商店建築の最近のブログ記事

拙ミニコミ同人誌の11年夏号『戦跡商店喰い』【詳細】が委託先数店舗に数冊あるのみとなったので、お買い逃しなく【取扱書店一覧】!記念として、食べ歩きブログの方に水神湯(東京都板橋区仲宿50-1)という平成23年11月30日に廃業してしまった銭湯を紹介させて頂いた。

デウスエクスマキな食卓:
【水神湯@仲宿~惜しむらくも廃業、宿場時代の影を落とす名銭湯!】
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コチラは、現在マンションが建設されているのだが、明治期に駐屯していた憲兵隊の跡地らしく、銭湯内の敷地の壁が煉瓦になっている。
img59_02.jpg 前回記事の秩父ではないが【vol.58 参照】、この界隈には嘗て妓楼が存在していた。商店街の路地裏にある医院の外壁が煉瓦で、伊勢孫楼という妓楼の名残という。これもいずれ詳しくレポートしたいが、こうした痕跡が残っているため、水神湯の煉瓦壁も妓楼跡かと思った。
img59_03.jpg いたばし観光センターにいらっしゃったボランティアの方に伺ったところ、なんとこの煉瓦壁の存在を存じ上げなかったのだが、明治期の小地図を出して下さり、照会してみると憲兵隊の営門跡ではないかと思うに至った。
img59_04.jpg モチロン、銭湯自体が古典的な宮造の昭和レトロを地で行く素晴らしい建築だったし、煉瓦壁含め取り壊されてしまったことが惜しまれるが、こればかりは致し方ない。
img59_05.jpg せめて、ここに記録を留めておくとしよう。
img59_06.jpg 合掌【了】

   

まず最初にチョット拙ミニコミ同人誌の告知をば。
tamahyousi_web昨年末に新刊『ギャンブルイーター』(amazonでもお求めいただけるようになりました!!)、初売りの際に限定でコピー誌2種との3冊セットを作らせてもらった。
イベント限定のところ、ご好意で一部書店(タコシェ模索舎)でも委託して頂いているので、そちらもヨロシクね!・・・ということで、そのコピー誌の一つ、多摩地区のB級スポット&グルメ+スパ銭めぐり『多摩に行くならこんな店』の中から、少しだけ触れている往時のマーケットについて、未掲載写真を含め詳細に述べておきたい。



JR南武線の矢野口駅のスグ近くで、鶴川街道と川崎街道という大きな道路が2つ、交差している。
52_map.jpg 調布に程近い車文化圏なので、車窓からこの辺りの風景を眺めたことのある方もいることだろう。よみうりランドも近く、住宅地の奥は山に茂る木々という風景にあって、この矢野口交差点だけスコンと抜けた印象がある。

矢野口駅は2004年までは踏切の音が鳴り響くローカルな地上駅だったが、2005年に高架化が完了。高架下にはショッピングセンター「アイポート矢野口」が出来、FCチェーンが入っている。近代的に整備されキレイな、それでいて何処にでもある駅前がここにも誕生した。
少し悲観的かつ否定的な言い回しになってしまったが、この高架化は、地上駅だった頃に踏切があることで鶴川街道が慢性的な渋滞に喘いでいたという、地元住民や仕事で車を使うものの悲願だった部分も見逃してはならない。高架化で道路は拡幅し、今ではスムーズに南北を行き来出来る。
駅周辺には鶴川街道が狭かった頃の名残が今でも幾つか散見できるが、駅の改装で人々の流れも変わり、周辺環境が激変したと思しき爪痕も同時に残っていた。
52_01.jpg それがここ、矢野口駅前ショッピングセンター。
南武線高架のスグ南、バス停前にポッカリと砂漠化でもしたかのような、半端に広く砂埃臭い駐車場があるのだが、この脇にモルタル造の棟割商店長屋がポツンと廃墟のように佇んでいる。
まるで再開発後の街をボー然と眺めているかのようだ。

近づくとショッピングセンターだった頃の看板がある。
52_02.jpg 魚屋と雀荘だけが読めるが、後は退色して何が入っていたか分からない。
アーケードの下に潜ると、魚屋の幟と酒のケースが残っていた。まだ新しく写る。
52_03.jpg 裏手に回ってみると、激しく錆びたトタンの平屋が横に長く伸びていた。
52_04.jpg 同じ作りの小屋には先の魚屋の屋号が。倉庫だったのだろうか。
52_05.jpg ショッピングセンターの裏側を見ると木造の住宅になっており、今は住居としてのみ使われているようだ。
52_06.jpg 52_08.jpg 隣接する駐車場からショッピングセンターの真横の姿を見ると、その構造がよく分かる。
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駐車場を挟んだ対面には、商店が連なる棟割の看板建築群が。
52_09.jpg こちらは完全な商店街の様相を呈しており、コインランドリー・クリーニング店・お茶屋とシャッターを卸している。
52_10.jpg その向かいのスナックは夜には今でも営業しているのだろうか。

