東京都江東区の最近のブログ記事

ご存じ方も多いと思うが、同潤会アパート【地図】最後の1棟となった上野下アパートが今年5月遂に解体の時を迎えた。
img60_01.jpg 5/10、様子を見に窺ってみると、既に規制線が張られ、業者が入って大きな荷物を運んでいた。住民の退去はとうに完了していたようだ。
img60_02.jpg 塀越しに様子を眺めるしかなかったが、窓の開いた部屋があったのでカメラの望遠で覗いてみる。
img60_03.jpg 梁の形状が幾何学的で魅力的に映るが、梁と壁の間にパックリ隙間が開いており、老朽化の深刻さがかいま見られた。
img60_04.jpg また、半身を乗り越えて庭をみてみる。
img60_05.jpg 青々と木々が茂る中、自分にとっては上野下アパートの象徴である井戸のポンプがまだ取り残されていた。
と、今回はここまでしか眺めることが出来なかったが、最期の勇姿を目に焼き付け、サヨナラが出来ただけでも良かったと思っている。

ここからは09年に撮影したアパートの様子を紹介したい。
img60_06.jpg 同潤会については詳しいサイトが沢山あるので各自調べていただきたいが、ザックリ説明しておくと、同潤会は関東大震災による復興計画として立ち上げられた財団法人で、防災の観点から日本で最初の鉄筋コンクリートアパートとして計画された。
近代化の象徴としてのモデル事業としてみられる傾向があったようで、大学教授や官僚・作家といった富裕層が多く住んだらしい。
上野下アパートは昭和4年完成。同潤会は昭和16年に解散しアパート建設は昭和9年で打ち止めとなっているから、中後期の建設となる。
24年前に初めて上野下を見たときは、他の同潤会アパートに比べ、頑丈な現役といった姿を留めていた。当時近くの鶯谷アパートも健在で、清砂通りはまだ堅牢な面持ちだったが、古石場などはかなり危うい風貌をしていた。
しかし4年前、久々に訪れた上野下はだいぶ老朽化しており、初訪問から20年という歳月を痛感させられた。
img60_07.jpg 下から見上げるとまだまだ圧倒的な存在感は健在と思わせる迫力がある。
img60_09.jpg 側面にはダストシュートらしきスリット状のものが窺える。
img60_10.jpg 下をみると案の定で、使われなくなって大分経つ様子。
img60_11.jpg 建物正面に向かって右側の棟の黒ずみ具合の圧迫感が相当なもの。
img60_12.jpg 手前に写っている庇部分が東側の入口部分。
img60_13.jpg 中の廊下の様子。
img60_14.jpg 階段の踊場。手摺のRの形状が外から差す日差しに浮かび上がる。
img60_15.jpg 階段を上り切ったところにある洗い場。
タンクから蛇口が出ていて、ここでちょっとした洗濯などをしたようだ。
img60_16.jpg 屋上は以前、万国旗はためくが如くに洗濯物が干されていたが、今は錆付いた物干し台が、虚しく青空に一線を引くのみだった。
この屋上の床はコンクリが大分ユルくなっており、一部ペコペコとたわむほどだ。
img60_17.jpg 隅には簡単な流しが設えてある。
嘗ては人が活き活きと当たり前の日常を過ごす場としての雰囲気が漂っていたが、確かに住人の姿はまま見受けられたものの、なにか廃墟度が増している気がした。

上野下アパートを後にすると、向かいには以前長屋が軒を連ねていた。この長屋の一つに嘗て林家彦六が住んでいた。
img60_18.jpg 彦六といえば八代目林家正蔵である。本来は昭和の爆笑王こと林家三平が八代目正蔵を襲名するはずだったが、彦六(当時は5代目蝶花楼馬楽)が一代限りの条件で海老名家から正蔵の名跡を借りたため、根岸の林家からここ上野下の長屋に正蔵の名が移った。
しかし三平が急逝してしまったため、馬楽は正蔵の名跡を根岸に戻し林家彦六となったが、終ぞ三平は正蔵を名乗ることはなかった。
三平の妻、海老名香葉子はこのことが相当ショックだったようで、悔恨の念からこぶ平の正蔵襲名が早まったという話は広く知られるところとなった。

