第14回「マボロシのお菓子(1)」の巻
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会社の休憩時や酒の席でバカっ話をしていて、子ども時代のお菓子の話題で盛り上がることがある。「そうそう、あった、あった」とお互いにキャハハと笑っている内は良いが、突如、魔の刻が訪れる。
「えーそんなの知らない」とか、「それってローカルな菓子じゃないの?」と、急に座が盛り下がる時だ。言い張っても言い張っても拒絶される。多勢に無勢は形勢不利。
「多分、私の記憶がお菓子いんでしょう、なんちゃってー」とヘタな洒落を言って引き下がる羽目になる。でも内心は納得していないゾ。そして決意するのだ、「もう、この話はしないようにしようっと」。
記憶力が良いばかりに、誰に話してもわかってもらえない思い出が、誰にも、一つや二つあるに違いない。
私の苦い思い出は、昭和四十五年頃売っていたチョコレート菓子。チョコの他に、マンガの豆本が付いていた。小さい頃から活字中毒気味だったので、このマンガ本が欲しくて、近所の商店で良く買っていた。カバヤの「アイスクリームガム」の近くに置いてあったなどと、配置まで鮮明に覚えているほどだ。TVCMもやっていた気がするのだが。
このお菓子、誰も知らなくて話すたびに「まーぼろしだよ」といわれ、いつもクヤシイ思いをしていた。ところが先日、霧が晴れるように判明したのだ、高校時代からの親友の奥さんが「あれ、アタシも好きだった!『少年ページ』でしょ」(イラストレーター 昭和三九年生)という。
おお、そうだったのか。しかもメーカーは「和泉製菓」であることも判明。アイスやウインナチョコを出していたこの会社はそのうち「ウインナ製菓」と名称が変わるが、後にカネボウに合併される。まあ、そんなウンチクは置いといて、永年のギモンを解決してくれた彼女が天使様のように思えたひとときであった。
こんな風に自分だけがおぼえている「まぼろしの菓子」というおぼろげな記憶がけっこう色んな人にある。
「ちょっと高級な大人向けで、透き通った固い大きめの水あめ味の中に、チョコのドロリとしたのがはいったキャンデー。メーカーは忘れてしまいましたがおいしかった。大人の仲間になりたくてスーパーで母にねだっては買って貰いましたが、二十年くらい前にふときづいたら売っていませんでした。もう一回なめたいな。中のチョコ最高に良かった」(昭和三七年生 長野県)
あ〜これは、「ちゃおちゃおっとなめちゃおっ」のCMで有名な「チャオ」ですね。飴の部分はあんまりおいしくなかったけど、私もチョコ目当てに買ってもらったものだ。確かさくま製菓だと思うが、さくまには漢字の佐久間とカタカナのサクマの二つの会社があるから気をつけなくちゃいけないぞ。ええとこれは確かカタカナの方のサクマ、渋谷にある会社だったな。
「小学校の頃まではあったに違いない、確か「プクプク」とかいう名のジュース粉末。水に溶かすとオレンジジュースとともに魚が浮かんできていた。ジュースはおいしくなかったがぷくぷく浮かんでくる魚を楽しみに買っていた。もう一度見てみたい」(昭和四五年生 福岡県)
明治製菓の話では、プクプクは昭和五十四年に発売。固形物を水に入れると、ガムが浮かんできたそうです。十年くらい発売した後、「プカプカプッチン」という忍者が浮かぶものに変わり、その後、ゴジラなどにリニューアルしながら、平成五年まで出てという。
「形・大きさは病院でくれるトローチに似て、白一色で、味の方はクールミントってかんじだったように思う。遠足でバスに酔ってしまった時、これか都こんぶを口の中に入れると治っていたように記憶している。カロヤン(養毛剤)とかカロゴン(車)に似た四文字の名前だったと思うんだけど……カルリン?カロリン?」(昭和四三年生 香川県)
