家にいる古いモノたちを、なるべく上手に生活の中で活用する、というのは、私の長年のテーマ(?)のひとつです。タイトルのごとく、共存していくということなのですが、現実問題として、実用には、ほど遠いモノばかりで‥‥。ただ、"癒し"という視点からは、高得点をあげられるモノが、大多数なのでした。そんなモノたちの中で、産後6ヶ月の間、大活躍したモノがあります。それは、戦前の牛乳箱です。
突然ですが、現在0歳の赤ちゃんは、1歳までに何回予防接種を打つと思いますか? 任意分を含めて13回です。多いです。授からなければ、まったく知らなかった話で、知った時には本当に驚きました。仕方がないこととはいえ、首のすわらない、いつ泣き出すかわからない赤ちゃんと一緒に病院へ行き、小さな腕に注射を打つのです。当然赤ちゃんは泣き叫びます。私も一緒に泣きたくなります(最初は‥‥)。そのほかにも保健所や病院での健診、離乳食の勉強会、助産師さんの訪問などなど、その都度必要なのが母子手帳。しかし、今まで持っていなかったわけで、置き場所が決まっておらず、どうやってわかりやすく、取り出しやすく置いておくかなぁと、考えていた矢先、視界に飛び込んできたのが、長年空気のようにそばにいた牛乳箱でした。高さ12センチ、横幅13.5センチ、奥行7センチという大きさですが、入れてみると、ぴったりです。それも「母子健康手帳」という文字が出るのがヨイ。これなら、棚の上に置いておくだけで、すぐに取り出せるので安心です(?)。
でも、この牛乳箱は、現在見かけるモノとは、まったく違います。形もさることながら、全体が黒い色というのも珍しい。それも文字が金色という豪華さで、「加藤牧場 彦根市芹川町 電七六一番」と右横書きで書いてあり、その上に大きく「全乳」と書かれた、高級そうな牛乳箱なのでした。一見小さくて、今の牛乳ビンは入らなそうですが、入れてみると、きっちり2本入ります。小さく釘穴があいていますから、柱などに打ちつけたと思われますが、この箱の強度でビン2本をしっかり支えられたのか、ちょっと心配になります。必然的に姿を消していったのでしょうが、戦前に生まれたこの黒い牛乳箱が、玄関先の柱にかかっていたり、置かれている様子を想像すると、シブいといいますか、楽しくなるのです。
牛乳箱といえば、『思い出 牛乳箱』(横溝健志緒 BNN新社発行)を見た時は、感激しました。著者が出会った日本全国の牛乳箱が、県別に紹介され、写真の美しさもさることながら、牛乳箱と街の関わりをたんたんと紹介しておられるのです。静かで、あたたかい写真集だと思いました。巻末には、紹介した牛乳箱のメーカー名、創業した年、もしくは廃業した年などの情報が細かく書かれているのも素晴らしく、残念ながら、「加藤牧場」は載っていませんでしたが、牛乳箱に描かれた彦根市がある滋賀県(特に近江八幡)は、明治時代から地元の牛乳製造元が多く存在したそうです。確かに牛乳箱の写真点数も多く、「均質牛乳」や「○○牧場」など、古いビンに見られる名称が、そのまま箱に書いてあります。中でも「湖東牛乳」の受箱は、屋根がないぶん、加藤牧場の牛乳箱に少し似ているかな? と思ったりして。
書籍の中でも紹介してありますが、そんな懐かしくもあり、時代を感じることができる牛乳箱を、古いデザインのままの形で、現在も作ってくれるお店があります。木箱やの、なつかしロゴ入り牛乳箱です。製作者の中島さんは、なんと30年もの長い間、牛乳の木箱を作ってこられたそうで、その様子がYou Tubeであがっています。古い牛乳箱もたくさん保存しておられ、見たことのないデザインの箱にワクワクしますが、長年工場を経営してきた上での苦労話は、時代の、いえ素材の変化の話でもありました。興味のある方は、ご覧になってみてください。
また、牛乳箱の写真を撮っておられる方は本当に多くて、参考になるホームページはたくさんあるのですが、私が特にお邪魔しているのは、琺瑯看板探検隊が行くの中の木製牛乳箱です。2月24日現在223箱発見しておられます。牛乳箱だけに限らず、見るだけで行ったような気持ちになります。
さて、話をワタクシゴトに戻しまして、生後6ヶ月までは、しょっちゅう手にしていた母子手帳ですが、予防接種を効率よく打てたおかげで、それを過ぎると、そんなに使わなくなりました。でも、いつでも取り出せるという安心感は変わりなく、本棚に牛乳箱と一緒に収まっています。