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トランポリン松岡 ←クリック

第三十五回『ラジオの深夜放送をBGMに、セックス話で股間グッショリ。また懲りずに、<女性経験>を鼻息荒く聞いた冬休み帰省前深夜』似顔絵


 このところグ〜ンとナンで性生活には役立っていないソレを持て余し気味の僕であるが、酒の席ではつい猥談で弾んでしまう。大抵は、誰かの絶好調話になるのであるが、猥談でもどこか思春期独特のピュアさが溢れていたのが学生アパートS荘時代。若さから物事あれこれズバリ言う割りには、他人を傷つけないフェアさにも溢れていた。
 特に、十代・二十代に抱え込む困惑からセックスは外せないが、その迷いへの大まかな回答は雑誌や親父から得て、実践を友達から学んだと言うのが僕の場合。初めて親元を離れたS荘暮らしの中で、同年代の赤裸々なセックス体験状況を知り、銭湯通いから、それまではどれも似たようなモノと意識しなかった男性自身の大きさも万人万様に違う実態にショックを覚え、穏やかな箱庭の中のような田舎暮らしを過ごしてきた僕の<初めて>で溢れていたのがS荘時代なのである。
 どこか経験豊富に思える友達とのコタツ台でのマージャン中に東南西北と飛びかう雑談にも、セックスの話題は日常茶飯事。性体験談で溢れていたあの頃、僕が<刺激的耳知識の夜>を過ごした一人に、山さんがいる。
 初めての大学冬休み帰省が受講の関係で皆より遅くなり、大学が違うことから普段それ程親しくはなかった三回生の山さんに声をかけられ、パチンコに食事・銭湯にと三日間一緒に過ごしたことがあった。
 夏・冬のような少しまとまった休暇に入ると普段寄りつく仲間も途端に来なくなり、あの時は、丁度、総一チャンが帰る火曜日に五人でボーリングへ出かけてハンバーグカレーを食べたのが、騒いだ最後だった。

 最近はそれ程でもないが、懐かしい昭和四十年代のあの頃はボーリングはけっこう人気で、ヤッチャンのグレーのスカGや総一チャンの黄色いサニーに分かれて五、六人で乗り込み、安くプレイできる<早朝ボーリング>に出かけ、帰りに喫茶店でモーニングを食べるパターンも多かったのである。
 僕がボーリングを始めたのは、高校生だった昭和四十二年頃。ちょっと熱心なヤツは、忽ち、黒ボール・黒バッグ・シューズの三点セット持参でのプレイが当たり前になるくらいの大流行で、職業としてもプロボーラー・ブームとなり、合格条件が三ゲーム平均二百九十点以上だとか言いながら、大学時代には佐藤君が一時プロを目指していた覚えがある。当時、男子プロは、頭角刈りのオッサン風ボーラーが多く若いイケメンボーラーは不在で、どちらかと言えば女子プロに人気は集中していた。
 現代風に言えばカリスマボーラーと言うか勝負強く華麗で美しい中山律子プロは国民的な爆発的人気を博し、テレビ・CMでも「リツコサ〜ン」と呼ばれて大活躍。ボーリング番組がレギュラー放送されて高視聴率をあげ、昭和四十五年・一九七〇年の万博頃は、ボーリング熟も最高潮に。しかし、同じ頃、失神者続出で若者が激しく熱狂していたあのグループ・サウンズ熱が五年程で下火になったように、オイルショックの起こった昭和四十八年頃には、あれ程凄かった世間のボーリング熟もまたアッサリやんわり冷めていった覚えがある。

