慎重に、喜多院北側の県道を歩く。
img62_01.jpg この表通り沿いの商店も看板建築が多く現存し、その繊細かつ堂々とした佇まいに圧倒される。
img62_02.jpg 側面から見るとトタン張りの木造家屋な丸見えなザ看板建築というべき佇まい。しかも隣の家の名残がハッキリと残る原爆タイプのトマソン(みちくさ学会参照)。
img62_03.jpg またコチラもトタンの青が眩しいが、躯体が教会のような洋風の三角屋根に鳴っているのも珍しい。

そんな家々の間、事前に調べた情報を頼りに路地に入るが、そこには想像を遥かに超えた空間が待ち構えていた。
img62_04.jpg 現れた民家からして、入口辺りの感じがまずもって雰囲気を醸し出している。
img62_05.jpg とその向かいに不自然な空き地があった。空き地の奥にはトタン張りのベランダが印象的な下見板張りが歳月を物語る木造家屋。
img62_06.jpg これは・・・とピンと来るものがあり家の裏路地に入ると、黒板塀の人一人通るのがやっとな狭小通路が。
img62_07.jpg これはビンゴか!?と思い、異様な静寂に包まれる路地を慎重に歩を進める。
img62_08.jpg すると唐圓(圓唐?)と書かれた看板。
img62_09.jpg さらにその奥には、今回探し求めていた旅館市むらのウラ入口が。
img62_10.jpg なにやら只ならぬ空気が一帯に漂っていて、気軽に家を拝見している場合じゃなく思えてくる。
img62_11.jpg 静かに、そして足早に路地を抜け、旅館の表に廻る。

住宅街にポツンと佇む転業旅館。
P1100546.jpg 表からでも独特の気を読み取ることが出来る。
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この先、天ぷら屋や食事処として営業する物件もあり、これは改めて食事をいただきつつ内部も鑑賞するとしよう。
img62_14.jpg (天ぷら屋の正面)
img62_15.jpg (食事処の2F部分)

こうして遊郭跡エリアを一回りしてみたが、90年代に多くは取り壊されたという割になかなかの現存率と、どれも堂々とした佇まいでとにかく素晴しいかった。さらには、その建物の間の路地空間が往時を思わせる、まさしく露地といった湿っぽさを残しており、小江戸の観光地としての顔以外に、やはり歴史的位相という町としての奥行きを感じずに入られないのだった。
img62_16.jpg 遊郭跡以外にも、菓子屋横丁の程近くの町裏にも重厚な建造物が数々残っていたので、こちらもいずれ取り上げたいと思う。
【了】

   
暫く更新が滞ってしまったが、その間、町歩きミニコミ同人誌の新刊を作っていた。
秩父本ち表紙WEBこのところ妙にマイブームな秩父。ただの観光地かと思いきや、戦前のモダン建築が市街地に溢れていたり、妓楼街の名残から引込線跡まで、そう広くないエリアにギュッと魅力が詰まっていた。

その他、大正期より営業している食堂や、温泉めぐりも楽しめて、とても1冊でまとめきれない程。期をみて当連載でも廃鉱山散策など今後進めて行きたい。
委託先では今のところタコシェ【公式サイト】&模索舎【通販ページ】で取扱中なので(すぐ2軒ほど増える予定なので改めて告知します)、お手にとって頂ければ幸い。