この先はまだ真新しい家屋も散見できる、いわゆる多摩郊外の住宅街となり、ここだけ、ポツンと往時の姿を留めていた。
今後どうなるのか、ただ解体の日を待つばかりなのか知れないが、人が住まわれている限り、隣駅稲田堤のような個人商店が立ち並び自転車が行き交うゴチャゴチャとした南武線沿線らしい光景が、ここ矢野口にも展開していたことを教えてくれる。
【了】

   

前回告知させて頂いた、拙著ミニコミ同人誌の新刊だが、先日8/12、弊サークルにお越し頂いた方、誠にありがとうございました。
当初の予定に間に合わず手製本となったが、なんとか新刊を出すことは出来た。手作りなので再販まで暫しお時間頂きたいが(9月中を予定。出来たらこちらでも告知します)、今回の本は以前2006年に発行した『足立JCT』という本の続編的な内容となっている。絶版でもあり、記憶にない方も多いだろう。繋がりの強いエピソードはこの連載でフォローさせていただこうと思う。
というわけで、今回は川口の旧中心地、川口本町を取り上げたい。

川口市のほぼ真ん中を縦断する幹線道路に国道122号があるが、岩槻街道とも呼ばれ、歴史ある街道筋であることは、現在の車の行き交う姿からは想像できないだろう。
岩槻街道は別名御成道とも呼ばれるが、江戸期に日光詣での道として整備されたもので、特に東京都文京区の東大前辺りからさいたま市の岩槻までが岩槻街道とされる。その旧道のルートは殆ど現在の国道とカブっているが、川口に入ってスグと鳩ヶ谷~新井宿間だけは別に嘗ての街道が残っている。
その川口の入口部分は昔の宿場町、川口宿に当り、善光寺の門前町として栄えた。ここが川口の中心地だったという。その中に存在する本一商店会は、今となっては寂れた商店街にしかみえないが、看板建築や立派な蔵など、そこかしこに往時を偲ばせる名建築が現存している。
しかしここ数年のスクラップ&ビルドは甚だしく、どこにでもありそうな住宅に店舗建築が建替えられ、町並みが激変している。


46_01.jpg 重厚な木造建築の接骨院。
46_02.jpg その奥の蔵部分は和食店としてリノベーションされている。
46_03.jpg 蔵へと至る路地には煉瓦パターンが。
46_04.jpg 接骨院の隣家と分かつのは、これまた重厚な煉瓦塀。
46_05.jpg 元豆腐店と思しきコインランドリー。
46_06.jpg サビ具合が絶妙なトタン張りの理髪店。
46_07.jpg 2Fの銅葺きが歳月を感じさせる薬局。
46_08.jpg その薬局には古い看板が掲げられたまま。
46_09.jpg 商店街の出口、北端には歯抜け状態ながら看板建築が散在する。
46_10.jpg 深い緑の銅葺きが見事な洋品店。
46_11.jpg その隣りの江嶋屋は1Fこそ現代風にリフォームされているが、2Fは見事な意匠の戸袋を残している。
46_12.jpg ある台風の翌日、その江嶋屋に足場が設けられ、網が被せられていた。遂に解体かと心配したが。
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なんと剥がれかけた銅板を修復していると職人さんが教えてくれた。剥がれたら危険だし、周囲はどんどんマンションに替わる中、こうなったら撤去するかと思いきや、往時の姿を維持し続けるオーナーの心意気に感服した。

   

右メニュー部分にも告知させてもらっているが、拙町歩きミニコミ誌の新刊が今夏も発行を予定いている。
初売となる夏のコミックマーケットも当選(8/12 東2 P-33a ガキ帝国)。
いよいよ制作にかかるわけだが、イベント限定本では前回冬号で取り上げた上沼田団地【vol.38参照】から鳩ヶ谷街道を北上し、足立から川口へと工場街の郊外型ロードサイド文化を見て回ろうと思っている。
というわけで前号で載せきれなかった、鳩ヶ谷街道の起点となる荒川土手の江北JCTと上沼田団地の間のエリアを紹介したい。

