2011年12月アーカイブ

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今回ご紹介するのは、玄関に飾ってある北欧生まれの壁掛けです。大きな黄色い鳥に、赤いワンピースを着た女の子がのっかっている絵柄で、まるで絵本に描かれた絵のような、可愛らしいアンティークの壁掛けなのです。クリスマスに小さなツリーと一緒に飾ったのですが、娘がこの壁掛けを見るたびに、「がーがー」と指をさすので、しばらく飾っておくことにしました。

クリスマスが終わると、ツリーなどの飾りを片付けて、いっきに新年を迎える準備がはじまります。お正月飾りは、29日は「苦に立つ」という語呂からよくないし、31日は「一夜飾り」といって、縁起が悪いので、飾るのは、28日か30日です。毎年バタバタと30日に飾ってきましたが、今年は28日に飾ることができました。そして、家の中に悪い気を入れず、無病息災と、家内安全を願って飾る注連縄も、昨年までは飾っていませんでしたが、今年からは飾ることにしました。家族3人3連の注連縄です。娘は獅子舞を見て、「わんわん」といってます。

さて、あとは大掃除ですが、娘の遊び相手もしないといけないので、ほどほどに‥‥。

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いろんなことがあった、平成23年でしたが、来年は、どうか災害のない年となりますように。

心身ともに元気な1年でありますように。

よい年をお迎えください。

 

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ジュエリーを衝動買いしちゃいました。古いモノではないんですけど、欲しいって思ってしまって‥‥(安かったせいもあるけど)。ちょうどクリスマスも目前だし、25日からつけようと思ったら、この日は新月でした。新月の日って、物事のスタートにはヨイとよく聞きますよね。その上、クリスマスに新月が重なるのって、19年ぶりなんだそうです。思えば、この2年間、私としては、本当によく頑張りました。そのご褒美として、このグリーンがかった天然石のペンダントと、リングを身につけて、気持ちも新たに新年を迎えようと思ったのです。

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でも、なんで突然、乙女ちっく(?)なのかというと、先日友人が遊びに来てくれまして、ささやかな忘年会を開催したのです。以前は、ホテルでバイキングのランチをいただきながらの忘年会だったのですが、娘がまだ小さいので、狭いわが家に来てもらうことにして、友人たちがデパ地下で、オードブルや、ワイン、チーズに果物、ケーキなど、わんさか買って来てくれたのでした。そして、今年1年のいろんな話をして、美味しく食事をいただき、楽しい時間を過ごしたのですが、彼女たちが帰ってから、ふと、ずいぶん自分をかまっていないなぁと思ったのです。もともとお化粧も面倒と思うタチなのですが、最低限日焼け止めくらいは塗っていたのに、今年は娘の成長がいちじるしく、自分のことをかまう気持ちの余裕がなくて、日焼け止めすら塗っていませんでした。このままでは、ダメだなぁ‥‥。そんなことを思っていたら、ジュエリーの衝動買い。前述に戻るわけです。でも、シンプルなデザインで、なんだか、やる気も出てきました。

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などと、古いモノから離れた話になりましたが、今回ご紹介するのは、クリスマスということで、セルロイドで出来た、サンタクロースのお面です。セルロイドって、プラスチックと違って、華奢で、やわらかくて、あたたかい感じがします。そして、優しそうなサンタさんの表情に、今年も残り少ないことを感じました。ちなみに、娘へのクリスマスプレゼントは、アンパンマンの折りたたみ三輪車です。

おしまいに、3枚目の写真は、近所のお店に飾ってあったクリスマスツリーのアップです。全部キャンディで出来ている、美味しそうなツリーなのです。

 

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今回ご紹介するモノは、陶器でできた、ひよこの醤油注しです。ひよこが卵の殻を割って、頭をちょこんと出したデザインで、醤油はひよこの口から出てきます。実に凝った醤油注しで、とても可愛らしくて、大好きな一品なのです。でも、残念ながら使ってはいません。お皿は毎日大活躍しているのですが、一番よく使っている醤油が、香川県の鎌田商事株式会社で造っておられる"カマダ だし醤油"で、紙パックに入っているので、容器に移し替える必要がなく、そのまま使っているのでした。

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でも、このひよこ醤油注しが、食卓に置いてあったら、なんだか楽しくて、子供たちは喜んだに違いありませんね。

