看板建築の最近のブログ記事

ご無沙汰してしまい申し訳ない!
春に拙ミニコミの手製本の新刊なんぞを作っていたのだが、今回はその告知も兼ねてチョット内容を紹介させてもらいたい。
パトめし!01表紙webデウスエクスマキな食堂14年春特別号
『パトめし!vol.1』 40P ¥500+税
※一部書店に委託&5/31まで通販受付中↓
【内容詳細&通販ページはコチラ】

その新刊ミニコミ、四半世紀も前のアニメ映画をネタに路上観察したので、こちらでも紹介させてもらおうと思った次第。
「なんだ、アニメか。どっか旅行でもしていつもの街ネタで一冊作れよ!」と怒られそうだが、ところがどっこい、当ブログ的にも無視できない、嘗て現存した貴重な建造物、といっても歴史的に記録されるものではなく庶民建築といった町のちょっとした風景が細密に描写されてるのだ。
分かりやすい所で言えば、江戸東京たてもの園に移築された万世橋派出所が万世橋にある姿で描写されてるとか。勿論バックは交通博物館時代の旧万世橋駅ですよ。

まぁそれらは次巻vol.2で扱うとして、まずはOUT NOW!のvol.1から、渋いにも程があるただの街角の交差点のワンカットと、本に掲載しきれなかった周辺の物件を紹介がてらUPしてみたい。

まずこれが現在の根岸三丁目の五叉路。
68_01.jpg 左のブティックホリエという洋品店は嘗てこのようなエンジのトタンで覆われておらず、右のマンションになる前のお菓子屋と棟続きの木造家屋だった。
68_02.jpgその頃の様子が劇中に1カット出てくるのだが、映画が公開された89年の約2年後の91年に訪れたところ、ホリエは既にエンジのトタンに変わっていたが、マンションのあった場所にはお菓子屋が残っていた。
通りに面した部分だけ銅板で覆って装飾を施してちょっと立派な感じに見せている。
68_03a.jpg 当ブログでも頻繁に紹介している、躯体は木造家屋という典型的な看板建築【当ブログ看板建築カテゴリ】。経年変化し青緑色の銅の葺き具合が絶妙なのもスバラシイが、2F頭頂部に幾何学的なノコギリ刃のような細かいパターンが縁に沿って施されていたり、横長の緩い傾斜の山型という形状も意外と特殊で興味深い。
68_03b.jpg 3F建てに見えるが恐らく2F建てだったと思うが、この辺も看板建築の特徴がよく現れている。

こうした看板建築は関東大震災の復興に伴って建てられた民家の多くに共通した建築スタイルなのだが、周辺にも未だ結構残っている。ということはこの辺りは大戦中の空襲を免れたことになるが、GHQが接収するような建造物や破壊してはいけないようなものが近くにあるように思われないからたまたまなのか、なんだか不思議でならない。

ホリエから交差点を挟んだ向かいにある看板建築。
68_04.jpg 看板部分がモルタルでやたらゴシック調の重厚な雰囲気ながら、4軒入る内の右の1軒部分だけ小豆色とツートンカラーになっているのが面白い。なにか揉め事でもあったのだろうか。
68_05.jpg 色が薄い側から見るとまた印象が異なってくる。
一本入った路地側もモルタルで覆われているが、少しだけピョコンと躯体の灰色のトタンが見えている。ここだけ妙に生活感が漂うのが看板建築らしい。

この通りを挟んだ向かいの1軒の食堂。
68_06.jpg やけに奥行きのない建物と思いきや、トタン部分が通りに少し出ているだけで、奥行きはフツーにある住居兼商店建築のようだ。とても味のある食堂で、是非訪問してみたいが、営業しているのだろうか。今度調べてみよう。
68_07.jpg 商店街共通のデザインか、看板も鶯谷だからかウグイスがあしらわれておりシャレている。

さらにこの通りには、嘗ては歯科と棟続きだったのだろうか、戸袋の銅葺きの青緑色がシッカリ濃く残っている造りの良さそうな木造家屋がなんだか不思議なバランスで建っている。
68_08.jpg よく見ると、右側に真新しいレンガ造りの薄い壁のようなものがくっついている。この壁の左、つまり表側が、L字に道路を曲がった先の正面の看板建築部分で、要するに建物の右サイドからみた写真となっている。家のケツと歯科の右わき腹が接近してるわけか。

再びホリエの交差点に戻り、ホリエをちょっと引いたところから見る。
68_09.jpg 隣に三角スペースに当てはめたような、複雑な形状の煎餅屋が目につく。
68_10.jpg 左のグレーのモルタルで通り沿いが覆われた部分と煎餅屋はそもそも同じ1軒の家で、入口を2つ設けて別々に機能させていると思いきや、裏に回ってみると、どうも2棟別々のようだ。
68_11.jpg 左が煎餅屋。木部が経年変化で黒くなってカッコイイが、いかにも取ってつけたようなグレーのトタンをみるに、この駐車場部分にもつながっていた家があったと思われる。

で、さらにこの駐車場の奥、煎餅屋脇の細い路地を入った所に、かなり侘び寂びの効いた喫茶店らしき物件があるが、どうも営業しているかもしれない雰囲気があった。
68_12.jpg こちらも今度開いてそうな時間に赴いてみたい。特製カレーが気になりすぎる!

