第16回 1968年(昭和43年)
「渥美きよしといえば“フーテンの寅さん”だけど、映画より先にテレビで『男はつらいよ』があったんだよ。監督が山田洋次で、主演が渥美きよし、おいちゃんが森川信というのは映画と同じだった」
「さくらとおばちゃんとマドンナは?」
「さくらが長山藍子で、おばちゃんは杉山とくこ、マドンナが佐藤オリエだったね。さくらは一流企業に勤めるOLで、エリートの婚約者がいたところは映画と違っていたけどね。例のダボシャツにチェックの背広、首にお守り、雪駄ばきという寅さんのスタイルは渥美きよしが考えたもので、セリフもアドリブが多かったそうだよ。映画は渥美きよしが亡くなって終了したけど、テレビは寅さんが佐藤蛾次郎と沖縄へハブ獲りに行って、逆にハブに咬まれて死んでしまうんだ。山田洋次監督と渥美きよしはこの作品に思い入れが強く、映画で復活することになるんだね。思い入れが強いといえば、木下恵介が演出した『おやじ太鼓』は、バンツマが主演した『破れ太鼓』をテレビで復活させたものだった」
「バンツマって、田村正和のお父さんの阪東妻三郎よね。個性的な役者さんだったけど、テレビでは誰が演ったの?」
「主演は東映の悪役スターだった進藤英太郎でね。建設会社を一代で築き上げたガンコ親父がピッタリきまっていた。進藤は当時、映画界きっての大声の持ち主といわれ、4男3女の子どもたちを怒鳴るシーンは迫力あったよ。映画の方は結構シリアスなものだったけど、テレビは完全にコメディー仕立てだったね。進藤の親父ぶりが受けて、新聞などでは“男性復権”とまで云われたんだ。この親父に対抗するように人気があったのが、『肝っ玉かあさん』だった。夫に先立たれた蕎麦屋の女将さんの物語。子どもたちは一人前になっているけど、一家の大黒柱としてパワフルに暮らしている。そそっかしい所もあるけど、お人好しで暖かい心の持ち主というキャラクターは主演の京塚昌子にピッタリだったね。“肝っ玉かあさん”の年齢設定は51歳だったけど、当時の京塚昌子は38歳。思えば、ものすごい老け役だよね。いつまでも同じイメージを持ち続けることができたのは、年齢を超越していたからかな」
「ドラマ以外では、何か変った番組はなかったの?」
「新しいスポーツとして、『キックボクシング』、『女子プロレス』、『ローラーゲーム』が登場したことかな。『ローラーゲーム』のブームは一時的だったけど、『キックボクシング』は現在の『K1』につながってきているし、『女子プロレス』は少女たちのアイドルへと進化していき、1980年代は大ブームになったね。他には……」
参考資料:テレビドラマ全史(東京ニュース通信社)、テレビ史ハンドブック(自由国民社)
2005年10月21日更新
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