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裏面を見ると、「駒込一丁目 株式会社 西 三河屋 電(94)二、九二七」と描いてあります。「三河屋」っていうと、サザエさんに出てくる酒屋が浮かんできますが、この三河屋は、どんなお店だったのでしょうか。株式会社なので、小さな酒屋や、小料理屋などでは、ないような気がするのですが‥‥。景品として配られたモノのように思います。 

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それにしても、日本の調味料の代表選手ともいえる醤油を入れる容器って、昔からいろんな種類があります。大きな瓶で販売されていたから、移し替える容器は必要だったのでしょうが、ガラスの醤油瓶なんて、コレクターも出現するほどですし、色だって無色透明にはじまり、グリーン、ブルー、ピンクとカラフル。その上、樽型やオシドリの形の醤油瓶をはじめ、花や星、格子模様など、さまざまな模様が施されていたりと、本当に多種多様です。陶器製の醤油注しだって、どれくらい存在するのか、想像もつきません。「日本の食卓には醤油ありき」って感じで、重要な調味料として、古来より活躍してきたことの表れですね。

  

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今回ご紹介するのは、昭和13年に発行されたカタログ通販の雑誌です。それも「百貨店経費を省いた、店ざらし商品絶無の、割戻しクーポン(金券)付の、新販売機関」というキャッチフレーズが書いてあり、「新販売」という文字から、カタログでの販売が、目新しいものであったことがうかがい知れます。発行元は"東京百貨株式會社"で、タイトルは『東京百貨型録・第三號』です(以下、型録ではなく、カタログとご紹介します)。

ご覧ください。なんて素晴らしい表紙なのでしょうか。古いモノが好きな方であれば、瞳がキラキラしてしまうような、ステキな表紙です(落書きがしてあるのが残念ですが‥‥)。それもカラーなのがいいですね。126ページにわたって掲載された商品の多さも見事で、昭和13年という時代に、こんなにお洒落で、ワクワクするモノたちが販売されていたのかと、驚きもしました。ぜひとも、ご縁があれば、ほかの号も入手したいものです。 

75-3.jpgさて、今回は『東京百貨型録』の中から、文房具(事務用文具)が紹介されているページを取り上げたいと思います。文房具だけでも7ページもあるのですが、あえてホッチキスやアイン紙綴器、鳩目紙綴器(ハトメパンチ)、二ツ穴、三ツ穴パンチが掲載されているページをご紹介します。というのは、何度かご紹介してきました無針紙綴器につなげて書きたいと思ったからです。

実は、『輸入・廃番文房具の発掘メモ』にて、無針紙綴器をはじめ、私のことまで取り上げていただきました。ありがとうございました。書いておられる、たいみちさんは、その後次々と無針紙綴器の仲間を発掘され、その様子に、欲しいと強く願っている時は、モノはやってくるということを、あらためて思いました。私も、そんな経験が何度かありますが、「そうだったんだ!」って、発見できた時の嬉しさは、思い出すだけでも、ニンマリとしてしまいます。

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たいみちさんのHPは、タイトルからもおわかりのように、廃番になった文房具について、きちんと書いておられ、とても勉強になります。また、ブングテンや古文具市などにも参加され、カレンダーをつくっておられたりと(とても可愛い)、"文房具の伝道師"として、頑張っておられます。なんだかすごいです。私も古い文房具好きのハシクレとして、今後も少しづつご紹介していきたいと思っています。

話を『東京百貨型録』に戻しまして、昭和13年頃も、すでに紙を綴じる道具が、たくさん販売されていたのですね。それもカタログに載せるほどですから、現在より重要視されている気がします。無針紙綴器のように、針がなくても綴じれる商品でさえ、たいみちさんの紹介しておられるモノを見ると、複数でていますから、需要があったということでしょう。

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ホッチキスといえば、以前ご紹介した、飛行船の形をしたホッチキスがありますが、飛行船以外にもライオンや鳩など、いろんな種類があるようです。事務用品なのですから、なにも形に凝らなくてもいいのでしょうが、そのこだわったデザインに遊び心が感じられ、当時デザインされた方のセンスのよさといいますか、心の余裕を感じてしまうのです。