 さて、帰省都合で一緒に過ごした山さんとの三日間、実はあの時も、深夜には山さんの<セックス初休験からハウツウ等>の拝聴となった。芸能記者の暴露談ではないが、五十五歳を過ぎた今だからこうして懐かしがって書ける股間グッショリ体験だったのである。
 毎年そうだったが、年末年始のS荘は、ほぼ住人がカラッポ状態になる。冬の<海の家>の暇な夫婦みたいな静かなノンビリ生活を過ごしたわけであるが、昼間はパチンコや喫茶店に出かけ暇をつぶし、夕食・銭湯を済ませた深夜は小型電気コタツでの語らいとなり、これが、世間話が出尽くした後は話のネタとしてけっこうお互いのことを話してしまう。
 例えば、彼の実家は薬局。親の後を継ぐため薬科に進みたくて受験をするものの合格できず、結局、諦めて法学部に紛れたそうで、実際は二浪。僕より四歳程年上であることや、どこか品のある顔に小柄でムチッと小肥りな体付きからは想像できない柔道部だったことも初めて聞いた。また、一九七〇年代、コーヒーと言えば牛乳やクリープ、あるいは調理用としてのスキムミルクだったが、親から送られて来る店の商品<赤ちゃん用粉ミルク>を牛乳代わりにいつも飲んでいるといった彼の噂が噂ではなく真実だったことも知って、これにはビックリ。体に良いからとトンちゃんがママに持たされて来たスキムミルクをマージャン時に作って皆で飲んだが、これがイマイチ。僕は、何杯入れても薄味で頼りないそのスキムミルクをコーヒーに入れて飲むことはほとんどなく、商品的には「ニド」と言うクリープに似たなヤツもあった気がするが、その水っぽい薄甘さが嫌で僕は黄ラベルのクリープ派。勿論、赤ちゃん用粉ミルクを飲むなんてことは考えもしなかったのである。
 当時は、部屋にテレビが常識のような生活でもなく、後年出てくるテレビ音声が聴けるラジオもなかった。大抵、AM・FM付きラジオで深夜放送を聴くといったところが普通。「オールナイトニッポン」だとか「走れ歌謡曲」、ビーバー・モコ・オリーブといった女性や誰々の何とかを聴きながら、人気の瓶コカコーラやチェリオ、インスタントコーヒーを飲みながらアレコレ話し過ごすのがごく当たり前の深夜生活だった。
 そんな深夜放送を適度に小さい音でBGM風に聴きながらの三日間、男二人向かい合って小型の電気コタツで過ごす深夜となると、話題はどうしてもそれも唐突に、お互いの彼女や女性経験談になる。

性体験談,チャールズ・ブロンソン

 あの頃の出来事である<大阪万博>や、女性ファッション誌<アンアン>の創刊。テレビ番組<時間ですよ>やの<ウ〜ンマンダム>のテレビコマーシャルや歌の大ヒットといった流行話から三島由紀夫割腹自殺話くらいは話しても、細かい政治・経済話にはならず、将来の夢なんて話も出ない。
 ネタが尽きたところで話題として、当然、その<性体験披露>が始まったわけであるが、そうなると、語る経験もない童貞の僕は暫く聞き役となり、山さんペース。
 慣れた手つきで赤ちゃん用ミルクをかき混ぜながら「自分、童貞とちがう?」なんて、いきなり股間への容赦ない突っ込みも炸裂。嘘も何も、あっさり童貞を認めた僕に、「やはりネ」と彼。どうもセックスの話になると、話す口調や聞く時の目つき・手の動き、息使いに童貞独特の興奮反応・動き・間があるそうなのである。

