2012年2月アーカイブ

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身近に、オリンピックに出た人がいました。だから、子供の頃の夢のひとつに、オリンピック選手があったりして‥‥。スポーツとは無縁の体型となった今の自分としては、書くことすら恥ずかしいのですが、子供の頃のあこがれであり、夢ですから、まぁ、いいかなと思いました(恥は書き捨て?)。だからなのでしょうか。古いモノを集めるようになって、業者さんの口から聞く、「幻のオリンピックグッズ」という言葉には、ビビビッと過剰反応して、醤油瓶や湯呑など、見せてもらうたびに、感激したものです。

ちなみに、今さら書くまでもないのですが、"幻のオリンピック"とは、皇紀2600年の昭和15(1940)年に、日本で開催されるはずだったオリンピックのことです。1940年に開催する"第12回のオリンピック"を、日本で開催することが、昭和11(1936)年に決定し、準備を進めたものの、戦争の長期化が予想されたことにより、昭和13(1938)年に正式に辞退したとか。

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そんな幻のオリンピックグッズではありませんが、幻のオリンピックの前、昭和11(1936)年に開催された、"第11回ベルリンオリンピック"関連の、鉢とお皿をご紹介したいと思います。見ていただくと、おわかりのように、鉢とお皿には、日の丸の国旗と、棒高跳び選手、選手のまわりには黒色で、五輪が描いてあります。このモデルは、ベルリンオリンピックで活躍した、西田修平選手と大江季雄選手らしく、なんでも、同じ記録でありながら、西田選手は銀メダル。大江選手は銅メダルとなってしまい、日本に帰国後、メダルを2つにわって、つなぎ合わせたことから、「友情のメダル」(日本オリンピック委員会HPより)といわれ、教科書にも載ったほど有名なお話だそうです。

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大きさは、鉢が直径200ミリ。高さ60ミリで、お皿は直径215ミリです。つくりはいまひとつで、図柄から色がはみ出ていたり、お皿などは大きく曲がっていたりします。でも、とても明るい色合いなので、食卓では映えるんです。このテのお皿はイイですね。なんといっても、丈夫ですし、見ているだけでも楽しいのですが、使ったほうが、より味わい深いと思います。以前ご紹介した雀のお皿なども同様で、わが家では、出番が多い器たちなのです。

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おしまいに、ひさしぶりに気温が12度というあたたかい日に、小石川後楽園に娘と行ってきました。前回行ったのは9月で、田んぼと案山子に驚いたっけ‥‥。その田んぼも、今は次の田植えに備えて休憩中。たくさんの小鳥たちが、嬉しそうに田んぼに降りて、なにかつついています。田舎に帰った時に見たツワブキも、フワフワの種をつけていて、夕陽にキラキラ輝いて、とてもきれいでした。

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でも、振り返ると、うしろには東京ドームと東京ドームホテルがあるのです。なんとも不思議な気がします。残念ながら、梅の花は少ししか咲いていませんでした。

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今回は、戦前につくられたペーパーウエイトのご紹介です。馬がデザインされています。見るからに重厚な、高級感あふれるデザインに、惹きつけられました。このペーパーウエイトを見ると、以前取引先の女性が熱烈な競馬ファンで、それも馬が大好きということで、馬に関するグッズを大量に集めているという話を、聞いたことを懐かしく思い出します。馬というと、私にとっては、干支の午のほうがピンとくるのですが、自分の干支グッズを集めておられる方も多いですよね。

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それにしても、なんて細かいつくりのペーパーウエイトなのでしょう。耳や目、鼻の穴にいたるまで、本当に細かい。優しい表情もいいですね。大きさは、縦70ミリ。横62ミリ。最大厚み27ミリで、ずっしりと重たく、整理整頓された美しい書斎にお似合いだと思う、ペーパーウエイトなのでした。

私がこのペーパーウエイトで、一番気に入っているとことは、なんといっても方位磁石がついているとろです。以前ご紹介したプロペラ型ペーパーウエイト懐中時計型文鎮キューピーのペーパーウエイト犬の鉛筆削りにも方位磁石がついていましたが、昔の文房具には、方位磁石がついているモノって、結構あります。ペンダントなんかも多いですし、見つけると嬉しくなるのでした。

