2011年8月アーカイブ

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1枚の、この入道雲の絵葉書には、ところどころ読めない、かすれた文字で、「記憶ス 九月一日 雲 煙」と右横書きで書いてあります(空欄は読めない文字です)。その文字からわかることは、大正12(1923)年9月1日に発生した、関東大震災当日に撮影された雲だということです。どこから撮影したのかはわかりませんが、この日は決して忘れない、という思いで、シャッターを切られたのでしょう。関東大震災の絵葉書は、数多く出まわっていますが、私が持っているのは、この1枚だけです。88年前という、テレビもなかった時代には、遠方に災害を伝える手段として、絵葉書は大活躍したことでしょうね。

49-2.JPG8月も残り少なくなったある日、言問通りの弥生坂を娘と自転車で下っていたら、目の前のビルより低い位置に、もくもくと入道雲が見えました。なんとも見事な雲で、しばらく眺めていたら、先の絵葉書を思い出したのです。思えば、夏も残り少なくなりました。そう思うと、入道雲さえ愛おしく感じられます。昔から変わらない青い空と、白い雲。風が吹くたびに、形がどんどん変わっていくので、こんな日の空は、見ていて飽きることがありません。ふと、トンボが横を通り過ぎて行きました。秋は目前です。東北は、東京よりも早く秋が訪れます。どうか、寒い冬が来る前に、それぞれの方が、今より状況がよくなっていますように‥‥。49-3.JPG

言問通りといえば、東日本大震災の影響で、1ヶ月遅く開催された隅田川花火大会の、花火を打ち上げる場所が、言問橋だそうです。つまり、言問通りを隅田川に向かって進んで行けば、花火を間近に見ることができるわけで(実際には人が多くて無理でしょうけど)、昨年までは、谷中から先の地図は頭に入ってなかったのですが、この前浅草まで行ったので、言問橋の近くまで行かなくても、花火を見ることができるのではないかという場所が、頭に浮かんでいました。夜の散歩なんて、今までしたことがありませんが、娘もまだ寝ないようですし、旦那サンは仕事で帰ってこないので、ちょっと出かけてみようと思いました。

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暗い坂道での運転は、私もビクビク、娘も驚いていましたが、なんとか目的地に到着。遠くではありますが、夏の終わりに夜空に輝く花火を、2人して見ることができたのです。それも、風が涼しくて、夏の夜というよりは、初秋の夜という感じで、少し淋しいような思いで、しばらく眺めていました。が、8時をまわると娘は抱っこ紐の中で、ストンと眠りに落ち、私はもう少し眺めていたかったのですが、娘の睡眠優先ということで、帰ることに。でも、30分くらいは見れたので、満足です。帰り道、エキスポの電気がついていました。行ってみようかな~と入口まで行くと、オーナーらしき人を発見。相変わらずオシャレで、優しそうな姿に、わが身を客観的に見ると、スッピンで、髪の毛を束ね、エプロン姿で、娘を抱っこした上に、ツッカケを履いています。う~ん。さすがに、お会いする勇気がない。ということで、帰ったのでした(娘が起きて大泣きしても困るし‥‥)。49-5.JPG

さて、毎度のごとく話が横にそれてしまいましたが、今年も9月1日がやってきます。私が暮らしているところでは、昨年と同じように、サイレンと防災訓練の放送が流れると思います。今年は誰もが特別な思いで、聞くに違いありません。もちろん、私もです。

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おまけ 

ビルの間に見えた小さな花火です。娘はピカピカ光る花火を指さして「あ~」といい、上空を旋回するヘリコプターを指さして「あ~」といい、道路を走る車を指さしては「あ~」といい、大忙しでした。

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48-2.JPG靖国神社青空骨董市の帰り道、九段下のお堀を見たら、一面に蓮の花が咲いています。蓮の花の時期かぁ‥‥と思い、もっと身近に見たくなりました。近くに蓮を見ることができる場所で、頭に浮かんでくるのは、上野公園の不忍池です。この時期は"うえの夏まつり"も開催され、不忍池の湖畔には、植木や楽焼のお店のほかに、件数は少ないのですが、骨董市もやっています。そんなことをハタと思い出し、早速行ってみると、池全体が盛り上がったような、自分の背丈より高く、大きな蓮の葉っぱにビックリ。そして、そんな葉っぱの間に咲く、花の美しいこと! 今まで見た中で一番美しい気がしました。