 深夜、結局はその話題に落ち着くセックス初体験、S荘出入り仲間でも<喪失話>で多いのが十七歳。山さんもそうだったとかで、相手は四歳程年上のスターの誰似でもない友達の姉さん。
 セックス初体験となると、プロに委ねるにも場所さえ見つからず三十歳を過ぎても堂々の童貞の日々を結婚・初夜まで過ごすしかないと言う程にコトは簡単ではない田舎出の僕なんかと違い、ズバリ<大人の階段上る〜>的に相手にリードされての山さん。同じように女性にリードされての喪失でも、三年後、三、四十代位のプロの女性でアッサリ喪失した僕と違い、山さんの場合は、嘘のようなパーフェクト喪失だったのである。
 何せ借りたノートを返しに友達の家に寄った所、本人もいなくて姉さん一人。経験してみる?みたいな<つまみ食われ>的誘惑に乗っての成り行きを強調する辺は、微妙にやや<選ばれた男自慢>ともとれる彼の初体験談であるが、確かに、数年前はキャシャで小柄な顔も可愛い一重のスキッとした母性本能を擽るタイプだったのかも知れない。
 ただ、それがベッドではなく畳の上。下半身だけ露出させて体を重ね生々しく腰を使う永島敏行の青春映画みたいで凄いと僕は驚いたのであるが、ベッドのシーツにつくそのナニのシミを気にしてと聞いて、何となくセックスの現実に納得。
 まずは全裸ではなくブリーフ一枚で並んで横に。ブリーフの上から姉さんの細い指や掌が硬化秒読み状態の彼のソレ独特な凸形に沿ってウリウリとネットリ動く愛撫で彼は一気にブリーフを脱いで、反応カキ〜ンの武勇伝。
 勿論、そうなると全裸で抱き合いも一気の話。渡されたゼリー色のコンドームは足元に転がり、キスと言うより口嘗め状態からのリードされる中で乳房や乳首への愛撫なんて頭に全然ない彼の手が、微妙に潤いを持つ彼女のソコへ強引に。肌とは連う微かな凹凸触感の肉襞を三本の指でされるままに擦るうちにヌルヌルの纏わり付くその指腹が下げられ、息をするような穴へ吸われ、忽ち挿入願望がムックリ。彼女を両腕で抱き押えるようにしてソコにべニスを当てがい突いたのであるが、コレがスルッスル。いくら何でもポルノ映画みたいにいきなり最初から彼女が屈曲位の態勢で両脚を開いているわけはなく、相当焦ったそうである。硬く反り返り棒状の彼のペニスは、羅針盤の中で振れる針のように左・右・上にクイクイ操るように跳ね、陰毛や割れ目付近を掠るようにツルツル逸れるばかりで予想外の挿入大苦戦だったらしい。
 結局、彼女に言われて一旦腕を緩め二人がかりでコンドームを素早く嵌めた後、ゆっくり両脚を開いた彼女の手がソレを納まるべき甘襞穴へ誘導。ヌルヌルッと一気に挿入。根本まで滑り込ませ、そのまま再び腕を回して抱き合い後はどうにか。勿論、ポルノ男優のように強弱をつけて激しくリズミカルなピストン運動ではなく単調な律動でパーツと噴射。総合タイム二十五分程での<初体験>だったそうである。

 ところが、山さんの体験話には微妙にパーフェクトでもない続きがあって、彼の言う<つまみ食われ>も、余裕もムードもない柔道の寝技的なグイグイ攻める激烈挿入と、余りにもソレ目的に頻繁にかける電話で嫌われ、ついには「誰々に比べたらチッちゃくて下手」と金蹴りを正面に食らった程の衝撃的理由での別離通告。柔道部の中でもそれ程見劣りしないと自信があったらしい山さんであるが、既に外国人の超極太十八センチが知られていた頃。銭湯でタオルでチョコッと覆っていたことから本人が言う程でもないように僕には思えた自信の代物の挿入にも少し慣れた三度目を最後に、気持ち良過ぎるソレは終了。
 その話を必死で聞く僕がどうやらズバリ童貞の動揺反応だったらしいのであるが、「まず先ッポを入れて上下に擦る」なんて説明されても、実際に、微妙に襞が重なっている女性器を押し開いたこともなければ指を入れてヌルヌル状態の穴に触れたこともない僕には、一番肝心なポイントである<穴>の位置や挿入感触といった所は実に曖昧。それこそ<試乗が本番>のセックス初体験、どうしても鼻息も荒くなるのである。
 例えば、山さんの言う、「突起物クリトリスの真下、尿道・膣そして肛門とある三つの穴の中で、十数センチに勃起したペニスがスルスルと自然挿入ができる穴は真ん中に位置する膣一つである」ことは常識的に理解できても、肝心のその実際の位置・性的興奮での潤いによるその挿入感触にしても僕には未体験ゾーン、バーチャル・セックスの世界。しかも、よくある<モザイク映像>風に一番肝心な結合状態部分がモヤ〜とピンボケな感じのまま刺激だけはモロ激受の僕は、正に山さんの言う男の激濡れ状態。興奮でペニスから漏れ出るハウパー線とかカウパー線とか言う男性粘液線からの透明な粘液でブリーフをグッショリ濡れさせ、いつも通りで鼻息荒く心臓はドキドキこめかみクラクラ状態。