というわけで、秩父市街地にある近代商店建築の中から、本に載せきれなかった物件を紹介してみたい。

秩父へのアクセスは西武鉄道の特急が出ているのでこれが便利だが、目指すエリアはその終点西武秩父駅から徒歩5分弱の秩父鉄道御花畑駅になる。
58_map.jpg 駅から一本路地入ると、線路と並走するように商店街が伸びている。
58_01.jpg 嘗て商店だったと思しきシャッターが降りた物件が多いのが寂しいが、この道は町のシンボル秩父神社へと続く参道のようになっており、昭和初期らしい幾何学的なシルエットがキレイな看板建築【参照サイト】が数多く残ることからも、往時の賑わいを感じさせる。
58_02.jpg 通り沿いの1軒。通りに面した看板部分のファッザードから突き出た庇が可愛らしい。この庇の部分が建物本来の屋根部分だろう。
58_03.jpg 横に回りこんでみるとやはり! 通りから見える部分だけ高く見せている看板建築の特徴がよく出ている。
58_04.jpg これは通り沿いに残るスナック。2F窓部分に本来テント看板が貼られていたようで、骨組みだけが残っている。
58_05.jpg どうやら営業している様子。
58_06.jpg 階段の奥からはカラオケの歌声が漏れ聴こえていた。
これまた通り沿いの趣味の店は1Fと2Fの間をタイル貼り看板にしているのがオシャレ。
58_07.jpg 隣のKO堂はサイディングで覆われ、往時の様子が窺えないが、看板部分から上に顔を出す躯体がなんだか蔵っぽい。
路地裏へ行ってみてもそうなのだが、この辺の商家は街道筋の宿場町のように土蔵を持っているところが多いようだ。

この先には国の有形文化財が並ぶ十字路がある。
58_08.jpg その一つ、小池煙草店【秩父市HP】
58_09.jpg 奥から見ると通りに面した部分の付き出した擬似3F部分が薄っぺらいのがよく分かる。
58_10.jpg 通用門だろうか、植木が置かれ使われていない様子。半円の扉が可愛らしくもシャレている。

この煙草店の対面がこれまた文化財に指定されたパリー食堂。
58_11.jpg 窓の上部の紋章のような意匠とか兎に角細部が凝っている。
サンプルショーケースも健在で、良い味出している。
58_12.jpg 窓には何やら扇の骨組みのようなものが。
58_13.jpg 古いスプライトのステッカーもグッと来る。
58_14.jpg 料亭といった木札があるが、いつ頃のものだろうか。
58_15.jpg 文化財のプレートはクリックで拡大↑
こちらは絶賛営業中で、勿論頂いてきた。詳しいレポートは本に。

58_16.jpg パリーの裏手が路地になっており、その分岐点に小さな鳥居が。
58_17.jpg この路地を行くと先の趣味の店とKO堂の真裏に出る。
58_18.jpg 手前が趣味の店で、奥の蔵っぽいシルエットがKO堂。蔵ではないようだが、どちらも窓枠が凝っていたりと和洋それぞれにモダンな要素が散りばめられた秩父市街地の町並みの美しさを象徴しているようだ。

この先、さらに路地へ路地へと進むと、嘗ての妓楼街の痕跡など随所に眩しいほどの魅力的な景色と出会うことが出来た。本にも詳しいが、それ以外に本に載せきれない程、まだまだ散策の余地が山とある。再訪、再々訪して、当ブログにUPしていきたい。いつになるか分からないが、気長にお待ちくだされ。
【一旦了】

   

前回・前々回
vol.48 赤山城址・前編~ミニコミ新刊延長線は水路の先にあり!?
vol.49 赤山城址・中編~城趾巡りは植木の香り!?
の続きを。

遊歩道に沿って北上していくと、高速の外環道が見えてくる。外環道直下の道がこの敷地の北端のようだ。
49_14.jpg やはりここが最高位地点のようで、ここから東西に堀が下がっている。
49_15.jpg 堀と高速の間には小さな公園があり、現代的な子供向けの遊具、パステルカラーの恐竜の頭が生垣越しにニョッキと現れるのはなんとも異様な光景だ。
49_16.jpg ここからは堀の中を進むしか道はないのだが、木々が生い茂り急に薄暗くなる。
49_17.jpg なにやら山道というか廃道散策の様相を呈してくるが、辻には祠のような小さな御稲荷さんが。
49_18.jpg 夜だったら十分肝試しに使える程、背筋が寒くなるシチュエーションとなる。
49_19.jpg さらに道は険しくなり、遂には行き止まり。
49_20.jpg 高速下へと戻って逆方向の探索も試みようとしたが、特に北東部は藪状態が酷く、これ以上の未開地探索は無理と判断した。
49_21.jpg 仕方なく来た道を戻り、城址の石碑があったメインストリートから南へ抜ける堀沿いに歩を進める。

