第19回
「食堂で飲んだ記憶の
『バヤリースオレンジ』」
の巻 |
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「マイホームパパ」という言葉ができたのはいつ頃だろう。ウチの父は寡黙で、家族にあまり関心がない、それでいてハチャメチャな行動をするわけでもなかった。とにかく一人っ子のわが子であってもベタベタしない。私は、子どものころ父親と一緒にどこかに出かけた経験がほとんどないのだ。だからこそ数度だけの経験がいまもなお心に残っている。
小学校四年生のとき、父親参観日があった日のことだった。「つとむ、デパートに寄ろうか」と、学校からの帰り道に父は突然言った。父親とデパートにいくなんて初めてのことなので、私はどきまぎした。千葉銀座にある繁華街を父と歩きながら「誰かに見られるんじゃないだろうか」と、妙な気恥ずかしさを覚えた。父は私を田畑デパート(当時、千葉市にあったローカルデパート)に連れていった。
「食堂に行こうか」父は私を昼食に誘った。私はショーウインドウを見て、「サンドイッチとジュース」と頼んだ。食券をテーブルの上に置いて待っていると、ウエイトレスさんがきて半券をちぎっていき、しばらくするとバヤリースオレンジとコップを持ってきた。表面がエンボスでザラザラしている細身のビンだった。本当は全部飲みたかったが、私が「お父さんも飲んでいいよ」というと、下戸で甘いもの好きな父は、「うむ」といってビンを取り上げ、ラッパ飲みしはじめた。父はよほどのどが渇いていたのか、子どものことなど考えずに残りを全部飲んでしまったのが悲しかった。
バャリースオレンヂ(発売当初の表記)は昭和二六年に朝日麦酒が国内販売権を得て発売した本格的な清涼飲料水である。発売して五〇周年を超えるロングセラーだ。文献によれば、戦後、果汁飲料が盛んに発売されるきっかけとなったのはバャリースの登場だとされている。
日本で発売されたきっかけだが、昭和二〇年頃アメリカでオレンジジュースが人気を博していたことを知っていた山本為三郎・朝日麦酒社長(当時)がオレンジジュースは日本でも受けると考え、これを輸入しようとしたが、終戦当時の状況(外貨の割り当てなど)がそれを許さなかった。自由になんでもかんでも思い立ったものを販売業務用として輸入できる時代ではなかったのである。
昭和二六年に、米でバャリースを発売するゼネラルフーズの会長と社長が来日したことを山本社長は奇貨にして、同社幹部を首相に引き合わせるなどして自らの信用を担保、ついに一手販売権の契約を締結、国内販売が認められることになった。
このバヤリースオレンジは日本人に取っては画期的な製品である。これまで明治三三年の内務省令によって、清澄と腐敗防止の観点から果実飲料製品の開発は極めて困難であった。バヤリースは昭和一三年に米のフランク・バヤリーが、瞬間殺菌法でジュースを保存する方法を発明し、特許はゼネラルフーズ社に買収されたものである。
それまで果汁飲料と言えば「透明」なものが固定観念となっていたが、不透明なバヤリースの色と甘さに日本人の舌はしびれた。これまでは清澄化の技術に力を込めていたが、今後はいかに果汁の「混濁」を長持ちさせるかが課題となっていったのだから法整備による逆転現象は面白い。
「一九五九年には缶入りを出しました。八〇年代に入ると五〇〇ミリリットル缶、一・五リットルペットボトルを出すなど時代のニーズに合わせて容器バリエーションを広げています。いつでもどこでも飲める『お友達』的な存在になりたいですね」(アサヒ飲料株式会社)。
今でもフラリと入った街の食堂でバヤリースと出合うことが多い。瓶詰めオレンジ飲料の代名詞的存在になっているといっての良いのではないか。
最後にひとつ。あの表記「バャリースオレンヂ」の小さい「ャ」がついたのはどう発音するのが正しいのか。『トイザRス』の「R」の反対形とともに謎である(日本では「ら」の鏡文字)。
●毎日新聞を改稿
2005年12月7日更新
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