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「食料品店」タイトル

ヱスビーキッチンカー

第9回「SBカレー」の巻

日曜研究家串間努



 コンビニやスーパーが街のそこらじゅうになかった頃、ちょっとした食料品は魚屋さんや肉屋さんが売っていた。私の体験でいえば八百屋さんで玉子や洗濯石鹸、「森永マミー」を買ったし、魚屋さんで売っているサツマイモの天ぷらが大好きだった。そして肉屋さんにはソースやカレー粉、ソーセージが並んでいた。
 「豚コマ100グラムとカレー粉くださーい」。
 お使いが好きだった私は、よく百円玉を握り締めて、近所の肉屋に買い物に行った(さすがに私の時代は『匁単位』ではなかったよ)。ショーケースの下部は「霜降り肉」のような模様の黒いタイルで装飾されている店だった。
「SBゴールデンカレー」 肉屋のガラス台に載っている小さな赤い缶で作るカレーはなんだかビンボーくさい。アラジンの魔法のランプのような形をしたスープ皿の絵が書いてある「SBゴールデンカレー」の箱が立派で、とても羨ましかった。
 ごくたまに千葉市の繁華街にあるレストランで食べるカレーライスは、それこそランプの形をした銀の皿に、丸いサジ(レードルといいます)が入っていて、白いご飯を盛った皿に掛けて食べる。ルーはサラリとしてあくまで上品。福神漬が別添で出てきた。それにひきかえ家で食べるのは既にカレーが掛けてある。しかも野菜の煮込みかたが足りないから、ジャガイモやニンジンが「これでもか!」というくらい大きくゴツゴツと入っていた。端にラッキョが乗っていて、ラッキョ汁が染みたご飯のすっぱさがナンだかイヤだった。だから、缶から箱に変わったら、ウチのカレーもレストランのようなカレーになるんじゃないかと思っていた。
 
通称赤缶 私の希望は小学校にあがるころ、赤缶からゴールデンカレーに切り替わって満たされたが、依然として、ルーもライスもラッキョも一つの皿に集中していた。更に紅ショウガまでついてくる。ウチでは何も『ゴールデン』化しなかった。
 どこかで聞いた話だが、カレーと歯磨き粉の味は一つの家庭ではそうそう変更されることはなく、違う味にスイッチするのは結婚したときくらいだという。ウチは何の抵抗もなく缶から箱へ路線変更したが、これは同じエスビーのブランドファミリーだったからだろう。

「ヱスビーカレー」
「特製ヱスビーカレー」

 他に、ハウス食品のバーモントカレーも子どもには人気だったようだが、ウチの親は息子への迎合路線をとらず、自分がうまいものを選ぶという姿勢が頑なにあったから「リンゴとハチミツなんて……」と、日本国民のアメリカ食文化へのあこがれはあっさり否定した(ホントはアメリカ人はバーモント入りのカレーを食べないヨね)。グリコのワンタッチカレーやマースオリエンタルカレーはテレビの「ガッチリ買いまショウ」で存在は知っていたが、ソースや調味料など地場産業の影響が大きい食文化について、中京・関西の商品には味や知名度の点でなじみがない時代(だからこそCMが効果あったのだろう)だったから、それも選択範囲外だった(特にワンタッチカレーについては「グリコキャラメルがカレーを出すわけがない」と認めず)。明治キンケイカレーやククレカレーにも手を出さない保守性は当然、インドカレー、ジャワカレーなどの想像の埒外の外国味にも触手を伸ばそうとせず、大塚の「ボンカレー」が出たときに「おっ」という感じで足を止めるのがせいぜいだった(ちなみにボンカレーは「(料理をしないなんて)みっともない」との否定的感想)。

商標
商標

ヒドリ印カレー粉 エスビー食品の創業者である山崎峯次郎は、日本にカレーの資料がない時代にゼロから研究をはじめて、大正12年に国産カレー粉を開発したひとである。
 そして終戦直後、食料品の原材料は入手困難な時代だった。カレー粉の原料であるクローブやナツメグは輸入に頼っていたので、外貨の割当制限があってままならない。峯次郎は、進駐軍にスパイス放出を働きかけたり、ターメリックなどの国内栽培に着手して苦境をしのごうとした。そして昭和25年3月、戦後初めての輸入スパイスがインドから入ってきた。「特製ヱスビーカレー」(通称赤缶)が発売されたのもこの年だ。「おそらくスパイスが不足していたので、小さな缶にしたのでしょう」(エスビー食品広報部)なるほど意外なところに缶が小さい理由があったのね。
 味は十年かけて日本人の舌に合うよう微妙に変えたが、これまでにデザインのほうは一度も変えていない。「S&BはSUN&BIRDですから、太陽のイメージとカレーのホットな感じで赤を基調とした缶にしたのではと思います。また、日本が復興していくムードも下地にあったのではないでしょうか」

「インド人もビックリ」
ゴールデンディナーカレー

 発売した翌年からラジオの民間放送がスタートし、同社は「姿三四郎」や「赤穂浪士」の連続ドラマでコマーシャルをうつ。大ヒットした赤缶はほとんどの家庭に常備されるようになったが、「今、家庭で粉からカレーを作る人はほとんどいません」とのこと。即席カレールーやレトルトカレーの影響だ。そのため一時は生産量も減った。しかし1980年代に入り、海外旅行やグルメブームなどで食のエスニック化が進んだことで、サラダ・チャーハン・野菜炒めなどにカレー粉が幅広く応用されるようになった。
「基本調味料として見なおされています」。
 みなさんは赤缶に、建築物のイラストが描かれているのにお気付きだろうか。私はあれはエスビー本社の建物かと思ったが、国会議事堂なのだそうだ。そして実はエスビーの旧工場は議事堂の形をしていて「板橋の国会議事堂」と近所のひとによばれていたそうな。なぜ、カレーに議事堂なのかは教えられません。

ガーリックパウダー

毎日新聞に掲載のものを改稿

即席モナカカレー
即席モナカカレー

2004年8月27日更新
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