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似顔絵第二十八回『四十年後、「タッチ」のあだち充君からの葉書と武蔵野漫画研究会。』


 僕は、暇な時には身辺整理をしている。それは衣服や雑誌等いろいろで、コーヒーを飲みながらの何となくの片づけ・整理整頓でもあるのだが、忘れていた物が出てくることが多く、先日も思わぬことから十六歳の僕を発見。もう四十年程昔の憧れ、すっかり忘れていた。本当にすっかりである。
 ソレが、原稿資料等を仕舞い込む白い三段の引き出しの奥へ押し込んでいた羊羹か何かのカチッとした黄色い箱の中から出てきたのである。

 微妙に色褪せた感じの一枚のケント紙で作った私製葉書と、武蔵野漫画研究会創刊号という青焼の冊子。懐かしさに手が止まり、ソファに座り込み、僕はその見覚えのある冊子にチョット見入ってしまった。
 青焼のコピー機関誌<パネル>。鉄橋を渡る汽車・草を食べている山羊・川に浮かぶ渡し船・チャルメラを吹きながら川辺を行くラーメン屋の屋台。色褪せた表紙は三好達治・故郷の街を描いたモノらしい。発行日は昭和四十二年十二月三十日・編集ながしまあきら・発行所が東京都練馬区「武蔵野漫画研究会」。その裏頁の隅っこに、流行歌手のようなペンネームで漫画仲間に加えてもらったばかり、十六歳の僕がいた。

私製葉書と、武蔵野漫画研究会創刊号

 表紙を描いたのは、絵のタッチから判断して、多分、リーダー各だったながしまあきら君であろう。あの頃、肉筆回覧誌<ふァん>が郵送されてきてドキドキしながら読んだ楽しかった記憶があり、それは、今は夢のような過去である。
 そうそうなんて思いながら頁をめくると、挟み込まれていた一枚の葉書を発見。「ふァん四号、十月一日に着きました」という群馬の安達充君からのモノ。一九六八年十月二日の消印、赤い金魚の絵が描かれた七円切手が貼られている。驚いてしまう。
 その安達充くんと言えば、間違っていればゴメンナサイであるが、多分、「タッチ」や「H2」等大ヒット漫画を何本も描いてトップ漫画家の<あだち充君>だと思う。その色褪せた葉書は、正に十六歳の僕の日常生活の一片であった。

 あの頃の僕は、学校から帰ると茶色い箱形のモノラルステレオで音楽を聴く友達も少ない、どちらかと言えば少し暗い高校受験失敗を引きずる十六歳。男性化粧品が数少ない当時、十代に人気がありヒット整髪料であったのが、団次郎がCMキヤクターだった資生堂MG5。勿論、僕も使っていて五百円や三百円程の値段だった。現在も販売はされていると思うが特に商品名も聞かなくなった整髪料で、リキッドだトニックだと買い込み頭髪を懸命に整えていた。ソレが普通だったのである、僕が十代の頃は。
 小説や漫画に夢中になっていたが、結局、才能がなくて漫画家にはなれなかった。
 僕の場合、漫画と言えば必ず出る劇画的なイメージを覚えるガロではなくて、あの頃ニューウェーブの先頭にいた岡田史子等が描いていた漫画誌COM(コム)のファンだったことや憧れの渦に飛び込んでもがいていた十六歳頃の記憶をこうして懐かしがりながら、実は、安達充君とは電話で話したこともなければ、勿論一度も会ったことがない。こう言うふうに君づけで話して良いかどうか、向こうの記憶には僕はいないはずで、正にあの細い蜘蛛の糸の何万分の一くらいに細い過去の線で繋がっている状態。それも四十年前の一枚の葉書と青焼の冊子が出てこなければ、すっかり忘れ切っていた出会いである。