王子から西新井大師へ抜ける王40系統という都バスがある。江北JCTから環七に出て大師様へ向かう路線なのだが、途中に荒川土手操車場もあるとあってか、江北バス通りとも呼ばれている。
上沼田団地エリアの南端、つけそば竜馬という一風変わったラーメン店(居酒屋?)【参照弊ブログ記事】のある、土手方面へと斜めに入る道がそれで、進むとスグ、三叉路に草木に覆われた税理士事務所とパチンコ屋が並ぶ壮絶な光景が待ち構えている。
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45_02.jpg パチンコ屋は民家を改装したかと見まごう作りで、フツーの三角屋根に昭和のモーテルのような電飾看板が乗せられている。
45_03.jpg 対面にはモルタル造の商店が並んでおり、こちらも草が絡み付いている。
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45_05.jpg シャッターが降り既に廃業している店舗も目立つが、結構な軒数が連なり、嘗ては結構賑わっていたと想像できる。
45_06.jpg 理美容店に銭湯と水回り系の商売も目立つ。
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45_08.jpg 中でもスナックのような物件も多く、三業地的な匂いもそこはかとなく漂ってくる。
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45_10.jpg 水回りといえばそのままだが、廃棄物が置きざりになったりと、土手的な荒廃感が目立つ。
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45_12.jpg そうこうしているうちに荒川土手操車場に到着。
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ここから鳩ヶ谷街道を北上するのだが、この路地裏はさらに足立区らしい土手沿い文化の迷宮が待ち構えている。それは新刊のお楽しみということで。
【了】

   

当ブログでの告知が遅れましたが、無事に路地裏徘徊B食巡りミニコミ雑誌の新刊が昨年末に発行と相成りました。
c81デウスエクスマキな食堂11年冬号『団地団地レボリューション! 商店喰い2-ARCADER-』全120頁 1050円
阿佐ヶ谷・足立上沼田・金町と、全蓋式(アーケード)商店街と団地を巡り、、昭和30年代、戦後高度経済成長期の夢の詰まった計画、その現実と幻影に出会って来ました。そこで地元に密着した洋食屋のチキンカツ・喫茶店のナポリタン・肉屋の焼き鳥・大衆酒場の煮込み・中華屋で半チャンラーメンと身に入れた記録です。
これから1月の中旬~末にかけまして【委託先】へ納品して回ります。当ブログに興味を覚える方にはきっと気に入って頂ける内容だと思いますので、是非手にとって見て下さい。

で、今回はその本に載せきれなかった路地裏の物件を少し蔵出ししてみたい。
阿佐ヶ谷駅から南へ、善福寺川緑地公園の辺りまでずっと、古くからの閑静な住宅街が続くのだが、五日市街道へ出ると沿道に錆びたトタンで覆われていたり、通りに面した部分だけモルタルで意匠を凝らした看板建築の類がポツポツと現れてくる。ここまでのお屋敷や、やや重厚な住宅建築の風景とは一線を画す、庶民建築が顔を出す。やはり街道には商店など、庶民の生活が根付くのだろうか。

街道から脇道にそれて少し歩いたところに最新型の小綺麗な銭湯があるのだが、それは手前のB食ブログで既に取り上げているので参照いただくとして【ゆ家和ごころ吉の湯】、そこだけ空が抜けて鉄塔が伸びる、郊外的な風景が広がっていた。
42_01.jpg その向かいに、エンヂの塗装と板張りが風雪で禿げ上がった壮絶な風体の一軒家が物凄いインパクトで目の前に立ちはだかった。
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42_03.jpg 空き家だろうか、荷物や家電で玄関が封鎖されているようだが、生活の匂いはしない。
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42_05.jpg 庭にはビールケースや発泡スチロール、瓶などがまとまって放置されている。
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五日市街道へ戻り、目当ての焼き鳥屋へ向かう。
42_07.jpg いわゆる町の肉屋ながら、稀少部位など種類豊富な焼き鳥で知られている。それを片手に緑地公園で一杯やろうという魂胆なのだが、この焼き鳥屋と並ぶ隣のコメ屋と合わせて、モルタル看板建築・銅葺きという2種の趣を異にする木造家屋が同時に鑑賞できる。
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42_09.jpg 肉屋の方はやや近代的なフォルムで縁のラインの美しいインパクトがあるが、コメ屋の方が年代を感じさせる重厚感がある。
42_10.jpg 保存状態もよく銅が斑にならず深緑色に綺麗に葺いている。
42_11.jpg 焼き鳥の感想は本誌に譲るが、緑地の片隅で焼き鳥を頬張るのもいいもの。
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そのまま緑地に沿って、以前少し触れた荻窪団地へと向かうのだった。
【了】

   