思うに、蓮の花って、年齢を重ねるほどに、美しく見える花かも知れません。私はこの日から、散歩コースに不忍池を入れ、青空の下で見て、曇り空の下で見て、今年ほど蓮の花を見たことはないというほど、見てきました。その時々の景色に、なんて美しい花なのだろうと、ただただ眺めるだけですが‥‥。ちなみに、行くたびに骨董市をのぞきましたが、モノとはご縁がありませんでした。残念。

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蓮の花といえば、No.17で、少年倶楽部繪はがきをご紹介しましたが、絵葉書もいいけれど、実物にはかないませんネ。見れば見るほど、手を合わせて祈りたくなる、まさにそんな花です。今回ご紹介する、不忍池絵葉書は、戦前のモノには違いありませんが、細かくはいつ頃でしょう。昔も今と変わることなく、不忍池一面に、美しい蓮の花が咲いていたことが、わかります。絵葉書の種類も多数あることから、観光地としても人気があったことが、うかがい知れるのです。

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不忍池の湖畔に、"蓮見茶屋"という甘味屋があります。上野観光連盟が主催する、夏季限定のお店で、店名のごとく、蓮が美しく眺められる場所にあり、娘と何度か訪れました。なんといっても、靴を脱いであがることのできる板の間があるのが嬉しく、お客様が少ない時には、娘は自由に歩けるので、柵の先にある、自分の顔より大きな葉っぱをひっぱったり、葉っぱにたまった雨水を落としてみたりと、楽しそうです。撮影したこの日は、関東一体に雷注意報が出されており、ゲリラ雷雨にどこで遭遇するかわからない日でした。ついさっきまで、晴天だった空が、いっぺんに暗くなり、前方には稲妻が走っているのに、後方は晴天という空模様が、神秘的な蓮の花を、ますます神秘的に映し出している、そんな気がしました。

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それにしても、去年の猛暑も、すごく大変でしたが、今年の夏は気温差が激しく、1日1日の変化がすごいです。おかげさまで(?)家族3人夏風邪をひいてしまい、病院通いです(なかなか治りません)。そういえば、今年は蝉が鳴くのが例年より遅かったのですが、8月中旬の上野公園では、蝉の鳴き声をシャワーのように、あびながら聞くことができました。やはり夏は、こうでなくては! この声も、もう少しの間しか聞けないと思うと、しばし、立ち止まって聞いてしまう私です。実は、余談ですが、蝉には日頃お世話になっているのです。上野公園ほどではありませんが、わが家からも蝉の鳴き声は、よく聞こえます。近頃天候が不安定で、買い物へ行くタイミングを悩んだりしているのですが、雨が降っている時は、蝉は鳴かないことが多く、蝉の声が聞こえはじめると、雨がやんだことがわかるので、私にとっては、天気を知らせてくれる、感謝すべき存在なのでした。48-5.JPG

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坂道に囲まれた町を、1歳の娘と自転車で散歩をするのが日課の私に、「一番どこの坂道が好きですか?」と聞かれたら、私は「菊坂!」と答えたいと思います。本郷通り沿いの本郷薬師近くにある菊坂通り。比較的長くて、傾斜が緩やかで、春日まで下ることができます。そして、5千円札に肖像画が描かれている、作家・樋口一葉さんが住んでいたことでも、有名な場所でありますが、それが好きな理由ではありません。菊坂は、ほかの坂道に比べると、車通りが少なく、「ぶ~ん」といいながら、安心して自転車で下ることができ、娘がとても喜ぶからです。通りの真ん中には、"菊坂コロッケ"を販売する"まるや肉店"をはじめ、魚屋"魚よし商店"、先には"上田屋豆腐店"などがあり、保冷バック片手にひとっ走りすれば、パパッと買い物ができるのもありがたく、ずらりと並ぶ街灯には、風鈴がつけてあるのも、特徴のひとつです。もちろん夏だけだと思いますが、「リーン、リーン」という、美しい音色を聞きながら、自転車で通り過ぎると、暑い気持ちにひと息つける感じがするのです。風鈴の音はうるさくないかって? それが、うるさくないのです。ついている風鈴が、すべて鉄の風鈴だからです。鉄の風鈴って、ガラスに比べると、見た目の華やかさには劣りますが、音が優しくて、深みのある、甘い音色といいましょうか。ずっと鳴っていても、私はうるさいと感じたことがありません。わが家でも、7年ほど前に"銀座たくみ"にて、南部鉄の風鈴を求め、以来ずっと窓辺に飾っているのですが、心地よい音を奏でてくれます。

