2011年11月アーカイブ

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里帰りの話の途中ですが、11月17日(木)から21日(月)まで、東武百貨店池袋店8階にて、"池袋アンティークマーケット"が開催されました。最終日に行きましたので、その話を少し‥‥。本当は、土日に行けば8階屋上スカイデッキ広場にて、2日間限りの"大江戸骨董市in池袋東武"も、開催されていたのですが、残念ながら行くことができませんでした。でも、とにかく顔をだしたいと思った理由のひとつは、目白にお店を構えるランコさんが出店していたからです。案内状を送っていただき、ひさしぶりにお会いしたいと思ったのでした。

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‥‥とその前に、話が前後しますが、今回ご紹介する"東京大正博覧会記念"のブリキ製飾り皿は、以前平和島骨董市で、ランコさんのところからやってきたモノです。残念ながら、池袋アンティークマーケットでは、モノとのご縁がなかったので、こちらをご紹介することにしました。東京大正博覧会といえば、今から97年前の大正3年に、上野の不忍池を舞台に盛大に開催された博覧会で、No.24でも、ガラスでできた教育文具文鎮をご紹介しましたが、会場の建物がプリントされた、カラフルなブリキの飾り皿も売っていたのですね。何種類かあるようで、不忍池の畔にある下町風俗資料館では、図柄の違うブリキの飾り皿が展示されていました。

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手元にやってきたのは、3枚ですが、ブリキも大正時代のモノとなると、状態が悪いモノが多いのです。でも、この3枚は裏面もピカピカで状態がよく、嬉しい出会いだったことを覚えています。ランコさんって、着物をメインに商っておられますが、ガラクタも大好きで、おもしろいモノを掘り出してこられますよ。

まず1枚目に描かれた建物ですが、工業館と思われます。そして2枚目は美術館。3枚目は不忍池全体を描いた第二会場です(東京大正博覧会 絵葉書を参考にさせていただきました)。当時、博覧会会場で、ワクワクしながら、これらのお土産を購入していた様子を想像すると、なんだか楽しくなりますし、そんな博覧会が開催された土地を、97年後に、自分が散歩しているのだと思うと、これまた不思議な気持ちになるのです。 

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不忍池といえば、故郷から帰ってきて散歩にいったら、すっかり秋になっていました。木々の葉は赤くなり、水鳥も増えています。 夕方に撮影したのですが、陽も短くなりましたね。東京では、夕陽をさえぎる高層ビルが多いので、余計に短く感じます。

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話を池袋アンティークマーケットに戻しまして、東武デパートに入ると、ほうぼうに飾られていたのは、キラキラと輝くクリスマスのディスプレイです。もうすぐ12月ですもんね~。今年も残り少ないことを感じながら、8階の会場に入ると、アンティークのクリスマスグッズや玩具、アクセサリーに、和骨董、そしてたくさんの着物の前に、ランコさんがいました。「ランコさん、ひさしぶり!」って声をかえると、満面の笑みで、「なによ。ひさしぶりって、軽くいってくれるじゃない!」とひと言。普通の会話なんだけど、ランコさんが話すと妙に色っぽく感じるのは、声のトーンなのだと気づきました。例えるなら峰富士子に似ているかも。そんな発見をしつつ、短い時間でしたが、楽しい時間を過ごせました。

 

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米子には、ずらりと長く続く、アーケードのある商店街があります。"笑い通り商店街"、"米子ほんどおり商店街"、"元町サンロード商店街"と、3つの商店街名にわかれていて、帰省して5日目、その中の米子ほんどおり商店街にある骨董屋で、この小皿と出会いました。雪だるまのような、つぶれた鳥の絵柄に惹かれ、今回の里帰りの記念にと、瞬時に購入したのです。‥‥なぜ、瞬時かというと、抱っこしている娘が、歩きたがってぐずりますから、なによりスピードが命なのでした。このお店は、6年くらい前から営業しておられるそうですが、店内には染付や印判などの食器類に、古民具や古時計、箪笥などが並んでいました。余裕があれば、じっくり見たかったのですが、仕方がありません。簡単に包んでもらい、リュックにポンと入れて、慌ててお店を出ました。