嘗てアパートの住民が多数訪れただろう、真裏にある銭湯・寿湯も健在だったが【拙ブログ寿湯レポート参照】、その長屋のうち一棟だけ、アパート解体の日を迎えた今でもかろうじて残っている。住民の方がアパートを見つめておられたが、この長屋も出来る限り往時の姿を留めていてほしい。
アパート跡に新しい建物が出来た時、その新旧の対比が拝めることを願って。
【了】

   

その1 | その2

湾沿いに突如、錆びに錆びまくった物体が転がっているのが目に入ってきた。
35_01.jpg なんだ、なんなんだこりゃ!?
よくみると、錨(いかり)など船舶のパーツのようなものにみえる。
35_02.jpg しかし漂着したというより、何者かの意志が介在したような、恣意的な配置に見えてならない。
どうも、これはアート作品というかオブジェのようなものらしい。
35_03.jpg 散乱する丸太は、空からみるとカニの形をしているようで【航空写真】、他に「海の王座」と題された作品もあるが、これという大々的なアートとしてのアピールはなく、どちらかと言えば放置プレイ的。産業遺産が散乱していると捉えたい格好だ。
35_04.jpg

それが結構かっこ良く、あまりアート的な個人の主張を感じさせないところに好感が持てた。
35_05.jpg 海と空の青さに映える錆びついたドス黒い紅。
35_06.jpg 特にクラブマンハイレッグのようなタカアシガニ型の代物はシルエットも美しく、バカみたいに晴れ渡った青空に頽廃的な影を落としていた。
35_07.jpg 作品とはいえ、なにか日常的なもので組み上げられているのに日常的でないものを見せつけられたような、不思議な気分になってしまった。
そんな折、広い空の下、海を眺めていたら、沖合にクレーン船を発見した。
35_08.jpg ゲートブリッジに近づいてきているのだろう。やはり箱桁の結節工事は進んでいるようだ。
この他にも、海底の堆積物を取り除く浚渫(しゅんせつ)船と覚しきシルエットも見受けられた。
35_09.jpg やはりここは湾岸開発の最前線なのだ。日常目にしないサイズの物に圧倒され、満足の後に帰路に着くことに。

行きとは別に、若洲から木場の貯木場の辺りまで歩いた。
35_10.jpg 運河沿いの工場を眺めながら、結構な距離歩いただろうか。
35_11.jpg 疲れたところで東京ヘリポート前のバス停から東京メトロ東西線の木場駅へ出た。

今回、どこがレトロだという散策になったが、産業遺構や巨大建造物を前にすると、日常当たり前だと思っている人間サイズの光景をあっさりと超えたスケールに、日常の小さな世界の中で生きていることを実感させられる。こうした異化効果や擬似的時間旅行は戦前の民家の並ぶ路地裏に迷い込んだ時に感じる錯覚と通じるものがある。今回も日常を見つめるいい自覚の契機になった。
ゲートブリッジが開通すれば徒歩で渡れる。またその頃に来て、今度は西側の中央防波堤を散策するとしよう。

(完)

   

前回の記事

釣り人の多くいる堤防を真っ直ぐに進み、ゲートブリッジの結節点の真下あたりまで行くことができる。
34_01.jpg 橋脚部分を見上げると、まだ建設中といった風情が残っている。
34_02.jpg 釣り人を避けながら歩くこと10分。いよいよ先端まで近づいてきた。
34_03.jpg 灯台越しに結節部を見上げる。
34_04.jpg おおっ、いいねぇ。ここが近々いよいよ繋がるのかぁ。
どん詰まりの鉄柵に掴まりながら、そうこうしていると直ぐに時間が過ぎてしまうが、場所が場所なので、吹きっさらりの海風で、時折身体が持って行かれそうになる。
続々見物人は来るし(平日の真昼間にもかかわらず、自分のような物好きは結構いるものだ)、長居もしていられず、再び堤防を戻ることに。
34_05.jpg 堤防には完成時のプレートが埋め込まれていた。1980年――凡そ30年前か。ちなみにケーソンとは地中や水中に埋めるコンクリートor鋼製の箱。

若洲海浜公園へ戻り、公園を外周する遊歩道沿いに少し歩いてみる。
するとなにやらバージ船(艀はしけ=小型の貨物船)のような貨物船がみえた。
34_06.jpg どうもゲートブリッジを結節する箱桁を海上輸送しているらしい【ゲートブリッジHPのPDF「中央径間箱桁仮設工事の概要」を参照】。パーツを運んでここで組み上げ、起重操船「富士」なるクレーン船で持ち上げるのだろうか(クレーン船そのものを組み上げるのかな)。タモリ倶楽部では、最近港湾部の大型工事でよく見かける第50吉田号【吉田組HP参照】が写っていたが。

こういう作業は遠くからではチットも進捗がないようにしか見えないので、再び遊歩道を歩くことに。
青空の下、妙にバカ明るく脳天気な光景が広がる。
34_07.jpg すると、突如としてこの光景には異物としか映らない、謎の物体が目に飛び込んできた!

