第23回 『どんぐりころころ』
日溜まりの公園で、暮れなずむ街角で、夜のしじまの中で、ひとり「童謡」を口ずさむ時、幼き日々が鮮やかによみがえる…。この番組では、皆様にとって懐かしい童謡の歌碑を巡ってまいります。今回は、『どんぐりころころ』です。
一日一日と秋が深まっていく今日この頃、公園では幼稚園や保育園の子供達が一心不乱になってどんぐりを拾い集めています。そのありさまを見ていると、昔、幼稚園の音楽の時間にオルガンの伴奏で歌った『どんぐりころころ』が無性に思い出されます。
『どんぐりころころ』は大正10年に発表され、昭和22年に『2年生のおんがく』(文部省発行)に掲載されたのをきっかけに、広く歌われるようになりました。作詞者は、青木存義*。作曲者は、梁田貞**です。
『どんぐりころころ』(『かわいい唱歌』大正10年10月 に発表)
作詞 青木存義(あおきながよし、1879−1935)
作曲 梁田貞(やなだただし、1885−1959)
どんぐりころころ どんぶりこ
お池にはまって さあ大変
どじょうが出て来て 今日は
坊ちゃん一緒に 遊びましょう
どんぐりころころ よろこんで
しばらく一緒に 遊んだが
やっぱりお山が 恋しいと
泣いてはどじょうを 困らせた |
結局、どんぐりはどうなったのでしょうか?このお話は「困った、困った」で終わってしまい、その後のどんぐりについては何も語られていません。池の底で朽ちていったのでしょうか。それとも奇跡が起こって、無事に山に帰ったのでしょうか。不条理な気もしますが、この中途半端な結末がかえって幼心に強烈な印象を与え、『どんぐりころころ』を「心に残る童謡」にしているのかもしれません。
さて、今回ご紹介する『どんぐりころころ』の歌碑は、埼玉県の久喜青葉団地の中にあります。現地と作詞者及び作曲者の間には特段のつながりはなく、碑は子供の情操教育に資するために建てられたようです。『どんぐりころころ』の舞台と同様、ここには昔、小さな池があって、歌碑はそのほとりに建てられました。その後、池は埋め立てられ、現在はゲートボール場が設けられています。童謡を想起させる風景は完全に失われ、碑は藤棚の下にぽつねんとたたずんでいます。
*青木存義 あおきながよし。国文学者。唱歌作詞家。明治12年、宮城県生まれ。東京大学卒業後、東京音楽学校教授、文部省図書監修官を歴任。昭和10年、死去。
**梁田貞 やなだただし。作曲家。音楽教育家。明治18年、札幌市生まれ。明治45年、東京音楽学校声楽科卒業。在学中から歌曲の作曲をしていたが、大正2年、『城ヶ島の雨』で一躍脚光を浴びる。東京府立一中、成城学園、玉川大学で教鞭を執った。他の代表作には、『とんび』(葛原しげる作詞)などがある。昭和34年、死去。
[参考文献 |
『抒情歌愛唱歌大全集』ビクターファミリークラブ 平成4年 |
日本児童文学学会編『児童文学事典』東京書籍 昭和63年] |
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場所:埼玉県久喜市久喜青葉団地内
交通:JR・東武伊勢崎線「久喜」駅東口より朝日バス「青葉団地」行きで「団地中央」バス停下車、徒歩4分。
2004年10月20日更新
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