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この日は、旦那サンが朝一番の飛行機で到着。近所の神社でお参りをし、お墓参りをして、皆生に宿をとりました。荷物を旅館に置いてから、ふらりと商店街の探検です。しかし、2年ぶりに訪れた米子ほんどおり商店街は、様子が一変していました。途中のアーケードがなくなっていたのです。最初に見た時は、自分の長年の記憶にない景色が、突如として現れたので、一瞬どこにいるのかわからないほどでした。それもアーケードがないだけでなく、歩道の両端に緑が植えられ、散歩道になっていたので、ものすごく雰囲気が変わりました。長年頑張っておられる書店も、明るいイメージになっており、驚きつつも、これはこれで、すっきりしていていいかも‥‥と思いました。

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アーケードを撤去した理由は、今年はじめの大雪も原因のひとつですが、なにより老朽化したアーケードを、修復する予算が不足しているからだそうで、今後アーケードは撤去されていくそうです。

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元町サンロード商店街に入ると、アーケードの撤去工事をしていました。鉄骨の骨組みがむき出しになったアーケードを見上げながら、私は工事を見ることができて、本当によかったと思いました。帰ってきた時に、全部のアーケードがなくて、商店街全体がイメージチェンジをしていたら、寂しい気持ちになったと思うからです。

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笑い通り商店街と、米子ほんどおり商店街の途中まで、平行して流れる旧加茂川には、商店街の商店や民家に向けて、沢山の橋がかかっています。つまり、アーケード側と川側から入ることができるわけで、この光景は、当たり前のことのように思ってきましたが、旦那サンに、「自分の家用に橋があるのって、かっこいいよなぁ」といわれ、考えてみたら、すごいことだと再認識しました。

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この橋がたくさんかかっている辺りは、米子ほんどおり商店街ですが、若い人たちが新たにつくりだしたお店が何件もあります。その中に、手づくりのモノをメインに扱っている雑貨店があり、デンと置いてある陶器製の茶色い湯たんぽに、戦前の代用品としての、陶器製湯たんぽしか知らなかった私は、「今も陶器製の湯たんぽって、つくっているんだ」と、新鮮な思いで眺めました。

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そして、そこで販売されていたのが、石巻市にある木ノ屋石巻水産の金華さばみそ煮缶詰です。テレビで何度も報道されていましたが、津波で流され、瓦礫の下に埋まった缶詰を、中身は問題がないということで、発掘して、ていねいに洗って販売した物です。私も買いたいと思っていたのですが、なかなかパッと買いに行くことができずにいました。そんな缶詰に米子で出会えるなんて(それも全額義援金になります)。ご縁と思い、買って帰ることにしました。東京に戻ってから、食べたのですが、缶を開ける時は、あの大きな津波の中を、沢山の瓦礫などと一緒に流れていたのかと思っただけで、言葉にできない気持ちになりました。味は濃くがあって、とても美味しく、今後も買っていきたいと思います。

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それにしても、海がすっかり気に入った娘は、この数日間で、動きがとても早くなりました。 

 

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前回にひきつづき、故郷の絵葉書をご紹介したいと思います。今回は境港です。境港といえば日本でも有数の漁港で、特に松葉ガニが有名ですが、最近は『ゲゲゲの鬼太郎』の町のほうが、ピンとくる人が多いのではないでしょうか。アニメの人気もありますが、NHKの連続ドラマ『ゲゲゲの女房』のおかげで、ますます有名になり、そのせいかわかりませんが、飛行場が"米子鬼太郎空港"になっていました。飛行場に降りた時には、ちょっとビックリしたのですが、以前から境港線で鬼太郎たちが描かれた列車が走ったり、駅名に妖怪名がついていましたから、飛行場にもついたのですね。