ここからさらに路地を進むと、あの長屋に。。。
68_13.jpg ということで今回はここまで。本著ではもっと映画に則したことを書いているが、ここでは周囲の建築の紹介に留めた。興味ある方はぜひお手にとって貰いたい。またこの先の路地の物件の未掲載写真も折を見て当ブログにUPしていきたい。
【了】

   

vol.62 川越の赤線

前回告知させていただいた、拙ミニコミ同人誌の新刊限定セット、お陰様で通販分も沢山ご注文頂き、無事受付終了となりました。
限定本の一つ、川越~大宮間を戦前に走っていた西武大宮線の廃線跡巡りは、『これぞ川越』というタイトルで再編集し、タコシェ模索舎のみに置かせてもらっていますので、宜しければそれらも是非どうぞ。

というわけで、西武大宮線探索の際に川越の遊廓跡も覗いてきたので、そのレポートをやってみようかと。

埼玉県は公娼制度を認めていない、いわば廃娼県とされているが、建前は旅館や料理屋として営業するお決まりのパターンで熊谷や大宮などに遊廓は存在していた。乙種飲食店(達磨屋)という名で川越にも、日本三大東照宮の一つである仙波東照宮を有する名刹、喜多院の西側に赤線が存在した。
赤線跡としては余り知名度がないように思われたので、往時の建物は少ないか、規模が小さいのを想定して、見逃さないよう慎重に、喜多院北側の県道を歩く。
img62_01.jpg この表通り沿いの商店も看板建築が多く現存し、その繊細かつ堂々とした佇まいに圧倒される。
img62_02.jpg 側面から見るとトタン張りの木造家屋な丸見えなザ看板建築というべき佇まい。しかも隣の家の名残がハッキリと残る原爆タイプのトマソン(みちくさ学会参照)。
img62_03.jpg またコチラもトタンの青が眩しいが、躯体が教会のような洋風の三角屋根に鳴っているのも珍しい。

そんな家々の間、事前に調べた情報を頼りに路地に入るが、そこには想像を遥かに超えた空間が待ち構えていた。
img62_04.jpg 現れた民家からして、入口辺りの感じがまずもって雰囲気を醸し出している。
img62_05.jpg とその向かいに不自然な空き地があった。空き地の奥にはトタン張りのベランダが印象的な下見板張りが歳月を物語る木造家屋。
img62_06.jpg これは・・・とピンと来るものがあり家の裏路地に入ると、黒板塀の人一人通るのがやっとな狭小通路が。
img62_07.jpg これはビンゴか!?と思い、異様な静寂に包まれる路地を慎重に歩を進める。
img62_08.jpg すると唐圓(圓唐?)と書かれた看板。
img62_09.jpg さらにその奥には、今回探し求めていた旅館市むらのウラ入口が。
img62_10.jpg なにやら只ならぬ空気が一帯に漂っていて、気軽に家を拝見している場合じゃなく思えてくる。
img62_11.jpg 静かに、そして足早に路地を抜け、旅館の表に廻る。

住宅街にポツンと佇む転業旅館。
P1100546.jpg 表からでも独特の気を読み取ることが出来る。
img62_13.jpg

この先、天ぷら屋や食事処として営業する物件もあり、これは改めて食事をいただきつつ内部も鑑賞するとしよう。
img62_14.jpg (天ぷら屋の正面)
img62_15.jpg (食事処の2F部分)

こうして遊郭跡エリアを一回りしてみたが、90年代に多くは取り壊されたという割になかなかの現存率と、どれも堂々とした佇まいでとにかく素晴しいかった。さらには、その建物の間の路地空間が往時を思わせる、まさしく露地といった湿っぽさを残しており、小江戸の観光地としての顔以外に、やはり歴史的位相という町としての奥行きを感じずに入られないのだった。
img62_16.jpg 遊郭跡以外にも、菓子屋横丁の程近くの町裏にも重厚な建造物が数々残っていたので、こちらもいずれ取り上げたいと思う。
【了】

   
暫く更新が滞ってしまったが、その間、町歩きミニコミ同人誌の新刊を作っていた。
秩父本ち表紙WEBこのところ妙にマイブームな秩父。ただの観光地かと思いきや、戦前のモダン建築が市街地に溢れていたり、妓楼街の名残から引込線跡まで、そう広くないエリアにギュッと魅力が詰まっていた。