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南部鉄といえば、ひと昔前につくられたと思われる栓抜きを持っています。それも、こけしの形をしています。フリーマーケットで見つけた時に、結った髪の毛といい、微笑んでいる優しい表情といい、とても可愛らしい栓抜きだと思いました。裏面には「南部」の文字と、薄くて見えづらいのですが、「JAPAN」の文字が描いてあり(写真には写りませんでした)、手で握ってみると、なんともいえない感触です。素朴で、持ちやすく、鉄なのにあたたかい感じとでもいいましょうか。嬉しい気持ちで、つれて帰りました。

南部鉄器の産地は、いわずと知れた岩手県奥州市と盛岡市ですが、私は、どちらも訪ねたことがありません。もう少し子供が大きくなったら、ぜひとも行ってみたいと思っている場所のひとつなのです。それにしても、栓抜きを自宅で使うことって、ずいぶん減りましたね。うちはお酒も飲まないクチなので、特に使わないというか‥‥。なので栓抜きというよりは、テーブルに置いた紙類の上に、ポンッと無造作に置いて、紙が飛ばないようにしています。

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そうそう、こけしがらみで、以前"こけし郵便"と一緒にご紹介した、"箱橇っ子人形"と同じ箱橇が写った絵葉書と出会いました。「子供の雪遊び(山形)」と右横書きで書いてある、戦前の絵葉書です。箱橇っ子人形が生まれたのも山形県でした。実際に使っていた様子がわかると、ますます親しみがわいてきます。玩具にも地域性がでると、楽しいですね。

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気になる街角 

<本郷館 その3>

本格的に工事がはじまりました。

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骨董ジャンボリーの翌日、7月23日、日曜日は、案の定、身体のあちこちが痛みました。10キロ近い娘を抱っこしながら長時間歩くには、もう若くないよなぁと、しみじみ思いつつ、このくらいの痛みなら、かえって動いたほうがいいかも‥‥なんて思ったりして。逆治療法ってありますよね。ひさしぶりに大きな骨董市へ行ったせいか、身体はさておき、気持ちは晴れ晴れといった感じの私は、少し前から門前仲町までの行き方を、頭に入れていました。この日も気温は28度とちょうどいいし、わが家からの距離としては、浅草より遠いのですが、坂道がないぶん楽チンなはず。のんびり自転車をこいでいけば、たどり着けると思いました。

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46-4.JPG毎度のごとく、早朝、といっても7時ですが、出発しました。日曜日の東京は、車も人も少ないのがいいんです。もちろん、自転車好き(?)の娘も一緒に。浅草方面の下町風景と違って、オフィス街の大きな四角いビルを、不思議そうに見上げる娘と永代通りを走りながら、左手に日本橋水門を見つつ、東京は知れば知るほど、奥の深い土地だと感心していたら、見えてきました。永代橋が! う~ん。大きい! 実にカッコイイ橋です。隅田川って、もっと遠い印象があったのですが、こうやって、自転車で渡ることができると、身近に思えるから不思議です。隅田川といえば、架かかっている橋たちは、どれも形が違い、立派です。公共の橋なのだから、同じ形でいいように思いますが、ひとつひとつデザインして、特徴をつけたあたり、見事というか、さすがだなぁと思うのです。そして、どの橋も関東大震災跡の復興橋です。大きく立派な橋が架かるたびに、前進していくような力強さと、たのもしさを、誰もが思いながら眺めたのではないでしょうか。ちなみに、永代橋は隅田川の河口に位置していることから、門のイメージでデザインされたそうです。また、永代橋は男性をイメージし、となりの清州橋は女性をイメージしてデザインされたとか。

