2011年7月アーカイブ

41-1.JPG
41-2.JPG
台風6号の通過にともない、東京は7月21日から23日までの3日間、秋かと思うほど、気温の低い日が続きました。それまでの連日33度という暑さから解放され、ここぞとばかりに自転車での遠出も再開。娘も嬉しそうです。ふと、東京の骨董市カレンダーを見てみました。22日から"骨董ジャンボリー"が開催されているではありませんか! 天気予報では、22日の最高気温は28度。行きたいなぁと思ったら、旦那サンがビックサイト方面に用事があるとのこと、行きに送ってもらえれば、帰りだけなら抱っこで大丈夫かも‥‥。思い立ったら吉日です。急きょ身支度をはじめました。
両手が開くように、鞄はリュックサックを選び、オムツにおしりふき、ミルクに哺乳瓶、お湯入りポットに娘のお菓子。タオル数枚、ビニール袋数枚、濡れティッシュ、娘の靴下に靴、モノを買った時の手提げ袋、財布にパスモ、カメラに携帯を入れました。こうやって、鞄に入れた物を羅列して書いてみると、行く前から、すでにモノを買った後のような荷物の量です。その上、抱っこ紐の中には10キロ近い娘がいるのですから、まるで修業のようですね。でも、いいんです。思ったより早くに、骨董ジャンボリーデビューできるのですから。

*涼しい日は3日間だけかと思っていたら、その後、ずーっとパッとしない天気が続いています。気温も30度止まり。節電中なので、ありがたいことだと思いつつも、いつゲリラ豪雨に遭遇するかわからない状況なのでした。
41-3.JPG
41-4.JPG

実は、今まではスタッフ側でお手伝いをすることが多かったので、チケットを買うことはなかったのですが、今回は入場料1000円を握りしめて会場に入りました。そして、娘がぐずったらすぐに帰ること。往復の移動時間をいれて、長くとも4時間でやめること。手提げ袋に入るモノだけしか買わないこと。などなど、自分なりのルールを決めてのスタートです。
‥‥結論から申しますと、娘は何度かぐずりましたが、泣くことはなく、途中外に出ると、親しい業者のMさんがいて、カエルの人形で遊んでくださり、気分転換ができたせいか、なんとか1時間半会場にいることができたのでした。見ることができたお店は、ほんの数店でしたが、お客さんが想像以上に多く、通路ですれ違うのも神経を使うほど混んでいて、なんか、嬉しかったです。そんな状況でしたが、何個かつれて帰りました。今回から数回にわたってご紹介していきます。

41-5.JPG
41-6.JPG
では最初に、巴布薬『シントール(エー)』という商品名の、戦前につくられた塗り薬の容器です。惹かれたポイントは、陶器製であること。生成り色に緑色で書かれた文字と、地球に「シントール」と書かれた、タスキをかけたデザインもステキです。よく見ていただくと、当時の日本の領土が濃い色で描いてあります。ラベルでなく、陶器に直接住所や社名、製薬者名まで書かれており、名古屋市東区鶴重町の、シントール薬品株式會社製で、製薬者は松元文作さんだとわかります。ひっくり返すと、底には「岐751」の文字があり、この番号は"統制番号"といって、物資が不足した戦時中につけられました。番号から製作者までわかるとか。ちなみに「岐」は、岐阜県を現しています。詳しくは、『時のかけら~統制陶器』、『統制陶器図譜』をオススメします。こちらでは、長年にわたり、収集してこられた統制陶器を、番号はもちろん、産地や形状など、詳しく紹介しておられます。このシントールも、『時のかけら~統制陶器』の2007年1月と、2005年6月に紹介してありました。ちなみに大きさは、直径75ミリ、高さ50ミリで、比較的大きめのサイズなので、小物入れにヨイです。

41-7.JPG
41-8.JPG

次は、滋養強壮薬『SOZYUEN蘇壽圓(ソジュエン)』の同じく陶製容器です。同じお店に、ちょこんと並んでいました。陶器でできた容器って、洗練されていない、ボテッとした感じが、可愛くて好きなのです。大きさは、直径57ミリ、高さ24ミリです。白地に茶色い文字が、いい感じなのでした。はじめてのお店で、パッと発見して買う、という行為は、壮快感があります。ご縁があったのですね。