一瞬、知っているのにわざととぼけてるのかと思ったよ。それは明治製菓のカ・ル・ミ・ン。カルシウム+ミントで「カルミン」。
「今でももちろん作ってますしスーパーでも買えますが、どこにでもあるものではないようですね」という明治製菓の話だ。つまり昔からの根強いファンがいて、それなりの売り上げが見込める店でしか売っていない訳。数年前にOLの間で密かなカルミンブームがあったりしたから、なかなか侮れない。
こないだ、埼京線の吉川駅にカルミンの自販機が置いてあったけどこれは紙箱入であった。しかも原産地がシンガポール。キーホルダー付のディスペンサーもあるし、だいぶカルミンも進歩したものだと思う。七十五年にもわたるロングセラーだからな。似たようなので「森永ピース」というのはどこへ行ったかなあ。
「小学生時代「てなもんや三度笠」の中で藤田まことが「あたり前田のクラッカー」とCMをやっていたクラッカーがあった。両親共稼ぎで祖母が主導権を握る私の家庭では、お客様に出す茶菓子の外は人の目に触れない所にあり、おやつは一切許されていなかった。友人三人とそろばん塾にかよう道中を交代で持ち寄り食べようということになり、困った私は茶ダンスの隅からやっとこのクラッカーを見つけた。田んぼの中を歩きながら食べたこの味はしょっぱくて、外国の味がするような気がした。高校生になって、少しおこづかいがもらえるようになり、もう一度前田のクラッカーが食べたいと思ったが二度と口に入れることはできなかった。どうしても食べてみたい「あたり前田のクラッカー」です! この会社はもう無いのでしょうか。(昭和二八年 北海道)
会社はまだありまして、クラッカーも大阪で売ってます。「クリケット」というビスケットも発売中。関西ローカルなのかもしれませんが。
「誰に聞いても「それはゲンコツ」と言って私の話を否定するのよ。「ゲンコツ」という菓子は確かにありましたが、それじゃない。でん六豆の様な豆がふくろに入ってて、中をめくると、当たりが出て来てもうひとつもらえたんですよ。豆の色は茶色っ私て、確か、中にピーナッツが入っていたのよ。当たりが入っているのは豆の量が少ないということを発見してからは、保健所の帰りに友達と、手で重さをはかって買いました。どうか全国の人に呼びかけて名前を思い出させて! 死んでも死にきれんこの名前を知るまでは」(昭和三四年生 宮城県)
これを含め、以下は超個人的だったり絶版商品で私の手には追えません。
「今思うと、幼児虐待だが、私は時々、鍼灸院でおきゅうをすえられていた。カンの虫だかおねしょだか忘れたがあの時代、地方の教養のない家に育ったことが不憫だった。ただ、おきゅうのあとでもらうあのお菓子を恋しく思う。お煎餅に青のりの様な物と砂糖がシロップになっていてしけた味がたまらなくおいしかった。泣き疲れた体に最高だった。も一度食べたい」(昭和三六年 奈良県)
「「グリコパピー」(といったと思う)。ハート型のコーンパフにいちごコーティングしたもの。男の子用と女の子のおまけの着せ替え人形が良くできていた! 小学校低学年位の頃のお菓子です。お菓子はともかく、あのふくろは、もう一度見たい。服、靴、の着せ替えがかわいい。いろんなバージョンがあってあきなかったよ。プラモみたいで」(昭和四五年 大阪府)
「私が食べたいと思い出しているのは「フランスキャラメル」です。フランス国旗のような箱に、三種類の味のキャラメルが入っているのもです。グリコも森永も好きだったけど、このフランスキャラメルは大好きで、お出かけの時の出先でぐずらないため、文字どうりのあめとして買って貰いました」(昭和三二年 新潟県)
みなさん知っていますか?
●報知新聞と毎日新聞を合わせて改稿
2005年5月27日更新
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