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 ついでといってはなんですが、戦前の永代橋と清州橋の絵葉書がありますので、ご紹介します。橋って、丈夫ですね。色は違いますが、形は昔も今も変わりません。

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そんな永代橋を渡り、到着したのは富岡八幡宮骨董市。今年の1月に来て以来です。あの頃は、出かけるだけで、ものすごく勇気が入りました。娘は小さくて、いつ泣きだすかわかりませんでしたから。それが今では、つたい歩きと高速ハイハイが上手になり、「ナイナイ、バ~」と話します。本当に成長の早さに驚かされています。

‥‥と、話が横にそれましたが、今日は骨董ジャンボリー最終日なので、そちらに出店しておられる方も多いのか、お店の数は少ない気がしました。くるりとまわったのですが、ピンとくるモノに出会えず、残念(昨日散財しているから、内心ホッとしたりして)。そうそう、意識したモノがありました。以前ご紹介した、"こけし郵便"です。お値段的に手がでなかったのですが、種類がたくさんあり、こんなにあるんだって感心しました。でも、過去に何度も来ている富岡八幡宮なのに、よく見ると、本殿は個性的な形をした建物なのですね。あまり見ないつくりだと思うのですが‥‥。なにはともあれ、目的達成。来れたことに満足して、のんびり帰ったのでした。

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さて、今回ご紹介するのは、ガラスでできた戸滑器です(白い陶製のモノもひとつ混じっていますが)。ひっくり返して並べてみると、形が橋に似ていると思いませんか? ずらりと縦に並べたのは、隅田川に架かった橋をイメージしたのですが‥‥。ちょっと強引でしょうか。これらは、いわゆる"代用品"と呼ばれるモノで、戦時中、物資が不足したために、それまで金属でつくられてきた戸滑器や戸車が、ガラスや陶器、木などで代わりにつくられたのです。ガラスでできた戸滑器は、色合いがとてもきれいで、形もさまざま。意識しているうちに、ポツポツと手元に集まってきました。

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戸滑器の中には、「新案特許」、「特許」、「2」などの文字も入っており(文字が小さすぎて、私には撮影できませんでした)、貼られた紙には「特許 伊丹式戸滑器」と書いてありました。当時の引き戸の開け閉めを、この小さなガラスの戸滑器たちが、手伝っていた様子を想像すると、なんだか愛おしく思えますが、強度は大丈夫だったのでしょうか。あまり頻繁に開け閉めすると、マズイように思うのですが。ちなみに濃いブルーの戸滑器で、横の長さが58ミリです。小さいので、集めても場所をとらないのはいいですネ! 陶器でつくられたモノは、"時のかけら~統制陶器~"でも、『戸滑り』と題して、2006年9月に紹介しておられます。不安に思った強度に関しても確認しておられ、案外丈夫で、使用できたそうです。また、『戸車』も紹介しておられますが、これは形が可愛くていいです。それにしても、代用品の戸滑器といえど、いろんな種類があるのにビックリです。それだけ需要があったということなのでしょうか。

