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「食料品店」タイトル

味なことやるマクドナルド

第12回
マクドナルドが
「ジャンクフード」に
なるなんての巻

日曜研究家串間努


フライドポテト 将来の夢。マクドナルドをお腹いっぱい食べること。これが私が小学生のころ持っていたささやかな希望だった。千葉市の扇屋百貨店一階にマクドナルドができたのが昭和四八〜九年ころ。そのころの混み方といったら半端ではなかった。特に休日ともなると千葉県中の家族がマクドナルドにピクニックに来たようなもので、押すなへすなのたいへんな状態(ところで「へすな」って何だ?)。なにしろそのころの千葉県人は「並んで順番を待つ」という習慣がないから、一つの窓口に客が殺到し、「ハンバーグ五つ!」「いもフライ(フライドポテトのことです)をくれ!」と怒号が飛ぶ。あれではマクドナルドのお姉さんにはマニュアルもへったくれもあったものではない。しかも大家族が多いので、大きな紙の手さげ袋を胸に抱えて持ち帰る。立錐の余地もなくその場で立って食べることなどできないからすべてテイクアウトで、帰宅してから和室のお膳の上でハンバーガーとマックシェイクをパクつくのだ。

マックシェイク マックシェイクも驚天動地の商品だった。アイスのようでアイスでない。ジュースかと思えばそうでもない。子どもの口の吸いこみ力では、ストローからわずかにしかシェイクは上がってこない。実にイライラさせられて飲んだものである。あとで、あれは赤ん坊の吸引力がもとになっていると聞いたが、小学生の肺活量と吸引力ではなかなか吸えない大変なものだった。

マックシェイク だが、こんなにおいしいマクドナルドもそうそう毎回は買ってもらえない。一番安い「ミルク五〇円」と「ハンバーガー八〇円」のセットがせいぜいだ。どうしてそのころハンバーガーが今のように六五円でなかったのか、どうしてあのころよりあまりお金に不自由していないいまなのだと、地団駄踏む思いがする昨今である。

 なにしろそのころの私はハンバーグをはさんでいるパン(バンズという)をはがして二回にわけて食べるという貧乏くさいやりかたで、二倍お得な感じを得ていたのであった(足りないときは食パンをかぶせる)。

 日本にマクドナルドを持ち込んだのは藤田商店(当時)の藤田田氏(田さんのお父さんはどういう気持ちでこのような名前をつけたのでしょうか)。一九七一年のことであった。マクドナルド創業者のレイ・A・クロック氏が日本市場でのパートナーを探していたところ、申し込みは殺到しており、レイ氏の手元には日本人の名刺が山となっていた。そんな中からクリスチャンディオールなどの海外ブランドを逸早く日本に紹介していた藤田の海外貿易における交渉力が高く買われたのだった。

マクドナルドハンバーガー 日本第一号店をどこに出すかがまた、問題だった。アメリカ本社は郊外を要求する。しかし、銀座八丁目の藤田商店本社から銀座を見つめていた藤田の判断は、「銀座四丁目、三越の一階」だった。日本のモータリゼーションもまだ成熟していなかったので郊外店は時期尚早とアメリカもあきらめ、三越への出店がきまったが、ここでまた問題が起きた。

 「三越さんが営業中には改装工事をしてくれるなというのです。月曜定休でしたから、日曜の閉店後から火曜の開店前までの三九時間で、ショーウインドウを取り壊し、マクドナルドを建築しなければなりませんでした」(日本マクドナルド)
ハンバーガー ところが、この難題も事前に何度もシュミレーションし、現場に何百人も作業員を投入、夜を徹しての突貫工事で無事切り抜けることができた。

 藤田はマクドナルドを始めるにあたり明確なビジョンを持っていた。日本人と欧米人の体格の違いはどこからくるのか。日本人は牛肉を食べる機会が少ないのではないか。真の国際人を創出するにはまず食生活を改善して体位高上することだ。それなら牛肉を食べるという新しい食生活の創造をしよう。
ハンバーガー 私が子どものころは「すきやき」といいつつ豚肉を使っていた。そんな時代のマクドナルドは「ハレ」の日の食べ物であった。いまは特別なものからスタンダードなものへ変化している。マクドナルドは日本人の食生活を明らかに変えたといえる。バンズを半分づつはぎとって二回にわけて食べた話をすると日本マクドナルドの広報担当者は「『日常の笑顔』に変化していますが、今の子どもにとってもビックマックがあこがれなのは変わらないんですよ」と笑ってくれた。うれしい話ではないか。

毎日新聞を改稿


2005年4月12日更新
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