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「ぶらり歌碑巡り」タイトル

アカデミア青木

http://www.maboroshi-ch.com/hoso/item-43.html
ラジオ版・ああ我が心の童謡〜唱歌編
http://www.maboroshi-ch.com/hoso/item-50.html
ラジオ版・ああ我が心の童謡〜童謡編
まぼろし放送にてアカデミア青木氏を迎えて放送中!

碑

第21回 『浜辺の歌』

 日溜まりの公園で、暮れなずむ街角で、夜のしじまの中で、ひとり「童謡」を口ずさむ時、幼き日々が鮮やかによみがえる…。この番組では、皆様にとって懐かしい童謡の歌碑を巡ってまいります。今回は、『浜辺の歌』です。
 今年は猛暑でどこの海水浴場に行っても混雑していますが、夕暮れ時にはさすがに人影もまばらになり、波打ち際に立つとひとりしんみりした気分に浸ることができます。そんな時ふと口をついて出るのが、この『浜辺の歌』です。
 『浜辺の歌』は、大正7年10月にセノオ音楽出版社から出された『セノオ楽譜98番』に掲載されて世に出ました。作詞者は林古渓、作曲者は『赤い鳥小鳥』の成田為三です。

 

『浜辺の歌』(『セノオ楽譜98番』大正7年10月 に発表。歌詞は現行のもの。)
 作詞 林古渓(はやしこけい、1875−1947)
 作曲 成田為三(なりたためぞう、1893−1945)

 

碑

 

1.あした浜辺をさまよえば、
  昔のことぞ忍ばるる。
  風の音よ、雲のさまよ、
  寄する波も貝の色も。

2.ゆうべ浜辺をもとおれば、
  昔の人ぞ、忍ばるる。
  寄する波よ、返す波よ、
  月の色も、星の影も。

 

林古渓

林古渓(『わがうた千首』より 岡本一平画)

 林古渓は本名を林竹次郎といい、明治8年に東京神田に生まれました。10才の時父を失って池上本門寺(東京)に入り修行しましたが、後、寺を出て井上円了が校長を勤める哲学館(のちの東洋大学)に入学。32年に卒業すると、同校付属の京北中学校で国漢科教員となりました。「古渓」という号は、幼少時代を過ごした神奈川県愛甲郡古沢村(現、厚木市)に因んでつけたもので、中学校では生徒たちから「達磨さん」と呼ばれて慕われました。昭和3年に松山高等学校の講師となりますが、その間、東京音楽学校分教場や第一外国語学校(イタリア語)でも学んでいます。

京北学園

京北学園

 古渓は明治40年頃東京音楽学校の老生徒時代に牛山充*と出会いますが、後に牛山が雑誌『音楽』の編集に携わるようになると、彼のためにぼほ毎月作曲用の詩歌を寄稿しました。『浜辺の歌』は大正2年8月『音楽』4巻8号に掲載され、これに成田為三が曲をつけました。
 この歌の歌碑は、古渓が教鞭を執っていた京北中学校の一角(京北学園式壇)にあります。昭和33年に、古渓の教え子達がかつて母校で教鞭を執った師を偲んで、この歌が後々までも歌い伝えられるようにと願いながら、この碑を建てたそうです。
 実は、発表当時この歌には3番がありました。しかし、前後の脈絡がない歌詞であるため、古渓自身は3番が歌われることを嫌っていました。

 

3.はやちたちまち波を吹き、
  赤裳のすそぞぬれもせじ。
  病みし我はすべて癒えて、
  浜辺の真砂まなごいまは。

 

 研究者の間では、前半部は原作3番の前半、後半部は原作4番の後半で、編集途中の事故でくっつけられたといわれています。古渓が訂正をしなかったのは、元の原稿が手元から早くに失われて、内容を思い出すことができなかったからでしょう。
 古渓は、その後昭和8年に立正大学教授となり、19年に退職。昭和22年2月20日に疎開先の埼玉県浦和市(現、さいたま市)で亡くなりました。お墓は、幼い頃共にお寺で修行したお坊さんが住職をしていた池上の永寿院にあります。

永寿院

永寿院

*牛山充 うしやまみつる。音楽舞踊評論家。明治17年、長野県諏訪市生まれ。大正2年、東京音楽学校甲種師範科卒。同校講師、日本大学芸術科講師を経て東京声専講師。大正14年〜昭和9年まで『東京朝日新聞』嘱託として、音楽、バレエ批評を執筆。マスコミを舞台にした評論活動のパイオニア。戦前戦後を通じて音楽評論家として重きをなし、昭和38年に死去。享年79。

[参考文献

金田一春彦・安西愛子編『日本の唱歌[中]』講談社文庫 昭和54年

『京北学園百周年記念誌』京北学園 平成10年

『京北学園八十年史』京北学園 昭和53年

林古渓『わがうた千首』大正15年

下中邦彦編『日本人名大事典 現代』平凡社 昭和54年

下中邦彦編『音楽大事典第1巻』平凡社 昭和56年

小泉欽司編『朝日人物事典』朝日新聞社 平成2年]

場所:東京都文京区白山5−28−25 京北学園内
交通:都営三田線白山駅より徒歩5分。
尚、歌碑は学校の敷地内にあるため、見学を希望される方は事前に京北学園(TEL 03−3941−6290[代表])までお問い合わせ下さい。


2004年8月24日更新
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[ああ我が心の童謡〜ぶらり歌碑巡り]
第20回 『叱られて』
第19回 『故郷』
第18回 『砂山』
第17回 『兎と亀』
第16回 『みどりのそよ風』
第15回 『朧月夜』
第14回 『早春賦』
第13回 『春よ来い』
第12回 『鉄道唱歌』(東海道編)
第11回 『赤い靴』
第10回 『靴が鳴る』
第9回 『紅葉』
第8回 『證城寺の狸囃子』
第7回 『かもめの水兵さん』
第6回 『箱根八里』
第5回 『赤い鳥小鳥』
第4回 『金太郎』
第3回 『荒城の月』
第2回 『春の小川』
第1回 童謡が消えていく
[ああわが心の東京修学旅行]
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