そういえば、"かんぢや"のお2人にひさしぶりにお会いしました。数年ぶりなのに、ぜんぜんお変わりなく、お元気そうで嬉しかったです。かんぢやといえば、倉敷懐かしマーケットを主催しておられる方です(No.34参照)。7月31日日曜日は、倉敷懐かしマーケットが開催されますよ。近ければ、私も行ったのになぁ~と思ったのでした。

41-9.JPG
人気ブログランキングへ

40-1.JPG

40-12.JPG

40-2.JPG

郵便局へ行くと、いろいろな種類の切手を売っています。その中に、アニメの『ベルサイユのばら』切手があったのには、ビックリ。思わず「こんなところにオスカルが!」って、つぶやいてしまいました。子供の頃、テレビにはりつくようにして見ていたので、懐かしいです。主題歌だって、いまだに歌えます。その横に、東京タワーとスカイツリーが一緒になった切手もありました。そうです。アナログ放送からデジタル放送へ変わったことでの、記念切手です。平成23(2011)年7月24日、日曜日の正午。アナログテレビ放送が終了しました(岩手、宮城、福島をのぞく)。‥‥といっても、わが家の地デジ化は、昨年夏に終了しており、すんなりと移行した感じです。でも、正午前には、わざとアナログ放送に切り替えて、画面が変わるのを見ていました。アナウンサーの女性が11時59分に、「アナログ放送、ありがとうございました」って、頭を下げた姿が印象的でした。

40-3.JPG
40-4.JPG
0時には、東京タワーから発信されてきたアナログ電波のスイッチがすべて切られ、その様子が早朝のニュースで流れたのですが、少し寂しく思いました。そんなアナログ放送で大変お世話になった、東京タワーに、「58年間、お疲れ様でした!」ということで、今回は『東京タワーランプ』をご紹介します。ランプといっても、高さが145ミリの、赤い電球なのですが、注目すべきは電球の内側です。ガラスで出来ていると思われる、東京タワーが入っているのです。それもタワーのてっぺんには、星が4つ付いており、星に近いほどの、大きなタワーをイメージしたのでしょうか。なんとも可愛らしいデザインです。この星は、電球を点けた時に、上昇する暖かい空気によって、クルクルまわるのでした。赤い色も、東京タワーらしくていいですね。
40-5.JPG
40-6.JPG
話が前後しますが、今までは、遠くからスカイツリーの建築途中を何度か撮影してきました。けれど、地上デジタル放送がスタートする前に、実物を間近で見てみようと思い、家族3人で行くことに。東京タワーの次を担う、新規電波塔のスカイツリーは、平成24(2012)年5月22日の開業(予定)に向けて、着々と追い込みの工事が進んでいる最中でした。完成すると、日本はもちろん、世界一となる巨大電波塔のスカイツリーは、高さが634メートル。真下から見ると、ものすごい迫力です。大きすぎて視界に入りきらないほどです。ただ、仕方がないこととはいえ、工事の騒音も半端なく大きい。これは、完成したら多くの人に来てもらって、盛り上げてもらわないと、モトがとれないなぁと、真剣に思っちゃいました。
40-7.JPG
40-8.JPG
40-9.JPG
後日、高速を走る車の中から、東京タワーを眺める機会があり、ビルの間に、見え隠れするタワーの姿に、「こんなに小さかったかなぁ」と思いました。でも、私にとって、いえ多くの人にとって、東京タワーは、間違いなく東京の象徴的存在でした。はじめて東京に出てきた時見たタワーの大きさ。自分が東京に来たんだという実感を噛みしめながら、キラキラ輝く姿を眺めていました。旅行に行っても、東京駅に着く直前に、列車の中から見る東京タワーの輝く姿に、どれだけホッとしたかわかりません。そんな安心感を与えてくれるグッズのひとつとして、この東京タワーランプが、わが家にいたりします。
40-10.JPG

40-11.JPG


 

