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「テレビむかしむかし」タイトル

ノスタル爺

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第14回 1966年(昭和41年)


 「貴女は洋画が好きだったね。テレビで洋画のレギュラー番組として初めて登場したのが、今でも続いている『日曜洋画劇場』なんだよ。ただし、66年は土曜日に放送されていたので『土曜洋画劇場』だったけどね。翌67年に日曜日に移って『日曜洋画劇場』になるんだ。この番組が画期的だったのは、放映される映画の鑑賞ポイントを番組の最初と最後に解説したことなんだ」
 「その解説をしたのが淀川長治さんでしょう。淀川さんて、有名な映画評論家だったの?」

淀川長治

 「淀川さんは、『映画の友』という映画雑誌の編集長でね。以前に『ララミー牧場』というテレビ西部劇の解説をしていたんだよ。その解説ぶり実に愉しく、わかりやすくて、同じ局の番組だった関係から洋画の解説も、ということになったんだろうね」
 「淀川さんの解説は、本当に映画が好きで、好きでたまらない、といった感じだったね。だけど私、放送時間にあわせてフィルムがカットされたり、テレビ用にトリミングされた映像は好きじゃなかったわ」
 「当時はワイドテレビはなく、画面も現在ほど大きくなかったから、シネスコ・サイズで放送すると小さくて見づらかっただろうね。フィルムのカットも放送枠の関係から仕方ないかなァ。番組当初は、放送局が用意した映画リストから、どれとどれがテレビで放映可能か淀川さんがチェックしていたので、テレビで観ても違和感がなかったんだけどね。私は洋画のテレビ放映で一番良かったのは字幕でなく吹替えにしたことだと思っているんだ。洋画ファンなら字幕に慣れているけど、洋画なんか観たことのなかった人にとって字幕は煩わしいからね。映画ファンの中には、テレビの洋画劇場から映画が好きになった人が多いんじゃないかなァ」
 「私も、そのひとり……」
 「初めて登場したといえば、東宝怪獣映画の特撮を担当していた円谷英二監督がテレビ向きに製作した『ウルトラQ』も画期的だったね。普通のテレビ映画の3倍から4倍の費用をかけ、映画に負けない特撮だった。内容も大人の鑑賞に耐えうるものだったね。子供たちが『ウルトラQ』に出てくる怪獣にハマり、全盛をほこってきたアニメ人気を一気にくつがえし、新しいテレビ特撮ブームの扉を開いたんだ。『ウルトラQ』の次に登場した『ウルトラマン』は、この頃小学生だった世代が“ウルトラマン世代”と称されるくらい超人気ヒーローだったんだよ。嘘か本当か知らないけど、小学生の男の子に自由に絵を描かせると、90%までがウルトラマンかマグマ大使か、それに出てくる怪獣だったそうだ。団塊の世代とは異なる価値観を持った世代が形成されたと言ってもいいかもしれないね」

参考資料:テレビ50年(東京ニュース通信社)、テレビ史ハンドブック(自由国民社)


2005年7月22日更新


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