2012年5月アーカイブ

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懐中時計の鎖の輪の中に、右横書きで書かれた"吉沼商店"は、約130年前の、明治16(1883)年に、吉沼又右衛門さんが、東京日本橋に創業した"吉沼時計店"のことでした。

"吉沼時計店"と聞いても、いまひとつピンとこなかったのですが、明治22(1889)年には日本橋南萱場町に、ぼんぼん時計工場まで設立し、小売時計店としては、服部時計店や天賞堂などと、競った時期もある有名なメーカーだそうです。そんなこととは露知らず、「かっこいい~」とつれて帰ったのは、ステキな茶托としてです。

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ご覧ください。見事としかいいようのないデザインの茶托を。直径11センチの中に、中央には、秒針まで描かれた時計の文字盤があり、文字盤を囲むように、光り輝く指輪、懐中時計、双眼鏡、香炉、三重盃などが描かれ、そのまわりには、2羽の鳳凰が描かれているのです。まるで、文明開化を描いた図変わり印判のお皿のようだと思いました。

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金属製のモノは、何点か持っていますが、これほど細かく、ステキなデザインモノはありません。 

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裏面にも、"吉沼製"の刻印があります。

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吉沼時計店について、もっと詳しくお知りになりたい方は、TIMEKEEPER 古時計どっとコムさんの、吉沼時計製造会社・東京時計製造をご覧ください(リンクを貼らせていただきました。とても勉強になりました。ありがとうございます)。当時の貴重な資料を交えて、ていねいにご紹介しておられます。こちらをご覧になると、いかに吉沼時計店さんが、大きく商いをしておられたのかがわかります。ちなみに、茶托も出ていますよ。

そうそう、この茶托を手に入れた時に、素性を調べるにあたって、墨田区にある"セイコー時計資料館"改め、"セイコーミュージアム"を訪ねました。平成15(2003)年のことですが、当時は今ほどインターネットが盛んではなく、情報は書物で調べるか、資料館などに出向くことが必須でした。資料館の方には、セイコーのことではない質問なのに、とても親切に対応していただいた記憶が残っています。ありがとうございました。

 

おまけ

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上野動物園です。ここのニワトリさんは、えらいというか、かしこいというか。

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娘と遊んでくれました。それも30分くらい、逃げることもなく‥‥。ありがとう。 

 

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見てください。ボタンにまで、"仁丹"のマークが型押しされています。それも、直径8ミリの、ものすご~く小さなボタンにですよ! すごいと思いませんか? 

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コレはなにかと申しますと、携帯用の仁丹ケース(横63ミリ、縦28ミリ、厚さ8ミリ)です。ご覧のとおり、葡萄模様の布張り製で、上品かつ豪華な仕上がりになっています。

仁丹のケースというと、金属製でさまざまな形のモノがありますから、集めておられる方も多く、とても人気があります。でも、布製はあまり見ないので、数が少ないと思うのですが、どうなのでしょう。 

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実は、昨年夏の骨董ジャンボリーに行った時に(No.42参照)、古道具・月天の店主Tさんと、はじめてお会いした徳島のOさんとの会話で、この布張りの仁丹ケースの話になり、「ケースの中は、経木だったよね?」と聞かれたのですが、「確か、そうだと思ったけど、調べておきます」と、あいまいに返事をしておりました。現物が出てきましたので、伝言を兼ねて、ご紹介する次第です。

ご覧ください。経木が貼ってありました(写真だとわかりづらいのですが‥‥)。そして、トレードマークの仁丹の絵と、「懐中容器」、「実用新案登録」、「仁丹とようじ入」の文字が書かれています。

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実にていねいなつくりで、シブイ仁丹ケースです。

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こんなケースを持ち歩いている御仁は、粋といいますか、ステキですよね~。 

 

 

おまけ

自転車で皇居一周してきました。5月12日の夕方のことです。自転車で行ったのに、マラソンしている人にどんどん抜かれ、娘に「ガンバレ~」といわれ続ける始末。緩い上り坂では自転車を降りようかと思ったのですが、娘の応援に応えて、がんばりました(どれだけ運動不足なんだい!)。 

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下り坂から見える景色。きれいです。

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自転車を降りて、ちょっと休憩。 

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ビルの中央には、東京駅。そろそろ修理が終わります。 

  

