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第三十六回『十代の頃、ペニスケア使用の塗り薬は、メンソレータムと、福ちゃんも愛用・松山容子が宣伝していたオロナイン軟膏だった。』
中高年の僕らの打ち合わせと言うのは、「知ってる〜」とか言ってアレコレ雑談を兼ねるのが普通である。
先週も、コーヒーを飲みながら、納屋を改造した店舗流行りや昔の田舎暮らしなどを話したのだが、「俺ンチなんか風船をくれる置き薬、アレあったスヨ。固い箱がついてて」とK君がコーヒーを量り入れながら、懐かしい話を持ち出した。
そうなのである。昭和三、四十年代、確か、我が家にも祖母が買い求める富山かどこかの懐かしい<赤・青箱入り置き薬>があったが、頭痛や発熱といった具合に何種か揃えられていた置き薬を服用した記憶は僕にはなく、僕の場合を言えば、人前では微妙な話題であるところのペニスケア用として中学生頃から使用の塗り薬のメンソレータムとオロナイン軟膏だろうか。
勿論、コーヒーを飲みながらの懐かしい田舎自慢の時に、四十年以上も昔のペニスケア塗り薬どうこうなんて口が裂けても言えない記憶話。第一、昔と違い最近はパッとしていないオロナイン軟膏話で盛り上がれるのは、福ちゃんくらいだと今でも思っている僕は話さなかったのだが。
当時、万能塗り薬として我が家にあったメンソレータムは、切り傷や痒みに効き微妙に薄黄色で塗るとスーッとはするが、べ卜〜ッとグリースぽく患部や指・手に残る。オロナイン軟膏は、白くて匂いも質も化粧クリームぽくやはりベトッとはするがメンソレータム程には手・肌に纏わりつかず、これもまた切り傷や痒みでの塗り薬である。
この二つ、最近はCMも見ないしチビまるこでやっているらしいが需要がないからか塗り薬として余り聞かないが、当時はそれこそ宣伝効能ズバリ信用といった感じで大正生まれの父が、切り傷・霜焼け・あかぎれ・虫刺され他、時折、切れ痔とかで肛門にも塗り込んだりで愛用。僕もまたコッソリ使用、性旬期の必需品だった。
五十六歳を過ぎた現在の見事な程にボチボチというそのセックス感応サイクル現況とは違い、十代の頃の僕は、例の広げた手の親指の角度・ナ二がピタッと腹につく勢いで勃つ普通に若々しい日々。映画の台詞ではないが、ペニスが極めて<玩具>的な日常を過ごしていた。
特に、五人組みとも言われるマスターベーションを覚えた中二からは、素手での摩擦で簡単に得られるその気持ちよさに溺れ、忽ちその虜に。回数も一気に増加のその結果、頻繁に繰り返し過ぎて尿道ロが赤く痛い・痒いとか亀頭部が赤みを帯びて微妙にヒリヒリするといったような医院受診を必要とする尿道炎程ではない軽いトラブルも、多発。
モノがモノではあるが、先っぽがヒリヒリする位で「一日に何回位しょんなァ」と必ずマスターベーション状況をへの字口で訊く老先生にソレを出して診て貰うのは嫌で恥ずかしく、そこで僕は、ペニスケア用塗り薬としても軽い痛み・痒みに抜群の効きめがあるメンソレータムやオロナイン軟膏をこっそり塗ってピンチを凌いでいた。効くはずもない尿道炎初体験の時にも尿道ロにタップリ塗り込んだ位で、とにかく、メンソレータムとオロナイン軟膏は、十代の僕のペニスケア用必需品だったのである。
さて、そんな塗り薬愛用の悶々シコシコ生活を過ごしていた十代の頃が懐かしくなる夜が増えた僕であるが、そのオロナイン軟膏、実は、僕同様に夜は極めて硬度不足気味暮らしと言う福ちゃんもまた、大学時代、湯上がりのペニスケアに使用。僕だけでないことを知り、これには驚いた。
想像を絶する物凄い悶絶級の痛みを伴うらしいパイプカットで手に入れた<妊娠しないペニス>効果から、十幾つ年上の飲み屋のママとのセックス等一発歌手的一夜熱愛経験を幾つか持っている彼であるが、大学時代はコレが全然で。けっこう頻繁に女性を呼んではうまくはないギターを引いていた総一ちゃんと違い、自宅通学の福ちゃんも僕同様で全く女性話はなかった。特に、クーラーどころか扇風機一つない猛暑の夏場などシャツとブリーフで僕と一枚の布団に寝たりで、朝、それを見たマコちゃんから「二人はデキている」とマージャン時に茶化される程。本当に見事なくらい女性の噂がなかったのである。
