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似顔絵第二十七回『コタツ台に古毛布とくれば深夜マージャンとなって、どうやろの青春包茎話』


 五十歳を過ぎてからの下半身の自堕落振りに比べて口は超達者揃いの仲間内で最近余りやらなくなったモノと言えば、セックス・パチンコ・マージャンといったところ。どれもこれも体力・精力を使い切るモノであるからかも知れない。
 この前、何曜日だったか、テレビでやってる歌謡曲ベストテンにみたいなヤツで昭和四十年代のヒット曲を短く流すアレなんか聴くと、懐かしい−ッと僕など思わず言ってしまうが、やはり二十歳前後が一番楽しかったような気がする。

 深夜、駅前に出ている屋台で二百五十円のラーメンを食べて徹夜というS荘暮らしの頃の僕は、ラジオを聴きながら青春を語るということはなく、マージャンをよくやった。
 大体十時過ぎ。南沙繊もいしだあゆみも黛ジュンもと晶層の歌手も歌い終えて一興奮の歌番組等ゴールデンが過ぎて、銭湯の帰りに七十五円だかでよく冷えた瓶入りコカコーラも買って、三矢サイダー印の入った栓抜きであけついでにまずは一口。退屈だが寝るには少し早いと言うことで始まるのが、マージャンであった。
 あの頃、テレビと言えば一台。サンヨーの白黒テレビを総一チャンが持っていて、彼が部屋いる夜はテレビに群がるように三畳一間の部屋に皆集まり、ナイター放送なども公民館での選挙演説青年部会のような感じでみるが、終わると午後から講義とか翌日が暇な人間が集まり、何となくマージャンするになるのである。
 勿論、簡易マージャン台としては、昼間であればコタツ板を裏返して緑の布張り面でするのであるが、夜の場合は、その板の上に古毛布を一枚敷き、なるべく音を消した状態でする。と言うのが、木枠のガラス窓を開けて後ろの見物人も一緒になって大騒ぎをしながらするので、近所からの苦情電話を受けた管理人のオバチヤンが怒鳴り込んでくるからである。それも、ほぼプロ的台と一般台?に別れるので二部屋で一斉に始まるガラゴロガラゴロ・チー・ボンであるから確かに苦情も起こる程騒がしい。
 僕の場合は、当然、一般組。点十円だったから点棒が一本もないハコテンになると三千円払うことになり、これは痛い。であるから、エーッとか来いーッとかオラーッと言う力む声もつい大きくなり、当然、頻繁にそういう力みが東南西北で起こる。

 とにかくあの頃の生活は、本当、実に節操がなかった。夜の十時過ぎて布団を敷きゴロゴロ寝転んでいても鉄砲水のような勢いで入ってきて、あっと言う間に布団が畳まれコタツ台が用意され、勿論、エーッとか言っているうちにメンバーの一人として座らされてサイコロを転がすといった具合なのであるから、運が悪ければもう滅茶苦茶。
 七十センチ角のコタツを持つ僕の部屋でも、マージャンはよくやった。一般混合と言うか、初めてという人間はいないが、つまんだ時に親指の腹の部分でハイが何かを読む位はどうにかできても積込みができる程の実力者も勝負師もいなくて、点十円にドキドキ者ばかり。カチャコチとハイのぶつかる音くらいしか聞こえないほぼプロ台に比べ、一般台のメンバーはシャベリが多く騒がしかった。

 マージャンの最中に出る話題の多くは、芸能情報・レポート提出・ナイター・評判の食べ物等の話であって、社会・経済情勢なんてことはまず出ない。一勝負終わり、ハイを混ぜたり積み込む短い時間が、コレまたけっこう人生相談みたいな場になることは多いが、アレ知ってるかァとかレポート書いてないんやとかに混ざってとんでもない話題が出ることもあって、娯楽マージャンと言っても奥は何やら変に浅深いのである。
 あの頃のちょっとヒット話と言えば、土曜、亜熱帯的熟さの夏の夜、いつものそんなマージャン中での話題として不適切な、それも唐突にガメラの百年の眠りを覚ますように、通チャンの包茎話は出た。
 当然、周囲は皆少し引いた。包茎は、ホンマに女の子に嫌われるやろか、では※★□である。それもハイをガラゴロかき混ぜながら誰に言うわけでもなく質問風にボソッと言った時は、皆、ソレどうやろが精一杯の感じ。そんな中、暫くして、オレ手術したヨとハイを手元で揃え始めながら言ったのが、総一チャン。