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話は変わりますが、高級感あふれるといえば、先日旧岩崎邸庭園に、娘とはじめて行ってきました。不忍池のすぐ近くなんですよね。夕方に行ったのですが、非日常感満喫といいましょうか、本当に美しい邸宅で、うっとり。ただ、ちょこちょこ動く娘が、なにかさわろうとするたびに、抱えてダッシュ! 室内の見学を早々にすませると、お庭の探検をしました。広いので、娘は走り回っていました。最近、動きまわらないと、夜寝ないので、いかに疲れさせるかが、私の腕の見せどころ(?)なのです。

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岩崎邸をはじめて見た娘は、ふだん見ない形の家なので、不思議そうに眺めていました。

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おしまいに、関係ない話ですが、2月2日は、東京の湿度が、最低記録をだしました。なんと11%。この頃、ウン10年に一度というような記録が、多々出ているような気がします。

 

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"ガラス集めてみました"のびっきさんが書いておられる、もうひとつのブログ"レトロなガラクタ"の中で、「惚れ込んだ物」として、ご紹介された、大きくて、ずっしりと重たい「高島屋のトランク」を見た時、「わぁ~、カッコイイ!」って思ったのと同時に、この札、いえネームタグを紹介したいって、思ったのでした。船旅につれて行くような、立派なトランクには、こんな真鍮製のネームタグをつけて、自分の名前や住所を記したのではないかと思ったからです。 

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このネームタグは、縦85ミリ。横48ミリ。写真だと見えづらいのですが、上のほうに小さく「実用新案」の文字があり、重厚感の感じられる立派なモノです(ネームタグにしては)。どこが、実用新案なのかというと、紐をとると、紙を挿しこめるようになっていて、裏面に氏名などを書いた紙が出てきます。この紙が簡単に取れないように、上の方がスプリング式になっていて、押さえつけるようになっているのです。たぶん、ここが実用新案なのだと思います。

横浜市戸部通りにあった"大塚商会"製で、バスケットや行李などを、販売しておられたお店のようです。横浜らしく、海を行き交う船が描かれているラベルも、船旅を連想させてくれてヨイですね。赤と青の色合いも、シブイ真鍮とお似合いで、カッコイイと思ってしまうのでした。手の平にのせて、ギュツと握ると、なんだか旅に出かけたくなります。

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そういえば、旅というほどのものではないのですが、娘と日々の散歩の時に、私がよくいう「探検」という言葉。昔から知らない道や、町に行くたびに「探検する」といっていたのですが、娘も覚えたようで、自転車に乗ると、「たんけん、たんけん」というようになりました。  

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そんな探検(?)の成果といいますか、娘のお気に入りの公園の近くに、古い街灯を発見。

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そして、小さな梅の蕾です。連日10度を下回っていますが、立春を過ぎて陽も長くなってきたし、早朝も鳥の鳴き声に活気がでてきました。もうすぐ春ですね。

 

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ご紹介するのはペン先です。その名も"鐡帽ペン先"。旧陸軍のマークが描かれている鉄帽(ヘルメット)の台紙に、鉄帽型のペン先という、文房具売り場に並んでいたら、真っ先に視界に飛び込んできそうな、インパクトのある、シロモノなのです。う~む。すごすぎるデザインです。発想がすごいですよね。それも、「他品より寿命が三倍以上永い」そうで、「世界最新型」なんだとか‥‥(本当かな?)。"TETSUBO"の文字が、海軍の錨マークと、陸軍の星マークではさまれているところに、時代を感じることができます。ほかにも変わり種のペン先ってあるのでしょうか? まだまだ見たことのない文房具があるなぁと、しみじみ思った出会いでした。

ペン先を見ていると、子供の頃、インクをペン先につけて、漫画を描いて遊んでいたせいか、インクの匂いや、ペン先に力を入れると、線が太くなるとか、紙質がよくないと、ひっかかるとか、そんな独特の感触が、ぼんやり浮かんできて、懐かしい気持ちになります。ペン軸にGペンと丸ペンを、挿しかえながら書いていたけど(イッチョマエに‥‥)、考えてみたら、田舎の薬局を兼ねた小さな文房具屋で、よく売っていたなぁと思ったりして。ペン先だって、1個ずつ売ってくれたような。当時は、まだまだ需要があったということなんでしょうね。

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話は変わりますが、先日、京都の骨董仲間Kちゃんが、わが家にやって来ました。そもそも京都に住んでいる彼女と、なぜ知り合ったのかというと、高校生だった彼女が、京都にあった骨董屋で、『月刊魔法瓶』という、私を含め、数人でつくっていた、ささやなな骨董情報誌(?)を、入手してくれたのがはじまりです(コピー誌です)。

