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第三十三回『ポコチンの先に、赤い粒々できてんねん困惑も、包茎モノ的普通の汗疹だったトンちゃんの<性病やろか>事件。』
「確かに、俺なんかも、若い頃と全然違い陰毛の中に蹲るようについてるけど、パラパラを踊る感じで時々はプーッと膨れるネ」なんて、訳のわからないどこか現役意識強調を感じさせながら勃起話をする中高年仲間がいるが、いかにも減退と言いながら僕からみると全然減退でない話も、多い。
例えば、ソノ角度にしても、「腹につく程だった十代に比べると全然やでェ」と広げた手の<人差し指角度>位を言うのであるが、現在、<小指角度>を必死で守っている僕なんかに言わせれば、ソレは中高年では文句なしのビンビン域。減退意識基準が全然違うのである。
違うと言えば、<精通>休験もそう。東京下町育ちである友達のT氏などは「普通じゃないの」と言うが、小六の時偶々銭湯での股間洗いの最中に突然の精通・射精を経験。その不思議な気持ちよさから小六で彼のマスターベーション生活が始まるのであるが、表現も「せんずり」がピンとくるとこだわりを持つT氏のその早熟加減には奥手の僕などビックリである。
僕の糖尿病話から、「中学三年生になるまで精通と言うことを知らず、チンポコから出る白いモノを見て、僕はその糖尿病なんだとずっと思っていたんですヨ」と、これまた凄〜いと思う話をカメラマンのK君から聞かされ驚いたのであるが、僕も、中学一年の頃にマスターベーション習得?に没頭していながら精通を知らず、実際には、中一のある朝起こったパンツにシミばりばりの突然の自分の<変な寝小便>がソレであることに全然気づかずにいた組。勿論、自分の精通を暫くして認識するのであるが、セックスは、訊くと千差万別。思春期・中高年期も下半身は面白厄介である。
面白厄介な下半身と言えば、やはり、若くて日々集団生活で性的刺激に溢れていたS荘生活の頃が一番だろうか。
僕のセックス経験がパ〜ンど弾けた時期でアレコレと周囲での騒ぎも多く、結局は何でもなかったという<トンちゃんの性病疑惑騒ぎ>があったのも、グループ・サウンズブームが下火になった一九七〇年・昭和四十五年頃である。
彼は、会社専務の家のコで、一人っ子・色白モチ肌・光る七三分けと揃った三拍子+なぜか煙草で歯の裏真っ黒の一拍子付き「箱入り息子」。それこそ極めてオットリ系優柔不断坊ちゃんだった。
初めてアパートに来た時は、母親に付き添われて各部屋を回っての丁寧な挨拶をした彼もS荘生活に慣れると大胆になって行き、ついにはマージャンをしながら<アレは良かった〜>と初体験の夜に二回お願いしたことを度々告白。燃える自分をアピールするようになっていった。
それこそ微妙に怪しい大阪弁で、「誰か一緒にまた行かへん?」と東・南・西・北に目線を送る程、周囲に誘いをかけてくるように<下半身厄介坊ちゃん>に変身するのであるが、あの厳格な<ママ>が、童貞喪失を知ったらどんなコトになるやらとマージャン時には周囲からよく冷やかされていた。そのトンちゃんが、ママには死んでも言えない困惑を抱え込むのが<性病やろか>事件である。
その時は銭湯でのハシャギ振りもどこかおとなしく、マージャン中いつも賑やかな彼が口三味線も全然と思っていたら案の定股間は凄いことになっていて、ついに「ポコチンの先に赤い粒々ができてんねん、性病やろか。痛くはないんやけど」の何ソレ〜発言の一発が出た。テンションが低い所にポコチンがと言われれば、「それ、アカンでぇ」と牌をさぐる手が止まる程のチョットした問題。東のヤッチャン・南の僕・北の総一ちゃんが一斉に、ン・ン状態になった。
「痛くないところがクセ者とちゃう、アカンでー」と普段から遠慮のないヤッチャンが否定をしない感じで揺さぶりをかける。総一ちゃんは「最近、行ってないヤン」と彼の安全を指摘するのであるが、「すぐにすぐ症状出てこんでェー」と再びギクッとなる発言を碑を捨てながらヤッチャンがかます。この時には、黒ぶちメガネの奥のはれぼったいトンちゃんの目は全然笑っていなくて。
僕の場合は例外と言うか、ずっと遅かった女性初体験であるが、童貞のまま地方からS荘に出てきた者のほとんどは、大体、一年の夏から冬にプロの女性で初体験を済ます。童貞喪失については、総一ちゃんやトンちゃんも一年の冬だったかに揃って経験済の身。女の子を次々にひっ変えて交際していた総一ちゃんとは違い、女体に目覚めたその後のトンちゃんは、長男としてママの監視があるのか女の子との交際話は全然聞かず、けっこう頻繁にソコヘ出かけていた気がする。