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今回ご紹介するのは、昭和20年代に販売された"薬用モンココ洗粉"の紙箱です。4月の終わりにモノを探す必要があり、ごそごそ探していたら出てきました。ひさしぶりの再会に、やっぱり昔のパッケージって、ステキだなぁと思ったのですが(No.88参照)、箱に描かれた女性が、なんとなくモデルの富永愛さんに似ていると思うのは、私だけでしょうか? デザインはもちろんのこと、色もいいですよね。残念なのは、紙箱の状態が少々悪いこと。でも、未使用だったので骨董市で求めました。

裏面には、モンココ洗粉の効能、「色白く、きめ細やかに、小皺を取り、ニキビ、吹出物、シミ、ソバカス、日焼け、ハタケ、剃刀まけ、皮膚のアレを豫防す。」 と書いてあります。

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実は、この洗粉は、少し前に川原の一本松さんが、ご紹介されました。それもブリキの缶です。状態もよくて、私も缶が欲しいなぁと思っていたら、わが家からは紙箱が出てきたので、こちらでもご紹介しようと思った次第です。ちなみに、紙箱の大きさは、高さ120ミリ、横75ミリ、厚さ26ミリです。

 

おまけ

5月4日(金)、家族3人で土浦へ行った帰り道。遊び疲れた娘が寝てくれたので、車の中から、ゆっくり空を眺めることができました。

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細長い雲が何本も平行して並んでました。

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目線より下に、モクモクと白い雲が‥‥。 

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寒気がはいってきているからでしょうか。コロコロと空が変わります。 

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急に真っ暗になったり。 

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満月間近のお月さまが出たり。 

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木々の上に、小さな虹を発見。 

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子供の頃、虹を見ることができたら、それは神様に見守られているのだと聞いたことがあって、虹を見れた時は、本当に嬉しかったな‥‥。

  

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これは、なんだと思いますか?

黒い硝子でできた、カミソリ刃の砥石ならぬ、砥硝子?なんです(ふだんは、カタカナで"ガラス"って書くのですが、商品名が"硝子"なので、硝子と書きます)。そえれも安全カミソリ用です。調べてみると、"安全カミソリ"と呼ばれるT型をしたカミソリは、とても歴史が古くて、明治13(1880)年にアメリカ人が発明したそうですが、刃の交換が出来ず、たびたび砥ぐ必要がありました。それを替え刃というアイディアで大ヒットさせたのが、キング・キャンプ・ジレット氏。明治36(1903)年のことだそうです。

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この安全カミソリ刃砥は、物資が不足した時代に代用品としてつくられたモノだと思いましたが、違うそうです。昔はコップの内側で、刃を砥いだりしたとか。

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瓦を小さくしたような形で、光に当てても透けることのない、真っ黒な硝子です。 大きさは縦60ミリ、横65ミリ、高さ15ミリ。

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紙のケースには、三越のラベルが貼ってありますから、三越デパートで売られていたことがわかります。

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気になる使用法は、「本品は水をつけて、左右に砥げば一枚の刃で何回も新刃と同じ位御使用が出来ます」とのこと。使用経験のある方がおられたら、お話をうかがってみたいです。ちなみに、箱の横に「安全カミソリ刃砥」と書いてあります。

そうそう、カミソリの博物館があることがわかりました。昭和7(1932)年に創業された、フェザー安全剃刀(株)の博物館、"カミソリ文化伝承館・フェザーミュージアム"です。古いカミソリや、関連した道具など約5000点を展示してあるとか。刃物の町といわれる岐阜県関市にあります。いつか訪れたいですね。

 

◇◇ 訂正とお詫び ◇◇

‥‥スミマセン。この安全カミソリ刃砥は、代用品ではないそうです。友人のHさんからご指摘いただきました(No.121参照)。また、戦前からつくられているモノには違いありませんが、このモノは戦後に販売されました。本文は訂正させていただきました。

 

気になる街角 靍護(かくご)稲荷神社

一瞬、どこの神社に来たんだっけ? と思ってしまったほど、驚いたのですが、この靍護稲荷神社は、上野松坂屋デパートの8階にあります。あまりにも美しく手入れがなされ、木々が美しく、つつじの花も見事だったので、まわりのビルの存在も忘れてしまいました。

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その上、ふっくらとした美味しそうな油揚げが、数枚お供えしてあり、感激!! 