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「さえきさん、私にとって、この本は、今まで思ってきたことの集大成であり、理想の本なのです。これが完成したら、私、もう、いつ消えてしまってもいい、というくらいの思いでつくっているのです」と、庄司さん、いえ、びん博士は、私の目を見て話されました。
「またまた、消えるだなんてやめてくださいよ。でも、集大成ですか。凝ったつくりの本ですね。おもしろそう‥‥」
「いやぁ、そういっていただけると‥‥。読んでくださった方の中には、昔の言葉が多くて読みづらいといわれたりもしますが、この本は読むんじゃないんです。心で見て感じるんです」びん博士の独特の口調に、思わず笑ってしまいます。
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骨董ジャンボリーの会場で、入口近くにお店を構える、びん博士と何年ぶりかにお会いしたのに、不思議ですね。いきなり普通の会話からスタートです。お店には、びんも並んでいますが、私にとって今回の主役は、びん博士が熱く語られた本です。もちろん買いました! タイトルは『原色日本壜圖鑑』。びんの本をつくっているという噂は聞いていたものの、ようやく実物を見ることができました。紺色の厚手の表紙に、箔押しされた銀色の文字が、なんだか、とても懐かしい感じがして、昔からあった書物に出会えたような、そんな錯覚を感じさせてくれます。穴を開けて、新刊がでるたびに綴じていくというスタイルも、収集家のハシクレ(?)としては、ワクワクするつくりです。もちろん、穴を開けずに、興味ある1冊だけ、お手元に置かれるのも大丈夫です。思えば、昔の本にとって、"原色"、いえ"カラー"って、とても貴重でした。本に写真を載せること、それもカラー写真を載せることは、お金も手間もかかって、大変なことだったのです。だから、わざわざタイトルに"原色"とつけて、見る人に「カラーありますよ」って、宣伝したといいましょうか、それくらい価値がありました。そんな価値ある『原色日本壜圖鑑』は、現在までに3冊発行されています。
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第0巻【はじめに】では、壜との運命の出会い、図鑑が好きだった少年時代の話にはじまり、最初に出会った壜の紹介や、その壜の背景にある素性など、詳しく紹介してあります。
第一巻【イヒチオールびん篇】では、複数のイヒチオールびんを原色で紹介しながら、会社や製造者の写真を交えて、素性などを細かく書いておられます。
第二巻【育蠶活桑器びん篇】では、育蠶活桑器びんの原色写真は、もちろんのこと、実用新案登録されたびんたちの登録内容まで掲載してあり、びんのこともよくわかりますが、日本で、これらのびんが産まれるまで、いかに蚕が飼育され、産業として栄えてきたかを、うかがい知ることもできます。
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以上、どの本もびんを通して当時の世相までわかる、単なるびんの本ではない、日本の壜図鑑なのでした。それも、大半の部分が手づくりだというからスゴイです。ページをめくると、薄手の紙の次に、その本の主役となるべく、びんの写真が1枚貼ってあります。本文中の原色写真は、印刷されていますが、最初の1枚だけは、ていねいに切り貼りされているのです。お店でお手伝いをなさっていたWさんが、1枚1枚貼られたそうで、「すみません。よく見ると曲がっているかも」と、手渡してくださったのが印象的でした。もちろん本文のデザインも凝っていてステキですし、本誌の表紙の文字だけ活版印刷というのも見逃せません。実にこだわっていますね。次回は「神薬」のびんで、前篇、後篇と2冊になるそうです。神薬びんは、はじめて見た時、商品名で感激し、美しいブルーの色と、小さな可愛らしい形のびんに、大好きになりました。種類も多く、私は数本しか持っていませんが、とても楽しみです。
45-6.JPGそして、これまた、ずっと気になっていたCD『壜博士の"ボトル・フラグメント"』(歌詞、作曲、歌、演奏 庄司太一)も、ようやく買うことができました。庄司さんの歌は、何度か聞いたことがありますが(その31その32参照)、家に帰って、「大きなび~ん。小さいび~ん」と、独特の歌声を聞いていたら、どういうわけか、NHKの幼児番組『いすのまちのコッシー』という、人形劇が頭に浮かんできたのです。どんな内容かというと、椅子の街で暮らす、いろんな種類の椅子たちが、人間関係ならぬ椅子関係の中で、悩んだり、遊んだり、学んだりしながら成長していく話で、この人形劇、椅子じゃなくて、びんでもいいかも‥‥と突然思ったのでした。びんもいろんな種類があって、立場(?)があって、物語にするのは悪くないと思ったのです。形は単純だし、"容器"って掘り下げると深いと思います。もちろん主題歌は、びん博士で‥‥。なんて、そんな世界を想像(妄想)してしまうほど、びん博士の歌は、ストーリー性が高いと思うのです。当然、9曲すべてびんの歌です。
45-7.JPG庄司さんの低い声に安心したのか、もぞもぞ暴れていた娘は、ストンと眠りに落ちました。これは帰るチャンスです。慌てて出口に向かうと、主催者のお1人である竹日忠芳さんと、以前からお世話になっている業者、Mさんにお会いしました。みなさん、本当にお元気そうで、パワフルに頑張っておられます。私も頑張らなくっちゃ!と思い、ご挨拶をして会場を出ました。ここから、有明駅までが遠いんですよね。寝ている娘は、重い。重い。でも、今のうちに電車で行けるところまで行かなくては。有明駅について、ビックサイトに向かって写真を撮りました。何度も見てきた景色なのに、今までとは少し違う感じに映ります。幸い娘は1時間ほど寝てくれまして、起きたのは家の近くでした。「今日はありがとう」と頭をなでると、ニカッと笑いました。