人気ブログランキングへ

39-1.JPG
39-2.JPG
昨年5月の話です。『名探偵コナン』が描かれた飛行船が、都内上空を飛んでいました。「コナンの飛行船だ!」思わず叫んだ私に、となりにいた旦那サンも、「おおおお!」と興奮気味。飛行船を見ると、ついつい声が出てしまう2人なのでした。なんかトクした気分になるんですよね。
名探偵コナンといえば、作者の青山剛昌先生が、故郷鳥取県の出身なので、身近に感じる漫画家のひとりです。余談になりますが、山陰本線の由良駅を降りると、青山先生の故郷ということで、"コナン通り"があり、"コナン大橋"や"青山剛昌ふるさと館"があります。また、同じく鳥取県出身である水木しげる先生の『ゲゲゲの鬼太郎』が描かれた"鬼太郎列車"も、米子から境港まで走っており、境港には"水木しげるロード"があります。なんだかアニメで有名になりつつある、鳥取なのでした。それにしても、飛行船にコナンとは、すごいなぁ。ついつい追いかけたいと思ったのですが、臨月に入っていた私は、発見できただけでもラツキーです。そう思って、見えなくなるまで眺めていたのでした。
しかし、そんな私の思いが通じたのか、飛行船が着陸した場所を、突き止めることができまして、撮影に成功したのは、嬉しい思い出です。地上に座って、くつろいでいるように見える飛行船は、見上げるのと違って、本当に大きくて、迫力がありました。家に帰って調べてみると、飛行船"名探偵コナン"号は、映画『天空の難破船』の宣伝用で、お値段は少々高いのですが、乗船もできました。映画は後日見ましたが、飛行船のシーンは、迫力があって見応えがありましたね~。
39-3.JPG
こんなトシを重ねた大人まで、ワクワクする飛行船。それが昭和4年の東京上空に現れたら、どうなんでしょう。高層ビルもない、広い空に浮かぶ雄大な飛行船です。遠くからでも発見できて、子供たちは追いかけたに違いありません。手元に隅田川の上空を飛ぶツェッペリン伯爵号の絵葉書がありますが、さぞかし、驚き、感激して、首が痛くなるほどに見上げたのではないでしょうか。絵葉書には、「航程六五〇〇哩を美事征服帝都の上空に雄姿を現はしたるツエ伯號(両國橋上空)」と書いてあります。昭和初期の隅田川近辺は、まだまだ大きな建物が少ないこともよくわかりますし、いかにツェッペリンが大きいかもわかる、お気に入りの絵葉書なのです。

39-4.jpgさて、今回ご紹介するのは、大好きな飛行船が描かれた、アルミ製のカップです。それも携帯できるように、伸縮する構造になっており、つぶすととても小さくなる、便利なカップなのです。大きさは、直径65ミリ、最大の高さが70ミリになります。骨董ジャンボリーで出会った時は、興奮しました。でも、地味だからでしょうか。売っている業者さんは興味がないようで、とても安かったのも嬉しい。肝心の飛行船が描かれている場所は、カップのフタですが、少々稚拙な絵柄で、山なのか雲なのかわからないところを、飛行船と飛行機が飛んでいる様子が描いてあります。う~ん。実にシブイ。味わいのあるデザインです。こういう、チラリと過去の世相を垣間見ることができる、生活雑貨に出会うことも、私の楽しみのひとつなのです。
39-5.JPG
39-6.JPG

人気ブログランキングへ

38-1.JPG
38-2.JPG
古物と向き合っていると、「よく考えるものだ」と感心するモノに出会うことがあります。今回ご紹介するガラスペンもそうなのですが、ガラスペンといっても、ペン先ではなくて、まるごとガラスでできたペンで、なおかつ、ガラスの中には細長い紙が入っていて、紙には「松江大橋畔 三島旅舘 電五六三番」なんて、旅館の宣伝が書かれていたりするから、よく考えるなぁと思ったのです。思えば、鉛筆にも広告などの文字が入りますから、ガラスペンもありなのでしょうが、作る手間が圧倒的に違うような気がするのですが、どうなのでしょう。もう1本の紙には、「輕快‥‥堅牢‥‥事務‥‥至寶‥‥光明印複寫ペン」とあり、裏面には「運筆‥‥快走‥‥圓滑‥‥自在‥‥光明印複寫ペン」と書かれています。「複寫ペン」という筆記用具なのですね。