ここのはやや細長い堀で、スリットのように伸びる植木が綺麗。
49_22.jpg すると堀は途中で途切れ、ただの生活排水路の暗渠のような、民家の裏路地となる。
49_23.jpg トタン張りの民家の塀をすり抜けると、元いた日枝神社の参道に出ていた。
狐に抓まれた様な錯覚を感じつつ、花卉園と住宅街の間をトボトボと歩き、家路につくのだった。

初めての城址散策を振り返ると、規模も小さく、人々の生活する空間に紛れるように存在していたこともあって、非常に身近なところで緑が残された神秘の空間のようで、意外性と特別感と生活感が混在する摩訶不思議な魅力にすっかり虜となってしまった。
ただ、植木の町という特殊性がそうさせた部分が多いだろうから、城址全てに該当する感慨ではないかもしれない。しかしどうも戦国時代を筆頭に、歴史ロマンというものがどうも胡散臭く、またそれを好きな人々の言動が鼻について全く好きになれなかった私の様な人間にとって、今回の体験が歴史にコミットする大きな第一歩となったことは間違いない。
奇妙な形で残される城址というものが、現在の中でどのような風景を見せてくれるのか、もっと見てみたくなった。これからも機会があったら巡っていきたい。
【了】

   

拙ミニコミ誌の初売りとなる冬のコミックマーケット、今回も無事当選しました。
12/31(月)3日目 東 フ-32a ガキ帝国
新刊は趣向を変え、初のフルカラーガイドブックという様相で作って行く予定です。その他、いつもの調子の限定本も持ち込みます【詳しくは手前のB食ブログの詳細記事を参照】
で、前回告知した夏新刊の再販ですが、委託先書店への納品も順次行なっています【詳しくはコチラ】
というわけで、その夏新刊で取り上げた川口のローカル風土&フード、中でも未掲載の城趾巡りを前回に引き続き綴って行きたい。

 

前回の続き:vol.48 赤山城址・前編~ミニコミ新刊延長線は水路の先にあり!?

高速を潜ると、やはり植木の町らしく花卉園の手入れされた木々の風景が続くわけだが、花卉園の中を緩くスロープ状に勾配がついている部分がある。
全体に先の調節池(野球グラウンド)から北へは土地が盛り上がっているのだが、先の案内板と紹介すると、外堀の外壁から城の敷地内へと土地が上がっているところのようだ。
49_01.jpg 頭上を鉄塔のシルエットが覆いかぶさるナカナカのビューポイントだが、写真右端の坂になっているスロープみたいなところが城の南端、鳩ヶ谷口の箇所らしい。

私有地なので突っ切っていくわけにも行かず、脇の公道を北上。
暫く行くと、脇道に何やらボンボリが下がっているのが見て取れる。
49_02.jpg 地元のお祭でもあるのかと近づいてみると、日枝神社と記された社が小じんまりと佇んでいた。
49_03.jpg トタンのような外壁で、山間に管理するものもなく打ち捨てられたような風情さえ漂っているが、案内板があったので読んでみると、城の南東部に3つの神社を祀っていた、天神社・天武社・山王社からなる山王三社であるらしい。
49_04.jpg で、ここはその山王社に当たるようだが、さっきは日枝神社って書いてあった。そういえば、赤坂の日枝神社も溜池山王にあって、山王祭が行われる。明治元年から日枝神社の称号を用いるようになったそうだが、そもそもは日吉山王社や山王社と呼ばれ親しまれていたらしい【日枝神社公式サイト】。どちらも徳川家に由来するからどっちでもいいのか(笑)。

神社の前は駐車場になっていて、察するに歴史散歩スポットとして観光用に整備したものだろう。
49_05.jpg お盆真っ只中というに1台も駐車しておらず、道行くは自分一人と、観光客誘致には敗色が濃そうだ。