ファイルを整理していたら秘蔵写真が出てきた。かなり前だが、07年正月の熱海旅行記を留めておこう。
熱海は2度目で実に10年ぶり。前回は秘宝館やら鄙びた温泉観光を満喫したわけだが、今回は赤線跡に残っている物件を現存している内にこの目に焼き付けておきたかった。

駅から歩くこと十数分、熱海銀座に出る【熱海銀座商店街振興組合】。◯◯銀座といういわゆる商店街なのだが、どこか寂しく、旧時代の温泉街である雰囲気が漂う。元々はこの辺が中心地だったような風格を感じる。
赤線跡を歩く―消えゆく夢の街を訪ねて (ちくま文庫)町中には糸川が流れ、ここから海まで200mほどの距離になる。糸川を挟んで向こう岸が中央町。川の先の海側が渚町となっている【周辺地図表示】
この糸川縁中央町のエリアに赤線があり、黙認された公娼だったわけだが、昭和32年いっぱいで営業停止になった後は、渚町に青線、つまり私娼として移った。渚町の青線がいつ頃まで続いたかわからないが、糸川の赤線は当時相当名を馳せていたらしい【参考文献:木村聡『赤線跡を歩く』ちくま文庫】

39_01.jpg 39_02.jpg 熱海銀座から糸川へ十数mの距離だがこのエリアはさすがに赤線の名残は感じられないものの、現在はスナックの類が犇いており、独特のトーンで彩られている。
39_03.jpg 39_04.jpg 糸川を渡り中央町に入ると、なにやらドヨンとしたカタギでない空気がなんとなく辻辻から漏れている。
39_05.jpg 39_06.jpg ラーメン屋など飲食店の姿をしているが、2F部分の手摺の木型に意匠が施されていたり、タイル張りの壁に電灯のガラスボール、丸窓もあった。
39_07.jpg 39_08.jpg 39_09.jpg だんだんテンションも上がって来ると感がさえるのか、路地へ路地へと入っていくと、湾曲して模られた正面2F部を持つ不動産屋を発見。
39_10.jpg 39_11.jpg さらにはかなりの大店だったと思われる、紋章も立派な物件。屋号は「つたや」だろうか。コーナーの湾曲とトップの波の入り方がキレイだ。

思った以上の現存率でつい浮き足立ってしまうが、イマヒトツ、本当に娼館だったのかという煮え切らないものがあった。歴史的背景から見てもそうである可能性のほうが高いのだが、もう少し年代の新しい単なる旅館だったんじゃないか、なんても思ってしまう。
というのは、意匠がイマイチ凝ってないのだ。あの不動産屋は確定までも、タイルならもっと彩があってもいいし、柱の飾りなど木部ももっとクネクネしててもいいんじゃないか。
まぁこの界隈の当時の建築流行がそっちに向かなかっただけなんだろうが、そんなことを考えているうちに熱海街道という車通りに出た。さてどうしたものか、このまま海に出ようかなぁと辺りを見回すと、突如、目の前に厳つい物件が現れた!
(続く)

   
右サイドメニューでも告知を更新させてもらったのだが、拙著、B級グルメ町歩きミニコミ誌の新刊が今年も出来ますってことで、予告がてら泣く泣く未掲載となった写真をチト公開。

今回は商店街の特集ということで、昨今、出没エリアとなっている上野御徒町界隈から、日本で2番目に古い佐竹商店街を真っ先にピックアップしてみた。
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既に取り上げているはずだったのだが、あまりに魅力的でボリューム的に収まらず、今回別項を設けるに至った。
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御多分に漏れずシャッターが多く、距離も短いし、地域密着の洋品店とか寝具、煎餅屋が並ぶ光景は、それほど特徴的と思われないだろうが、入ると何気に人の多い喫茶店がオーソドックスながら渋い仕事をしていたり、インベーダーゲームが現役で稼働していたりする。商店街自体も古いとあって、裏へ回ると、激狭路地がウネウネと続き、戦前の商店の顔を覗かせる。
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周囲は関東大震災後に建てられ、空襲を免れた看板建築が多く残っているが、それだけでなく、商店街の商店一つ一つが、歴史の生き証人となっている。

先の東日本大震災以後、取り壊される戦前~戦後にかけての民家を、最近あちこちで目にするが、その動向はここでも見受けられた。
商店街の裏側にあった建築が取り壊されたことで、商店の真裏が露呈してしまった。
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おどろおどろしくサビトタンが迫ってくる様子に戦慄を覚えた。
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こちらは引きの画だが、この右はじの奥に見覚えがあった。上の商店街の写真だ。
だが、肝心の空き地となった場所にあった建物が思い出せない。撮った写真をひっくり返してみても、どうにも思い当たらない。
見落としていたのだろうが、こうして建物も時代とともに移ろいでいくもの。それでいいのだろう。
   