その他、大正期より営業している食堂や、温泉めぐりも楽しめて、とても1冊でまとめきれない程。期をみて当連載でも廃鉱山散策など今後進めて行きたい。
委託先では今のところタコシェ【公式サイト】&模索舎【通販ページ】で取扱中なので(すぐ2軒ほど増える予定なので改めて告知します)、お手にとって頂ければ幸い。

というわけで、秩父市街地にある近代商店建築の中から、本に載せきれなかった物件を紹介してみたい。

秩父へのアクセスは西武鉄道の特急が出ているのでこれが便利だが、目指すエリアはその終点西武秩父駅から徒歩5分弱の秩父鉄道御花畑駅になる。
58_map.jpg 駅から一本路地入ると、線路と並走するように商店街が伸びている。
58_01.jpg 嘗て商店だったと思しきシャッターが降りた物件が多いのが寂しいが、この道は町のシンボル秩父神社へと続く参道のようになっており、昭和初期らしい幾何学的なシルエットがキレイな看板建築【参照サイト】が数多く残ることからも、往時の賑わいを感じさせる。
58_02.jpg 通り沿いの1軒。通りに面した看板部分のファッザードから突き出た庇が可愛らしい。この庇の部分が建物本来の屋根部分だろう。
58_03.jpg 横に回りこんでみるとやはり! 通りから見える部分だけ高く見せている看板建築の特徴がよく出ている。
58_04.jpg これは通り沿いに残るスナック。2F窓部分に本来テント看板が貼られていたようで、骨組みだけが残っている。
58_05.jpg どうやら営業している様子。
58_06.jpg 階段の奥からはカラオケの歌声が漏れ聴こえていた。
これまた通り沿いの趣味の店は1Fと2Fの間をタイル貼り看板にしているのがオシャレ。
58_07.jpg 隣のKO堂はサイディングで覆われ、往時の様子が窺えないが、看板部分から上に顔を出す躯体がなんだか蔵っぽい。
路地裏へ行ってみてもそうなのだが、この辺の商家は街道筋の宿場町のように土蔵を持っているところが多いようだ。

この先には国の有形文化財が並ぶ十字路がある。
58_08.jpg その一つ、小池煙草店【秩父市HP】
58_09.jpg 奥から見ると通りに面した部分の付き出した擬似3F部分が薄っぺらいのがよく分かる。
58_10.jpg 通用門だろうか、植木が置かれ使われていない様子。半円の扉が可愛らしくもシャレている。

この煙草店の対面がこれまた文化財に指定されたパリー食堂。
58_11.jpg 窓の上部の紋章のような意匠とか兎に角細部が凝っている。
サンプルショーケースも健在で、良い味出している。
58_12.jpg 窓には何やら扇の骨組みのようなものが。
58_13.jpg 古いスプライトのステッカーもグッと来る。
58_14.jpg 料亭といった木札があるが、いつ頃のものだろうか。
58_15.jpg 文化財のプレートはクリックで拡大↑
こちらは絶賛営業中で、勿論頂いてきた。詳しいレポートは本に。

58_16.jpg パリーの裏手が路地になっており、その分岐点に小さな鳥居が。
58_17.jpg この路地を行くと先の趣味の店とKO堂の真裏に出る。
58_18.jpg 手前が趣味の店で、奥の蔵っぽいシルエットがKO堂。蔵ではないようだが、どちらも窓枠が凝っていたりと和洋それぞれにモダンな要素が散りばめられた秩父市街地の町並みの美しさを象徴しているようだ。

この先、さらに路地へ路地へと進むと、嘗ての妓楼街の痕跡など随所に眩しいほどの魅力的な景色と出会うことが出来た。本にも詳しいが、それ以外に本に載せきれない程、まだまだ散策の余地が山とある。再訪、再々訪して、当ブログにUPしていきたい。いつになるか分からないが、気長にお待ちくだされ。
【一旦了】

   

まず最初にチョット拙ミニコミ同人誌の告知をば。
tamahyousi_web昨年末に新刊『ギャンブルイーター』(amazonでもお求めいただけるようになりました!!)、初売りの際に限定でコピー誌2種との3冊セットを作らせてもらった。
イベント限定のところ、ご好意で一部書店(タコシェ模索舎)でも委託して頂いているので、そちらもヨロシクね!・・・ということで、そのコピー誌の一つ、多摩地区のB級スポット&グルメ+スパ銭めぐり『多摩に行くならこんな店』の中から、少しだけ触れている往時のマーケットについて、未掲載写真を含め詳細に述べておきたい。