今回は、昔の『月刊魔法瓶』を読みたいという話から、わが家に来てもらったのですが、一緒に読んでいたら、平成5(1993)年12月号に、友人の空瓶28号さんが、No.85でご紹介したベビ新辞典について、書いていたことを思い出しました。私が書いた文面と違い、グッとくる内容に、懐かしさと、時間の流れを感じたのですが、空瓶28号さんが、モノときちんと向き合いながら、集めておられる姿に、いつも感心したり、学んだことを思い出し、ひさしぶりの再会を記念して、その文面もご紹介したいと思いました。

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                       不便を楽しむ 

                       空瓶28号

必要以上に小さな物を見ると、つい、買ってしまう。先日も東寺の市で小さな錫で出来た茶釜を買った。既に普通の大きさのそれは持っていたので、この2~3㎝の物と2つ並べたらおもしろいだろうと思ったのだ。こんな調子で普通のサイズの物のヨコに1~2㎝の煙草盆、1㎝位の徳利とハカマなどを買うのだが、それより小さい物を見るとまた手が出てしまう。小さな物の世界が大きく広がっていくのである。が、しかしサイズの壁に突き当たる物もある。(私しの知る限りでは)そんな1つに国語辞典がある。私しの手元にあるのは、昭和11年至誠堂発行の「ベビ新辞典」で、縦5㎝、横4㎝の小ささだが、906ページもあるしっかりとした物である。言葉を引く時などは、虫メガネと落ち着いた心がないと、うっかり指を滑らせてすぐに数ページ飛んでしまう。だから急ぎの時にはなかなか引けないし、かたや時間がたっぷりあるからといって、決して昼寝の枕にもできない。ちょっと骨の折れる国語辞典である。

 

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ご紹介するのは、"水洗マッチケース"(高55ミリ。横38ミリ)です。ご覧の通り、ブリキでできたマッチ箱で、なんと「giants」の文字が書いてあります。当然野球チームのジャイアンツですよね。マッチの方に重きを置いて購入したので、あまり意識していなかったのですが、戦前からあるこのマッチに、ジャイアンツだなんて、今さらながら巨人の歴史を感じてしまいました。いつ頃のモノなのかと、巨人ファンの課長に尋ねると、ロゴの文字から、「東京ジャイアンツの頃のモノじゃないかな~」と聞き、少し調べてみたものの、いまいちよくわかりません。こうなったら、本家本元へお尋ねしようということになり、東京ドームにある、"野球体育博物館"へ行ってみました。

こちらの博物館では、野球界に貢献した方々のレリーフがずらりと飾ってあったり、選手のサインボールやバットの展示、野球界の歴史資料など、貴重な物がいろいろ展示してありますが、図書館があるのが嬉しいです。さっそく、このマッチを取り出し、訪ねてみると、私よりウンとお若い男性が、さっと書籍を取り出してくれ、「このTGのマークが使われたのは、昭和28(1953)年だけなんですよ」と教えてくださいました。古いブリキのマッチケースを見ても驚くこともなく、ものの数分で、です。素晴らしいです。残念ながらロゴの変遷や、昔のグッズを紹介した書籍って出ていないそうで、詳しくはわからないとのことですが、ユニフォームに合わせて考えると、このマッチケースも昭和28(1953)年のモノということでしょうか?

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『プロ野球ユニフォーム物語』(著者:綱島理友 発行:ベースボール・マガジン社)によると、昭和28(1953)年2月15日に、ジャイアンツは戦後はじめて、アメリカへキャンプに行き、野球の本場だからと、アメリカでユニフォームを注文したそうです。そのデザインが、当時のニューヨークジャイアンツと同じデザインで、オレンジと黒が使われていたことから、この2色は東京のジャイアンツカラーとして定着し、胸のマークにTOKYOが登場したとか。そして、帽子に描かれているのが、このマッチと同じ、TとGが重なったロゴで、翌年からは、読売のYとGの帽子になっています。ちなみに、チーム名"東京ジャイアンツ"が誕生したのは、昭和10(1935)年で、翌年には"東京巨人軍"になったそうです。‥‥と、ここまで調べてみると、東京ジャイアンツって、まぼろしに近いというか、このTGマークは、限られた時期につくられた、比較的数が少ないモノといえそうです。

