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第15回
「マボロシのお菓子(2)」の巻

日曜研究家串間努

 酒の席上、こども時代の思い出話をしていて、自分の記憶が否定されることがあると前回書いた。
 共通体験をしているハズの地元の友達と話している時でさえ「えーそれ知らないな」と怪訝な顔をされることもある。「あの日、あの時、あの場所でキミは食べたじゃんか」と一生懸命5W1Hで説明して上げても首をひねるばかり。相手の記憶を私が持っているのだから、こんなもどかしいことはない。「ほら! これだよ」と脳味噌を見せてあげたい。

 そんな一つに「氷まんじゅう」(勝手に命名)というのがあった。小学二年の時、お祭りの屋台で見たカキ氷屋さんなのだが、このカキ氷、入れ物がない。手でうける。これじゃ尾崎放哉の自由律俳句だ。
 氷を皿に盛るのではなく、氷屋さんは、鋳物で出来た、チューリップの型枠を、手のひらに置き、その上に氷をシャカシャカとかくのだ。割箸を突き刺してそれが持ち手になる。
 ある程度溜まったらギュギュッと手で押し固める。そのオヤジの手は当然お金をいじった手だから汚いな。型を抜くとチューリップの氷だんごが出来あがる。オヤジは「オレ、表イチゴ、裏メロン」とか「全部レモン」と言う子ども達の要望に応え、場末の食堂にあるようなペンギン型のソース容器からシロップを垂らすのであった。氷が割り箸に付いているだけだから、不安定で落っことすヤツが続出してたな。これ、知りませんかね?

「小学校の頃、運動会に屋台が出ていました。そこで売っていたのがだれに言っても知らないシケンカンヨーグルト。長いのと短いのがあり、たけひごのくじをひいて、あかい印がついていると長いのがもらえました。色はいろいろあったと思います。ピリリとしたシゲキが好き。でもたぶん食品法で使えない物が入っていたのでしょう。子供心にもやばい味だなとは思っていました。今、それはありません。復活は無理だとしてもそれを知っている人に出会いたい私です。ああ〜助けて!」(昭和三四年生 東京都)
 これ、私は駄菓子屋で五円で買っていたゾ。桃色のとオレンジ色のがあって、竹ひごのくじ。この竹ひごを試験管の中に突っ込んでは、竹の先っちょをなめるのです。突っ込んではなめ……を延々繰り返すので中々減りません。お金がない時には時間つぶしに大重宝した。風のうわさでは、米の粉を蒸かしてすりおろし、粘り気を出した後、酢と砂糖で味付けしたものらしい。新聞記事で調べてみたら、なんだか使ってはいけない合成着色料を使っていたかどで禁止された「×××のジュース」というのがこれに相当するようである(あまり名誉でないので名を秘す)。

「オレンジガム」「私、思い出せない幻のガムがあるんです。きっとロッテだと思うんですが、私が三〜四才の頃、ブルーベリーとかのと姉妹品で、オレンジ味があったんです。なかなか美味しいんです。私のいとこも覚えているんです」(昭和四九年生 岩手県)
「ロッテグレープフルーツガム三〇円」 どーでもいいけど、この人は宇能鴻一郎センセイの小説のようなしゃべり方をするね。さて、ロッテの板ガムで「オレンジガム」というのは昭和三十年代の製品。昭和四十九年生まれの人にはチト間に合わない。そうなると昭和四十六年五月発売の「ロッテグレープフルーツガム三〇円」に違いまい。この年、グレープフレーツの輸入が自由化されたため、巷にはグレープフルーツ利用のガムやジュースがあふれたのだ。菓子なども社会の流れとは無関係ではナイことがわかる。私らの学校では給食で半切のグレープフルーツが出たな。ギザギザがついたナイフで回りを切りながら食べることと、果皮に刻印された英字スタンプに「アメリカ」を感じた昭和四十六年の夏であった。

「二十年近く前のことです。駄菓子屋さんで「さきイカガム」というのを見つけたので迷わず、友達と一緒に買いました。友達はゲーといってすぐ口から出しました。私は一応食べてみたけど、平たくてちょっと白い粉のついているような太いゴムの輪をかんでいるみたいで、やっぱしゲーッと出してしまいました。ロッテからでていたような気がするのですが、あのようなガムが開発され、商品化されたということがいまだに不思議です」(昭和四〇年生 福岡県)
「白い粉がついているゴム」という表現がリアルだね。まずロッテへ聞いてみた。「資料を梱包中のためわかりかねます」とのこと。そうだ最近、明治チューインガムがスルメのガムを出していたな。
「おたく様ではスルメガムを出してなイカ?」
「大人気分スルメ味というのを平成七年に出しましたがすぐに止めました。どこのメーカーさんかわかりませんが、このガムは以前あった『スルメガム』を踏まえております。これは甘くなかったようですが、ウチで出したのは砂糖を入れたので甘くて受け入れられなかったようです」……結局解決できなかったが怒(イカ)らないように。昔はスルメは珍味だけでなく駄菓子の一分野だったから、こういう商品もあったのだろう。

「私が気になって気になって仕方がない飲みものの話を聞いて下さい。横浜の保土ヶ谷で育った私。小さい頃はもちろん銭湯通い。そこにあった飲物が『パイゲンC』。小さい瓶で紙キャップの乳酸飲料。時々キャップがくじになっていて当たりが出ると小さなおもちゃがもらえていた様子。ちなみに南区で銭湯育ちの主人は『そんなもの知らない!』といいます。なつかしい、なつかしい『パイゲンC』」(昭和四一年 神奈川県)
 体言止めの連発で、なんだか一遍のポエムのようだな。ふふふ。私のオヤジは明治牛乳に勤めていたのでパイゲンCはおなじみさ。裏ふたにはケンちゃんのような顔が刻印してあり、「もう一本」だったね。小さなおもちゃというのは、プラスチックの小鳥の模型だったでしょ? でしょでしょ? ……などと二人で盛り上がっていてはいかんいかん。明治乳業に聞いてみたけど担当者が席を外していたため、次のことしかわからない。
「パイゲンCはもうありません。一時、スーパーで『パイゲン』という名で三本入りの紙容器は出しましたけど、今は『パイゲンA(エース)』というのが東海地方で宅配されているだけです」

 宅配かあ。どうしてもとあれば、横浜から東海地方へ引っ越しなさってください。それが無理なら、似たようなもので「明治メーピス」(昔、乳酸菌飲料の合弁を作った明治乳業+カルピスでメーピスなのだ。)というのが、JR秋葉原駅の五番ホームの牛乳スタンドにあるけどダメですか?

週刊文春を改稿


2005年6月29日更新
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[ノスタルジー商店「まぼろし食料品店」]
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第13回「日本のお菓子に描かれたる外国の子どもたち」の巻
第12回マクドナルドが「ジャンクフード」になるなんての巻
第11回「カタイソフトとヤワラカイソフトとは?」の巻
第10回「桃屋」の巻
第9回「SBカレー」の巻
第8回「クリープ」の巻
第7回「中華まんじゅう」の巻
第6回「回転焼と大判焼と今川焼の間には」の巻
第5回「キャラメルのクーポン」の巻
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第3回「食品の包装資材の変化から見る食料品店」の巻
第2回「名糖ホームランバー」の巻
第1回「グリーンティ」の巻
[ノスタルジー薬局「元気ハツラツ本舗」]
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