それにしても、針不要の無針紙綴器誕生から93年が経ち、紙不要の時代になりつつあります。といっても、必要、不要のバランスをうまく取りながら、各人の判断(好み)で、選んでいける時代になってきました。私も残したい手帳は、毎年同じモノを買い、ちょこちょこと書いて、同じように整理していますが、それ以外は、パソコンの中に保存してあります。

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6回にわたって書いてきた里帰りの話ですが、最後にご紹介するのは、米子城跡から見下ろしたと思われる、「米子市全景」の絵葉書です。昔の絵葉書を意識するようになってから、大山や日本海、皆生温泉の絵葉書は見てきたのですが、民家が密集した米子市全景の絵葉書に出会えたのは、とても嬉しかったです。でも、この絵葉書は「米子市全景」の横書きの文字が、右からではなく、左から書いてあります。「意外に古くないのかな? いつ頃なんだろう」と、ひっくり返してみると、「昭和三年十月 鑯道省 伯備線全通記念」と書いてありました。発行された年代が記されていたのは、ありがたいです。それにしても、昭和初期の米子って、こんな感じだったのですね。城下町らしい、今からは想像できない町並みに、感激しました。

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さて、最終日は、米子城近くにある加茂川・中海の遊覧船に乗ってみることにしました。米子で生まれ育ったとはいえ、川から米子を見たことはありません。なんでも、商家として栄えた米子の下町風情を巡る観光遊覧船だそうで、写真でご覧のとおり、白壁土蔵前の天神橋付近の旧加茂川から出発し、下町から中海へ出ます。中海では水鳥公園、粟島を目前にUターンし、再び加茂川へ入り、天神橋に戻るという、約40分のコースなのです。

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今まで意識したことがありませんでしたが、旧加茂川には、橋が何本もかかっており、高さが低いので、くぐる時は、なんだかワクワクしました。

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川に面した町並みも、懐かしい感じで、のんびりイイ気分。少々曇りなのは残念ですが、11月だというのに、気温が20度近くあったのが幸いで、娘も楽しそうです。

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旧加茂川から中海にでると、粟島を目前に船はUターン。目の前には伯耆富士こと、大好きな大山が見えました。余談ですが、テレビを見ていたら、大山がいきなり出てきたので驚き、「なんのCM????」と見ていると、「天使のララ」っていう美容にいい商品のコマーシャルでした。試したことはありませんが、頑張って欲しいと思いました。

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さて、穏やかで、優しい水面を静かに船で走りながら、ぼーっと景色を眺めていたら、境港から米子まで、中海を通って、定期的に観光船を出せたら面白いのに‥‥と思いました。波の荒い日本海は無理ですが、中海なら、定期的に船を出すのは大丈夫そうです。細長い弓ヶ浜半島を移動する交通手段は、境港線を走る汽車とバスですが(自家用車、タクシー除く)、本数が少ないし、その間に"船"という選択肢もあると、楽しいと思うのです。新潟のように広範囲ではなくても、レンタサイクルも用意し、自転車も船に乗せることができるようにして、観光客はもちろん、市内の人や釣り人も利用する交通手段。でも、それだけだと採算が合わないので、米子港に"道の駅"のような市場をつくって、境港から毎日新鮮な魚を運ぶなどして、米子港近辺にも活気を取り戻していただく‥‥。

そんなのがあったら楽しいと思うんだけどなぁ、などと、妄想をしながら、最後に、昔の米子港の絵葉書をご紹介して、里帰りの話はおしまいにしたいと思います。

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旧加茂川の河口から眺めた、米子港だと思います。

  

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ご紹介する手彩色の美しい絵葉書は、靖国神社です。大きな鳥居をくぐって、本殿に向かう途中だと思われますが、まわりの木々も、まだそんなに大きくなく、すっきりとした印象です。カンカン帽姿の男性が何人か見え、大人の女性は、まだ着物姿で、子供の服装と、女性の日傘から、夏のようです。広々とした、陽当たりのよい境内を眺めていると、なんだか、のんびりした気分になります。さて、そんな靖国神社へ12月4日日曜日に行ってきました。