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つつじといえば‥‥。

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4月29日の夕方、根津神社のつつじまつりに行きました。昨年はお天気に恵まれ、たくさんのつつじに驚いたっけ。今年は天気が悪くて、写真もいまひとつ。 でも、きれいでしたよ~。抱っこ紐の中にいた娘も、今では走って見てました。ちなみに、中央の遠くに見えるのは、スカイツリーです。

 

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今年のGWは、天気が悪かったですね~。大半家でのんびりしたのですが、ずっと家にいるのも嫌だったので、4日に茨城県土浦市へ遊びに行きました。その時一緒につれて行ったのが、今回ご紹介する、起き上がりこぼしの形をした、コルゲンコーワのケロちゃんです。とても可愛いと思いませんか? この日は、弱い雨が降ったりやんだりした、梅雨のような日でしたが、田植えの景色を眺めることができたり、蛙の鳴き声を聞けたり、ケロちゃんにとっても、嬉しい1日でした。 

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後ろから見ると、こんな感じ。全長90ミリと小さめで、No.112でご紹介した、起き上がりこぼし型の赤ちゃん貯金箱より、少し小さめです。調べてみると、コーワのケロコロランドでは、誕生してから60年を越えたケロちゃんの歴史を紹介しています。"起き上がりカエル"こと、起き上がりこぼしケロちゃんは、昭和45(1970)年生まれだそうです。

 

はじめて訪れた土浦では、遊覧船に乗ったり、老舗の食堂で食事をしたり、ささやかな小旅行でしたが、楽しかったです。

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遊覧船乗り場の鯉のぼり。娘は「きんぎょ~」といいながら、嬉しそうに見上げてました。「鯉のぼりだよ」と教えると、「こ~のぼり~」といってましたが、覚えたかな?

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日本で2番目に大きな湖、霞ヶ浦です。連日の雨で、水かさは多く、水の色も茶色でした。

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ケロちゃんはスギナと記念撮影。もう少し早く来たら、つくしと写真撮れたのにな。 

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水彩画のような、懐かしい色合いに、癒されます。

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陽が沈むまで、ずっと眺めていたいような、優しい風景。聞こえるのは、蛙の鳴き声と、パシャパシャと岸に打ちつける波の音‥‥。 

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娘は、「あっ、ケロ」と嬉しそうに抱っこしていました。娘に買ったぬいぐるみより、なんだかケロのほうが好きみたいです。

 

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土浦のお土産は、『レンコンホンポ・ハスだっぺ』という、レンコン粉末を使用したハスの形のサブレーと、箱がカッコイイ、『土浦ツェッペリンカレー』です。サブレーは、オレンジ色の缶が可愛らしくて気に入りました。カレーは昭和4年に土浦に寄港した、飛行船・ツェッペリン伯号を商品名にしたものですが、ツェッペリンの名前は伊達ではなく、当時の乗組員に振る舞われたカレーを、現代風に甦らせたものだとか。

‥‥私たちが出かけた2日後に、茨城、栃木など北関東を竜巻が襲いました。この日はうちも雹が降り、大慌てで洗濯を取り込んだのですが、この頃異常気象が多すぎます。被害にあわれた方へ、心よりお見舞いを申し上げます。

 

 

母の日に‥‥。

昨年は、1本のカーネーションを自分に贈りました。今年は、キッズルームの先生と、娘が一緒につくってくれた、2本のカーネーションです。 

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母になって、2年目の自分に‥‥。 

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そして、こんなペンダントも先生とつくってくれました。 

  

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蠅の季節、いえ虫の季節がやってきましたね。散歩の途中で、不忍池のまわりを自転車で走りぬけると、虫柱(?)に突入することも増えてきました。今年は寒い日が長く続いた分、春を待ちかねた植物や虫などの生き物たちが、いっせいに活動をはじめたって、感じがしています。そうそう、初蟻を見たのはいつだっけ。確か手帳に書いたはず。ありました。4月9日でした。娘が毎回散歩で蟻を探すので、蟻はいつでてくるのかと、待っていました。だって、「アリさん、いないね~」といつもいうんです。見つけた日は、嬉しそうに「アリさん、ばいばい」と手を振っていました。