深夜マージャンと青春包茎話

 昭和四十年代後半の僕たちのあの頃も、確かに包茎は思春期永遠の話題として雑誌の読者相談コーナーをチラッとは賑わしてはいたが、最近の男性雑誌のような「何々先生による痛みのない完全安心包茎手術の□※クリニック」といったような広告まではなく、皆でよく賑やかに銭湯へ出かけていたが、見た目がいわゆる包茎と言う程の者はいなかったのか話題になったことはなかったのである。
 だから、僕が思った助言者と言えば一人、S荘住人のモト君。彼の場合は股間がタムシの上に間違いなく仮性包茎でもあるが、本人は全然それを気にしていないところが凄かった。
 僕と同じ二階に住み、学年は一つ下で広島出身。義経を演じているジャニーズのタッキーに少し似で鼻デカのモト君であるが、銭湯帰りには必ずタムシチンキを塗っていた。僕など素人目にはいかにも効く劇薬的雰囲気のある小さな茶色い小瓶入り薬。いわゆる焼けるようにヒリヒリするのでフーフー息を吹きかけながら蓋についているハケで患部に塗るらしいアレである。
 彼の場合、人に塗り姿を見せる露チン騒ぎも多く面白がって皆見るのであるが、モト君は、部屋の電球を小さい赤いヤツに替えて演出に凝る。これが実にムーディーであって思わせぶりタップリながら、ピースの紺色缶が回って来てマジに一人百円を払う詐欺みたいなことをするから困っていた。
 確かに先っぽが、丁度スーツボタンサイズ程丸く覗く感じの仮性包茎であるが、それを全然気にしていない風なそこら辺が助言者として適合するのではと思ったわけで、とにかく五、六人の集団で出かける銭湯でも、デカい・太いは大袈裟に騒ぎ立派さを称えることはけっこう頻繁にあったが、包茎話は全然だったのである。
 ところが、おっとドッコイの爆弾発言をした総一チャン、実は包茎手術の経験者だったことをポロリに、皆ビックリ。僕の尿道炎ではないが、中学二年の時に近所の医院で包茎手術をしたらしい。

 彼は男性的で解放的な野球部に入っていたが、中学二年と言えばモロ思春期。誰にも聞けず随分悩んだと言う。確かにあの頃の雑誌でのセックス相談コーナーと言うのがオープンに見えて実は上面をサッと撫でたくらいの中途半端なモノ。例えば、セックス行為そのものについての体位説明などは図解入りで密かに見る本が多かったが、マスターベーションの方法となると、精々「手で性器を刺激する」といった程度の説明で済まされるのと同じで、包茎の場合も、真正・仮性包茎から始まり自然に治るとか石鹸でよく洗い清潔に保つことが一番と、どうすればうまく剥けるのかからズレたドクター意見に加えて恥垢がたまると悪臭がして女性に嫌われる・ガンになるといった説明をするから通チャンのような者が出るのである。
 男の悩みながらどうしても野球仲間にも聞けず総一チャンも悶々と過ごしていたが、ナニは日々膨らむ一方で、ついにマスターベーションがどうこうどころではなく勃つと地獄の一丁目と言うくらい締めつけられる激痛に我慢できなくなり、小便ついでに朝、父親に告白。盲腸の緊急手術ではないが場所が場所、すぐに近所の医院に頼んで先っぽの皮を少し切り裂く簡単な手術を受け、見事に開封されたその後は勃起快調一直線だったらしい。

 通チャンは十七歳の時に自宅でガールフレンドと初体験であるから童貞ではなく、包茎だとセックスの時に女の子に嫌がられるという話を開き込み悩んでいたらしいのであるが、その後、通チャンが手術を受けたという話も聞かれず、マージャンでもその話はその後一度も出なかった。
 いつだったかカレーを食べていた時に、デカけりゃ少々の包茎気味は気にしなくてイイんとちゃうのと通チャンに言っていた福チャンも、実は、僅か微妙に皮がかぶる仮性包茎だったことを後で知った僕である。


2005年7月28日更新


第二十六回『勿論、台は手打ち式。百円玉一枚でも真剣勝負の青春パチンコ。』
第二十五回『生本番ショー二万円への誘いも懐かしい、S荘の質素な青春。』
第二十四回『福チャンの告白。悶絶級・昭和パイプカット秘話。』
第二十三回『スーパーマンと言えば、懐かしい白黒テレビの無敵スーパーマン、ジョージ・リーブスが僕のイチ押し。』
第二十二回『僕の憧れ一九七二年の南極ワイフも、パックリ見せて十五万円也。』
第二十一回『テーブルにココア、今夜はもう一度、ミステリーゾーン気分。』
第二十回『昭和四十六年の白黒ポルノ映画と、露骨裏ビデオ。』
第十九回『青春大ショック、芸能界スター・美容整形の噂を知った日。』
第十八回『当たる不思議「私の秘密」と、死ぬほど笑った「ジェスチャー」の頃。』
第十七回『欧陽菲菲と膀胱炎でヒーヒーの僕と、NHK受信契約騒ぎの日。』
第十六回『微妙にウタマロ、チン長十四センチのセックス満足度』
第十五回『コンドームと僕と、正常位』
第十四回『再会、また一つ。僕のテレビに懐かしの少年ジェットが来た。』
第十三回『ユーミンとセックスと鎌倉、僕の二十七歳の別れ。』
第十ニ回『シロクロ本番写真と五本の指』
第十一回『永遠のオナペット、渥美マリ』
第十回『ジェームズ・ボンドのセックスとナニの話』
第九回『二十一歳の冬、僕とフォークと喪失と。』
第八回『大阪スチャラカ物と言えば、てなもんや三度笠で決まり。』
第七回『嵌った嵌った、森繁の社長シリーズとアレコレ』
第六回『ジュンとネネではなく、VANとJUNの話』
第五回『夏は怪談映画、あの映画看板も僕を呼んでいた。』
第四回『青春マスターベーション』
第三回『ワッチャンの超極太チンポ事件』
第二回『中高年男性、伝説のモッコリ。スーパージャイアンツ』
第一回『トランポリンな僕のこと、少し話しましょうか。』


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