JR南武線の矢野口駅のスグ近くで、鶴川街道と川崎街道という大きな道路が2つ、交差している。
52_map.jpg 調布に程近い車文化圏なので、車窓からこの辺りの風景を眺めたことのある方もいることだろう。よみうりランドも近く、住宅地の奥は山に茂る木々という風景にあって、この矢野口交差点だけスコンと抜けた印象がある。

矢野口駅は2004年までは踏切の音が鳴り響くローカルな地上駅だったが、2005年に高架化が完了。高架下にはショッピングセンター「アイポート矢野口」が出来、FCチェーンが入っている。近代的に整備されキレイな、それでいて何処にでもある駅前がここにも誕生した。
少し悲観的かつ否定的な言い回しになってしまったが、この高架化は、地上駅だった頃に踏切があることで鶴川街道が慢性的な渋滞に喘いでいたという、地元住民や仕事で車を使うものの悲願だった部分も見逃してはならない。高架化で道路は拡幅し、今ではスムーズに南北を行き来出来る。
駅周辺には鶴川街道が狭かった頃の名残が今でも幾つか散見できるが、駅の改装で人々の流れも変わり、周辺環境が激変したと思しき爪痕も同時に残っていた。
52_01.jpg それがここ、矢野口駅前ショッピングセンター。
南武線高架のスグ南、バス停前にポッカリと砂漠化でもしたかのような、半端に広く砂埃臭い駐車場があるのだが、この脇にモルタル造の棟割商店長屋がポツンと廃墟のように佇んでいる。
まるで再開発後の街をボー然と眺めているかのようだ。

近づくとショッピングセンターだった頃の看板がある。
52_02.jpg 魚屋と雀荘だけが読めるが、後は退色して何が入っていたか分からない。
アーケードの下に潜ると、魚屋の幟と酒のケースが残っていた。まだ新しく写る。
52_03.jpg 裏手に回ってみると、激しく錆びたトタンの平屋が横に長く伸びていた。
52_04.jpg 同じ作りの小屋には先の魚屋の屋号が。倉庫だったのだろうか。
52_05.jpg ショッピングセンターの裏側を見ると木造の住宅になっており、今は住居としてのみ使われているようだ。
52_06.jpg 52_08.jpg 隣接する駐車場からショッピングセンターの真横の姿を見ると、その構造がよく分かる。
52_07.jpg

駐車場を挟んだ対面には、商店が連なる棟割の看板建築群が。
52_09.jpg こちらは完全な商店街の様相を呈しており、コインランドリー・クリーニング店・お茶屋とシャッターを卸している。
52_10.jpg その向かいのスナックは夜には今でも営業しているのだろうか。

この先はまだ真新しい家屋も散見できる、いわゆる多摩郊外の住宅街となり、ここだけ、ポツンと往時の姿を留めていた。
今後どうなるのか、ただ解体の日を待つばかりなのか知れないが、人が住まわれている限り、隣駅稲田堤のような個人商店が立ち並び自転車が行き交うゴチャゴチャとした南武線沿線らしい光景が、ここ矢野口にも展開していたことを教えてくれる。
【了】

   

前回告知させて頂いた、拙著ミニコミ同人誌の新刊だが、先日8/12、弊サークルにお越し頂いた方、誠にありがとうございました。
当初の予定に間に合わず手製本となったが、なんとか新刊を出すことは出来た。手作りなので再販まで暫しお時間頂きたいが(9月中を予定。出来たらこちらでも告知します)、今回の本は以前2006年に発行した『足立JCT』という本の続編的な内容となっている。絶版でもあり、記憶にない方も多いだろう。繋がりの強いエピソードはこの連載でフォローさせていただこうと思う。
というわけで、今回は川口の旧中心地、川口本町を取り上げたい。

川口市のほぼ真ん中を縦断する幹線道路に国道122号があるが、岩槻街道とも呼ばれ、歴史ある街道筋であることは、現在の車の行き交う姿からは想像できないだろう。
岩槻街道は別名御成道とも呼ばれるが、江戸期に日光詣での道として整備されたもので、特に東京都文京区の東大前辺りからさいたま市の岩槻までが岩槻街道とされる。その旧道のルートは殆ど現在の国道とカブっているが、川口に入ってスグと鳩ヶ谷~新井宿間だけは別に嘗ての街道が残っている。
その川口の入口部分は昔の宿場町、川口宿に当り、善光寺の門前町として栄えた。ここが川口の中心地だったという。その中に存在する本一商店会は、今となっては寂れた商店街にしかみえないが、看板建築や立派な蔵など、そこかしこに往時を偲ばせる名建築が現存している。
しかしここ数年のスクラップ&ビルドは甚だしく、どこにでもありそうな住宅に店舗建築が建替えられ、町並みが激変している。