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今回ご紹介するのは、蠅とりビン(全長165ミリ)です。わりとよく知られたモノですから、ご存知の方も多いと思いますが、ビンの内側に砂糖水や味噌汁など、蠅の好む液体を入れておき、蠅が上の穴から入ってくると、うまく出ることができず、溺れて死ぬという、害虫対策グッズです。無色透明なビンは、結構見かけるのですが、このビンは、絵柄が書いてあるのがポイントです。 

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それも、下半分は擦りガラスになっているので、死んだ蠅が見えにくいというのが素晴らしいですね! 書かれた絵柄は、近江の水郷を連想させる葦の葉と和船です。夏の暑い日に、窓際に置いてあったら、風情がある、なんともステキな蠅とりビンだと思います。

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赤いラベルも貼ってあり、「特許願・TOYO HAIKATORIKI」、「T.Y」と書いてあり、「特許願」は右横書きで書いてありました。 

 

 

気になる街角 *平成24(2012)年 お花見レポート④*

 4月24日の小石川植物園です。次々といろんな種類の桜が咲いていました。

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一面の緑に、娘はちょっと驚いたようでした。

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No.111でご紹介しました、4月10日の桜の木は、緑が美しくなりまして、まったく違う景色のようです。

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来年も、美しい桜を眺めることができますように‥‥。

 

おまけ

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キッズルームで、ほとんど先生がつくってくれた鯉のぼり。娘は糊をぬったとか。近所でも、大きな鯉のぼりを何ヶ所かで見ることができ、「きんぎょ~」と嬉しそうに手を振る娘です。

5月5日は、菖蒲湯も入りました。今年1年の無病息災を願って‥‥。

  

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「なぜに、マンドリン?」手に取った瞬間、不思議に思いました。 そして、「マンドリンって、どこの国でできた楽器だっけ?」とも。調べてみると、イタリアが発祥の地なんだそうです。このマンドリン、いったい何かというと、鉛筆削りなのでした。デッドストックだったので、とても状態がよく、新しいモノかと思いきや、箱にラベルが付いており、右横書きで「鶴亀鉛筆削機 専門工廠」と書いてあります。「結構古いんだ~」と驚いて、つれて帰りました。

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日本でのマンドリンの歴史ですが、明治27(1894)年に、四竈訥治さんがイギリス人から贈られ、演奏した記録が一番古いそうで、その後、明治34(1901)年に比留間賢八さんが、イタリア留学から持ち帰って普及させたのだとか‥‥。そして、大正時代にはマンドリンブームなるものがあったそうです(おもいで チューズデー参照)。なるほど~。音楽にウトイ私ですが、国内でのマンドリンの歴史も、古いのですね。参考になりました。 

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元箱入りの鉛筆削りって、なかなか出てこないのですが(私が持っているのは、これだけかも)、マンドリン鉛筆削りは、入っている箱が特にステキなのです。紺色の地に、金色で月と星、土星が描かれたカッコイイ箱で、マンドリンがぴったりおさまります。ちなみに箱の大きさは、縦25ミリ、横70ミリ、高さ20ミリです。

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鉛筆の削り口はこちら。 

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削りカスはたまるようになっていて、捨てる時は、このようにパカッとはずします。‥‥もしかすると、マンドリンの演奏会などで、配られたモノかな? と思ったり。見れば見るほど、気になるマンドリン鉛筆削りなのでした。

 

話は変わりますが、私の身辺整理?は続いております(No.106参照)。着れなくなった洋服の整理、着れる洋服の追加。身体のサイズが変わるというのは、本当に大変ですね。当然、指輪のサイズも変わりました。指輪が指に入りません。仕方がないので、3年ぶりに湯島にある宝石店、JUJIYAこと、十字屋商店(以下十字屋商店)を訪れたのです。

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話の流れから、不要の金を下取りしてくださると聞き、指輪を2つリフォームすることにしました。「月の石」といわれる、乳白色の美しいムーンストーンと、ブルーとグリーンが美しい縞瑪瑙(シマメノウ)です。 実はこれらの石は、実家のリフォームをした時に、ひきだしの片隅からでてきた母の指輪でした。それも、娘時代に母が身につけていたモノで、かれこれ45年以上前の指輪です。台座はゆがみ、石には細かい傷がたくさんありましたが、私も惹かれる石だったので、手元に置いていました。 