昭和29(1954)年に、紙芝居からはじまった鬼太郎が、57年経った今日でも、人だけでなく町に支持されるということは、水木しげる先生が描いた、ゲゲゲの鬼太郎の世界が、時代が変わっても通じる、不変のテーマなんだと思います。私としては、妖怪が暮らしやすい町として、大きな木が茂る神社や、お寺にお墓、松林などの林が、今後も残っていってほしいと思います。さて、今回ご紹介する2枚の絵葉書は、どちらも戦前のモノで、島根半島から、弓ヶ浜半島(弓浜半島)と、伯耆富士こと大山を眺めることができます。

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境港の先端が、砂浜だった時代なんて、もちろん目にしたこともありませんが、波の荒い日本海側よりも、美保湾の奥に引っ込んだ場所に民家が集中していたり、防風林の松林も今より多く、私が子供の頃も、松の木が多かったことを思い出しました。こうして、何十年も前の境港を眺めていると、今はだいぶ埋め立てられて、様子も変わりましたが、大山から弓のように続く弓ヶ浜半島の地形が同じなので、あまり変わっていないように感じたりして‥‥。そんな弓ヶ浜半島で、帰省すると毎回行く観光地が3ヶ所あります。水木しげるロード夢みなとタワーアジア博物館・井上靖記念館です。

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帰省して4日目、ようやく晴れ間が少し見えてきたので、水木しげるロードに行きました。平日なのに、観光客の姿がけっこう見えます。娘を歩かせるには、ちょっと危ないと思ったので、境港駅前の人気が少ない場所で歩かせました。この辺りは、いたるところに鬼太郎たちがいます。歩道沿いには、鬼太郎や妖怪たちのブロンズ像が139体も並び、街灯も目玉おやじなどが描かれ、「妖怪街灯」というそうです。

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境港駅には、目玉おやじの汽車が停まっていました。 畑の間や町の中を、鬼太郎たちが描かれた汽車が走っていく様子は、見ているだけで楽しい気分になります。

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水木しげるロードの一番端には、昔からある、短いアーケードの商店街があり、お店はずいぶん変わりましたが、私には懐かしい場所なのです。アーケードを抜けて、次に向かうは夢みなとタワーです。自転車で、のんびりまわりを見ながら進んでいくと、変わらない景色に癒されます。いつもと違ったのは、途中にある広い公園に寄ったこと。子供がいなければ、意識することもなかったと思いますが、カメやパンダなどの椅子や、大きなすべり台があり、娘と一緒に上からすべりました。すべり台のてっぺんからは、島根半島や漁港の眺めがよく、境大橋もきれいに見えます。

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夢みなとタワーは、鳥取のお土産を買うことができる、みなとまち商店街や、地上43メートルの展望台があります。ここからは大山をはじめ、美保湾から島根半島、弓ヶ浜半島、中海、米子市街、皆生温泉と、ぐるりと一望することができるのです。幸いこの日は、どんどん晴れてきたので、美しい景色を眺めることができました。そして、3階にある水木しげるコーナーで迎えてくれたのは、水木しげる先生! 最近の人形は、よく出来ていますよね。

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ほかにもいろいろ展示されていますが、この部屋には、キッズコーナーがあり、娘が遊ぶのにちょうどいい大きさの積み木がありました。なので展示を見るどころではありません。娘は積み木から離れません。 ほかに人がいなかったのが幸いで、しばらく遊ばせていただきました。ありがとうございました。 故郷に帰ってきて、どんどんたくましくなっている娘です。

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アジア博物館・井上靖記念館へは、翌日行きました。ここは、博物館を見なくても、喫茶だけでもOK。なので、毎回抹茶かコーヒーをいただいて、のんびりしています。弓ヶ浜半島の織物である"弓浜がすり"も展示・販売しておられ、コースターやポーチなども求めました。子供の頃は、近所で絣を織っているおばあちゃんがいて、家の前を通ると織る音がしていたのを覚えています。 