駐車場からちょっと歩くと、いよいよ城の内側に至る。一面緑の回廊がお出迎え。
49_06.jpg これが想像以上に綺麗な空間でもう圧倒された。内堀の周りを綺麗に刈り込まれた植木が取り囲む。これは隣接する花卉業者の支援によって手入れされたもので、流石はプロといった端正な仕事っぷり。
49_06-2.jpg ぱっと見は茶畑のように見えなくもないが、実際は草迷宮とでも形容したくなるような整然とした空間になっている。
49_07.jpg ここを行き交うのは花卉業者や隣地の畑の持ち主、犬の散歩をする近所の方々のみ。時折すれ違う程度で、あとは自分一人、静寂の中を歩く。
49_08.jpg 堀の中は水が張っておらず、入れるようになっている。

敷地の丁度中央辺りに城趾を示す石碑が立っている。
49_09.jpg こうしたポイントポイントに案内板が設置されており、城址のどの辺にいるのかも随時わかるようになっている。
49_10.jpg MAPの他、伊那市の治水事業についてもキチンと記されていた。
49_11.jpg

49_12.jpg

城は思いのほか狭く、暫く行くとスグ遊歩道は途切れ、雑木林に行く手を阻まれる。
49_13.jpg 城というと石垣の高い立派なものを想像しがちだが、地方の陣屋とはこの程度かもしれない。しかしこの雑木林の部分も本来は城の敷地であり、江戸末期にはこの陣屋も相当荒廃していたと案内板にあったから、そもそもの状態を残している部分はこの程度でもあって御の字だったのかもしれない。まぁ辛うじて残っていた堀の形状を花卉業者が上手いことやってくれた賜物ともとれるが。

とりあえず遊歩道として整備された部分を行けるところまで行こう。
(続く...)

   

大変お待たせしてしまったが、8月に発行した拙ミニコミ誌、重版がやっと出来上がった。
de12natu表紙デウスエクスマキな食堂12年夏特別号
『岸辺のアブラミ 上下巻+別冊』

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東京の郊外散策と銘打って、川べりを中心に巡っているので、掲載しきれなかった延長線を今回から前後編で綴ってみたい。



これまで本連載で埼玉県川口市を何度か歩いてきたが、この埼玉県南部分には水路がことのほか多く、気づくと水路に出くわしたり、沿って歩いていることが実によくある。

現在のさいたま市見沼区、JR武蔵野線の東浦和駅近くは嘗て、台地に挟まれた沼地や荒地だった。今から380年ほど前、そこに八丁堤を築堤し、水を貯めて田んぼ等の生活用水とした。この見沼のため池の水は、行田市の利根大堰の辺りから利根川の水を引っ張ってきて、全長60kmほどの用水路、見沼代用水が出来上がった【cf.Wikipedia:見沼代用水】
江戸時代、江戸に人口が増え、水運の観点からも水路が必要となった。そこで、東京北部に接する、埼玉との境になる荒川へと、見沼の辺りから芝川や神領堀など色んな水路が引っ張られるようになる。なので、川口の辺りはやたら水路が走るようになった、ということらしい。
江戸初期に見沼をため池に改修した他、こうした河川改修や新田開発をアチコチでやり、荒川を熊谷からグイと曲げたことでも知られるのが、伊奈忠次というオッサン。埼玉県民なら伊奈町という町名を耳にしたことがあると思うが、伊奈氏の名に由来し、そこには嘗て伊奈氏の屋敷があった【伊奈町HP:伊奈町の歴史】
そこからこの川口にお引越ししてきて、赤山城を築城した。

というわけで、川口を水路づたいに巡ったら、赤山城に巡りあったなんて、歴史の点が線で結ばれたみたいでロマンチックでしょ。なんか運命的なものを感じてしまって、こうなったら赤山城跡に行くしかなるまい!

