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第二十六回『勿論、台は手打ち式。百円玉一枚でも真剣勝負の青春パチンコ。』
先日、深夜放送でパチンコ番組をやっていることを偶然知った。名前が全然浮かばないが、テレビタレントのきたろうグループ三人組の一人が司会と進行を兼ね、ゲストと一緒に実際にパチンコ店に出かけて行きその腕前を競うのであるが、何だかフィーバーだ大当たりだ何だと騒ぎながらパチンコ中継風に一時間程潰すようなどこか変な深夜番組なのである。
そのテレビ画面に映されるパチンコ台を見ると、最近はコンピューター管理が凄くて僕などがパチンコをしていた時代とは全然違い、複雑な仕掛けが何度も画面に出てきて繰り返されわけが分からずまるで短編アニメをみているようで目がチラチラ。途中からいい加減になってしまって小便つい
でに僕はチャンネルを変えた。
そう言えばここ十年以上、僕もパチンコは全くのご無沙汰状態である。
いつだったか仕事の打ち合わせ前に待ち時間があってあの独特のチンジャラ音響ムードに誘われ入った所、台の横左下にも上にも百円玉を入れる玉替え機は付いてなくて、勿論百円玉も使えない状態。三千円とか五千円の玉カードを買うシステムになっていた。昔のように三百円や五百円、千円までといった運試し的な貧乏プレイができないので気が乗らず、打つのをやめてグルリ店内を一周。そのまま僕は店を出たのであるが、何だかパチンコもノンビリ手打ち式のあの頃に比べると、大衆のモノと言うより流行のパソコンゲームのように思えて残念だった。
滅茶苦茶好きと言うわけではないが、パチンコ店の記憶となると昭和四十年前後、十代の頃には僕の田舎の国鉄駅前にもパチンコ店はあった。床油とタバコが混じったのような独特な匂いがしていて、規模は小さいが一軒だけ。けっこう繁盛していた。勿論、中学・高校生がパチンコをするのはタバコと一緒で校則で禁止されていたが、犯罪とは違う意識からか私服の時に待ち合わせをしていた友達を呼びに僕もパチンコ店に入った覚えがある。
僕の場合、煙草と同じでパチンコは大学に入ってから覚えた娯楽である。休講で午後からの予定がない時や、風呂上りとか食事帰りに皆でよく寄った。住人全員、大学や学部・歳が違うだけの学生であるからアパー卜と言っても学生寮に近い生活。銭湯に行く場合も誘い誘われてといった具合の連れション的な群れ行動が多く、梅乃湯とは別の駅方向にある銭湯の場合、パチンコ店が近いこともあってよく店に入った。
パチンコ店は駅前に三、四軒あって、つき合いとして三百円程打って気が乗らない駄目な時は濡れたタオルと石鹸が入った洗面器を抱えたまま横で見物となるが、あの頃は、楽しむと言うより真剣な小遣い稼ぎ目的の方が強く、百円で二、三十発の玉換えだったと記憶している。
台は、釘操作というか釘師が弄りましたと言う程に巧妙な触りかたをしていなくて入る穴の仕掛けも凄く単純な具合。素人の僕でもテンの釘や左右のチュウリップの所の釘がうまくきれいに並び開いている台を選び獲得金額を欲ばらなければけっこう勝てたものである。
僕が始めた昭和四十四年頃は手打ち式の台だった。そのうち十円玉でニギリを固定して横着ができる機械打ち台が増えて行ったのであるが、最近、昭和の何とか的な本であの頃の手打ち式のような写真が載っていてビックリ。三十数年前である僕の頃のヤツは、それ程昔の機種になっているらしい。
複雑なコンピュータ操作による簡単な機械打ちになった現在からは考えられない話であるが、僕が通い始めた頃はパチンコ店に座る椅子はなく、パチンコ台のガラスに肩から体を寄りかからせる独特なポーズで皆立ったまま打った。パチンコ台も、横の木枠にパチンコの玉一個が丁度ポロッと入る位の穴が右の角上十センチ程の所に一つあるタイプだった。
打ち方については、男らしく少し卑猥な言い方をすれば、左手でのマスターベーションの持ち方と言うか自慢のナニを軽く乗せて握っている感じでにして、その掌に零さず適当に持てる位の程々の量のパチンコ玉を掬い掴む感じで乗せて親指側を台の穴に押しつけ、丁度人さし指の中辺に親指を持って行き掌の中の玉を一つずつポッポッと一定の連続リズムで穴に弾き入れて行くのである。