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「うわぁ~」思わず大きな声をあげてしまいました。真っ青な空の下に、真っ黄色に紅葉した銀杏の大木が、ずらりと並んでいたからです。ところは先にご紹介しました靖国神社。この日は、京都からやってきた骨董仲間のKちゃんと、靖国神社青空骨董市で待ち合わせをしていました。1ヶ月くらい前から予定をいれていたのですが、前日まで雨で、気温も8度と低く、どうなることかと思っていましたが、4日は素晴らしい晴天で、気温も17度まで上がりました。お互いの日頃のオコナイがいいのかなぁ‥‥なんて思ったりして。1年7ヶ月ぶりの再会なのですが、娘は1歳6ヶ月。つまり彼女とは子供が生まれる1ヶ月前に、大きなお腹で会って以来です。

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それにしても、なんて見事な紅葉なのでしょうか。風が強く吹くと、大量の黄色い葉が、ボワッと上空を舞い、とてもきれいで、ただただ見上げてしまいます。娘も不思議そうに見上げています。そして、山のように落ちている落ち葉を、拾ったり、蹴飛ばしたりと大忙しです。

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骨董仲間のKちゃんは、私より8ツも年下なのですが、モノの好みが渋い上に、とても行動力のある女性で、かれこれ10年以上のおつきあいになります。考えてみたら、不思議なご縁です。古いモノが好きという気持ちで、つながったご縁。そんな彼女が骨董市に到着したのを遠くから見つけ、しばし眺めていたら、時間の流れを感じてしまいました。Kちゃんは、テコテコと歩きまくる娘を見て、成長の早さに驚いているようでした。

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ひさしぶりに会うと、以前よく足を運んだ骨董屋の話になります。その中で、話題の中心になるのは、京都にあった"骨董鯨や"です。自分の買える範囲のモノにしか手を出さず、ひとつひとつのモノと、真剣に向き合っていた店主の話は、会うたびに2人の間にでる共通の話題なのです。お互いに20代の頃は、古いモノを求めて動き回っていましたが、ヤフーオークションがはじまり、古物の流れもどんどん変化する中で、今は小休止といった感じでしょうか。娘は落ち葉との格闘で疲れたのか、途中からは抱っこ紐の中で寝てくれ、コーヒーとケーキをいただきながら、あっという間に4時間が過ぎたのでした。骨董市では、モノとのご縁はありませんでしたが、美しい紅葉と、楽しい会話が大きな収穫となった1日でした。

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次回は里帰り話の完結編を書くとして、まずは、このささやかなブログを読んでくださっている方と、管理人である刈部山本さんにお礼を申し上げたいと思います。12月10日で、"ガラクタ共存記"は、1年を迎えます。産後半年経って 、赤ちゃんとの生活にも慣れ(?)、大好きな古いモノと、子供のこと、日々の暮らしについて、ちょこちょこと書いてきました。ブログの作り方を刈部山本さんに教えていただいてからは、ペースもできてきて、なんとか1年続いたので、嬉しいです。

1年前の娘は、首はすわったものの、動けませんでした。あの頃の私は、娘が少しでも体調が悪いと不安で、外出しても、いつ泣きだすか不安で、今思えば、そんなに不安にならなくてもよかったかなぁ‥‥と思うのですが、心配がたくさんありました。それが今は、もう、目が離せないほど元気に動き回っています。赤ちゃんの成長って、すごいですね。子供と向き合うのは、楽しいことですが、たまには煮詰まることもあります。そんな時は、このブログがヨイ気分転換になっています。たぶん、何年か先に読み返したら、すごく懐かしく思える、濃い1年でした。

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1年前、小石川植物園にて。6ヶ月の娘です。 

 

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里帰りの話に戻しまして、今回ご紹介するのは、最終日に宿泊した"皆生温泉"の絵葉書5枚です。まず1枚目は、昭和30年代頃の葉書で、ボンネットバスが、ずらりと並んでいます。その数は見えるだけでも8台! たくさんのお客さんがいらしたのですね。和装姿の女性が多く写っていますが、旅館の方なのでしょうか。皆生温泉の看板もステキで、上に描かれた温泉マークもいい感じです。