追記:いつもはカタカナで"ビン"と書くのですが、びん博士は、"びん"または"壜"と書かれるので、同じように書きました。それと、あと3つ小さいモノをつれて帰ったのですが、それらは下調べが済んでから、ご紹介しするとして、2011年夏の骨董ジャンボリーのお話は、ひとまず終了したいと思います。

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今回は、ひさしぶりに、びん博士と奥様にお会いできたお祝い(?)として、長年うちにいるビンをご紹介します。"東京淀橋 萬歳商會謹製"の"萬☆歳"、"BANZAI"と、右横書きで描かれた、高さが273ミリ、底の直径が58ミリの細長いビンです。バンザイマスクに続く、バンザイビンですね! なんともメデタイ感じがします。飲料水のビンだと思うのですが、なにが入っていたのでしょう。よく見ると、昭和初期の空気、アワアワがたくさんあって、魅力的なビンなのです。

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ご案内

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手づくりの本といえば、串間努さんがつくっておられるミニコミ誌を忘れてはいけません。タイトルは『旅と趣味』。"昭和娯楽の総合趣味誌"と書かれるだけあって、ものすごく濃い内容の、読むと達成感が得られる趣味誌です。それも、表紙や誌面に、昔のラベルや袋などが、そのまま貼ってあるのです。作業の様子を想像するだけで、深く頭を下げたい思いになります。実は、私も参加させていただいてます。『御朱印収集の旅』と題しまして、今回は江戸五色不動について、書きました。そのほかの内容は、あらためてご紹介しますが、今回は緊急告知をしたいと思います。

来たる8月14日、日曜日、東京ビックサイトで開催される、超有名なコミックマーケットに、このミニコミ誌&バックナンバーを持って、串間努さんが参加されます。

☆場所は、東2ホール Oの58aです。

また、まぼろしチャンネル管理人でもある刈部山本さんも、新刊『戦跡商店喰い』を持って参加されます。お2人とも同日です。コミケには、アニメ以外にも、さまざまな物事を研究したり、調べてまとめたミニコミ誌が、たくさん並びます。興味のある方は、ぜひ!

☆場所は、東"R"-11b「ガキ帝国」です。

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骨董ジャンボリーに、はじめて出店される業者さんがいました。私にとっても、初顔合わせの方です。なんで知っているのかというと、このお店はオンラインショップもやっておられ、お買い物をしたことがあるからです。それで、「今回はじめて骨董ジャンボリーに出店します。よろしければいらしてください」とご案内をいただき、行くことができたら、ご挨拶をしようと思っていました。お店の名前は、"あんてぃーく・かのん"。京都にある骨董屋です。同じくオンラインショップをやっておられる骨董屋のリンク先から、お店を知り、その後"古道具屋Kanonさんちのはるちゃん日記"を読んで、のどかな山間の風景や、賢そうなワンちゃんと、こまごましたモノが並ぶ店内の様子に、いつか行きたいなぁと思っていたのです。