福ちゃんは、僕の狭い三畳部屋に成り行きで泊まることも多く、あの神田川の「タオル〜マフラーにして〜」ではないが、閉まる直前にダッシュして二人で銭湯にもよく行った。大柄でポッチャリ系オットリ人間の福ちゃんは、ヌーディスト的でアレ・ソレ全く隠さず他人がどう思うなんてことに拘らないので、実際、ホモセクシャルと茶化されても仕方ないような漫才コンビ的日常を過ごす仲だった。
大学生活四年間、僕がこっそり陰金の薬を塗る現場を見られソレを白状した唯一の仲間が、彼。薬を塗る僕に、側で皮膚科行きを勧めながら陰金経験のない福ちゃんが覗き込んで見ていたが、僕は僕で、人で溢れる梅乃湯での僅かに被っている包皮をキュッと引っ張り露出させた亀頭カリ部に軟膏をクイッとパティシエ風に塗りまぶす湯上りの福ちゃんのペニスケアを何度も見ていたわけで。訊くと、その白い軟膏が、僕が十代の頃からペニスケアに使用のオロナイン軟膏だったのである。
ところで、僕には懐かしいが微妙に話せないそんな<理由アリ的塗り薬>のオロナイン軟膏であるが、カラー放送に変わった後年、女優・香山美子がCMをしていたように思うが、僕の記憶でオロナイン軟膏CM女優と言えば、白黒画面での和装の松山容子。
ボンカレーのCM・看板でも超有名な松山容子は、昭和三十年後半頃にテレビ放送されていたチャンバラ番組<琴姫七変化>で、剣術が男みたいにめっぽう強い将軍の娘・主役の琴姫を演じて一躍茶の間の人気者になった剣劇女優。それこそ七変化で、虚無僧や笠をかぶった女三味線引き、美青年剣士と言うようにさまざまな扮装を見せながら悪事を暴く琴姫は、絶大な人気を博した。オロナイン軟膏でも、ボンカレー同様目立つあの頭髪で宣伝をしていたように記憶している。
S荘のあの頃から三十数年。意外なオロナイン軟膏繋がりでのペニスケア話でも盛り上がった二人の懐かしいあの頃を今思うと、ただただ赤面。と言うのも、不思議なことになぜか福ちゃんには、普通にマスターベーション歴からナニの寸法から甘襞挿入での実践疑問等を、それも変にストレートにペラペラ・スラスラ・コソコソ話せたのである。
例えば、僕のソレは完全露出で包茎は一発クリアではあるが、銭湯で賑やかしを受ける程に立派でないことは周囲も承知の事実。僕のその本番サイズまでは知られていなかったが、叔父なんかが好んで使うところのセンズリ(千回擦って)してピ〜ンと膨らませたところで十二センチ程の小振りな代物であることを福ちゃんだけは知っていて、銭湯帰りに「福ちゃんはイイよな〜」と僕がソレを言うと、「アソコは伸縮するから、男のモノに合わせてセックスオッケーなんやし別にいいんとちゃうの」と、実にアッサリ。「デカ過ぎると女は痛いらしいでェ、男は絶対気持ちイイようにできてるから長さ関係ないやん」とバッサリだったり。ところが、その頃の福ちゃんのナニには、既に<大将>と言う徒名がついていたのである。
当時、曜日に関係なく皆深夜まで起きていることは普通の生活。そんな金曜日だったかに、急遽泊まり組になったヤッチャンやマコちゃんも入って爽やかな銭湯帰りに始まった深夜マージャン中、福ちゃんのソレが集中チン評価を浴びた事があったのだ。
暖簾が外される直前の銭湯・梅乃湯へ六人駆け込みラッキー入浴話でまずサイコロは振られ、トンちゃんの北海道贅沢家族旅行モロ自慢話から始まったマージャンは、靴裏が本革製で値段が高い方のリーガルの革靴とケントのサマースーツを買いに行く話にといつものアレコレ予定話に展開。
あの頃流行ったCMで三船敏郎の「男は黙ってサッポロビール」を真似て、男は黙ってチュンポイとかグンゼの白ブリ〜フ〜ゥとか言って牌を捨てているうちに、トンちゃんのブリーフには黒マジックで全部名前が書かれている話をヤッチャンが暴露。確かにブリーフに名前を書いている者は他にもいたが、トンちゃんの場合、どことなく若尾文子似のママが書くと言うので<マザコン>で盛り上ったのである。
