11月某日 湯島デ明治ヲ思ヒ上野デ戦争ヲ思フ事 |
|
東京の自転車乗りにとって、通勤ラッシュ時さえ避ければ、朝は最もいい時間帯である。午後や夕方には、ただでさえ狭い歩道が通行人でごった返すし、車道に出るとアブナイ。夜道は見通しが利かなくて、緊張する。朝なら大通りでも、スイスイと走るコトができるのだ。
今朝は早起きして、旬公と自転車で上野方面に向かう。だんだん肌寒くなるこの頃だが、今日はワリとあったかい。不忍池まで来ると、水面に朝日が当たって、まぶしいほどの照り返しがある。植え込みにお住まいの方々も、思い思いのやり方で日向ぼっこしておられる。なんだか、気持ちよさそう。
池之端の交差点を曲り、天神下から「切通坂」に出る。ゆるくカーブして、本郷へと上がっていく坂だ。
なんで坂の名前など知っているかといえば、ちょうど冨田均の『東京坂道散歩』(東京新聞出版局)という本を読んだからだ。都内の120カ所の坂を紹介した同書によると、切通坂は「明治の初めに台地を切通して造った“新坂”で、初めは急だったが、やがて路面電車が通るのに合わせてなだらかに変わった」のだという。なるほど。
この坂を上がらずに、右方向に入り込むと、「旧岩崎邸庭園」がある。三菱の創業者・岩崎弥太郎の私邸で、ジョサイア・コンドルの設計による洋館と、それにつらなる和館で成っている。背後には広大な庭園がある。戦後は国の施設として使われていて、長らく公開されなかったが、2003年から邸内を見学するコトができるようになった。
正門から入ってスロープを上がっていくと、巨大な洋館が見えてくる。屋根のてっぺんがイスラム寺院のようにとんがっている。入り口のあたりで、ファッション雑誌の撮影があるらしく、カメラマン、スタイリストや男性モデルが、いろいろ動き回っていた。
洋館は2階建てで、アタリマエだけど、どの部屋も広い。天井や壁の模様がいちいち凝っている。さすがに明治の富豪はスケールが違うと感心した。以前、ココを取材したコトがある旬公のハナシでは、「いちばんオモシロイのは一般公開されてない地下室」なのだとか。なにしろ地下道があって、敷地内の撞球室(ビリヤード場)につながっているというのだ。忍者屋敷か。
明治の建築をたっぷり堪能して外に出る。切通坂に出る手前に、木造の一軒家がある。岩崎邸とはあまりにもスケールが違うけど、こちらもどことなく明治の匂いがする建物だ。
旬公と別れて、上野に向かう。上野駅の真正面にあった〈聚楽〉ビルは、昨年ごろから解体中だったが、今日見ると完全な更地になっている。何もない空間の向こうを、山手線が走っていく。しかし、あと半年もすれば、別の何かがこの空間を埋めるのだろう。
その向かいの「上野デパート」の並びの半地下に、「上野古書のまち」がある。このビルには上と下に映画館があったが、昨年閉館し、その後は「古書のまち」だけが残っている。十数軒の古本屋が在庫を持ち寄っており、デパートの古書市のようにガツガツしていない。いい意味での「ゆるさ」がある。一回りして、三國一朗『鋏と糊』(自由現代社)500円と、生島治郎選『男の小道具 飛び道具』(集英社文庫)200円を買う。『鋏と糊』はハヤカワ文庫版を持っているが、どこかに行ってしまっていた。スクラップブックの作成法や情報整理術を説いた本をなくしてしまうとは、大いなる皮肉だ。反省の念を込めて、単行本で買いなおす。後者は日本ペンクラブ編のアンソロジー。万年筆や拳銃、カミソリ、名刺などの「道具」が出てくる小説を集めている。
似顔絵描きのおじさんが座っている、上野公園への階段を上がる。上がってスグ反対側の階段を下りる。すると正面に〈上野東急〉がある。ココで、クリント・イーストウッド監督《父親たちの星条旗》(2006・米)を観るのだ。ロードショーを観るなら、昔ながらの造りで、飲食物禁止なんてヤボなことは云わず、しかも、いつも空いている上野の映画館がいちばんイイ。
本作は、太平洋戦争末期の1944年に、硫黄島で行なわれた激戦をアメリカ軍の視点から描いている。姿の見えない日本軍から浴びせかけられる攻撃に、米兵が次々と死んでいくありさまはすさまじい。それと並行して、山頂に星条旗を立てた写真がアメリカに送られ、そこに写っている3人の兵士が軍費調達のためのプロパガンダに駆り出されていく様子も描かれる。そこには、残虐さと滑稽さが同居している。イーストウッド監督が、硫黄島の闘いの向こうに、現在泥沼化しているアメリカの対イラク状況を見ているコトは明らかだろう。本作に続いて、日本軍の視点から描かれた《硫黄島からの手紙》も公開されるが、それもこの映画館で観たい。