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あんてぃーく・かのんにて、なにを買ったかというと、ガラスの鉢です。それも2つ。入れ子になっているモノで、ハートがぐるりと全体に描かれた、なんとも可愛らしいデザインの鉢なのです。この鉢は人気があるので、書籍に紹介されたり、以前何度か見かけたりしたのですが、実は、ハートって少し苦手な柄でした。自称「マイナー嗜好」の私にとって、ハートという可愛らしいデザインは、自分には似合わないと思っていたのです。ところが、子供ができると変わるというか、似合うか似合わないかは別として、ハートに星、お花などの定番ともいえる可愛らしいデザインが、自然に視界に飛び込んでくるから、不思議なものです。そんな気持ちの変化に、首をかしげていたところへ、このハート鉢の登場です。2日ほどガマンして、注文しちゃいました。わが家に届いて箱を開けてみると、想像した以上に可愛らしく、サクランボを入れて撮影すると、ますますイイ感じ。しっかりとしたつくりなので、扱いやすく、すでに何度も活躍しています。活躍している器といえば、先日護国寺からやってきた、コウモリの鉢が、想像していた以上に使いやすいのです。今一番使っているかも知れません。実にイイ出会いでした。
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さてさて、会場でお会いした、あんてぃーく・かのんのKさんは、とても優しそうな女性でした。「はじめまして」とご挨拶。なんでも、はじめての出店で、商品を並べるのが大変だったご様子(後日、ブログを読んだら、トイレもなかなか行けなかったとか)。ゆっくり見たいと思ったら、娘がぐずぐずいいだし、あっというまに退散となりました。すみません。あの超短時間は、挨拶といえたのでしょうか‥‥? 次回お会いできた時には、きちんとご挨拶したいと思います。

なにはともあれ、私の中のノルマ達成(?)ということで、再びTさんのもとへ戻って休憩。娘は下に降ろすと、ガラスケースに興味しんしんで、触るから叩くへ。「ひぃ~!」Tさんもケガをしないようにと、モノを移動してくれます。これから歩きだしたら、いったいどうなるんでしょう。しばらく屋内の骨董市は、やめたほうがいいかも知れません。私の心臓がモチマセン。

 

気になる街角 
<本郷館 その2>
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7月30日、午後2時過ぎのこと。どんよりと、上空にはりついていた雲が、1時間ほど、すっといなくなり、ひさしぶりに青空が見えました。せっかくですから、青空の下に建つ本郷館を撮影したいと思い、娘を抱っこして自転車で出発。しばらく眺めていると、たくさんの鳩が、上空を旋回をはじめたのです。上手く撮影できなかったのが残念ですが、とても美しい景色だと思いました。鳥たちから見れば、100年ここに建ってきた本郷館は、この土地の、大きな目印だったに違いありません。仕方がないこととはいえ、そんな目印がなくなってしまうと、鳥たちも寂しいでしょうね。

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そして、8月4日木曜日、大量の畳が出されはじめました。

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ご紹介する『筆墨架(ひっぼくか)』は、今回骨董ジャンボリーでつれて帰ったモノの中で、一番ヒットかも‥‥って思いながら、ニンマリと眺めている私です。元箱入りで、説明書付き。本体はブリキでありながら、状態よく、素晴らしい出会いとなりました。さて、なんでしょう?
墨&筆置きです。それも、尋常小学4学年生の菊池英樹君(9年6ヶ月)の発明品で、なんと、"皇太子殿下、雍仁親王殿下、宣仁親王殿下、賜御愛用之光榮"と箱に大きく書いてあります。説明書を読んでみると、先生が生徒たちに、「机の上が汚れないように、工夫をしてみなさい」と話したところ、菊池君が、1本の針金と1枚のブリキの板から、筆墨架の案を提出してきたそうです。これを見た先生をはじめ、校長先生も、9歳の子供が生み出した、小さな発明を喜び、果ては市長さんや知事さんからも褒められ、ついには、当時の皇太子殿下、淳宮殿下、髙松宮殿下の御愛用の光栄を賜ったというから、素晴らしいですね。それも、筆墨架本体のブリキ部分には、月桂樹で囲まれた菊池君の顔がプリントされており、発明品で顔入り商品なんて、あまり見ませんから、ますます楽しくなります。製造元は、金粉問屋、菊池三樹商店。菊池君と関係あるお店なのでしょうか。

