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「ぶらり歌碑巡り」タイトル

アカデミア青木

http://www.maboroshi-ch.com/hoso/item-43.html
ラジオ版・ああ我が心の童謡〜唱歌編
http://www.maboroshi-ch.com/hoso/item-50.html
ラジオ版・ああ我が心の童謡〜童謡編
まぼろし放送にてアカデミア青木氏を迎えて放送中!

碑

第22回 『十五夜お月さん』

 日溜まりの公園で、暮れなずむ街角で、夜のしじまの中で、ひとり「童謡」を口ずさむ時、幼き日々が鮮やかによみがえる…。この番組では、皆様にとって懐かしい童謡の歌碑を巡ってまいります。今回は、『十五夜お月さん』です。
 9月28日は、中秋の名月。町中では空き地が減って、以前なら近所で調達できたススキも今ではスーパーで買わなければならなくなりました。しかし、十五夜の月を眺めるという習慣はまだまだ健在。春はお花見、秋はお月見です。
 童謡『十五夜お月さん』が発表されたのは、大正9年。作詞は野口雨情、作曲は本居長世。『赤い靴』と同じコンビです。

 

『十五夜お月さん』(『金の船』大正9年9月号 に発表。原題は、『十五夜お月』)
 作詞 野口雨情(のぐちうじょう、1882−1945)
 作曲 本居長世(もとおりながよ、1885−1945)

 

碑

 

 十五夜お月さん
 御機嫌さん
 婆やは お暇(いとま)とりました

 十五夜お月さん
 妹は
 田舎へ 貰(も)られて ゆきました

 十五夜お月さん 母(かか)さんに
 も一度
 わたしは逢ひたいな。

 

 『赤い靴』同様、哀愁漂う歌ですが、この歌に関して雨情は次のように述べています。
 「お母さんがなくなつてしまはれたので、小さい妹は遠い田舎へ貰はれて行つてしまつたし、婆やもお暇をとつて国へかへつてしまつてからは、自分一人がその後に残された淋しさを唱つたものです。それで十五夜のまんまるいお月さんを見てゐると、何だか、お月さんに物言ふてみたい懐かしさを覚えて『十五夜お月さん御機嫌さん』といつたのでした。それからお月さんに尚もいろいろ悲しさを訴へたのです。
 そんな風に月に対しては何事によらず話かけたいといふ純な子供らしさは誰でもが持つてゐた時代が必ずあつた筈なのです。

月

 それがどうです。少し智識が附くやうになると、今日、学校で月といふものを、理科の時間に教へますが、それによると、お月さんなんて、自分等が住んでゐるこの地球と同じやうな土の塊であつて、そこには動物も棲んでゐなければ、植物も生えないから人間などは勿論ゐないとか、或は又あの兎の形のやうに見えるところを望遠鏡で見ると深い谿であるとか、又、月は衛星の一種であつて常に地球の周囲を巡つてゐてその大きさは凡そ地球の五十分の一程であつて、地球との距離は約二十三万八千七百九十三里程になる、とかいふことを習つて来ると、却つてそんなことを知つたが為に以前に持つてゐたやうなお月さんに対する美しい詩的空想が害されてしまふではありませんか。
 だといつて何も智識といふものを排斥するわけではありませんが、ただ童謡を作らうといふ気分になつた時だけはいろんな智識を持つてゐる為に、真実の子供らしい感情や夢のやうな空想を曇らしてしまはないやうに気を附けなければなりません」(『童謡作法問答』交蘭社 大正10年より[『定本野口雨情 第七巻』に収録])
 20世紀は「科学技術の世紀」ともいわれますが、その中にあって雨情が童謡を作り続けていくためには、このような心がけが欠かせなかったのでしょう。
 さて、今回ご紹介するのは、『十五夜お月さん』の曲碑です。東京都目黒区にある瀧泉寺は、通称「目黒不動」と呼ばれて都民から親しまれていますが、この境内の一角、勢至堂の前に、作曲者本居長世の事跡を記念して碑が建てられています。本居は明治18年に東京で生まれ、41年に東京音楽学校のピアノ科を卒業した後、同校の授業補助を経てピアノ科の助教授となっています。その一方で、文部省邦楽調査掛を兼任し、長唄など三味線音楽の調査研究に当たっていました。大正9年に退官し、以後は専ら作曲活動にいそしみましたが、そのころ目黒不動のそばに住んでいました。ですから、ここに碑が建てられたのです。

本居

 十五夜お月さん
 御機嫌さん
 婆やは お暇(いとま)とりました

 十五夜お月さん
 妹は
 田舎へ 貰(も)られて ゆきました

 十五夜お月さん 母(かか)さんに
 も一度
 わたしは逢ひたいな。

 ところで、金田一春彦『童謡の父 本居長世』によれば、『十五夜お月さん』は「日本で最初に生まれれた真の童謡」だそうです。大正時代に繰り広げられた童謡運動の中で、童謡第1号といわれている歌は、西條八十作詞、成田為三作曲の『かなりや』(『赤い鳥』大正8年5月号に発表)ですが、その旋律は西洋音楽の延長線上にありました。日本音楽を取り入れた歌となると、『十五夜お月さん』が最初になるとの事。確かに、『十五夜お月さん』の冒頭部の旋律は、わらべ歌『うさぎ』の「兎、兎、何見てはねる、十五夜お月さん、見てはねる」の「十五夜お月さん」の部分と同じです。
 また、金田一が本居に献じた「童謡の父」という称号も、本居が音楽学校で中山晋平にピアノを教え、その中山によって『砂山』をはじめとする数々の日本式童謡が生み出されていったことを考えると、許されていいのではないかと感じます。

瀧泉寺(目黒不動)本堂

瀧泉寺(目黒不動)本堂


[参考文献

『定本野口雨情 第三巻』未来社 昭和61年

『定本野口雨情 第七巻』未来社 昭和61年

金田一春彦『童謡の父 本居長世』

下中邦彦編『音楽大事典第5巻』平凡社 昭和58年]

場所:東京都目黒区下目黒3−20−26 瀧泉寺(目黒不動)内
交通:東急目黒線「不動前」駅下車、徒歩8分。


2004年9月21日更新
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[ああ我が心の童謡〜ぶらり歌碑巡り]
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第19回 『故郷』
第18回 『砂山』
第17回 『兎と亀』
第16回 『みどりのそよ風』
第15回 『朧月夜』
第14回 『早春賦』
第13回 『春よ来い』
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