再び自転車に乗り、不忍通りへと向かう。そろそろ腹が減ってきた。昼飯はラーメンにしようか、それともカレー? そんなことを考えながら、ペダルを踏んでいた。
|
南陀楼綾繁の新刊
『路上派遊書日記』
(右文書院)
本体2200円+税 |
|
ある時は大量の古本を買い込み、ある時は安居酒屋にしけこみ常連客の話に聞き入る、またある時はイベントを主催し大いに盛り上がる……仕事と私事の間をあっちへふらふら、こっちへふらふらのナンダロウ的生活。ブログ「ナンダロウアヤシゲな日々」の2005年分から精選し、300項目の注釈を付す。[巻末対談]南陀楼綾繁×畠中理恵子(書肆アクセス) |
|
|
2006年11月24日更新
ご意見・ご感想は webmaster@maboroshi-ch.com
まで
10月某日 秋晴レノ一日、飯能ノ街並ミヲ散策スル事
9月某日 下北沢デ音楽喫茶ニ出会ヒ、三十年前ノ街ト人ヲ想フ事
8月某日 七夕祭ノ日、酷暑ノ阿佐ヶ谷ヲ彷徨スル事
7月某日 有楽町ノ変貌ニ驚キ、銀座ノ百貨店デ古本ヲ売ル事
4月某日 金ナシ地位ナシ之誕生日ニ地元ノ古本屋ヲ回ル事
3月某日 関西ノ三都ヲ駆足デ巡リ「本棚ノアル店」デマドロム事
2月某日 池袋ノ「本すぽっと」ヲ周遊シ、〈新文芸座〉ニテ怪シゲナ人物ニ会フ事
1月某日 浅草ニテ往時ノ繁栄ヲ幻視シ古本市デ大物ヲ得ル事
12月某日 品川・馬込ノ古本屋ヲ散策シ、早稲田ノらいぶはうすニ至ル事
11月某日 神田錦町ノ名出版社ヲ偲ビ、定食ヲ喰フ事
10月某日 文化祭ノ中心デ「ホン、ホン、ホン」ト叫ブ事
9月某日 広尾デ古本、恵比寿デちぇこ映画、意外ナ組合セを楽シム事
8月某日 自転車ニテ出カケ、南千住デ「小松崎茂」ニ会フ事
10月某日 逗子カラ鎌倉マデ古本マミレノ小旅行ヲスル事
10月某日 北京カラノ賓客ト神保町古書店ヲ散歩スル事
9月某日 【海外篇】ばり島デモ本ノアル場所ヲ求メテ彷徨スル事
8月某日 千駄木ニテ「もくろークン大感謝祭」ヲ執リ行フ事
6月某日 本ノ街・神保町ノ「本丸」デ古本ヲ熱苦シク語ル事
5月某日 北千住カラ入谷マデ日比谷線沿ヒヲ飲ミ歩ク事
4月某日 経堂デ「本之工藝」ニ触レ、田端新町デ「モツ焼」ニ溺レル事
3月某日 渋谷ノ夜、音楽デ体ヲ埋メ尽ス事
2月某日 初心ニ戻リ神保町ヲ回遊スル事
1月某日 渋谷カラ三軒茶屋マデ「本尽クシ」ノ一日ヲ送ル事
12月某日 讃岐高松ニ飛ビ「ウドン」漬ノ三日ヲ過ス事
11月某日 びっぐさいとデ「表現欲」ニツイテ考エル事
11月某日 三鷹ノ古本屋ニテ奇妙ナ本ト出会フ事
10月某日 谷中ニテ芸術散歩ヲ愉シミ、浅草デ「えのけん」ヲ想フ事
9月某日 新宿デ革命ノ熱気ヲ感ジ高円寺デ戦後ヲ思フ事
8月某日 一駅一時間ノ旅ヲ志シ中板橋デ「ヘソ踊リ」ニ出会ウ事
6月某日 上野ノ森ニテじゃずヲ堪能シ鶯谷ニテほっぴーニ耽溺スル事
5月某日 谷中ノ「隠レ処」カラ出デテ千石ノ映画館ニ到ル事
2月某日 ばすニ乗リ池袋ヲ訪レテ日曜ノ街デ買物シマクル事
12月某日 荻窪及ビ西荻窪ヲ訪レテ此ノ街ノ面白ヲ再認識スル事
12月某日 大学図書館ノ書庫ニ潜リ早稲田古書街デ歓談スル事
12月某日 六本木カラ高円寺マデ本ヲ求メテ一日旅行スル事【後編】
12月某日 六本木カラ高円寺マデ本ヲ求メテ一日旅行スル事【前編】
11月某日 晩秋ノ銀座デ裏通ヲ歩キ昔ノ雑誌ニ読ミ耽ル事
11月某日 秋晴ノ鎌倉ヲ優雅ナ一日ヲ過スモ結局何時モ通リトナル事
9月某日 渋谷カラ表参道マデ御洒落ノ街ヲ本ヲ抱エテ長征スル事
9月某日 小淵沢ノ夢幻境ニ遊ビ甲府ノ古本屋ニ安堵スル事
7月某日 週末ノ三日間、熱暑ノナカ古書展ヲ巡回スル事【後編】
7月某日 週末ノ三日間、熱暑ノナカ古書展ヲ巡回スル事【中編】
7月某日 週末ノ三日間、熱暑ノナカ古書展ヲ巡回スル事【前編】
7月某日 炎天下中ニ古書店ヲ巡リ、仏蘭西料理ニ舌鼓ヲ打ツ事
6月某日 W杯ノ喧騒ヲ避ケ、三ノ輪ノ路地ニ沈殿スル事
6月某日 昼ハ最高学府ニテみにこみノ販売法ヲ講ジ、夜ハ趣味話ニ相興ジル事
5月某日 六本木ニテ「缶詰」ニ感涙シ、有楽町ニテ「金大中」ニ戦(オノノ)ク事
4月某日 徹夜明ケニテ池袋ヘ出、ツガヒ之生態ヲ観察スル事
4月某日 電脳機械ヲ購入スルモ気分高揚セザル事
→ |