前世紀まで鉄道の通っていなかった、最近川口市と合併した鳩ヶ谷市。そこを縦断する2001年に開業した埼玉高速鉄道線に乗って、旧鳩ヶ谷市の北端、新井宿駅で下車する。

より大きな地図で 昭和迷宮物件vol.48MAP を表示
嘗ては旧岩槻街道の宿場町として栄えたが、今は東北自動車道の玄関口として、首都高川口線と外環道の交差する川口JCTが覆いかぶさる、車の通りすぎる町と化している。隣接する安行は植木の町として知られ、新井宿も花卉農家が道道に見受けられる。
綺麗に刈られた木々を横目にトボトボ歩いていると、首都高下に出る。高速脇に河川敷に見られるような空地を転用したと思しき野球場が目に飛び込んできた。
48_01.jpg 一見ただの野球場だがナニカオカシイ。
球場の土地、凹んだ平地に作られているのだ。つまり、河川敷のように、川があって土手があって、その間の土地が野球場に宛てられている。高速側が土手で、斜面を下ってグランドがある。その斜面は簡易スタンドのように段差が設けられている。
48_02.jpg 自分が駅から歩いてきた道も、緩やかな上りになっていて、高速高架下で直角に交わっている。この歩いてきた道と高架下の道が土手であり、川などの水路があったのではないだろうか。
既に暗渠化して川筋は見えなくなっているのか。ともかくグランドに下りてみようと、その時、野球場利用者の駐輪スペースに、黒くてぶっとい水道管が行く手に立ちはだかった。
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48_04.jpg 何やら汲み上げる装置のようなものもあり、この底部に水が流れているに違いない。
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48_06.jpg 野球場なので一部にフェンスが張られているのだが、フェンスの向こうは藪のようで木々が生い茂っている。気になって金網越しに目を凝らすと、ビンゴ、水路だ。
48_07.jpg 場所からして、もしや赤山城の堀跡ではないかとも思ったが、城址まではまだ距離がある。単なる灌漑用水路か。
これがなんなのか、なにかヒントになる痕跡がまだあるかもしれない。フェンスにそって歩みを進める。注意深く目を凝らしていると、え、石垣!?
48_08.jpg 用水に関する何かが埋まっているようなコンクリの頭が出た部分の奥、真新しい白さで流石に往時の城壁ではないだろうが、大谷石だろうか。

近づけないので悶々としたものを抱えたまま、先を急ぐことにする。
48_09.jpg 高架下とぶつかる地点で信号待ちをしていたら、観光地にあるような市が設置したと思しき案内板を発見した。
読んでみるとこれまた大ビンゴ! 赤山城の外堀だったのだ。
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48_11.jpg 石垣はさすがに後世に整備されたものだろうが、これにはチョット身震いするものがあった。
こんな幸先いいこと初めてかも。というわけで、これから赤山城へイザ参らん!
(続く…)

   

