第10回「桃屋」の巻
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私の家の食卓に「飽食の時代」が訪れたのは一体いつからだろう。少なくても小学生時代(昭和44年〜49年)は粗食だった。朝ごはんのオカズといったら、生卵とか、大根おろしとか、海苔6枚。それらは決して複数が組みあわされることはなく、卵なら卵1個きりの単品勝負だ。海苔は火にあぶり手でちぎったもの。味付け海苔をみたときは感動した。
卵1つでご飯を2膳分食べるには技術が要った。よくかき混ぜないと、1杯目を掛けるときに白身の大半がトロリと流れていってしまい、2杯目は黄身中心でポソポソと食べなければいけない。大根おろしは現在の品種より明らかに辛く、一口食べる毎に「クヮー」と口を開けてしまう(子どもだったからですかネ)。そんな質素なオカズの中で、白眉は瓶詰めの日だ。桃屋の『いかの塩辛』や『江戸むらさき』が小さじ一杯だけ。小皿に盛られたそれらを箸の先につけ、チロチロ嘗めながら2膳を食べるには、ペース配分が肝要だった。一番確かなのは、『江戸むらさき』をご飯の頂上に載せ、箸でグルグルかき混ぜ、均等にご飯粒にまぶすこと。だが、これをやると食後に困る。ウチでは食後のお茶をご飯茶碗に注ぐので、お茶に江戸むらさきが浮いてしまってトンデモない状態になる……。
それから昔はビン詰めは最初に開栓するときフタが固くてなかなか開かず、コタツの中で温めたり、輪ゴムを口に回したりして苦労し、ご飯を食べる前に「ハアハア」と疲れ果ててしまったものだ。
地味ながらも1つのオカズとして我が家に君臨していた江戸むらさきだが、いまではたったそれっぽっちで食べることはなく、かまぼこや目玉焼きの添え物という位置づけになってしまった。
はてさて『江戸むらさき』はどんな経緯で生まれた商品なのだろうか。
「ようやく白いご飯が食べられるようになり、まだまだ砂糖や醤油は手に入りにくい時代でしたが、『これから食生活が豊かになる。ごはんの友として日本独自の食品を充実させよう』と創業者が考え開発しました」(桃屋企画宣伝部)。
戦後の原材料統制が解除されて間もない昭和25年、敗戦による輸入の自由化で(日本国内の商品生産家を保護するため、海外のものが日本に輸入されにくくするには値段を上げればいいわけです。関税を高く設定しておけば輸入しても高価になるので国産品を守ることができます。また、輸入すると日本の貴重な外貨が海外に流れることになるので、「外貨割り当て」といって、自由に輸入できるのではなく業界で輸入する会社の代表を決めたりして制限する方法もとられていました)欧米の安い食材がどんどん入ってくるだろうと危惧されていた。当時の桃屋はフルーツ缶詰が看板商品だったが、収穫シーズンに1年分を製造し、その在庫を抱えるので倉庫代や金利が負担となっていた。そこで、輸入が推進されても外国製品に絶対踏み込まれない商品群を充実させる必要があり、海苔の佃煮びん詰めを発売したという。確かに海苔食文化を持つ国は少ない。
ネーミングの由来は教養とお洒落センスがにじみ出ている。古代から紫色は「高貴な色」とされてきたが、これは「京紫」のこと。江戸時代には京紫に対抗して赤味がかった紫が創作され、江戸庶民に親しまれた。江戸の代表的技芸であった小唄の稽古本表紙もこの「江戸紫」色を使っていた。桃屋の創業者である小出孝男は小唄に造詣が深く、海苔の佃煮を発売するにあたってこの色に着目した。中国では海苔のことを「紫菜」と呼び東京では醤油のことを「むらさき」と称する。それらに因んで「江戸むらさき」としたのだ。
その後、消費者の嗜好の変化には味を変えるのではなく品種で対応、「特級」「幼なじみ」「石狩」とバリエーションも増やした。
原料は伊勢湾沿岸で養殖した青海苔。てっきり、焼き海苔に使う海苔と同じものだと思っていた私がうかつなのだが、これは意外な気がした。醤油で煮るから濃い褐色になるそうだ。
採取した青海苔からは貝殻や小えび、網の糸くずを手で一つ一つ取り除く。良品主義が同社の姿勢である。宣伝にも力を入れ、三木のり平のアニメCMは40年以上のロングラン。のり平氏が亡くなられた現在も放映されるのは、声がそっくりの息子さんが継いでいて違和感がないからだ。それにしても海苔の佃煮に「のり平」とは妙に符節が合っている。
食べ方は人それぞれ。「納豆に入れる人もいますし、海苔トーストにしたり」(同社)。中には一度にびんの半分も使う人もいる。素材が単純だからこそ応用も利くし、愛用度が高い消費者もでるのだろう。
(海苔の佃煮というと関東では「江戸むらさき」でなじみがいいのですが、関西などでは「磯じまん」とか「アラ!」というところでしょうか)
●毎日新聞に掲載のものを改稿
2004年9月3日更新
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