46_01.jpg 重厚な木造建築の接骨院。
46_02.jpg その奥の蔵部分は和食店としてリノベーションされている。
46_03.jpg 蔵へと至る路地には煉瓦パターンが。
46_04.jpg 接骨院の隣家と分かつのは、これまた重厚な煉瓦塀。
46_05.jpg 元豆腐店と思しきコインランドリー。
46_06.jpg サビ具合が絶妙なトタン張りの理髪店。
46_07.jpg 2Fの銅葺きが歳月を感じさせる薬局。
46_08.jpg その薬局には古い看板が掲げられたまま。
46_09.jpg 商店街の出口、北端には歯抜け状態ながら看板建築が散在する。
46_10.jpg 深い緑の銅葺きが見事な洋品店。
46_11.jpg その隣りの江嶋屋は1Fこそ現代風にリフォームされているが、2Fは見事な意匠の戸袋を残している。
46_12.jpg ある台風の翌日、その江嶋屋に足場が設けられ、網が被せられていた。遂に解体かと心配したが。
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なんと剥がれかけた銅板を修復していると職人さんが教えてくれた。剥がれたら危険だし、周囲はどんどんマンションに替わる中、こうなったら撤去するかと思いきや、往時の姿を維持し続けるオーナーの心意気に感服した。

   

右メニュー部分にも告知させてもらっているが、拙町歩きミニコミ誌の新刊が今夏も発行を予定いている。
初売となる夏のコミックマーケットも当選(8/12 東2 P-33a ガキ帝国)。
いよいよ制作にかかるわけだが、イベント限定本では前回冬号で取り上げた上沼田団地【vol.38参照】から鳩ヶ谷街道を北上し、足立から川口へと工場街の郊外型ロードサイド文化を見て回ろうと思っている。
というわけで前号で載せきれなかった、鳩ヶ谷街道の起点となる荒川土手の江北JCTと上沼田団地の間のエリアを紹介したい。

王子から西新井大師へ抜ける王40系統という都バスがある。江北JCTから環七に出て大師様へ向かう路線なのだが、途中に荒川土手操車場もあるとあってか、江北バス通りとも呼ばれている。
上沼田団地エリアの南端、つけそば竜馬という一風変わったラーメン店(居酒屋?)【参照弊ブログ記事】のある、土手方面へと斜めに入る道がそれで、進むとスグ、三叉路に草木に覆われた税理士事務所とパチンコ屋が並ぶ壮絶な光景が待ち構えている。
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45_02.jpg パチンコ屋は民家を改装したかと見まごう作りで、フツーの三角屋根に昭和のモーテルのような電飾看板が乗せられている。
45_03.jpg 対面にはモルタル造の商店が並んでおり、こちらも草が絡み付いている。
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45_05.jpg シャッターが降り既に廃業している店舗も目立つが、結構な軒数が連なり、嘗ては結構賑わっていたと想像できる。
45_06.jpg 理美容店に銭湯と水回り系の商売も目立つ。
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45_08.jpg 中でもスナックのような物件も多く、三業地的な匂いもそこはかとなく漂ってくる。
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45_10.jpg 水回りといえばそのままだが、廃棄物が置きざりになったりと、土手的な荒廃感が目立つ。
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45_12.jpg そうこうしているうちに荒川土手操車場に到着。
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ここから鳩ヶ谷街道を北上するのだが、この路地裏はさらに足立区らしい土手沿い文化の迷宮が待ち構えている。それは新刊のお楽しみということで。
【了】

   

当ブログでの告知が遅れましたが、無事に路地裏徘徊B食巡りミニコミ雑誌の新刊が昨年末に発行と相成りました。
c81デウスエクスマキな食堂11年冬号『団地団地レボリューション! 商店喰い2-ARCADER-』全120頁 1050円
阿佐ヶ谷・足立上沼田・金町と、全蓋式(アーケード)商店街と団地を巡り、、昭和30年代、戦後高度経済成長期の夢の詰まった計画、その現実と幻影に出会って来ました。そこで地元に密着した洋食屋のチキンカツ・喫茶店のナポリタン・肉屋の焼き鳥・大衆酒場の煮込み・中華屋で半チャンラーメンと身に入れた記録です。
これから1月の中旬~末にかけまして【委託先】へ納品して回ります。当ブログに興味を覚える方にはきっと気に入って頂ける内容だと思いますので、是非手にとって見て下さい。

で、今回はその本に載せきれなかった路地裏の物件を少し蔵出ししてみたい。
阿佐ヶ谷駅から南へ、善福寺川緑地公園の辺りまでずっと、古くからの閑静な住宅街が続くのだが、五日市街道へ出ると沿道に錆びたトタンで覆われていたり、通りに面した部分だけモルタルで意匠を凝らした看板建築の類がポツポツと現れてくる。ここまでのお屋敷や、やや重厚な住宅建築の風景とは一線を画す、庶民建築が顔を出す。やはり街道には商店など、庶民の生活が根付くのだろうか。