38-3.JPG
同じく細長い黄色い紙が入ったガラスペン2本は、六角形で、端から少し離れたところが、くぼんでいて、デザイン性が増しているような感じです。紙には「カーボンペンシル」という商品名が、ローマ字で書いてあり、パテントナンバーが明記されていたので、調べてみると、昭和10年に「複写用硝子ペン」として、東京下谷區の佐々木清治さんによって、実用新案登録されていました。登録内容は、机上で転がりにくく、汗ですべりにくいように、六角形にしたという構造のことで、単純といえば単純なことですが、光明印複寫ペンなど、まるいペンと比べると、確かに机の上で転がらないし、持った感じの指のおさまりというか、安定感がまったく違います。その考えでいくと、ペンの端をふくらませた銀色のガラスペン2種類は、机上ですべらないように、このような形にしたと思われます。なんだか、おもしろい形ですが、他にも種類があるのでしょうか。そういえば、ガラスの簪でも、似たようなモノがあったと思います。
38-4.JPG 
さて、この複写用硝子ペンですが、どうやって使うのかわかりますか? 今でこそ、書類の複写いえ、コピーをしようと思えば、コンビニにもコピー機は当たり前のようにありますし、プリンターで簡単に印刷もできます。けれど、それらがまったくない時代は、紙と紙の間に黒いカーボン用紙を挟んで、複写用硝子ペンで書く(なぞる)しかありませんでした。それも、当時のカーボン用紙は、現在のように文字が下に写る仕組にはなっておらず、両面転写のみで、2枚の薄紙の間にカーボン用紙を挟み、ガラスペンで書き、上に敷いた紙は、裏に写った文字を透かして読んだそうです。自分が書いた文字が表面に見えないなんて、今では想像しがたい話ですが、同じものを2枚書くよりは、はるかに手間が省けたのでしょう。ちなみに、当時の筆記用具といえば、万年筆か鉛筆ですが、両方とも強い筆圧で書く事ができないため、カーボン用紙を使用した複写には、不向きでした。よって、先端が細く、強い筆圧にも耐えることができる、硝子製の複写ペンが誕生したのです。しかし、戦後アメリカから持ち込まれたボールペンの進出により、複写用硝子ペンの必要性も薄れたのでしょう。市場から消えていきました。

38-5.JPG

ところで、最近ようやく"ガラクタ共存記"の更新を、自分でできるようになりました。今までは"まぼろしチャンネル"の管理人である、刈部山本さんにお世話になっていたのですが、更新マニュアルを刈部山本さんが作ってくださり、なんとかできるように‥‥。ありがとうございました。それこそ、私的には、手で複写していたのが、コピー機登場というくらいの、画期的進歩(?)なのでした。

38-6.JPG
人気ブログランキングへ

37-1.JPG
37-2.JPG
7月9日土曜日のこと、毎月第2土曜日に開催される、護国寺骨董市に行って来ました。もちろん、娘との散歩を兼ねてです。朝7時半だというのに、すでに気温は30度近くあり、湿度が60%近くあるという、この不快極まりない感じ。仕方がないとはいえ、早く梅雨明けしてくれないかなぁと思ってしまいます。
護国寺といえば、3回ほどお葬式で来たことがありますが、それ以外の用事でくるのは、はじめてです。これまた坂の多い場所にあり、自転車で行くのは大変ですが、抱っこ紐の中にはタオルでぐるぐる巻きにした保冷材も入れてありますし、会場に付いたら、冷たいペットボトルを娘に持たせるなど工夫をして、このジメジメした暑さを乗り切りたいと思うのでした。


37-3.JPG
37-4.JPG
護国寺の近所に、昔ながらのペットショップがあります。小鳥がメインで、いまどき珍しいなぁと思いながら、何度か仕事中に車で通った時に眺めてきたのですが、玄関が開いていたので、のぞいてみました。すると、ご夫婦で小鳥などの世話をしておられました。手前に置かれた大きなカゴの中には、巨大なウサギがいて、緑色の葉っぱを美味しそうに食べていたのですが、よく見ると、葉っぱの下に、まだ目が開いていない赤ちゃんウサギが、数匹モゾモゾと動いていました。可愛い‥‥。そういいながら眺めていると、ご主人が赤ちゃんを手にのせて、娘に見せてくださいました。朝から思いがけない嬉しい出来事です。肝心な娘は、はじめて見るウサギの赤ちゃんに、どういうわけか、メソメソ泣きはじめました。なんででしょう。おもしろいなぁ‥‥。
37-5.JPG
37-6.JPG
護国寺に着くと、地下鉄の入口横に、骨董市の幟が立ち、手書きで書かれた「骨董市開催中」の案内が立てかけてありました。自転車を止めて階段を登ると、立派な本堂を前に、何件もの業者さんが、お店の準備をしておられます。骨董市は、早朝から開催しているものだと思い込んでいたのですが、護国寺骨董市の案内を見ると、「8時から」と書いてあったので、8時前を目標にして、大正解でした。その時間でもまだまだモノは並んでいませんでしたから。その様子をぼんやりと眺めていると、ひと昔前の、早朝やって来たトラックのもとに、コレクターの方々が走り寄っていた光景が、遠い昔のおとぎ話のような感じで思い出されます。骨董市によって、開催時間は、いろいろなのでしょうが、どんどん変わってきているのでしょうね。

