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「脇役列伝」タイトル

ヒーロー研究家立石一夫

強肩強打の吉原二世、藤尾茂


 二〇〇四年はプロ野球が出来て70周年の、節目の年であった。公式戦でも、日本シリーズでも幾多の熱闘が行れた。そして沢山のヒーローが誕生した。一九五五年の、巨人対南海戦のヒーローは紛れもなくこの人であった。いつも煮湯を飲まされて来た、鶴岡・南海は三勝一敗と王手をかけた。追い詰められた巨人の水原監督は、破れかぶれの大胆な作戦に活路を見出す。ベテラン中心から思い切って、若手を活用する。三番・捕手の藤尾は、第五戦で初回にいきなりの3ランホームラン。七番の加倉井も好打で活躍。シリーズの流れを変えた、大逆転で南海を倒した。その立役者が、高卒3年目の21歳、藤尾茂である。
 これ以降、名門・巨人のホームベースはこの男が死守した。それは五九年に、後輩の森が成長するまで続く。藤尾の絶頂期である。

藤尾茂

ところが外野にコンバートされてから、藤尾のツキは落ちてしまった。脱臼や、偏頭痛に悩まされいつしか表舞台から消えて行く。私の記憶に誤まりがなければ、三原・大洋が奇跡の優勝を果した六〇年のシーズンだ。藤尾を応援(何故だか判らない)していた私は、このシーズンを一生忘れない。彼は開幕から飛ばし、五月中旬頃位までホームラン・ダービーのトップを走った。同僚の長島や、王をしのぐ勢いであった。藤尾がホームランを打った、翌日の報知新聞を駅の売店まで行って求めた嬉しさは言葉に替えがたいものがあった。
 強肩・強打の”吉原二世”は、投手の堀内庄と共に米国留学をしたことがある。チームにもそれだけ期待されていた。
 顔はごついが、性格は優しいものがあったのであろうか。今でも大成しなかったことが、私は悔やまれる。何より本人が強く思っていることだろう。世の中には器用に人生を渡るタイプと、不器用な人がいる。彼はきっと後者であったのか。こんな一文を書いている私も、不器用な人生を渡っている。


(生) 1934.10.8
<出身> 兵庫県西宮市 鳴尾高卒 53〜64年巨人オールスター出場4回、ベストナイン4回。868試合、2475打数625安打74本塁打、346打点 打率.253


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2006年5月24日更新
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