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2つの石を見せると、十字屋商店のご主人は、「研磨すれば再び美しく仕上がるよ」と話してくださいました。これはご縁とばかりに、リフォームをお願いすることに‥‥。後日完成したリングを見た時は、感激しました。ご主人のお言葉どおり、石の傷がなくなって、生まれ変わったように美しくなったのです。シンプルなデザインも、とても気に入りました。そして、このリングを受け取ったのは4月の新月の日。物事のスタートによいといわれる日で、ちょっと嬉しかったりして‥‥。

思えば、疎開後慣れない土地で、成人した母が求めた指輪でした。現在のように物はなく、安易に買うことも出来なかった時代です。私にとって、意味ある指輪となりました。十字屋商店に感謝です。ちなみに、娘も一緒にご来店。3代目の若旦那に遊んでいただき、しばらく帰ろうとせず、まいりました。

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十字屋商店では、こんなステキなブローチなども、つくっておられます。使っておられる石は多種多様で、お値段もお手頃価格から、手を合わせて拝みたくなるモノまでと幅広く、お店の前を通るたびに、ついついショーウィンドウをのぞき込んでしまう宝石店なのです。

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そうそう、軽く"3代目の若旦那"なんて書きましたが、十字屋商店は、平成18(2006)年に、創業100年を迎えた老舗でもあります。湯島は、まだまだ知らないお店が多い場所ですが、歴史の古いお店が結構あり、いずれ馴染みのお店を増やしたいと、思っているのでした。

 

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余談ですが、ここから徒歩圏内に不忍池があります。写真は4月12日の不忍池です。今年の桜は、散るのが早かったです。

 

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不忍池湖畔には、No.48でご紹介しました蓮見茶屋もあります。

 

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そして、つげ櫛で有名な十三や櫛店も近所にありますよ(No.2参照)。 

 

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5月2日水曜日。雨。高円寺へ行って来ました。何年ぶりでしょうか。『骨董ファン』編集部があった、西洋堂へ来たのが最後だとすると、平成13年にアンティークモール銀座がオープンしたのだから、12年ぶりかな‥? "光陰矢のごとし"ではありませんが、ホントに早いなぁ。トシとるわけだわ。(駅前ガラクタ商店街 その35参照) 

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ひさしぶりに高円寺にきた目的は、No.107でご案内した 「taimichi×hachimakura 古文房具の魅力展」です。ハチマクラさんのオープンと同時に入店しようと、朝から準備し、抱っこ紐の中に娘を入れて、うかがったのでした。だって、混雑していたら、子供づれだと入れないと思ったからです。雨なのも幸いで、すいていました。

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「古文房具の魅力展」のお話は後にするとして、今回ご紹介するのは、赤ちゃんの玩具、起き上がりこぼしの形をした貯金箱です。本日ハチマクラさんにて買いました。真っ赤な洋服に、金色のリボン、くりくりっとした目の可愛い貯金箱です。底に新聞が貼られ、赤く塗られているあたりも、時代を感じますね。赤ちゃんというには、ちょっと大きくなりましたが、娘と一緒にきたから出会えたのかな、なんて思ったりして。やきものなので、あたたかい感じのする貯金箱なのです。

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入口に、セルロイドのキューピーのお面もあったので、一緒につれて帰ることにしました。思いがけず、可愛らしい昔のモノに出会えたので、嬉しかったです。ちなみに、貯金箱の高さは105ミリと、小さめです。

 

 

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話を「古文房具の魅力展」に戻しまして、高円寺駅南口を出ると、駅から続くアーケードを通り、キョロキョロ。娘は抱っこ紐の中から、キョロキョロ。何度となく通った商店街なのに、12年も経っていますからね~。懐かしいと思うお店は、アジア雑貨を商う、仲屋むげん堂くらいで(当時はここになかったけど)、はじめてきた街のように思えました。高円寺南4丁目の交差点をわたり、中華料理店七面鳥の先に見えたのが、ハチマクラさん。ガラス越しに、こまごましたモノが、たくさん並んでいるのが見えて、ワクワクしてきました。娘を抱っこしているので、緊張しながら店内に入り、奥にあるたいみちさんの展示に無事到着。リュックサックを床に置いて、しばし見学させていただきました。 