肝心なマッチケースですが、ほかにも女優さんがプリントされているモノを持っています(いずれご紹介しますね)。どれくらい出まわっていたのかわかりませんが、かなりの種類があり、紙のマッチ同様に、宣伝媒体としても、ブリキは色鮮やかでステキですから、活躍したようです。でも、最初に出会った時は、マッチ専用のブリキのケースがあったんだと、驚きました。だって、マッチをこのケースに入れて、持ち歩いたのでしょう? もちろん、今のように安価なライターが出回る以前の話です。ポケットから、ブリキ製のキラキラしたマッチケースが、出てくる様子を想像するとカッコイイと思いました。使用方法は、紙箱のマッチと一緒で、マッチ箱側面にヤスリ状の摩擦面がついています。そして、ケースには、「水にぬれても火のつく、水洗マッチケース」と、防水効果をうたっており、もしかすると、これは防水マッチとご紹介したほうがよいのかな? また「PEARL MATCHCASE」とも書いてあります。詳しくわかったら、またご紹介したいと思います。

 

おまけ

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2月3日の不忍池です。この日から、ようやく自転車で遠出(?)を再開しました。寒いのと、娘が自転車につけた椅子に座るのを嫌がったりするので、なんとなく遠出が面倒になっていたのです。ベビーカーは好きじゃないしね~。仕方がないので、抱っこ紐をつけて、自転車と抱っこで、移動中です。

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不忍池は、とはまったく違い、水面には氷がはっていました。寒いわけです。

 

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なんでもない、シンプルなガラスのコップです。高さは100ミリ。よく見ると、コップの底が妙に厚くて、ナナメになっていて、小さな気泡がポツポツはいっています。ナナメなのは、底だけじゃなくて、コップも曲がっていることに気づいて、もっと好きになりました。

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こちらも、なんのことはない、シンプルなコップです。高さは85ミリ。とろ~んとしたガラスに気泡がポツポツはいっています。とろ~んとした感じって、写すのが難しいんですけど、ガラスなのにやわらかいような、優しい感じがします。

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こちらも同じく、シンプルなコップ。高さは101ミリ。ほかの2つよりは、スマートな形で、シャキーンと背筋をのばした感じがします。

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底の厚さを比べると、どれも不格好。でも、そこが魅力なのです。 

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横から写すと、無色透明のコップなんですが‥‥。 

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上からのぞくと、微妙に色が違います。

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ひっくり返したコップは、なんだか可愛らしい‥‥。 

コップいえば、1月11日のこと。娘が自分のコップを持って、「カンパ~イ」と差し出しました。ものすごく驚きました。だって、わが家では晩酌はなく、毎日飲んでいるのは、ほうじ茶です。つまり旦那サンと私が、「乾杯」ということはないわけで、いったいどこで覚えたのでしょう? それも、「カンパ~イ」といったあとに、「はぁ~」というのです。最初は、NHK教育番組の『クッキンアイドル アイ!マイ!まいん』の、まいんちゃんを真似しているのかと思ったのですが、飲んだあとの「はぁ~」は、ちょっと違うでしょう? ビールのコマーシャルの影響でしょうか? この日以来、娘はコップ片手に、私が持っている、お椀や茶碗に向かって、「カンパ~イ、はぁ~」というのでした。それも食事中に5回以上です。おもしろいです。  

 

                  ◇ 精神界通信のご案内 ◇

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びん博士から、美しいブルーのハガキが届きました。「ナニナニ?」って、ワクワクしながら文面を読むと、来たる2月16日木曜日。午後6時30分より、渋谷La.mama(電話:03-3464-0801)にて、コンサートをされるそう‥‥。このコンサートを境に、びん博士の新たな年がスタートしますよ。楽しみですね。興味のある方は、問い合わせをしてみてくださいね。 

 

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この紅白の達磨鉛筆削りは(正確には、クリーム色ですが‥‥)、骨董市や骨董屋に通いはじめた、平成4(1992)年8月21日に、京都にあった"骨董鯨や"で買ったモノです。はじめて出会った、古いアンチモニー製の鉛筆削りでした。「こんな鉛筆削りもあるんだ!」って、驚いたっけ。鉛筆削りの大きさは、縦34ミリ、横28ミリで、最大の厚さは10ミリです。見るからに、気合いがはいった表情の、達磨鉛筆削りが筆箱に入っていたら、"七転び八起き"ではありませんが、失敗してもがんばっていけそうです。