勿論、右手は、本物の自慢のナニを弄るのではない。立ったまま肩から体をガラスに押しつける感じで斜に構えて棒状のバネをビンビンという感じで右手の親指で弾いて、穴から中に転がり込んだ玉を打ち上げるようにして弾く。台によってはそのバネがフィヨンフィヨンと馬鹿になっている場合が合って、ソレが前の人がバンバン入った終了台だったりするのであるが、そのフィヨンフィヨンバネを避けて程々元気なヤツで打ってテンとかその左右に打ち上げ、サイドでピョコピョコ開くチュウリップ穴に転がすわけである。
ところがコレが、最初は左手玉入れと右手玉弾きの連動プレイがうまく行かず、メチャクチヤなリズムで一個一個入れ込む玉込めになるが、セックスと同じで誰でもすぐに慣れてコツを覚えいつの間にか玉の穴入れもバネ弾きもうまく連続で打てるようになる。
当時は、現在のように無制限といったシステムはないから終了となればその台でのプレイはできないが、終了がわかってもチュウリップに吸い込まれるように入る玉の調子が一気に落ちるわけではないのですぐに手を止めて中止することはしない。係員のオジさんが来るまで一発でも五発でも多く玉をゲットと往生際悪く必死で打っていると、ポンポンと軽く肩を叩かれる。テストで、解答用紙に「ハイ、そこまで」の声が響いてもカキコキ書いていて用紙を取り上げられるアレ気分で、ウハーッという感じに台から体を後ろに引いて息を大きくつく感じでやめるのが終了台での僕たちの決まりポーズ。で、少し震える手で煙草を一服となる。
ケース一杯の重いヤツを両手で必死に提げて後ろにあるカウンターにドスンと言う感じに置くと、鼻息荒い化粧バッチリのオバちゃんかキリッと手早い綺麗なオネエサンの二人組みがいてすぐ玉数を調べてくれる。あの頃は、玉を移し入れるとパパッパッと数字が出る玉計算機はなく、特別な浅い受け木皿のようなモノに玉を入れて手で重なり玉を弾けば一皿全面で百なら百の単位の玉数を確認することになり、その繰り返しで玉数を一瞬にパパッと計算してくれるのだ。半端な玉数が余ると、オバちゃんやオネエさんの判断でチョコなビ駄菓子に変えて現物支給のように渡されるのであるが、ソレを勝利の味を噛みしめるように食べながら男の花道的気分で店裏辺りにある換金所に向かうのである。
カウンターで出玉を換金計算用のブツに交換するのであるが、ティシュの束とか釣具ケースセット箱みたいな物が一ついくら単位で換金といった辺は今も変わらないが換金額は低く、台にも三連チャンや無制限といったようなことがない頃であったから現在のように二万、三万にはならなくて、玉一箱で二千円前後の金額を受け取っていたような気がする。
あの頃の楽しみなトラブルに、釘都合かどうか台によっては、例えば、テンで弾いた玉が運よく?団子状態になって引っかかり五、六個落ちずに固まることがある。それを係員のオジさんに知らせると、鍵でフタをあけてチューリップにポロポロと固まり玉より多い個数の玉を入れて、出玉をサービスしてくれるのだが、アレは本当にウフフモノで凄く嬉しかった。
現在は娯楽と言うよりゲームといった感じで、イスに座ってニギリを十円玉で固定し自慢のナニでもクネクネ弄っていれば機械が勝手にやってくれるのが当たり前のパチンコになっているが、ニギリを軽く回した途端にピュンピュンピュンと玉が飛び出してあっと言う間に玉がなくなる。あの頃の手打ち式を知る僕などは、ピュピュッといった具合にあっと言う間に終わるそんなセッカチな早漏的で楽しめない最近のヤツはどうも苦手である。
クーラーで店内が涼しい夏も最高だが、特に冬、夕暮れの街でチンジャラの音響とガラスの向こうにズラリ並ぶヌクヌクとした温室の中で蠢くような人山をみると、あの頃のパチンコの思い出がゆっくりとわき上がる。
目をつけていた出る台に座って、閉店間際に突然狂ったように出るサービス玉を待ってから換金は常識。受け取った千二百円くらいをサイフにしっかり入れて途中の店でよく冷えた黒い瓶コカコーラを一本買う。そんな運が良ければ小遣い稼ぎとなる百円玉一枚勝負の手打ち式台パチンコは、ダイヤモンド程の輝きを見せながら僕の記憶に残っている。
2005年5月24日更新
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