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クレヨン、消しゴム、単語カード、鉛筆削りなど、古い文房具がずらりと並んでいます。 たいみちさんが、ディスプレイについて、あれこれ考えて工夫されたのだなぁと思いつつ、これだけの文房具を準備するのも、移動するのも大変だったと思います。

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鉛筆、カラフルでステキ。どれも、未使用ですね。 無針紙綴器もありましたよ。

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奥に入りたいのですが、娘の足がぶつかりそうなので、断念。もっと近づいて撮影したいのに、無理。でもいいんです。来たことに意義があるんです、なんてね。 

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一番見たかったのはコレ。スズメクレヨン‥‥。いいなぁ。 可愛い~。

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画鋲もたくさんありますね~。

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鉛筆の形をした鉛筆削り、いいなぁ。ひとりブツブツいいながら、時折、モノに手をのばす娘を怒りつつ、早々に退散。

古文房具の魅力展を見たあとは、店内をひとまわりして、貯金箱とお面を買ったのですが、お店のご主人は、私の様子に見かねて、品物をリュックサックに入れてくださいました。ありがとうございました。本当に短時間でしたが、楽しかったです。

*5月6日(日)まで開催中です*

 

帰り道、はじめて高円寺へ行きました。ハチマクラさんのすぐ近くなんです(ナナメ前)。雨にぬれた紅葉が、とてもきれいで感激。秋は素晴らしいでしょうね。 

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高円寺って、駅名としか思っていませんでしたが、美しいお寺でした。なんだか観光地に来た気分になり、しばし雨宿り。

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娘も屋根の下に入って、雨を眺めています。雨の音しか聞こえない、静かな昼下がり。と思ったら、消防自動車がサイレンを鳴らして、何台も走っていきました。大丈夫だったでしょうか。過ぎ去ったあとは、ふたたび静かな高円寺。 

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こんな小さな冒険の積み重ねで、いろんなことを覚えていくんでしょうね。 

  

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今回ご紹介するのは、玩具です。その名も"投下爆裂弾"。なにやら物騒な商品名ですが、気泡がたくさんつまったガラス製の爆裂弾なのです。どんなシロモノかというと、ご覧のとおりいたってシンプルで、砲弾の形をしたガラスにタコ糸が巻かれ、糸の先には、旭日旗が描かれた尾びれのような紙が付いていて、裏面に、「實用 川口製 玩具 投下爆裂弾」と書いてあります。

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ガラス砲弾の直径は35ミリ、横幅15ミリ。タコ糸をゆるめると、上下二つに分かれるようになっています。遊び方は、紙火薬をガラスの間にはさんでからタコ糸を締めて、上に放り投げ、地面に落ちた衝撃で、火薬がパンと鳴るのを楽しんだそう。落ちた時にガラスが粉々にならなかったのか、気になるところです。

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ちなみに、私は遊んだ経験はありませんが、紙火薬をはさんで投げる爆弾のおもちゃは、戦後もプラスチックや金属でつくられたものが、駄菓子屋で販売されていました。駄玩具を扱った本でもよく紹介されていますから、覚えている方も多いのではないでしょうか。

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私的には、細かい気泡がたくさん入っている、とろ~んとしたガラスに魅力を感じます。ガラスの玩具は人気があるので、骨董市で、投下爆裂弾と出会った時も、複数出たのですが、すぐになくなりましたよ。

 

気になる街角 *平成24(2012)年 お花見レポート③*

4月10日の小石川植物園です。桜は満開。時折吹く風で、花びらが雪のように舞います。娘は「雪だ~」と大喜び。

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この日は、ふだん静かな公園も、たくさんの人で大賑わいでした。 

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本当に見応えがあります。 

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昭和14(1939)年に竣工された植物園本館も、桜の花が嬉しそう‥‥。このステキな建物の設計者は内田祥三さん。安田講堂など東京大学構内の多くの建物の設計者でもあり、特徴的なデザインは「内田ゴシック」と呼ばれたそうです。

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ただただ、きれい‥‥。 

 

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    さえきあすか -asuka saeki-
    忘れ去られてしまいそうな、昔なつかしいモノたちに魅せられて、コツコツ集めています。古くさいけど、あたたかくて、あたらしい。そんな愛すべきガラクタたちをご紹介します。

    旧サイト連載:
    駅前ガラクタ商店街
    …昭和以前の生活雑貨録

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