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‥‥ここまで書いて、最近このセリフどこかで読んだな? と思ったら、"輸入・廃番文房具の発掘メモ"の、たいみちさんが、新年のご挨拶で、ダルマの消しゴムをご紹介しながら、書いておられたのでした。そうそう、アンチモニーの鉛筆削りも、たくさんご紹介しておられました。大量生産されたとは思えない、さまざまなデザインのアンチモニー製鉛筆削りは、どれだけ種類があるのでしょう。たいみちさんもいわれるように、まさに、"当時の文化のかけら"だと思わずにはいられません。

話は変わりますが、縁起モノの達磨をご紹介したところで、私の縁起担ぎ話を少し。お不動様の縁日である、1月28日の初不動の日に、目赤不動尊をお参りしてきました。昨年初不動の日に、はじめてお参りをして以来、何度か訪れているのですが、この1年も穏やかに過ごせることを願って、奉納護摩木に願いと名前を書いて拝んできたのです。

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昨年は、水に氷がはるほど、寒い日でしたが、今年は24日に積もった雪が残っていました。なんせ気温が連日5、6度です。でも、今年の雪はすごいですね。豪雪地帯の雪の映像を見るたびに、なんともいえない気持ちになります。早く雪がおさまることを祈っています。

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恥ずかしながら、不動尊に5色の色があるなんて、知ったのは一昨年のこと。諸説はいろいろあるようですが、江戸時代に、東・西・南・北・中央の5方位を色で表わし、江戸を守るために置かれたのだとか。全部まわりたいと思いつつも、目赤と目黒しかまわることができていません。もう少し娘が大きくなったらと、楽しみにしているのでした。

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そんな目赤不動尊について、串間努さんが発行しておられる『旅と趣味 第6号』に書かせていただきました。タイトルは、『御朱印収集の旅 』です。中野のブロードウェイの中にある、"タコシェ"に置いてあります。御朱印といえば、私が大変お世話になった、編集者の田端宏章さんが企画された書籍、『御朱印帖』(飛鳥新社刊)が出版されたと、年賀状に書いてあったっけ‥‥。お元気そうで、嬉しく思いました。近々買いに行きたいと思います。

89-6.jpg      『旅と趣味 第6号』 趣味を愛し、旅を楽しむ、昭和娯楽の総合趣味誌 

 

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今回ご紹介するのは、平尾賛平商店が、大正7(1918)年 に発売した化粧品、"レートメリー"です。入っていた商品のチラシを見ると、「東京市日本橋區馬喰町一丁目四番地」の住所になっており、調べてみると、明治11(1878)年に開業し、昭和29(1954)年に廃業したそうです。箱には、「クリームと白粉の効果を兼ね具へて居ますから、このままお肌にお伸しになるだけで、美しい化粧栄が致します」と書いてあります。"化粧栄"という言葉に、ついつい面倒に思って、毎日のお化粧ができずにいる私にとって、大正時代から、美しさを追求してきた女性の姿を想像すると、少々反省してしまいます。

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チラシをご覧になるとおわかりのように、たくさんの化粧品をつくっておられますね。パッケージもとてもステキです。レートメリーの容器も、グリーンがかったフタといい、厚手の白いビンといい、ロマンチックといいましょうか‥‥。見ているだけでも、美しくなれそうな気がします。ちなみにビンの大きさは、高さが650ミリ。直径が450ミリです。

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レートメリーの容器と一緒に、No.86でご紹介した中山太陽堂の"クラブ美身クリーム"の、大きいビンも出てきました(整理整頓が、きちんとできていません。スミマセン‥‥)。神戸発の中山太陽堂は「西のクラブ」といわれ、日本橋発の平尾賛平商店は、「東のレート」といわれたほど、東西にあったこの2社は、有名な化粧品メーカーだったそうです。

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クラブ美身クリームの大きいビンは、高さが480ミリ、直径450ミリです。小さいビンも一緒に並べてみると、やっぱり上品で、ステキなパッケージですね。ちなみに、箱には「中瓶」と明記されています。 

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全部一緒に並べてみると、華やかでステキです。見ているだけで、うっとりしちゃうから不思議です。しばらく眺めていたら、今年からは、私も少し真面目に、自分のケアに力を注ぎたいと思ったのでした。‥‥‥‥。

  

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    さえきあすか -asuka saeki-
    忘れ去られてしまいそうな、昔なつかしいモノたちに魅せられて、コツコツ集めています。古くさいけど、あたたかくて、あたらしい。そんな愛すべきガラクタたちをご紹介します。

    旧サイト連載:
    駅前ガラクタ商店街
    …昭和以前の生活雑貨録

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