 そんな耳知識に興奮・童貞の僕であったが、山さんには初体験後話があって、実はそれで僕は少しホッとした気分で帰省した。
 と言うのが、初体験後の女性遍歴を訊くと、これが何とオナニー生活に逆戻り。僕と三日間を過ごしたあの頃も、適当にオナニー生活であることをサラリ。初体験を済ませたその後は薬科受験・浪人生括に突入、栄光の<つまみ食われ喪失>が嘘のようなオナニー生活だったらしいのである。
 S荘に入ってから喪失で<アソコ狂いのトンちゃん>達と違い、山さんの場合、喪失後もプロ女性には走らず清楚で普通の娘専門狙い。理由はさすが薬局の息子と言うか、性感染症を極端に恐れ泌尿器科受診を恥としている彼は、安全セックスが毎晩でもできる結婚・初夜まで耐える覚悟を貫いての数年間。「オナニーで誰かに迷惑かける?」とまで彼に言われ、これまで感じたことない<喪失者の別余裕>を僕は感じてしまった。
 と、そうは言っても、島に一人取り残された若者が都会帰りの年長者から色気話を聞くように、刺激的な耳知識が増えるばかり。その度に興奮して股間をベットリさせながら一念勃起もなく、実際その後三年間、<喪失>と縁なく過ごした僕だったのである。


2007年1月18日更新


第三十四回『偶然のラッキー。超懐かしの娯楽活劇、月光仮面をみる。』
第三十三回『ポコチンの先に、赤い粒々できてんねん困惑も、包茎モノ的普通の汗疹だったトンちゃんの<性病やろか>事件。』
第三十二回『レトロブームの中の輝き、熟したはしだのりひことロッテ歌のアルバム。』
第三十一回『十九歳の僕、エルトン・ジョンを聴いていた頃。』
第三十回『芸能界情報月刊誌「平凡」と言えば、必見、若い性の悩み相談だった。』
第二十九回『中学生の頃は、東宝。それも<ゴジラ>ではなく、怪奇特撮映画の<マタンゴ>に大痺れ。』
第二十八回『四十年後、「タッチ」のあだち充君からの葉書と武蔵野漫画研究会。』
第二十七回『コタツ台に古毛布とくれば深夜マージャンとなって、どうやろの青春包茎話』
第二十六回『勿論、台は手打ち式。百円玉一枚でも真剣勝負の青春パチンコ。』
第二十五回『生本番ショー二万円への誘いも懐かしい、S荘の質素な青春。』
第二十四回『福チャンの告白。悶絶級・昭和パイプカット秘話。』
第二十三回『スーパーマンと言えば、懐かしい白黒テレビの無敵スーパーマン、ジョージ・リーブスが僕のイチ押し。』
第二十二回『僕の憧れ一九七二年の南極ワイフも、パックリ見せて十五万円也。』
第二十一回『テーブルにココア、今夜はもう一度、ミステリーゾーン気分。』
第二十回『昭和四十六年の白黒ポルノ映画と、露骨裏ビデオ。』
第十九回『青春大ショック、芸能界スター・美容整形の噂を知った日。』
第十八回『当たる不思議「私の秘密」と、死ぬほど笑った「ジェスチャー」の頃。』
第十七回『欧陽菲菲と膀胱炎でヒーヒーの僕と、NHK受信契約騒ぎの日。』
第十六回『微妙にウタマロ、チン長十四センチのセックス満足度』
第十五回『コンドームと僕と、正常位』
第十四回『再会、また一つ。僕のテレビに懐かしの少年ジェットが来た。』
第十三回『ユーミンとセックスと鎌倉、僕の二十七歳の別れ。』
第十ニ回『シロクロ本番写真と五本の指』
第十一回『永遠のオナペット、渥美マリ』
第十回『ジェームズ・ボンドのセックスとナニの話』
第九回『二十一歳の冬、僕とフォークと喪失と。』
第八回『大阪スチャラカ物と言えば、てなもんや三度笠で決まり。』
第七回『嵌った嵌った、森繁の社長シリーズとアレコレ』
第六回『ジュンとネネではなく、VANとJUNの話』
第五回『夏は怪談映画、あの映画看板も僕を呼んでいた。』
第四回『青春マスターベーション』
第三回『ワッチャンの超極太チンポ事件』
第二回『中高年男性、伝説のモッコリ。スーパージャイアンツ』
第一回『トランポリンな僕のこと、少し話しましょうか。』


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