47_00.jpg 首都圏の物流基地として近年倉庫が異様に増えた戸田。荒川沿いには巨大な明治乳業の工場が昔からあったが(戸田橋や埼京線の車窓からからブルガリアヨーグルトの看板がよく見える)、川っぷちの殺伐とした光景の中、川口や戸田公園、そして高島平と成増からも国際興業の無料送迎バスが吸い寄せられるように山田うどん近くを通って集結してくる。
47_01.jpg オッサンを大量に乗せたバスは巨大バスターミナルと化した駐車場へ到着。早速、降車場脇に据え付けられた大きなテレビの下で出走表をチェックしている。
ここから戸田ボートの入口までは戸田公園大橋を渡る。
47_02.jpg センターの巨大な塔ででワイヤーを吊った斜張橋(しゃちょうきょう)で、かつしかハープ橋を思わせるシルエットが実に美しい。特にこの日は晴天に恵まれ、正しく白い巨塔が晴天を一直線に貫いていた。
この競艇場の上に橋が架かっており、ここから見下ろす光景もなかなかにいい。
47_03.jpg 競艇場は荒川の脇に溜池を作ったような形状になっており、感覚としては荒川でボートレースしているように映る。近くには同じような形状で戸田ボートコースがあり、大学のレガッタ(原動機のない船による複数人のボート競技。隅田川で行われる早慶レガッタが有名)が行われている。この辺りでは大学生が練習する姿が日常的に見受けられる。こうした背景には、1940年に未開催となった幻の東京オリンピックがあり、これら戸田漕艇場一帯はそのために整備された。64年に開催された東京オリンピックではボート競技の会場となり、北側の幹線道路がオリンピック通りという名でその痕跡を残している。
47_04.jpg さて建物に入り鉄道の自動改札機のような所に100円ワンコインを投入し入場。するとアチコチで競艇新聞を売るオバちゃんの姿が。その奥にアイスの移動式屋台も見受けられる。ソフトクリームの形状をしたアイスもあるが、モナカが美味しそうだ。そういえば、そこいらのオッサンが歩きながらアイスをペロペロしているのだが、オッサンってなにげにアイス好きだよね。可愛らしいがよく似あってもいる。
47_05.jpg 投票所に至るまでの通路がやけに暗いなと思ったが、真夏の猛暑日、外が異様に明るいのだ。スタンドからみる水面と青空に映える岸辺の景色がまたいい。
47_06.jpg スタンドは4F建てになっており、入口からメインスタンドが3Fで、投票所や飲食店、付帯施設は1~3Fに散らばっており、上の5Fは特別観覧席となっている(4Fは存在しない)。
さて、なにから食べようかと、ひとまず全ての売店を一通り見てからと思うのだが、なにせ横に長い施設で点在する売店を全て回るのに相当骨が折れる。しかも2Fは途中壁に阻まれ2棟分離しているので階段を上がったり下ったりと大変だった。
所々で無料の水を飲みがてら、プラプラしたのだが、途中ドデカいイベントホールでは演歌歌手のオンステージが開催されていた。
47_07.jpg その他、キッズルームは言うに及ばず、戸田市のPRブースがあったりと、見所がたくさんあり飽きなかった。

と、これから食べたもののレポートは、手前の食べ歩きブログにまとめることに。
↓参照されたい。
デウスエクスマキな食卓:戸田競艇@戸田~リニューアルしてもしきれないもの

この様な立派な施設にリニューアルして10年くらいは経つようだ。近代的になってギャンブル場の雑多な雰囲気がなくなり詰まらなくなったという意見もあるようだが、来ているオッサンらはそんなのお構いなしと気に留めてる風もなく舟券を買っているし、反面家族連れも多く、競艇そっちのけでお父さんは家族サービスに勤しんでいる。ここまで懐が深く、のほほんとした鉄火場は初めてで、最初は呆気にとられたが、段々と慣れてきて、これはこれでアリだと思えるようになってきた。
47_08.jpg フードコートの大きな窓ガラスから、対岸の工場街や荒川土手でランニングする人などを眺めていると、ビール片手に彼女と照り焼きチキンを頬張りつつ、のんびり休日を過ごす、なんてデートコースもアリ?なんて思えてくる。入場料は僅かにかかるけど、タダでバスで来れるし、郊外の遊技場としての可能性を感じずにはいられなかった。

   

前回告知させて頂いた、拙著ミニコミ同人誌の新刊だが、先日8/12、弊サークルにお越し頂いた方、誠にありがとうございました。
当初の予定に間に合わず手製本となったが、なんとか新刊を出すことは出来た。手作りなので再販まで暫しお時間頂きたいが(9月中を予定。出来たらこちらでも告知します)、今回の本は以前2006年に発行した『足立JCT』という本の続編的な内容となっている。絶版でもあり、記憶にない方も多いだろう。繋がりの強いエピソードはこの連載でフォローさせていただこうと思う。
というわけで、今回は川口の旧中心地、川口本町を取り上げたい。