37-7.JPG
37-8.JPG

そんな中で、またお皿を見つけてしまいました。いえ、正確には小鉢です。直径が135ミリで、高さが55ミリという大きさなのですが、これくらいの大きさって、わが家にはひとつしかなく、あれば便利だと思っていました。でも、昔のお皿は、見れば見るほどおもしろく、キリがないので、No.32でも書きましたが、鳥が描かれたモノだけにしようと決めたのです。そしたらいたのです。この鉢にはコウモリが描かれていました。ん? コウモリは鳥じゃないって? でもまぁ、空を飛ぶ縁起物ということで‥‥。特にこの鉢は、中央に大きなコウモリが描かれ、まわりにはザクロと桃が描かれています。コウモリは子供をたくさん産むのと、害虫を食べてくれる、ありがたい生き物ということで、縁起がいいとされてきましたし、ザクロも桃も、健康や不老長寿の意味があります。つまり、この小鉢は、縁起をかつぎまくった鉢といえそうです。持った感じもしっかりとしているし、使いやすそうなので、つれて帰ることにして、暑くなってきたし、急いで帰ろうと思ったら、直径が80ミリほどの、豆皿が視界に飛び込んできました。描かれているのは、お月様と梅の花と鳥です。なんの鳥でしょう。可愛いなぁと眺めていたら、コウモリの鉢を買ってくれたからと、とても安いお値段で売ってくださることに。わーい。嬉しいなぁ。それにしても、やきものなど陶器類は、本当に安くなりました。嬉しくもあり、昔買ったモノを思うと悲しくもあり、これも時代の流れなのだと思います。

 家に帰ってから、『明治・大正・昭和の図変わり印判』(野口裕教・沼野国典・沼野信子編 光琳社出版発行)を見てみたら、この豆皿は、「梅に鶯の図 豆皿 銅板染付」と紹介されていました。ウグイスだったのですね。

37-9.JPG
37-10.JPG
帰りの道々、護国寺内を散策してみると、本当に美しく手入れがされており、垣根の木々も見事ですし、都会の真ん中にいるとは思えません。そんな境内で、採りたてって感じの野菜が、山のように積んでありました。美味しそうですね。ここの骨董市は、野菜をはじめ、お団子やお赤飯、子供服などのリサイクル品なども売っています。毎回こうなのでしょうか? と思ったら、7月9、10日は、観音様の縁日、それも「四萬六阡日」でした。朝早いので、人も少ないのですが、これから賑わうのでしょう。
37-11.JPG
37-12.JPG
37-13.JPG
さて、梅雨が明けないかしら‥‥なんて思っていたら、本日関東は開けてしまいました。平年よりも12日も早い梅雨明けだそうです。家に帰ったら、急速に青空が広がり、気温が急上昇、朝は高かった湿度も退散。とても暑い1日となりました。実は、この日は谷中でペケ市(No.15参照)も開催しており、友人の家鴨窯一家が出店しています。自転車でひとっ走り、暑中お見舞いでも申し上げたく思いました。‥‥が、暑い。すごく暑い。店主の"がーちゃん"もバテ気味で、友人たちも日に焼けていました。お疲れ様です。でも、ひさしぶりに会えてとても楽しく、娘も喜んでいたし、がーちゃんのグッズも、前回よりたくさん並んでいて、嬉しかったです。