  

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少し前になりますが、米子市公会堂を中心に、上空から写した絵葉書を、手に入れました。公会堂から中海(錦海)まで眺めることができるもので、絵葉書には写っていませんが、左側にある米子城(正確には米子城跡)の城下町を思わせる古い街並みの中に、巨大な近代建築の公会堂が建っています。それも公会堂が建った場所は、きちんと区画整理されており、新しい建物と古い街並みの対比がおもしろく、とてもきれいな絵葉書なのです。それにしても、子供の頃から見てきたのに、当たり前にあると意識しないもので、公会堂の個性的で、モダンなデザインに、あらためて驚きました。

調べてみると、設計したのは、日本を代表する建築家のお1人、村野藤吾さんでした。村野藤吾さんは、明治24(1891)年に佐賀県で生まれ、西日本に多くの建築物が残っているようですが、東京で暮らす私にとって、一番身近に感じるのは、有楽町にある旧読売会館(昭和32(1957)年築)です。会社が新橋にあったので、そごうの時も、現在のビックカメラも、よく行ったからです。以前から迫力のある建物だと思っていましたが、村野藤吾さんの設計だったのですね。 

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話を米子市公会堂に戻しまして、公会堂の落成式は、今から53年前の昭和33(1958)年4月12日です。飛行機の編隊飛行や、装飾自動車のパレードが行われるほど、盛大な式だったそうです(詳しくは、"ドはドングリのド"をご覧ください。参考にさせていただきました。ありがとうございました)。街の人々に望まれ、喜ばれて誕生したのですね。思うに、この絵葉書は、公会堂がメインな写真であることから、落成式前後に発売、もしくは配られたのではないかと思うのですが(違ったらスミマセン)、昭和30年代の米子の街を写した絵葉書って、案外出てこないので、嬉しい出会いでした。

そんな公会堂ですが、耐震強度不足がわかり、来年より補強工事がはじまるそうです。工事をするにあたっては、新たに建て替えるという意見もあったそうですが、現状のまま修復することになりました。私も公会堂の歴史を少しだけ知って、53年も続いた、米子市の象徴のような建物が残っていくことになり、本当によかったと思いました。それと同時に、公会堂の修復工事が終了したら、この絵葉書と同じアングルで、上空から見た今の街並みも見たいと思うのです。

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そしてもう1枚の絵葉書は、「米子市街の一部」ということで、中国電力の建物が写っています。この建物もいいですね。手前にある丸窓の建物も気になります。この建物はなんだったのでしょう。中国電力の前にある大きな松の木(?)も立派で、こんなに大きな木が道路沿いにあったら、見上げて歩いていたと思います。ボンネットバスも時代を感じますね。もちろん私の記憶には残っていない風景ですが、道路の中央に白線が引かれることもなく、信号もなく、時間がゆるやかというか、のんびりとした感じが伝わってくる1枚なのです。 

 

さて、帰省して2日目は、残念ながら、かなり強い雨が降りました。なので、買い物と、娘は家の中の探検です。東京で住んでいるところが、築30年の賃貸マンションで、それもエレベーターのない3階です(ベビーカーと娘を一緒にあげるのは、とても大変)。ベランダから真正面に見えるのは、マンションですから、実家の縁側に座って窓を開けると、広い空が見えて、地面が見えて、目の前には、もみじや楓の葉っぱ、サザンカの花が咲いている景色は、娘には珍しかったようです。滞在中何度も窓を開けてもらい、ジッと見ていました。

 

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3日目は、多少小雨になったので、外の探検開始。境港線を走る、ねずみ男が描かれた汽車を間近に見て、迫力に驚きつつも、通り過ぎた後、一生懸命手を振っていました。

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飛行場近くの広々とした景色を、娘はジッと眺めていました。 

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頭上を飛ぶ飛行機も、最初は驚いていましたが、しばらくすると手を振るように。