街道から脇道にそれて少し歩いたところに最新型の小綺麗な銭湯があるのだが、それは手前のB食ブログで既に取り上げているので参照いただくとして【ゆ家和ごころ吉の湯】、そこだけ空が抜けて鉄塔が伸びる、郊外的な風景が広がっていた。
42_01.jpg その向かいに、エンヂの塗装と板張りが風雪で禿げ上がった壮絶な風体の一軒家が物凄いインパクトで目の前に立ちはだかった。
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42_03.jpg 空き家だろうか、荷物や家電で玄関が封鎖されているようだが、生活の匂いはしない。
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42_05.jpg 庭にはビールケースや発泡スチロール、瓶などがまとまって放置されている。
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五日市街道へ戻り、目当ての焼き鳥屋へ向かう。
42_07.jpg いわゆる町の肉屋ながら、稀少部位など種類豊富な焼き鳥で知られている。それを片手に緑地公園で一杯やろうという魂胆なのだが、この焼き鳥屋と並ぶ隣のコメ屋と合わせて、モルタル看板建築・銅葺きという2種の趣を異にする木造家屋が同時に鑑賞できる。
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42_09.jpg 肉屋の方はやや近代的なフォルムで縁のラインの美しいインパクトがあるが、コメ屋の方が年代を感じさせる重厚感がある。
42_10.jpg 保存状態もよく銅が斑にならず深緑色に綺麗に葺いている。
42_11.jpg 焼き鳥の感想は本誌に譲るが、緑地の片隅で焼き鳥を頬張るのもいいもの。
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そのまま緑地に沿って、以前少し触れた荻窪団地へと向かうのだった。
【了】

   

【前編はこちら】

中央町の路地を抜け熱海街道の車通りの向こう、西洋風の明らかに周囲から浮いた異様な外壁を纏った建築が鎮座していた。
40_01.jpg 現在は熱海第一交通というタクシー会社が入っているようで、1F部分はぶち抜かれてタクシーが洗車などをするスペースになっているが、丸窓跡なんかが残っていて、そういうところにホースをかけたりしているのがなんとも可笑しい(人が生活してたので写真がなく申し訳ない)。
40_02.jpg 2F部は事務所として使われているのかわからないが、外から見ると形状は殆ど残されている。窓ごとの上部半円と屋根の看板部分の模様がリンクしている。ここも半円の中に意匠があったりはしないから、やはりそこがこの土地の特徴なのだろうか。
40_03.jpg 2Fへと上がる入口上部ガラスにロゴのようなものと電話番号が吹きつけてあるが、熱海第一交通の前のものだろうか。
40_04.jpg 建物裏手からみると躯体は昔ながらの木造家屋というのがわかる。木製の手すりが黒光りしている風合いがいい。

熱海第一交通の裏側から路地に入る。
古くからの床屋が残っていたり、湾曲して飛び出た窓部分に強引に青いトタンで隠したものがあったりと路地歩きとして飽きない。
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海側に抜けると国道135号。渡った先が渚町となる。
こちらにもスナック街が広がっているのだが、一昔前の、というよりリアルタイムでカタギでない空気が漂っている。北上した先に風俗店が点在しているからだろう。
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40_08.jpg こっちまで来ると、古そうなスナックが並ぶ町並みに出会える。まさしく昔からの水商売の街角といった雰囲気。
その中の一つにTHE私娼跡ともいうべきインパクトありすぎの物件が浮きまくっていた。
40_09.jpg もう写真の通り、何の説明も要らないだろうが、2Fのバルコニーの松にくり貫かれた感じに、手摺部分が波打っているのがすごくいい。きっとこんな建物が連なっていたんだろうなぁ。

これだけの物件が発見できれば大収穫だろうと、帰途につこうとしたら、あらら、目の前にホテル?アパート?中途半端な高さの廃墟がドカンと鎮座していた。
40_10.jpg 錆び具合や植物の繁茂の仕方が廃的にキているが、ダクトの走りっぷりが余計それを助長している。なかなかの圧迫感がある。つい見入ってしまった。

もう十分だろうとデジカメの残量もこの先を考えると心配になってきたので切り上げることにした。再び国道135号に戻り銀座に入ると、ふと足元が気になった。
踏んでいるマンホールを見ると、なんと温泉マークが!
40_11.jpg 今日の路上観察を招いてくれたようで嬉しくなった。いい感じで〆ることができ、足取りも軽く熱海駅へ向かった。

【終】

   