 漫画と言えば、昭和三十年代に小学生の僕が読んでいたのが、少年や冒険王、ぼくら、少年画報等。
 あの頃にも、さいとうたかお・ありかわ栄一といった劇画タッチの男っぽい殺し屋三昧的なタッチ・内容の貸本みたいなモノもあったと思うが、そう言う貸本屋に通ったのはやはり中学生以後の話。本屋とはまた違った古本屋的な店構えで、二階とか奥が住居になっている小さく狭い個人店の雰囲気の店に単行本が木枠の棚にゴッソリ置かれていた記憶が僕にはある。
 勿論、四、五才年上・年下の知人と僕の漫画本記憶は、雑誌名は同じでも作品や漫画家名が微妙に食い違い、いわゆる懐かしがられて切手の図柄となっているところの「スーパージェッター」などはテレビアニメの辺でお互い記憶ずれで揉めたが、昭和四十年頃のモノ。

少年クラブ・少年・少年画報・ぼくら・冒険王

 では僕の懐かしい漫画記憶となれば、前谷光/ロボット三等兵、ちばてつや/誓いの魔球、関谷ひさし/ジャジャ馬くん、武内つなよし/赤胴鈴之助・少年ジェット、九里一平/海底人8823、一峰大二/ナショナルキッド、桑田次郎/まぼろし探偵・月光仮面、横山光輝/鉄人28号等。少年クラブ・少年・少年画報・ぼくら・冒険王といったところが記憶の中の漫画雑誌であり、当時、正月号だかでの十三だったか十五大付録だったかで挟んだ本誌がパンパンになっていたあの興奮は、今でも忘れられない。
 少年マガジン連載で巨人の星等が人気だったのが、ずっと後。それこそ十六歳頃であった気がする。

 漫画家に憧れる一方で、一年中発情していたような思春期。沈み込む底なし沼のようなセックスヘの強い興味に悶々としながら過ごしていた十六歳の僕の日々。多分十七歳、ダスティ・ホフマン主演映画「卒業」を観たことで洋画にも夢中になり始め、どこか湿った温室のような生活は暫く続いたのである。
 パンドラの箱から突然湧き出てきたような一枚の葉書、余りにも遠い夢のような過去との出会い。十六歳の頃の僕が、この数十年の中で一番激しくピュアな青春をしていたかも知れない。


2005年11月2日更新


第二十七回『コタツ台に古毛布とくれば深夜マージャンとなって、どうやろの青春包茎話』
第二十六回『勿論、台は手打ち式。百円玉一枚でも真剣勝負の青春パチンコ。』
第二十五回『生本番ショー二万円への誘いも懐かしい、S荘の質素な青春。』
第二十四回『福チャンの告白。悶絶級・昭和パイプカット秘話。』
第二十三回『スーパーマンと言えば、懐かしい白黒テレビの無敵スーパーマン、ジョージ・リーブスが僕のイチ押し。』
第二十二回『僕の憧れ一九七二年の南極ワイフも、パックリ見せて十五万円也。』
第二十一回『テーブルにココア、今夜はもう一度、ミステリーゾーン気分。』
第二十回『昭和四十六年の白黒ポルノ映画と、露骨裏ビデオ。』
第十九回『青春大ショック、芸能界スター・美容整形の噂を知った日。』
第十八回『当たる不思議「私の秘密」と、死ぬほど笑った「ジェスチャー」の頃。』
第十七回『欧陽菲菲と膀胱炎でヒーヒーの僕と、NHK受信契約騒ぎの日。』
第十六回『微妙にウタマロ、チン長十四センチのセックス満足度』
第十五回『コンドームと僕と、正常位』
第十四回『再会、また一つ。僕のテレビに懐かしの少年ジェットが来た。』
第十三回『ユーミンとセックスと鎌倉、僕の二十七歳の別れ。』
第十ニ回『シロクロ本番写真と五本の指』
第十一回『永遠のオナペット、渥美マリ』
第十回『ジェームズ・ボンドのセックスとナニの話』
第九回『二十一歳の冬、僕とフォークと喪失と。』
第八回『大阪スチャラカ物と言えば、てなもんや三度笠で決まり。』
第七回『嵌った嵌った、森繁の社長シリーズとアレコレ』
第六回『ジュンとネネではなく、VANとJUNの話』
第五回『夏は怪談映画、あの映画看板も僕を呼んでいた。』
第四回『青春マスターベーション』
第三回『ワッチャンの超極太チンポ事件』
第二回『中高年男性、伝説のモッコリ。スーパージャイアンツ』
第一回『トランポリンな僕のこと、少し話しましょうか。』


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