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そして、一番気に入ったのが海です。歩く感触が楽しいのでしょうか。小雨の中でも、走って海に向かいます。しばらく遊んだ後、私が通った保育園に行きました。近年鳥取では、学校の校庭に芝生を植えているそうで、一面の緑色に驚きましたが、もっと驚いたのは、私が子供の頃に遊んだ、小さなブランコが現存していたことです(登り棒や鉄棒もあるし!)。もちろん、きちんと手入れはされていて、色は変わっていましたが、なんて物持ちのいい保育園なんだろうと思いました。娘は自分で乗れるブランコに大喜びで、誇らしげに座っていて、とても可愛かったです。私がよく登った木も、小さく見えましたが、元気そうで、変わらないことのありがたさが身にしみました。 

 

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この帯は、私が七五三の時につけたモノです。11月の最初に5泊6日で、出産後はじめての里帰りをした時に、妹が押し入れの中から、出してきてくれました。「七五三で使ったやつだって。お姉ちゃんが好きだと思って」って‥‥。思いがけない再会にビックリです。

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築40年を超えた実家に、古いモノは残っていないかと、何度となく探してきたのに、見つけることができなかったこの帯は、少し前に家のリフォームをした時、妹の部屋の天袋から出てきたそうです。『魔法のマコちゃん』と書かれた赤い箱に入った小さな帯。残念ながら、懐かしいと思うほど記憶に残っていないのですが、状態よく出てきたことに感激しました。

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『魔法のマコちゃん』は、『魔法使いサリー』、『ひみつのアッコちゃん』に続く、"東映魔女っ子シリーズ"の第3作だそうです。でも、サリーちゃんや、アッコちゃんに比べると、いまひとつ記憶に残っていないのが残念。内容は、人魚だったマコちゃんが、あこがれの人間になって、恋をしたりして、人間の世界で生きていくというお話で、 成田闘争とか当時の世相も描かれていたとか(記憶にないけど)。

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七五三の写真を見てみると、正面から撮っているので、肝心の魔法のマコちゃん帯は、端っこしか写っていません。だから、余計に記憶に残らなかったのでしょうね。

 

今回の里帰りは、行きは娘と2人で出発。はじめて飛行機に乗った娘は、多少ぐずりましたが、緊張しまくりの私よりは、リラックスしているようでした。

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到着した日は、素晴らしい晴天で喜んだのですが、日本海側の天候は変わりやすく、翌日からは雨か曇りだそうです。急いで記念写真を撮らなくては! 伯耆富士と呼ばれる美しい大山をはじめ、弓浜半島から眺める日本海、海沿いの松林と、そこに咲く黄色いツワブキの花‥‥。特別なものじゃなくても、広い景色に、娘は大喜び。

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美しい松の木は、今年はじめの大雪で、かなり折れてしまったそうです。境港の船の被害も、かなり大きかったようですし、ところどころ屋根にブルーシートがかかった家がありました。大雪の被害が、まだ残っているのです。

 

ツワブキの花を越えて、日本海に向かいます。

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美しい砂浜と日本海。残念ながら大山は、ぼんやりとしか見えません。娘は、はじめての砂浜を、楽しそうに歩き、枝を拾ってなにかを書きはじめました。そんな姿を父と妹は、うれしそうに眺めています。

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考えてみたら、夕陽が地上に沈んでいく様子を見るのも、娘ははじめてです。私は子供の頃、海から登る朝日は見たことがあるから、海に沈む夕日を見たいと、ずっと思っていました。そんな気持ちを思い出すのも、娘のおかげです。

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自分のお腹からでてきた娘が、自分の生まれた土地に立つ‥‥。なんとも不思議で、ありがたくて、幸せだと思いました。  

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娘を喜ばせたいと、妹が用意した季節外れの花火。 

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そして、一番驚いたのが、この小さな菊の花。家に着いたばかりの娘に、父が庭から摘んできて、「どうぞ」とわたしたのです。私ですら花なんてもらったことないぞ。67-11.JPG