拙著、B級グルメ町歩きミニコミ誌の新刊を先日無事、初売を遂げた。来て下さった方、多謝!
委託先へは今月末~来月初旬の納品予定。詳しくは右メニューを参照くだされ。

で、毎回コミケ明けは疲れと垢を流すべく、帰りに温泉によるのだが、今年もお台場の有明東京ビッグサイトからアクセスできるエリアにどこか適当なところはないかとアテをつけると、りんかい線で天王洲アイルから京急線沿線に出れるのがわかった。京急沿線は旧東海道沿いに昭和の町並みが残り、真っ黒な温泉が多く湧き出るエリアでもある。
前日からやってそうな温泉銭湯に目星をつけ、地図をプリントアウトしておいた。その地図を持って山手通りから京急新馬場駅周辺の商店街へ入る。

マップ上にマーキングされた場所を目指し路地へ入るも、そこに銭湯はなかった。この銭湯は先ごろリニューアルされたばかりで、HPもツイッターもあり、営業を確認済みだ。廃業したわけない。目の前には煤けた赤茶色の煉瓦で囲まれた寺の壁が続くばかり。異様な光景だ。
37_01.jpg 地図と記した銭湯の住所を改めて照らし合わせると、適切な住所にマーキングされていないことに気づいた。どうも当該住所が番地まで絞りきれず、丁目の中心にマークされていたようだ。アタター。
ということは、ここは北品川2丁目10番地。目指す銭湯は23番地。急ぐ旅ではない、23番地まで順を追って巡るとしよう。

そう頭を切り替えて改めて周囲を見渡すと、ここが異様な空間であることに気づく。住んでいる方には申し訳ないが、表通りの商店街から一本路地を入るだけで複雑に入り組んだ路地裏迷宮が始まる。
37_02.jpg 旅館があるかと思えば、その前の路地の突き当たりに、先の煉瓦塀が延々と続いている。それが寺社のものというのだから驚きだ。
37_03.jpg 37_04.jpg 歩を進めるとなるほど寺が多い。ここは寺町だったのか。それにしても他の寺でも壁の一部が煉瓦造りだったりする。
37_05.jpg 37_06.jpg 帰宅後調べて発覚するのだが、ここら一帯は空襲を免れたそうで、ここからは手前の憶測ながら、関東大震災後、防火対策に煉瓦壁が多く採用されたのが今に残っているのではないだろうか。

路地の住宅と旅館と寺。そしてその隙間に思い出したかのようにポツンとスナックが数件現れる。
寺町が三業地というのは別段珍しい話でもなく、飲食街になるケースも多い。四谷もそうだし、赤線の洲崎パラダイスの前身は根津権現にあった遊廓だった。神社の真向かいに、嘗ては飲食店だったろう看板部分だけ日焼け方が違うモルタル物件や、その棟続きのトタン家。
37_07.jpg そしてその参道と思しき路地の両サイドを固めるのが、丸型ランプや一部タイル貼りのスナックや、今様のカフェバーになっているが淡紅色のモルタルで2Fバルコニーの神殿のような意匠との調和がとれていない往時のカフェーのような物件が軒を連ねる。
37_08.jpg 37_09.jpg さらに路地をクネクネ、嘗ての井戸のポンプのみ残したようなものとすれ違ったりしながら彷徨うと、再び表通りの商店街に出た。
37_10.jpg 続きの住所表記を探していると、この商店街にもモルタル造4連や銅葺きの立派な看板建築が現存していた。
37_11.jpg 37_12.jpg 続きの住所を見つけ先とは反対側の路地に入り、やっと銭湯に行き着くことができた。

銭湯の詳細は上記、私のB級グルメブログの方に掲載しているので参照いただきたいが、まさかこの銭湯に行き着くだけで未知の路地空間を旅行できたとは。なにものかのイタズラに翻弄されたかのような不思議な時間だった。
すっかり北品川の路地に魅せられてしまった。今回はざっと巡っただけだが、これは腰を据えてじっくり歩き、調べていきたい。
ちなみに、この超近代的な銭湯、リニューアル前はどうだったのかと気になってネット上で調べてみたら、かなり渋い町場の看板建築状の物件だったのだが、この外壁というのが、なんと煉瓦造りだったのだ【参照:ぜいりしブログ】。これは実に惜しく、この目で見てみたかった。他にも銭湯が沢山あったようだが、こうした煉瓦壁は探せばまだあるかもしれない。う~ん、この土地とはこの先長い付き合いになりそうだ。

   

道玄坂の3?6?連星

明けましておめでとうございます。
新年一発目は、正月に久々に所要で通りがかった渋谷で見つけた物件をば。
以前、とある方から写真を見せていただいていたが、あぁ、これのことかと。
20.jpg
【東京都渋谷区道玄坂2丁目】2011.1月撮影
道玄坂の中程に建っている看板建築群。一瞬6軒繋ぎかと思うが、2軒繋ぎが3棟建て。木造2階で擬似3階建てになっているような感じ。3階が屋根裏っぽい。また反った弧の様な坂の勾配に微妙に合わせて屋根が2軒ずつ段々になっているのも面白い。
ネットで検索してみると、2004年にはすべての商店が閉店しているようだが、この立地で、しかも背後からビル群に包囲されているにも関わらず、未だ再開発の手がかからないというのも凄い。

