8年くらい前のことになるでしょうか…。骨董市でつげの櫛を買いました。未使用で数本でたのですが、美しい仕上がりの櫛に、パッと手を出したことを、よく覚えています。
「つげの櫛」
なんともいえない言葉の響きだと思うのは私だけ? どういうわけか、昔からあこがれていた櫛でした。まさか骨董市で出会うなんて思いもしませんでしたが、これも私らしい出会いだと、ニコニコつれて帰ったのです。
櫛には「十三」の文字がありました。業者さんは、
「上野の“十三や”の櫛だと思うよ」
って、言っていました。本当でしょうか。調べてみたくなりました。
東京は上野。不忍池の傍に“十三や”はありました。創業は元文元年(1736)。270年という長い歴史のあるつげ櫛の老舗です。骨董市で購入した櫛を持って伺って、怒られたらどうしよう?と不安に思いつつも、「聞くは一時の恥」と念じながら、引き戸の玄関を開けました。
「すみません。この櫛はこちらでお造りになったかどうか、見ていただくとわかりますか?」
恐る恐る尋ねると、
「うちの櫛ならわかるよ」
と快いお返事。ご主人は手に取った櫛をまじまじと眺めた後、
「懐かしいね。うちに戦前にいた職人さんがつくった櫛だよ」
と目を細めながらいわれました。同じつげ櫛でも職人さんによって微妙にあんばいが違うということ。櫛を見れば誰の作なのか、すぐにわかるということ。歴史の重みを思い知らされました。
その時から、私の鞄の中にはこのつげ櫛がいます。見当たらないと不安になるほど愛着もわき、実に丈夫で、乱れた私の髪の毛を、まっすぐきれいにまとめてくれるのです。櫛のケースは不細工ながらも手作りしてきました。今は水色のフェルト地に、白い鳥が刺繍してある幼稚なもので、どう見てもつげ櫛とミスマッチなのですが、このサイズのケースってなかなかなく、仕方がないとあきらめてきました。
10月中旬のこと。上野に用事があり、早めに用が済んだと思ったら、時計は午後2時をさしていました。こんな時間に上野にいることなんて、めったにないなぁと思いつつ、ふと、十三やさんを思い出しました。8年前に伺った時には、櫛の確認がせいいっぱいで、会話らしい会話もできなかったけれど、あの頃よりは、私もずうずうしくなったというか、年齢を重ねていました。
「ケースだけでもつくってもらえないかしら?」
聞いてみようと、ひさしぶりに引き戸の玄関を開けたのです。
そこには若いお嬢さんが2人いて、つげ櫛を購入していました。ご主人から櫛の取り扱い方を真剣に伺う様子を眺めながら、私はなんだか嬉しくなり、しっとりした時間の流れを感じていました。考えてみたら、つげ櫛って髪をとく時に、自然とゆっくりした仕草になります。女性らしい櫛のいうのかしら。「つげの櫛」に惹かれるのはここかな?なんて思いつつ、彼女たちが帰った後、ケースについて尋ねると、造ってもらえるということで、鞄から櫛を出してご主人にわたしました。すると、
「この櫛は…。前にいらっしゃった方ですね。応対したのは父でしたが、話は聞きました。戦前の職人が造ったとかいってましたよね」
まさか覚えておられると思わなかった私は、ビックリ仰天!!!! その上、
「確か、よそで購入されたんでしたっけ?」
の一言に、
「申し訳ありません!!!」
と大慌てであやまりました。
とても優しいご主人は、微笑みながら、
「あやまることはないですよ。自分の櫛もこんな形でいつかでてくることがあるかも知れないと思うと、きちんとした仕事をしなければと思います」
と静かに話されました。
私は感動した気持ちを抑えつつ、何種類かあったケースの中から、紺色の布地を選んで注文しました。1週間後にはわが家に届くことになり、次は必ず十三やさんでつげ櫛を買おうと心に決めて、お店をあとにしました。
髪といえば、伊藤緋紗子さんが書かれた「髪と女性」というエッセイが印象に残っています。
『私が突然、段カットにして現れると、母から「髪型が乱れているということは、頭の中も混乱していることよ」と声がかえってきました。』
という文面に、そういえば私の祖母も髪型について口うるさく、幼少時はずっと“チビまる子ちゃん”の髪型にカットされていました。当時の私は、その頭が嫌で嫌で仕方がありませんでしたケド…実は、私の現在の髪型は当時と同じオカッパ頭。チビまる子ちゃんに戻ってしまったのです。まっすぐな頭なので、つげ櫛はピッタリ。乱れた時、すぐにまっすぐに直してくれるのです。
2006年11月9日更新
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