気がつくと、苦手に思ってきた父も、髪の毛はすっかり薄くなり、残っている毛も真っ白。すっかりおじいちゃんになっていました。  

  

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気がつくと11月。今年も残り2ケ月を切りました。でも、そんな感じがしないのは、毎日暖かいからです。11月だというのに、連日最高気温は20度以上あり、もう、なにを着ればいいのか。娘になにを着せればいいのか。毎日考えてしまいます。お昼のワイドショーでも、夏服をいつ片付ければいいか、真剣に予測していたりして。街ゆく人も、半そで姿からコート姿の人まで、さまざまな装いに今年の秋の特徴を感じます。 

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思えば、8月にしても、1日は朝の気温が21度でした。信じられないくらいの涼しさです。それが、11日には、"高温注意報"が発表されるほどの猛暑となり、深夜も気温が30度と高く、寝苦しい日々が続きました。暑さの理由は、高気圧の上に、チベット高気圧が重なって、ダブルの高気圧で、こんなに暑かったんだとか。節電も大事だけれど、熱中症に気をつけましょうって、連日ニュースで流れていたっけ‥‥。

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今回は、"暑かった夏"、"気温差の激しかった夏"、"節電の夏"を思い出し、涼しげな扇子の形をしたインク瓶をご紹介します。ペンギンのインキ壺に続き、2個目のご紹介となりますが、こちらは少し黄味がかった色合いのガラス製で、まんまるい金属のフタも可愛らしく、底の厚みといい、とろっとしたガラスにポツポツはいった小さな気泡といい、時代を感じます。でも、なんで扇子なんでしょう? 机の上にこのインク瓶が置いてあったら、かっこいいというよりは、愛嬌があるといいましょうか。おもしろいと思います。 

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『紳士の文房具』(板坂元 小学館発行)の中で、インク壺、インキ瓶が紹介されています。その中で、「インキ壺は、文房具の中で最も忘れ去られたものの一つだ」と板坂さんは書いておられます。そうだろうなぁと思いつつ、パソコンで、パチパチとものすごい早さで文章を打つ人の姿も、かっこいいのですが、インクをペン先につけて、すらすらと書く人の姿も、かっこいいのになぁと思うのです。

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そういえば、最近はまっている漫画『バクマン』では、Gペンにインクをつけて漫画を書くシーンが、毎回でてきます(漫画本、アニメの両方見ていますよ)。子供の時に、こういうシーンを見ると、あこがれるものです。かくいう私も、インクをつけるといったら羽ペン。『キャンディ・キャンディ』で、あこがれたのが最初です。

 

おまけ 

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文京区シビックセンターの展望ラウンジから見たスカイツリー、大きい。

 

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8月のはじめに、一足早い夏休みをとった旦那サンと、娘と私の3人で、新潟に1泊旅行に行ってきました。3人とも新潟初体験です。それも、娘は新幹線に乗るのもはじめての経験で、人の多い駅、長時間の列車。いったいどうなることやら‥‥と、不安でしたが、勇気を出していってみることにしました(案外、おとなしくて、ホッとしました)。65-2.jpg

なぜ新潟なのかというと、旦那サンの希望なのですが、私的にはレンタサイクルがあったからです。それも、新潟市内の広範囲で乗り降りが自由にできる便利さで、なおかつ雄大に流れる信濃川を走る水上バス、ウォーターシャトルにも自転車を乗せることができるというのも、魅力でした。娘は日ごろから自転車には慣れ親しんでいますから、新潟にさえ着いてしまえば、どうにかなると思ったのです。そして、宿泊先は当然和室。食事も運んでもらえるところを選び、なるべくまわりにご迷惑をかけないように、私たちも疲れ過ぎないように配慮しました。