あの頃は、エッチイス使用でスコスコシュッシュとお世話になるソープヘ通う話は滅多に開かず、ズバリそれ一本。完熟甘襞でのピストン連動を堪能するそっちの店へ何人かで出かけて朝帰りといった顰蹙モノ報道として騒がれた<ステテコ○協親父買春ツアー>のようなパターンがS荘では多かったように記憶するが、それでもダイヤモンド・ディズと言えるようなまだまだ良い時代は時代。僕の初体験より三年程早い彼らの場合、何やらソコは<学生割引>みたいなモノがあって一回四、五千円でお相手して頂いたような話を僕は聞いた覚えがある。
確かに、日夜マスターベーションの僕とは違って性交事実が豊富にあることはその手の病気を貰うチャンスもまた豊富にあったと言えるわけで。
その時、当然、まだ童貞の身の僕は、牌を弄りながら目前で繰り広げられるアレコレ激論に少し困惑しながらもその話を参考話として聞いていたが、ただ、触れるのは自分の右手・指だけであるから安全そうに思えるマスターベーション勤しみ生活も、交通事故みたいに突然、不潔な手でのソレが原因と医者に強調される尿道炎や膀胱炎になるわけであるから、プロの女性とセックスしたポコチンにできた赤い粒々のソレがタダの汗疹とは極めて考えにくく、絶対性病でないとは言えないと僕でも思った。
十七歳で喪失・普段からどこか知的なヤッチャンの「泌尿器科に行った方がエエでぇ」と、銜えたセブンスターに赤い百円ライターで火をつけながらズシッと股間と心臓にヒビく一言に、結局、マージャンを途中やめしてヤッチャン付添いで駅前向こうにある泌尿器科へ行く話にまとまり、バタバタバタと誰も部屋からいなくなった。
ところが、その後暫くして帰ってきたトンちゃんの表情は意外でマージャンの時とは別人のように明るく、駅前向こうの医院で診てもらった結果、包茎の男性に時折見られるような不潔が原因でできた普通の湿疹であることが判明。
「淋病やと痛いんやけど、何やろ。痔いんやろか」と、騒ぎの後でアパートに寄った佐藤君と一緒にネスカフェを飲んでゴロゴロしている所へトンちゃんの優柔不断ルンルン的な声が階段の所で聞こえ、演説よろしく「僕、ブリーフ毎日はきかえてて包茎やないんやけど、病気と違ってヨカッタ〜」と盛んに清潔を強調していた。が、トンちゃんの場合は半分真実であって、そのナニも上品なお坊っちゃん系ピンクタイプであって後頭部ハゲと言うか、いわゆるズル剥けではない。
トンちゃんの<無事診察お土産>のコカコーラを、持ち寄ったコップに注いで、結果を待っていた皆で<乾杯〜ッ>の騒ぎとなったのであるが、勿論、その夜の銭湯では、性病疑惑・体験が話題の中心となる賑やかな横で、性病の心配とは無縁のナニと両手を極めて念入りに洗った僕である。
「黒猫のタンゴ」のヒットがあったり、TBSの「時間ですよ」が銭湯シーンでのヌードシーンでワイワイ言われていたや大学一、二年の頃は、まだ<エイズ>のニュースも出てなくてセックスの後で血液検査を受けるようなことはなく、コンドームも性病を防ぐと言うより妊娠を避ける目的で使用されていた感じが強く、簡単になる淋病はけっこう蔓延。佐藤君説では、毛ジラミも割合ポピュラーなトラブルであったらしい。
僕が大学を卒業した後位、歌手復帰宣言した森昌子・桜田淳子・山口百恵の中三トリオが、鉢巻き姿の若者をマスターベーションの夜にはブヒブヒ言わせていた一九七三、四年頃からセックスでの性病感染が日常的に言われて血液検査を受けた話も周囲に増え始め、結婚する昭和五十八年頃には、親父に言われて僕はエイズ検査を受けた覚えがある。
マスターベーションに勤しむ時期が長かった僕に、トンちゃんのような性病疑惑騒ぎはないが、何回か尿道炎・膀胱炎経験がある。
幅の狭いベットに横になって、股間・睾丸・尻丸出しの格好で手術用のようなピッチリ手袋をした指を肛門から挿入されての屈辱的グリグリは勿論、膿の有無を確認するための萎み切ったペニスをグリッギュッと絞り弄り回される気恥ずかしさは極めて堪らない、その、ナンである。
2006年8月2日更新
第三十二回『レトロブームの中の輝き、熟したはしだのりひことロッテ歌のアルバム。』
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第二十七回『コタツ台に古毛布とくれば深夜マージャンとなって、どうやろの青春包茎話』
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第三回『ワッチャンの超極太チンポ事件』
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