37-14.JPG
37-15.JPG

人気ブログランキングへ

36-1.jpg
36-2.jpg

NO.35に続き、浅草のお話です。話が前後しますが、境内からのスタートです。

まずご紹介するのは、戦前の浅草寺絵葉書です。前回より、もっと古い時代のモノで、上から直に彩色しているのが特徴です。明治時代のモノだと思うのですが‥‥。そういえば、「明治は遠くになりにけり」なんてセリフも、10年くらい前までは、業者さんとの会話に普通にでてきたものですが、そんな話もでないくらい遥か彼方、大昔って感じになりました。そんな時代から、浅草寺はこんなに立派な本堂を構え、仁王門(現・宝蔵門)も見事だったのです。人と比べると、本当に大きい門です。もちろん、現在も大きくて立派で、上手に写真撮ろうと思っても、枠内に収めるには、かなり離れないと全体が撮れません。自分1人なら、走ってでも全体を撮るのですが、抱っこしている娘がぐずりだしたので、仕方がありません。中途半端な写真ですが、これもご愛嬌、早朝探検の記念です。

36-3.JPG
36-4.JPG
参拝も無事に終わり、達成感とともに、晴れ晴れとした気分になりました。本当は、護摩供を申し込もうと思ったのですが、さすがに朝早すぎて受け付けておられませんでした。なんせ6時過ぎですから‥‥。けれど、昨日受け付け分の護摩供がはじまっており、静かな本堂には、お坊さんのお経が、響き渡っています。ますます、すがすがしい心持ちになったのは、いうまでもなく、しばらく目を閉じて聞いていると、わが身も引き締まる思いです。

36-5.jpg

仁王門を出ると、目の前は仲見世通りです。たくさんの商店がずらりと並ぶ景色は、楽しそうで、いいですね。着物姿にカンカン帽を被った御仁が、数人いらっしゃいますが、粋ではありませんか! ちなみに、カンカン帽は明治末頃より、日本で流行りはじめたそうです。そして、なんといっても観光地での、お楽しみのひとつはお買い物でしょう。普段見ないモノや観光地ならではの記念品、お土産など、ひとつひとつ手に取りながら選ぶのは、ワクワクドキドキ。楽しいことこの上なし。さて、参拝記念に、なにかお土産を買いたいものです。まずは、故郷に向けて便りでも出すべく、絵葉書を選びましょうか。写真もいいけれど、子供も授かったことだし、可愛らしいモノを選びましょう。 

 

36-6.jpg

「これこれ、エンボス加工されたやつで、真ん中には大きな仁王門の写真と、まわりに子供のオモチャと、鳩が描かれた絵葉書。これがいいな。これを1枚くださいな」
親の鳥好きが子供に伝染するかはわかりませんが、今のところ、鳩に一番興味を持っているわが娘です。その様子を書いて送りましょう。
次に視界に飛び込んで来たのは陶器屋です。いろんなやきものが並んでいます。さてさて、今日の記念に小皿でも買いましょうか‥‥と思った時です。
「あれ? さっき買った絵葉書と同じ絵柄のお皿だよ! 絵葉書とお揃いの小皿があるなんてビックリ! 欲しい! 欲しい!」
絵葉書とお皿がお揃いなんて、はじめて見ました。私的には大発見です。さすが浅草寺ですね。ほかにもお揃いのモノがあるのでしょうか? でも、もう今日はこれで充分。大満足のお買い物ができました。当然のことながら、買った絵葉書は、もったいないから、使わずにおきます。

36-7.JPG 

‥‥‥以上、仁王門を出てからは、私の空想話でした。

もちろん、わが家にやってきた絵葉書と小皿は、同じところで買ったわけではありません。偶然手に入れたモノが、同じ柄だったのです。いやはや驚きました。ひさしぶりにワクワクした出会いでした。
おしまいに、今も買えるお土産をご紹介しましょう。株式会社箱長の文箱です。桐箱に布でつくられた雀が3羽、デザインされています。雀に惹かれて、だいぶ前に求めました。こちらでは、手鏡などの小物から、家具や仏壇という大物まで、いろいろつくっておられますが、桐は軽くていいですね。木が落ち着いた色合いなので、布地でつくられたものが、なおのこと鮮やかに映えているように思います。そうそう、それこそ、箱長は明治7年に創業された桐工芸の老舗です。この小皿と絵葉書が売られていた時代には、当然のことながら営業しておられました。