   

旧竹町の五軒看板建築

前回記事と、右メニューにも記したが、拙著ミニコミ誌、B級グルメ町歩きの新刊がいよいよ年末、コミケ79で初売りとなる【詳細は弊食べ歩きブログへ】
今回は上野~浅草橋に残る震災後に建てられた看板建築【wiki】を多くめぐったのだが、その中でも特に気に入った二階建て五軒長屋があった。
いつも覗いている町歩きのブログの先達、masaさんの「Kai-Wai 散策」の最近のエントリーに、なんとその五軒看板建築が紹介されていたのだ【該当記事】
さすがというべき写真で、自分のを出すのが躊躇われるが、拙著の内容を一部公開といった意味も含め、お披露目したい。
五軒看板建築@竹町.jpg
【東京都台東区台東3丁目】2010.10月撮影
台東区台東なんてなんとも味気ない住所だが、嘗ては竹町と呼ばれた場所。近くには佐竹商店街があり、辛うじて往時の町名をとどめている。
18-2.jpg
軽トラが止まってて残念だが、一番右の森永の...恐らく牛乳屋さんだったのだろう...が、商店建築らしさを保っている。2F右戸袋脇のバルーンのような球体がなんともレトロ!
それと、右3軒がコピー&ペーストしたように並んでいるが、真ん中の屋上物干しの、鉄筋の構造がさらけ出されている様が恰好いいやね。

   

絶滅危惧食堂の雄姿

古建築を巡りながら定食など大衆食というかB級グルメを食べ歩く、拙著ミニコミ誌「デウスエクスマキな食堂」の最新号の準備に入っているのだが(初売は冬のコミケ:3日目12/31(金)東T-06b「ガキ帝国」にて)、掲載予定のある定食屋へ伺ったところ、近々値下げすることのお話を伺った。
100年ほどの歴史のある大衆食堂ながら、現状なかなか大変そうなので、お近くに御用の際はぜひ食べてみてほしい。本当に素晴らしいお店です。
詳細は拙B食ブログ:「田中食堂@稲荷町~緊急UP!!絶滅危惧食堂へ急行せよ!」

で、今回はこの素晴らしい佇まいを公開。
田中食堂引き.JPG
空襲を免れ、外壁は手を加えられているが、躯体は戦前のまま。
恐らく棟割長屋状態で、周りは駐車場やビルに囲まれている。この棟だけが完全に周囲から隔離されている。

   

黒門町のレリーフ

11.jpg
【東京都台東区上野1丁目】2010.10月撮影
黒門町といえば八代目桂文楽。
現住所表記の上野1~2丁目界隈が黒門町にあたるそうで、
現・中央通りの東西で上野西黒門町/上野東黒門町と分けたそうだ。
で、写真は西黒門町。夜散歩してたらたまたま見つけた。
最近、何かの時のために手持ちのコンパクトデジカメを携帯しているが、
早速役立った。夜にどんだけ手ブレ補正が効くかのいいテストになった。
ちゃんと看板部分の頭頂部のゴージャスなレリーフが浮かび上がっている。

   

駐車場借りなくてもIN!

東本願寺参道商店並びの車@西浅草1.jpg
【東京都台東区西浅草5丁目】2009.11月撮影
表通りから入ったところにある東本願寺というお寺。
その前の道には看板建築がズラリと並んでいる。
もともと参道に商店が並んでいたのだろうか。
今では民家となっているが、いくら駐車場が高いとはいえ、
商店だった部分にクルマごと突っ込んでるのがアルミ戸越しに見えるのがイイ。

   

蒼い看板

ひらさわ呉服店@足立関原.jpg
不完全ながら、このブログのTOPバナーを作ってみたんで、
その記念に、使った画像をUPしておこうかと。
【東京都足立区関原3丁目】ひらさわ呉服店@関原銀座会
後ろの家屋部分の錆びたトタンが見えるので看板建築とわかる。
看板部分の縁の青がとにかく眩しい。。。

   
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『路地裏ら~めん漫湯記』
…前身となる連載『ら~めん路漫避行』の東京23区内記事の加筆訂正+書き下ろし記事で構成された、東京裏町ラーメン銭湯攻略本!

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    刈部山本-karibe yamamoto-
    自営の珈琲店でスペシャルティ珈琲のドリップやケーキの仕込みに追われる傍ら、路地裏や廃スポットを徘徊してはB級グルメを貪る日々。B食+路上観察を纏めたミニコミ(同人)誌を年2回定期刊行。

    ら~めん路漫避行
    …旧サイト連載:ラーメンを巡る路上観察紀行

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