第23回「しり取りの切り札「る」はカルタでも困り者」の巻
昭和四十年代、核家族化という言葉が出始めていたけれど、戦前の多子多産の結果か、父方にも母方にもたくさん兄弟がいた。だから、お正月には祖父母の家に十数人の親戚が集まる。僕の友人もたいがいはそうだったので、正月三カ日は地元で遊ぶことが少なかった。
「おばあちゃんちに行くから」「親戚がウチにくるから」ということでみんなと遊べないのだ。
では誰と遊んでいたのか。それはイトコや年若い叔父さんたちとだ。
今から考えると信じ難いことだが、凧上げや、羽根突きをやった。冬の透き通るような青空の中へ、グングンと凧糸が引っ張られていった右手の感触をいまでも覚えているし、白い息を弾ませながら、羽子板でカキーンと打ち合った木の響きが耳に焼き付いている。羽根は本当の鳥の羽。先端が豆のような堅いもので出来ていてバトミントンと違って全然弾まない。かなり至近距離で向き合わないとボレー合戦ができない。漫画の中では失敗した方が墨を塗られていたけど、さすがにそこまでレトロではなかった。
近くの本屋は一月二日から店を開けカルタや双六を売った。それらは当時の人気漫画のキャラクターもので、五十音が覚えられるようになっている。「つ」だったら「つよいぞ 僕らの せいぎの みかた」なんて風に書いてある。印象的だったのが「る」。「る」はどのカルタも文言を考え出すのに困っていたようで、「るりいろの……」というのが多かった。小学校前の僕には「瑠璃色」なんてわかるハズもなく、「るはむずかしいなあ」と思っていた。確か苦し紛れに「るるるるっと でんわをまわす」とかいうのもあった。当時はダイヤル式電話だったからだが、なんだそりゃって感じだな。
双六は新聞紙大くらいのものを八つにたたんであり、サイコロは付属のボール紙を切り抜いてノリで貼る。ボタンなどを駒にして、サイコロの出た目だけ進む。誰が考えたか「一回休み」というマスがあり、ここに止まると悔しかったものだ。ゲームを共にする仲間ごとにゴールの方法が異なっていて紛糾した。例えばゴール寸前三マス前だとすると、サイコロの目が「三」以上だったら上がりとするのか、「五」だったら一度ゴールまで一、二、三と進めて、四、五と二つ戻らなくてはいけないのかという違いだ。僕らは大概は後者の方がなかなかゴールできなくて面白いのでそっちを採用していたが。
月日は流れ、イトコも大きくなり、若い叔父さんも結婚し、僕らと遊ばなくなった。今はテレビの「隠し芸大会」などが正月遊びを僕らの代りにしてくれている格好だ。そう考えると正月の風物詩となった箱根駅伝も、テレビで観る双六のようなものなのかも知れない。
子どもがおおみそかにやること ついこの間まで夏だと思っていたら、もう今年も終わり。月日の経つのは早いものだ。……というのが毎年くりかえされる一年の感想なんだけど、お正月の前の大晦日というのはなかなかに味わいがある日である。
●毎日小学生新聞を改稿
2007年1月11日更新
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