そんなことを思いながらの、早朝浅草散歩、そろそろお開きといたしましょう。

36-8.JPG
人気ブログランキングへ

35-1.jpg
35-2.jpg
35-3.jpg

子供の頃から自転車が大好きでした。親戚のおじさん宅が、自転車店だったということもありますが、自分の好きなように進めて、細い道でも通ることができて、風も匂いも、身体で感じることができる自転車は、私の探検仲間であったに違いありません。その思いは、毎回田舎に帰ると発揮されていて、年に1度しか帰らないのに、だいたいの道やお店など、町の変化が頭に入っているのは、私のささやかな自慢です。子供が出来たことにより、数年後には自動車の免許を取ろうと思ってはいるのですが、う~ん。一番大好きだった友人を、自動車事故で失っている私としては、この大都会で運転することが、よろしいのかどうなのか、ちょっと考えてしまうところです。

35-4.JPG
話が横にそれましたが、そんな自転車好きな私の、探検意欲がフツフツと湧いてきたのは、子供と一緒に自転車で移動できるようになってからのこと。少しずつ距離をのばし、時に迷子になりながら、毎日のように移動するうちに、どんどん遠くへ行くようになったのです。そして、日々地図を見るようになりました。東京はなんて坂道が多い土地なのだろうと思いながら。わが家から、一番坂が少ない方角は南です。だけど坂が少ないということは、ビルが多く、車も人も多い。多少しんどくても、おもしろくて、趣きのある町は、坂道とともにあります。次の目標は、坂を登って下って、また登って下った先にある浅草かな。古くからの観光地、浅草の"観音様"として親しまれている"浅草寺"は、私が書くまでもなく、古来より人々の信仰に支えられ、東京の一大名所として栄えてきました。距離的には行けないはずはないと、地図で確認しつつ、日曜の早朝なら車も少なく、安全に行って帰って来られるでしょう。

‥‥というわけで、早速行ってみました。早朝の浅草へ。
35-5.JPG
35-6.JPGもちろん梅雨の合間の晴天をねらってです。案の定、車も人も少なくて、普段当たり前に耳にしている車の音も、人の話し声も聞こえず、坂を下る自転車の車輪の音だけが響いていました。遠くに見えるスカイツリーも完成間近で、浅草界隈は、またひとつ大きな観光スポットを身近に置くことにより、ますます元気に栄えていくのでしょう。なんて思いながら、人が少ない道というのは、進み放題なわけで、下り坂でもブレーキをかけなくていいし、スイスイと気持ちいいこと、この上なし。6時前に到着した浅草寺は人が少なく、当然のことながら、お店は開いておらず、商店街もガラガラでした。写真を撮ってみたものの、早過ぎました。少々暗い仕上がりです。仲見世商店街では、「がんばれ東北、がんばろう日本、仲見世商店街も応援します」と書かれた垂れ幕がかかっており、帰り道では、「がんばろう日本」と書かれたはとバスがいました。私も普通に暮らせることに感謝しながら、東北商品の購入や義援金など、ささやかではありますが、継続できることはしなければ‥‥。
35-7.JPG
35-8.JPG話を浅草に戻しまして、今回は戦前の浅草寺絵葉書をご紹介します。当たり前ですが、今とは様子が違います。けれど、楽しそうな雰囲気は、まったく変わりません。思うに、どんどん変貌を遂げる東京ですが、神社仏閣は、唯一昔を感じられる風景なのかも知れません。変わることも大事。けれど変わらないことも大事。そのバランスが、これからますます問われてくるような気がします。
次回No.36では、浅草の続編としまして、戦前の浅草でお買い物をしてみましょう、というお話です。なにが買えるでしょうか? 私的には、ひさしぶりにワクワクしたお買い物でした。

35-9.JPG

 

35-10.JPG


 

 

人気ブログランキングへ
...トップページへ

Author


    さえきあすか -asuka saeki-
    忘れ去られてしまいそうな、昔なつかしいモノたちに魅せられて、コツコツ集めています。古くさいけど、あたたかくて、あたらしい。そんな愛すべきガラクタたちをご紹介します。

    旧サイト連載:
    駅前ガラクタ商店街
    …昭和以前の生活雑貨録

さえきあすかの本

Powered by Movable Type 5.03

2014年1月

      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

このアーカイブについて

このページには、2011年7月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2011年6月です。

次のアーカイブは2011年8月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。