川口市のほぼ真ん中を縦断する幹線道路に国道122号があるが、岩槻街道とも呼ばれ、歴史ある街道筋であることは、現在の車の行き交う姿からは想像できないだろう。
岩槻街道は別名御成道とも呼ばれるが、江戸期に日光詣での道として整備されたもので、特に東京都文京区の東大前辺りからさいたま市の岩槻までが岩槻街道とされる。その旧道のルートは殆ど現在の国道とカブっているが、川口に入ってスグと鳩ヶ谷~新井宿間だけは別に嘗ての街道が残っている。
その川口の入口部分は昔の宿場町、川口宿に当り、善光寺の門前町として栄えた。ここが川口の中心地だったという。その中に存在する本一商店会は、今となっては寂れた商店街にしかみえないが、看板建築や立派な蔵など、そこかしこに往時を偲ばせる名建築が現存している。
しかしここ数年のスクラップ&ビルドは甚だしく、どこにでもありそうな住宅に店舗建築が建替えられ、町並みが激変している。


46_01.jpg 重厚な木造建築の接骨院。
46_02.jpg その奥の蔵部分は和食店としてリノベーションされている。
46_03.jpg 蔵へと至る路地には煉瓦パターンが。
46_04.jpg 接骨院の隣家と分かつのは、これまた重厚な煉瓦塀。
46_05.jpg 元豆腐店と思しきコインランドリー。
46_06.jpg サビ具合が絶妙なトタン張りの理髪店。
46_07.jpg 2Fの銅葺きが歳月を感じさせる薬局。
46_08.jpg その薬局には古い看板が掲げられたまま。
46_09.jpg 商店街の出口、北端には歯抜け状態ながら看板建築が散在する。
46_10.jpg 深い緑の銅葺きが見事な洋品店。
46_11.jpg その隣りの江嶋屋は1Fこそ現代風にリフォームされているが、2Fは見事な意匠の戸袋を残している。
46_12.jpg ある台風の翌日、その江嶋屋に足場が設けられ、網が被せられていた。遂に解体かと心配したが。
46_13.jpg
なんと剥がれかけた銅板を修復していると職人さんが教えてくれた。剥がれたら危険だし、周囲はどんどんマンションに替わる中、こうなったら撤去するかと思いきや、往時の姿を維持し続けるオーナーの心意気に感服した。

   

私の生まれ育った川口市のほぼ中心には広大な空き地があった。
44_01.jpg 厳密に言えば今でもあるし、上の写真は現在の写真なのだが、この風景に至るまでの昔語りを少々させていただこう。

JRの路線は市の西と北に寄り、中心部から東側はぽっかりと陸の孤島と化していた。今でこそ埼玉高速鉄道という、どこが高速なのか、運賃が高額で寧ろ拘束されている様な人寂しい路線だが、足立区や戸田といった郊外の倉庫・工場地帯に挟まれて、幹線道路はやたら賑わっていた。
それも今は昔で、街道沿いの飲食店も寂しい風景ばかりが目立つのだが、幼い頃より、そんな道路沿いの風景に謎の物体を発見しては、アレはなんだ!?と心踊らせていた。

一先ずその“ブツ”をご覧いただこう。
44_02.jpg 一瞬石かというか思うが、よく見るとコンクリートの塊で、4m×8mくらいだろうか、上部にはフックのようなものが固定されている。
44_03.jpg ただそこにあるだけで、飾り気もない、だけど謎めいた圧倒的な存在感を誇るそれは、映画『2001年宇宙の旅』のモノリスや、ビデオゲーム『ゼビウス』の地上物を彷彿とさせる。
44_04.jpg 現在NHKアーカイブスのビルが建つ土地のすぐ隣り、一部は市のレクリエーション施設になっているが、それ以外の大部分は全くの空き地になっている(冒頭の写真)。その空き地の敷地内とその周辺に、こうしたコンクリの塊が、自分が確認できた範囲では4基存在している。
44_06.jpg それぞれ微妙に形状や大きさが異なるのだが、自分が子供時分に自家用車の車窓から見た記憶のあるものとは、形も場所も少しズレている気がするのだ。
44_07.jpg その原因はスグに判明するのだが、そもそもこの場所はなんだったのか。

隣接する場所に岡崎病院という我が家のかかりつけ医があった(現在はデイケアセンターとなっている)。その裏手に廃墟のようなグレーに煤けた学校や病院にみえる建物があり、幼心に興味はあったが怖くて近づけなかった。
現在川口衛星管制センターとなっている場所、父からはNHKのラジオ局があったと聞かされていたが、実際はこの広大な土地にはNHKラジオの送信用鉄塔が2つも建ち、そのNHK川口放送所の施設だったと推測される。

