第9回 1961年(昭和36年)
「去年はヨン様の来日で大騒ぎだったけど、1961年はフラー様の来日で大騒ぎだったんだよ」
「フラー様って?」
「テレビ西部劇に『ララミー牧場』というのがあって、それに主演していたのがロバート・フラーなんだ。彼が演じたジェスは、父の残した牧場を守りながら駅場所の中継所を営む兄弟を手助けする流れ者のガンマンで、他人を信じようとしない孤独な男の姿に女性ファンが痺れたんだよ。西部劇といえば、それまでは男の世界で女性たちは見向きもしなかったんだけど、若い女性をテレビの前に座らせた功績は大きかったね。何しろ1日3万通のファンレターが放送局に届き、来日した時には迎えるファンで羽田空港に2千人もの徹夜組が出たくらいで、まさにこれは社会現象といってもいいね」
「韓流ブームと同じように西部劇ブームだったんだね」
「韓流ブーム以上だよ。10月の番組を見ると、週に23本もの西部劇が放送されているんだよ。『ララミー牧場』以外では、『ローハイド』や『拳銃無宿』が面白かったなァ。『ローハイド』は3千頭の牛を連れて旅をするカウボーイたちの物語でね、クリント・イーストウッドが出演していたんだよ。山田康夫がイーストウッドの声を吹替えており、これがピッタリきまっていた。イーストウッド=山田康夫で吹替えが定着したのは、『ローハイド』からだね。『拳銃無宿』は、何といってもスティーブ・マックィーンだね。決して二枚目じゃないけど、母性本能をくすぐるところがあって女性ファンが多かった。男の子は、マックィーンのガンプレイに痺れたなァ。使っている銃がランドル銃といって、ライフルの銃身を短くした改造銃でカッコいいんだよ。デパートでモデルガンが売られていたけど、高くて買ってもらえなかった。それでも国産のコルト45拳銃を模した玩具ピストルを買ってもらい、ボール紙で作った手製のホルスターをバンドにつけて、ジェスのようなガンマンのつもりでいたんだ。色々な雑誌が拳銃を特集し、西部劇ブームであるとともにガンブームでもあったんだ」
「西部劇以外では、どんな番組があったの?」
「テレビ史に残るバラエティ番組『夢で逢いましょう』と『シャボン玉ホリデー』が始まったのが、この年だったね。『夢で逢いましょう』では、渥美清とE・H・エリックのコントが絶妙で“ヘンな外人”が流行語になった。『シャボン玉ホリデー』では、クレージー・キャッツだね。“お呼びでない”の植木等のギャグは最高だったよ。『夢で逢いましょう』の“今月の歌”から、「上を向いて歩こう」や「遠くへ行きたい」などのヒット曲が生まれたし、『シャボン玉ホリデー』では 「スーダラ節」をはじめとするクレージーのヒット曲が生み出されていった。テレビの黄金期を迎えたといっても過言ではないね」
参考資料:テレビ50年(東京ニュース通信社)、テレビ史ハンドブック(自由国民社)
2005年2月10日更新
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