第4回 1956年(昭和31年)
「ドラマといえば、海外ドラマが放送されるようになったのは、いつ頃なの?」
「最初の海外ドラマというと、この年の4月に始まった『カウボーイGメン』だろうね。とーさんは観ていないけど、1880年代のカリフォルニアを舞台に、政府の密偵二人がカウボーイになって、法と秩序を守るために悪と戦う物語だったらしい。これは、日本語吹替え方式の最初のドラマでもあったんだ」
「字幕のドラマもあったの?」
「民放は吹替え方式だったけど、NHKが放送した『空想科学劇場』、『口笛を吹く男』、『ハイウェイ・パトロール』は字幕方式だった。NHKは洋画を放送していた関係で、アニマティックという高価な機械で字幕方式を採用し、その原価償却を早めるためにテレビドラマも字幕にしたんだね」
「人気があったものというと……?」
「この年の人気海外ドラマというと、『ハイウェイ・パトロール』、『スーパーマン』、『名犬リンチンチン』かな。翌57年には、『アイ・ラブ・ルーシー』、『ヒッチコック劇場』、『名犬ラッシー』などが登場して、海外ドラマがテレビ番組として完全に定着するんだよ。『スーパーマン』の吹替えをした大平透のように、声優からも人気者が出てきたね」
「声優といえば、アニメは?」
「アニメが登場するのは、まだ先になるね。マンガの静止画に声だけをつけた、『サザエさん』があるにはあったけど、人気マンガは実写ドラマ化されていたね。読売新聞の人気マンガだった『轟先生』は古川ロッパが扮していたし、『おトラさん』は柳家金語楼だった。『轟先生』は月曜日から土曜日まで毎日放送される5分間の番組で、まさに新聞の四コマ・マンガの世界だったね。金語楼の『おトラさん』はイメージぴったりのハマリ役で、金語楼のおトラさんか、おトラさんの金語楼かと云われたんだよ。おトラさんは、奥様が日野江家に嫁いだ時に一緒にやってきたお手伝い(女中)さんで、身体の弱い奥様に代わって何もかも一人で切り回す日野江家の主のような存在でね。お豆や、おヤエといった近所の女中仲間のリーダー格でもあるんだよ。日常的な話題をコミカルに描いただけなんだが、明るい笑いが人気をよんだのかな。映画化もされて、東宝で6本作られている。アメリカの雑誌ニューズウィークに“これぞ日本製本格メードドラマ”と紹介されたこともあるんだよ」
「日野江家って、大金持ちなの?」
「当時の日本は、億万長者でなくても、会社の役員クラスだったら、住込みのお手伝いさんを雇っていたよね。なにしろ、人件費の安い、発展途上国だったからねェ。それと、田舎の娘が、花嫁修行を兼ねて働いていたこともある。会社勤務するより、食住費不要でお小遣いをもらえて、家事全般をマスターできるんだからね。故郷の親も、しっかりした家に預かってもらえる安心感がある。“家事は女がするもの”というのが一般常識だった時代のことで、現在では考えられないだろうねェ」
参考資料:テレビ史ハンドブック(自由国民社)、テレビドラマ全史(東京ニュース通信社)、ザッツTVグラフィティ(フィルム・アート社)
2004年7月20日更新
第3回 1955年(昭和30年)
第2回 1954年(昭和29年)
第1回 1953年(昭和28年)
[チックとタックの「あった、あったテレビ」」
俺は用心棒
スター千一夜
逃亡者
新撰組始末記
笑点
サンダーバード
ザ・ガードマン
夜のヒットスタジオ
事件記者
ザ・ヒットパレード
デン助劇場
快傑ヒーロー
格闘技ドラマいろいろ
三匹の侍
まぼろし探偵
海底人8823(ハヤブサ)
名犬リンチンチン
タイムトンネル
アニーよ銃をとれ
アンクルの女
可愛い魔女ジニー
風小僧
プレイガール
日本女子プロレス中継
豹(ジャガー)の眼
風雲真田城&おせん捕物帳
恐怖のミイラ
アラーの使者
→ |