道玄坂の3?6?連星

明けましておめでとうございます。
新年一発目は、正月に久々に所要で通りがかった渋谷で見つけた物件をば。
以前、とある方から写真を見せていただいていたが、あぁ、これのことかと。
20.jpg
【東京都渋谷区道玄坂2丁目】2011.1月撮影
道玄坂の中程に建っている看板建築群。一瞬6軒繋ぎかと思うが、2軒繋ぎが3棟建て。木造2階で擬似3階建てになっているような感じ。3階が屋根裏っぽい。また反った弧の様な坂の勾配に微妙に合わせて屋根が2軒ずつ段々になっているのも面白い。
ネットで検索してみると、2004年にはすべての商店が閉店しているようだが、この立地で、しかも背後からビル群に包囲されているにも関わらず、未だ再開発の手がかからないというのも凄い。

   

旧竹町の五軒看板建築

前回記事と、右メニューにも記したが、拙著ミニコミ誌、B級グルメ町歩きの新刊がいよいよ年末、コミケ79で初売りとなる【詳細は弊食べ歩きブログへ】
今回は上野~浅草橋に残る震災後に建てられた看板建築【wiki】を多くめぐったのだが、その中でも特に気に入った二階建て五軒長屋があった。
いつも覗いている町歩きのブログの先達、masaさんの「Kai-Wai 散策」の最近のエントリーに、なんとその五軒看板建築が紹介されていたのだ【該当記事】
さすがというべき写真で、自分のを出すのが躊躇われるが、拙著の内容を一部公開といった意味も含め、お披露目したい。
五軒看板建築@竹町.jpg
【東京都台東区台東3丁目】2010.10月撮影
台東区台東なんてなんとも味気ない住所だが、嘗ては竹町と呼ばれた場所。近くには佐竹商店街があり、辛うじて往時の町名をとどめている。
18-2.jpg
軽トラが止まってて残念だが、一番右の森永の...恐らく牛乳屋さんだったのだろう...が、商店建築らしさを保っている。2F右戸袋脇のバルーンのような球体がなんともレトロ!
それと、右3軒がコピー&ペーストしたように並んでいるが、真ん中の屋上物干しの、鉄筋の構造がさらけ出されている様が恰好いいやね。

   

絶滅危惧食堂の雄姿

古建築を巡りながら定食など大衆食というかB級グルメを食べ歩く、拙著ミニコミ誌「デウスエクスマキな食堂」の最新号の準備に入っているのだが(初売は冬のコミケ:3日目12/31(金)東T-06b「ガキ帝国」にて)、掲載予定のある定食屋へ伺ったところ、近々値下げすることのお話を伺った。
100年ほどの歴史のある大衆食堂ながら、現状なかなか大変そうなので、お近くに御用の際はぜひ食べてみてほしい。本当に素晴らしいお店です。
詳細は拙B食ブログ:「田中食堂@稲荷町~緊急UP!!絶滅危惧食堂へ急行せよ!」

で、今回はこの素晴らしい佇まいを公開。
田中食堂引き.JPG
空襲を免れ、外壁は手を加えられているが、躯体は戦前のまま。
恐らく棟割長屋状態で、周りは駐車場やビルに囲まれている。この棟だけが完全に周囲から隔離されている。

   

澤田金物店の最期

澤田金物店@川口.jpg
【埼玉県川口市本町3丁目】10.9月
川口駅前から伸びる六間道路沿いに建つ金物屋。
道路拡張の幅員に引っかかりあえなく閉店、先日ついに売地となってしまった。
営業している勇姿をお見せしたかったのだが、今では雨戸も閉まる有様。無念。

   
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NEWS!!!
当ブログ書籍誕生!
『路地裏ら~めん漫湯記』
…前身となる連載『ら~めん路漫避行』の東京23区内記事の加筆訂正+書き下ろし記事で構成された、東京裏町ラーメン銭湯攻略本!

Author


    刈部山本-karibe yamamoto-
    自営の珈琲店でスペシャルティ珈琲のドリップやケーキの仕込みに追われる傍ら、路地裏や廃スポットを徘徊してはB級グルメを貪る日々。B食+路上観察を纏めたミニコミ(同人)誌を年2回定期刊行。

    ら~めん路漫避行
    …旧サイト連載:ラーメンを巡る路上観察紀行

    デウスエクスマキな食卓

    …B級グルメブログ

    結構人ミルクホール

    谷根千路地裏の厳選珈琲店


刈部山本の本

    最新:ふろ式・酒場の叙景
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