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新潟には、9時に到着。ホテルに荷物を預け、美しい建物の"新潟市歴史博物館・みなとぴあ"へ向かい、こちらで自転車を借りると、近くにある船着場へ。1日乗船券を購入し、ウォーターシャトルに乗り込みました。

信濃川の大きさに感激しながら、途中下船 。

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幸いお天気に恵まれ、気持ちのいいサイクリング日和となりました。

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自転車から見る、ひさしぶりの日本海の美しさに、何度も深呼吸をしました。一面の青、娘の目にはどう映ったのでしょうか。 

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それにしても、新潟のお店の多さには驚きました。信濃川を挟んで、伊勢丹などデパートのある新しい街と、たくさんのアーケードが連なる古くから栄えてきた街が、見事に共存共栄しているように見えました。恥ずかしながら、新潟というと、広大な田園風景ばかり想像していたので、正直驚いてしまいました。 

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レインボータワーも、とてもきれいです。

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萬代橋をわたって、白山神社を目指したのですが、途中には魅力的な街並みが続き、自転車でフラフラと、いっこうに神社にたどりつきません。大好きなアーケードもたくさんあり、ステキな喫茶店も、けっこうあったので、いつか入りたいと思いながら、通過しました。

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もっとたくさん撮影したかったのですが、娘を抱っこしての撮影は、どうしても動くので、ピントが合わず、どれもいまひとつの仕上がりに。"菊乃湯"もきちんと撮りたかったなぁ。

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美味しそうな野菜やくだものが並ぶアーケードも、時間があれば、ゆっくり見たかったです。

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ホテルに戻ると、さすがにヘトヘトでした。なんせ気温が36度もあったのです。でも、娘はハイテンション。ヨチヨチ歩きながら、部屋の探検をしています。窓から見える信濃川の美しさに、ホッとしながら、眼下の萬代橋を眺めました。

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翌日も、お昼過ぎまでは、新潟探検。新潟には、貯木場があることを知りました。川にプカプカと浮いている巨木を、ぼんやり眺めていると、のんびりした気分になります。

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そして、朱鷺メッセの31階にある展望室にいきました。展望室の名前は、"Befcoばかうけ展望室"というそうです。"ばかうけ"って、有名なお煎餅です。米どころ新潟のお菓子だったのですね。どうりで、売店では、いろんな種類のばかうけが売ってありました。朱鷺の人形も可愛いかったのですが、1ツより、複数のほうがいい感じです。思わず写真を撮っちゃいました。この展望室からは、新潟の街が一望できます。なんて美しいところなのでしょうか。信濃川が、黄土色なのは、少し前の大雨の影響です。ウォーターシャトルに乗っている時も、大きな木などが流されていたり、河川敷には、瓦礫も積み上がっていました。今年は本当に災害が多くて、悲しくなります。

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 またゆっくりと来たいなぁと思いながら、新潟をあとにしました。 

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そうそう、小さな骨董屋で、印判の小皿も求めましたよ。記念に。

65-16.JPG最後になりましたが、今回ご紹介するのは、戦前の新潟の絵葉書です。 新潟は、昔から栄えた街だったことがわかります。古町通六番町も通ったはずですが、テキトーに気の向くままに、自転車で走ったので、どこがどこだか、頭の中で整理できていません。ちなみに、私が自転車で商店街ツアーをしていた時は、旦那サンとは別行動でした。それにしても、全体的に、きちんと撮影できなかったのが残念です。立ち止まって、撮影したいところがたくさんありました。次回きた時は、ゆっくり撮影したいです。そして、萬代橋の絵葉書も戦前のモノです。自転車で渡りましたが、昔から大きく立派な橋だったのですね。

 

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    さえきあすか -asuka saeki-
    忘れ去られてしまいそうな、昔なつかしいモノたちに魅せられて、コツコツ集めています。古くさいけど、あたたかくて、あたらしい。そんな愛すべきガラクタたちをご紹介します。

    旧サイト連載:
    駅前ガラクタ商店街
    …昭和以前の生活雑貨録

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