ほかの4枚をご紹介する前に、皆生温泉の生い立ち(?)を、少しだけご紹介します。歴史はさほど古くなく、大正10(1921)年に温泉源を堀りあてたことにより、大正11(1922)年から温泉旅館が次々と開業したそうです。米子駅から皆生温泉までの7キロほどの道のりは、同年7月より、フォード製の幌型バス(12人乗り)の運行がはじまったそうですが、故障が多く、翌年には車両を全部タクシー会社に売却したとか。次にできた交通手段が、路面電車です。その名も"米子電車軌道"。なんと、3年後の大正14(1925)年に開業したという、すごい早さに驚きました。皆生温泉への期待の大きさが、うかがい知れますね。

けれど、時代が悪かったのでしょう。昭和恐慌の影響でお客が減り、赤字が続き、経営陣も変わる中で、陸軍米子飛行場(現・陸上自衛隊米子駐屯地)が建設され、資材等を運搬するにあたり、軌道は貨物輸送の障害になるという理由で、昭和13(1938)年に撤去されたそうです。つまり、米子駅と皆生温泉を繋いだ米子電車軌道は、17年間だけ走った幻の路面電車なのでした。現に、私もその存在を知ったのは、東京にきてからで、皆生に停車している路面電車の絵葉書を見せていただく機会があり、驚いたことをよく覚えています。

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2枚目にご紹介するのは、皆生温泉の大きな看板が、門のように両端に建った絵葉書です。建物の姿は見えず、松林と電信柱、そして、看板の左端を通る、ヨロヨロとゆがんだ線路が、ものすごく気になります。これは、もしや路面電車の線路なのかと思ったのですが、電車が走るには、どう見ても狭すぎますし、だいたい架線もありません。電車の線路じゃないということは、大正11年から14年までの、路面電車が走るまでに、撮影されたモノだと思われます。想像するに、温泉を掘りあてた時にトロッコを使ったのか、もしくは路面電車を通すにあたって、工事で使ったのではないでしょうか。絵葉書には、「皆生温泉三條通入口正面」と、右横書きで書いてあります。 

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3枚目は、「山陰米子皆生温泉(迎松ト三條通)」と書かれた絵葉書で、「皆生温泉 静養館 山陰線米子」のスタンプが押してあります。大きな松の木は、「迎松」と呼ばれていたのですね。先にご紹介した絵葉書にも写っています。看板の先の大きな松の木。新しく開業した皆生温泉で、たくさんのお客をお迎えし、お見送りしてきたのでしょうか。そして、やはり気になるヨロヨロ線路が、先まで続いています。右側には車の姿も。ちなみに、この絵葉書は米子広告社発行で、大正時代のモノだそうです(鳥取の古地図、絵葉書、鳥瞰図(やまちゃんのページ)を参考にさせていただきました。ありがとうございました)。 

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4枚目は、建物が写っています。人力車も停まっており、この人力車はどの辺りまで走ったのか気になります。そして、奥の車には「皆生温泉」の文字が大きく描かれ、幌付きの車であることから、よく故障したという、フォード製の幌型バスだと思われます。絵葉書には「皆生温泉三條通リ」とあり、以上3枚の絵葉書は、皆生温泉が開業して、間もない頃のモノだと思うのです。

それにしても、現在の皆生温泉からは、想像もできない景色ですが、昔はこんな感じだったのだなぁと、まじまじと眺めているのでした。そうそう、皆生には競馬場(草競馬?)もあったそうで、ますます想像できないのですが、これらの事業に尽力された、有本松太郎さんの銅像があったりします。有本さんは、理想的な温泉街をつくりたいと、京都の碁盤の目のような街づくりを目指されたとか。個人的には、米子電車軌道の路面電車が残っていたら、乗りたかったなぁと思い、少し残念です。

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5枚目は「山陰線米子郊外皆生温泉場付近 日野川畔より大山の遠望」とあります。現在は堤防もしっかりつくってありますが、昔の日野川の河口って、こんな感じだったのですね。私も最終日に、日野川まで出てみましたが、大山は雲の中で見ることができず、残念でした。でも、日野川の河口は、日本海と川の間に砂浜ができていて、とても幻想的で、美しい景色を見せてくれました。

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 砂浜の先に見えるのが日本海です。

 

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    さえきあすか -asuka saeki-
    忘れ去られてしまいそうな、昔なつかしいモノたちに魅せられて、コツコツ集めています。古くさいけど、あたたかくて、あたらしい。そんな愛すべきガラクタたちをご紹介します。

    旧サイト連載:
    駅前ガラクタ商店街
    …昭和以前の生活雑貨録

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