そんな中、「ブリーフと言えば、福ちゃん、目立たないけど案外デカイんとちゃう」と言うその辺変に鋭いマコちゃんのチン評価が突然出て、話は一気にマージャンの場にいない福ちゃん話に集中。十三歳で童貞喪失らしい噂話とか、口数少なくいつも静かに微笑みながら煙草を吸うオッサン臭いポーズのことも、勿論。
この頃、まだ僕は童貞。それを皆知っていて、なぜか女性の話をほとんどしない微妙な雰囲気を持つ福ちゃんと僕がデキている話まで出る始末。散々茶化され大賑いだったその深夜、マコちゃんの言った<青大将>がヒントとなり周囲にソレとは分からない表現<大将>が、ペニスケアにオロナイン軟膏使用の福ちゃんのソレについてしまった。懐かしい話である。
勿論それは、当時、抜群の人気を誇った東宝映画<海の若大将>等加山雄三主演の若大将シリーズに出るあのライバル・田中邦衛の徒名ではなく、頭が逆三角形の毒蛇程には極端にエラは張っていないデカい蛇の<青大将>からのモノ。現代風に言えば実にエロ凄〜いナンであるが、それよりもマコちゃんの鋭い観察力・直感に、あの時僕は感心した。何せ、銭湯ではナニも普通に丸見せ。僕がよく知っている濃い小麦色をした福ちゃんのソレは、いわゆる男性自身の定番形である<松茸風エラ高モノ>ではなく先っぽにクルミをポンとくっつけたような茶筒型・極端な括れがないボンレスハム風でボッテリとしていて、そう言われれば確かにと<青大将>に納得の代物。
翌週、当然、マージャン中に唐突に言われる「大将の番やでぇ」に福ちゃんも気づき、それを喫茶店で訊かれた僕は、金曜日にマコちゃんが「案外デカい」と言ってそれこそほめる意味で福ちゃんのナニにつけた徒名であることをしっかり暴露。「何やソレ〜」とか言うと、いつもの微笑みをチラッと見せて煙草を一服と言う彼のアッサリ即納得態度に、僕は腰砕け。普段、口にしないが、ナニのソコラ辺自負しているなとちょっと笑ってしまった僕である。
ブリーフにマジックで名前を書いていることを散々お互い茶化したり、面白がってニックネーム感覚で仲間のナニに勝手に<大将>とつけたりと凄く好い加減で勢いだけの二十歳頃を思い出すと、あの頃の若気の何とか的日々が思い出されて恥ずかしくなるが、また同じ位今の僕には凄く懐かしい。
ここ二十年、普通に病院に行く生活になってよく効く塗り薬の種類も増え、亀頭カリ部にはもうあの懐かしいオロナイン軟膏を塗ってはいないらしい福チャンの<大将>硬度不調話に電話口で大笑いしたが、僕も似たようなモノ。溢れる程の元気も今はなく、十代の頃には春夏秋冬・昼夜フル稼働していた右手マシンも既に廃棄処分生活の今は、当然、僕もオロナイン軟膏でのペニスケアも全く必要ない。武田薬品のテレビCM<目・肩・腰にアリナミンEX>どころか、どうにかもちこたえている短いピストン連動の要である<肘・膝・腰がソノ翌日はガクガクのSEX>の日々なのである。
2007年3月29日更新
第三十五回『ラジオの深夜放送をBGMに、セックス話で股間グッショリ。また懲りずに、<女性経験>を鼻息荒く聞いた冬休み帰省前深夜』
第三十四回『偶然のラッキー。超懐かしの娯楽活劇、月光仮面をみる。』
第三十三回『ポコチンの先に、赤い粒々できてんねん困惑も、包茎モノ的普通の汗疹だったトンちゃんの<性病やろか>事件。』
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第二十五回『生本番ショー二万円への誘いも懐かしい、S荘の質素な青春。』
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第九回『二十一歳の冬、僕とフォークと喪失と。』
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