(続く)

   

先日、HDレコーダに溜まっていたテレビ番組録画をチェックしていたら、タモリ倶楽部の東京ゲートブリッジの回を発見した。
番組では、新木場側(南側埋立地:若洲)とお台場側(埋立地南端:中央防波堤)の橋が結節した後にロケが行われたようだが、自分はこの結節する中央径間箱桁架設工事を狙って訪問する予定だったのだが、工事3日間の最終日(2011.2.27)、一本につながった日には都合が合わず、その瞬間をおさめることができなかった。
初日にいくも、迫力ある映像は撮影できなかったが、とりあえず、ゲートブリッジの恐竜然としたシルエットの迫力は感じられると思うので、ひとまず、レポートさせていただきたい。

そもそもゲートブリッジは・・・詳しいことは国土交通省のHPを見ていただくのが一番。
国土交通省関東地方整備局 東京港湾事務所:東京港恐竜出現!?
まぁ沖へ沖へと増殖する埋立地を結ぶ新たな橋というわけだが、三角形(トラス)の骨組みで構成された造形が、近年稀に見る機能美溢れる橋桁で、構造物オタクの心を鷲掴みにしている(と自分は勝手に解釈している)。
初めてゲートブリッジのイメージを見たとき、久々に一瞬でグッときた。
しかも徒歩で渡ることができると聞き、それ以来、完成を待ちわびているのだ。

新木場からもお台場からもバスで近くまでアプローチできるのだが、新木場側は若洲海浜公園というゴルフ場やキャンプ場を備えたレジャー施設があるため、比較的アクセスしやすい。午後に訪れたので西日を考慮して、本来西側に当たる中央防波堤から撮影するのがいいに決まってるのだが、今回は勘弁頂き、後日、改めるとしよう。
というのも、新木場駅舎下に、ややディープな定食屋があると聞いて、どーしてもそこでお昼を済ませたかったのだ。そんな理由かよ!?
とはいえ、かなりステキな店なので、私のB級グルメブログをぜひ、参照いただきたい。
デウスエクスマキな食卓:丸惣@新木場~その暗い路地を抜けろ!

さば味噌に満足したところで、駅前ロータリーから都バス、木11:若洲キャンプ場前行きに乗り込む。

33_01.jpg

倉庫群の間を縫うように走り、橋を渡ると若洲エリア。ここから工事中の風景が目立つようになる。ゲートブリッジの完成にあわせ、整備が進んでいるようだ。臨時のガードレールのウサちゃんが無限増殖する、なんとも壮絶な光景だ。

33_02.jpg

風車が近づいてくると、いよいよ若洲海浜公園エリアに入る。

33_03.jpg

終点若洲キャンプ場も臨時のバス停で、砂利道を跨ぐように管理事務所を抜けて、ゲートブリッジの橋脚のたもとへ。ここから堤防が橋梁の結節点のほぼ真下まで伸びている。ここで一気に視界が開け、東京港が見渡せる。風が冷たいが、なんとも清々しい気分になる。

33_04.jpg

遠くに工場が伺えるのが、なんとも臨港風景らしい。

33_05.jpg

この堤防は釣り人用に解放されているようで、平日の昼までも釣り客が結構糸を垂らしている。
その先に、件の恐竜が2頭、頭をもたげ向かい合っている様がはっきりと見て取れた。

33_06.jpg

(続く)

   
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    刈部山本-karibe yamamoto-
    自営の珈琲店でスペシャルティ珈琲のドリップやケーキの仕込みに追われる傍ら、路地裏や廃スポットを徘徊してはB級グルメを貪る日々。B食+路上観察を纏めたミニコミ(同人)誌を年2回定期刊行。

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    …旧サイト連載:ラーメンを巡る路上観察紀行

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