コンクリの塊は鉄塔を支える鉄塔基部と、
44_05.jpg ワイヤーを固定する支線基礎のようで、
44_08.jpg 2塔あった内の北塔の基礎だけがこうして現存している。

鉄塔は1937(昭和12)年と戦前に立てられ、45年間、関東一円にNHKラジオを送信していた。なんと東京タワーが出来るまでは日本一の高さを誇る鉄塔だったそうで、歴史や構造等、「魅惑のチリルーム」という素晴らしいサイトに詳しくまとめられているので参照されたいが【東京発展裏話#8 日本最高のタワーを支えた基礎構造物~NHK川口ラジオ放送鉄塔跡~】、そこに掲載されている図を見ると、自分が幼い頃に見たのは、撤去された南塔の基礎であったようだ。
こんな破壊するだけで大変でコストも割に合わなそうなものをよく撤去したものだと思う。最近でも近くの鋳物工場が閉鎖され住宅地として分譲されていたが、そうしたニーズがある以上、今ある空き地だって、NHKの所有地となっているが、どのように転用されるか知れない。

先に戦前に立てられたと記したが、終戦の年、15日に玉音放送を聞いた一部の陸軍軍人が終戦に反対し、徹底抗戦を主張せんがため8/24にこの川口放送所を占拠するという事件が起きている【Wikipedia】。NHKの放送をジャックし、国民に徹底抗戦を呼びかけようと試みたが、送電が止められ計画は失敗。しかし午前6時頃から約9時間に渡り関東地方一帯でラジオ放送が停波した。
その空気を吸っていたのは、この残る数基の基礎のみとなり、今ではその場所で放送衛星の制御を行うシステム(B-SAT)のパラボラが虚空を見つめていた。
44_09.jpg 【了】

   

川口のおかめ市ついでに

商売をしているので年末になると熊手を求めるのだが、折角なのでアチコチの酉の市の類に出かけるようにしている。

ヨヨヨイ@おかめ市
それでも、毎年12/15に行われる地元川口のおかめ市は小さい頃より慣れ親しんでいることもあって、なるべく毎年足を向けるようにしている。
4bda25546f6599c0e6be-1024[1].jpg
駅前は再開発花盛りだが、それでもテキ屋の屋台を退かすことはできない。コチトラン十年この地でやってるんだ!と言わんばかりにこの日だけは我が物顔で普段見かけない面々が闊歩している。最近ではマンションを買った層が駅周辺に目立つが、おかめ市になると嘉門達夫のヤンキーの兄ちゃんの歌ではないが、若いのから筋金入りのまでワラワラと出陣。
駅前から川口神社まで、迂回するように1kmくらいかな、ずっと屋台が続くのだが、昔からのルートなので、沿道には戦後、もしくは戦前からあるような建物も見受けられる。
おかめ市物件1
かなり立派で石積み調のどっしりとした佇まい。レンガ部分が実に重厚感あるが、和洋折衷の邸宅なので、大正時代のものか。
abf26c9530e3d79d19ad-1024[1].jpg
蔵もあり、その手前に南国趣味的な樹木も植えられているので、益々その時期っぽい。
04eeb679[1].jpg

   

澤田金物店の最期

澤田金物店@川口.jpg
【埼玉県川口市本町3丁目】10.9月
川口駅前から伸びる六間道路沿いに建つ金物屋。
道路拡張の幅員に引っかかりあえなく閉店、先日ついに売地となってしまった。
営業している勇姿をお見せしたかったのだが、今では雨戸も閉まる有様。無念。

   
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    刈部山本-karibe yamamoto-
    自営の珈琲店でスペシャルティ珈琲のドリップやケーキの仕込みに追われる傍ら、路地裏や廃スポットを徘徊してはB級グルメを貪る日々。B食+路上観察を纏めたミニコミ(同人)誌を年2回定期刊行。

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