43-3.JPG筆墨架は、新案特許番号が明記されていたので、早速調べてみると、大正4年4月8日に、"考案者・菊池英樹"として、実用新案登録されていました。福島県若松市(現・会津若松市)の方です。登録内容は、筆墨架の構造についてなので、写真を見ていただけばいいとして、使用方法はブリキの板に墨をのせて、筆は上の波のように曲げた針金部分に置くそうです。そうすることにより、机や床に筆が落ちて汚れることがなく、子供は汚れた筆を噛むこともなく、衛生的であるとのこと。説明書に書かれた長所を引用させていただくと、

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一、机上の整理を能くし、且つ清潔を保つ事。
一、筆の転げ落ちるを防ぐ事。
一、塵埃の付た筆を噛むを防ぐ衛生上の事。
一、図画の時色筆の混同を防ぐ事。
一、筆の早く切れるを防ぐ経済上の事。
一、発明心を刺激奨励する事。

43-5.JPGだそうです。単純な話といえば、そうなのですが、今から96年前のお話です。元箱をよく見ると、"會津東山ラヂーム温泉元湯 旅館 有馬屋"とあり、小さな文字で「発明心奨励のため、御来遊の記念として、御子様方の御土産」と書いてあります。ナルホド。若松市の子供が発明した筆墨架を、旅館のお土産として販売していたのですね。地元の方々の喜びが伝わってくるようです。ちなみに筆墨架本体には、「発明心奨励トモナレバ誠ニ光栄ト思ヒマス」と本人のコメントも入っています。なんとも微笑ましい文房具といえそうです。

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 さて、この"會津東山ラヂーム温泉元湯 旅館 有馬屋"ですが、戦前に配られた東山温泉の観光案内と、絵葉書があるので、ご紹介します。まずは、『會津東山温泉案内』に描いてある地図です。会津若松駅から東山温泉まで書かれた細長い地図(鳥瞰図)なのですが、東山温泉のところだけ大きくして見ると、ありました!中央の旅館が集まっているところに、"有馬屋"と書いてあります。筆墨架は、ここで販売されたのですね。

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次にご紹介する街並みの絵葉書ですが、地図と絵葉書を照らし合わせてみると、左側に看板が見える旅館、有馬屋っぽくないでしょうか? 残念ながら、旅館名が読めないのですが、3文字だとはわかります。川沿いで、橋の左側にあり、川の奥にも旅館が見えることから、有馬屋って気がするのですが‥‥。ちなみに、有馬屋は、"元湯 有馬屋旅館"として、現在も営業しておられます。

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最後の1枚は、東山温泉場の全景。ゆっくりとくつろげそうな、山間の中にある温泉街です。今の東山温泉は、どんな感じなのでしょう。"会津東山温泉観光協会"の地図と昔の地図を見比べたら、同じ名前の旅館は、数件あります。なんだか、ワクワクしてきました。ぜひとも行ってみたいです。

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42-2.JPG前回にひきつづき、骨董ジャンボリーのお話です。ジャンボリーには、No.10でご紹介しました"古道具・月天"のTさんも出店しています。とにかく、まずはTさんの所へたどり着かなくては‥‥。そう思い、必死にお店に向かいました。オーバーと思われるかもしれませんが、狭い通路におられるお客さんを避けながら、娘を抱っこしての移動は、思った以上にシンドイ。だいたいモノを見ることができません。これはウカツでした。抱っこしているわけですから、お腹がびよんと大きくでている状態なわけで、下にあるモノは見えづらく、取ることもできず、近寄ろうものなら、私より先に娘が手を出す始末。つまり、比較的高い所に並んでいるモノだけ、見ることができたのでした。‥‥‥なんだかなぁ。その上、娘は高い天井が珍しいのか、抱っこ紐の中で、イナバウアー状態。「すみません。すみません」といいながら、月天のTさんの顔を見た時には、ホッとしました。Tさんは、娘と逢ったのは3回目で、「大きくなったなぁ」と笑顔で迎えてくれまして、娘の相手もしてくれるので、大助かり。
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思うに、ジャンボリーは会場が広いので、真ん中に喫茶店を兼ねた休憩所があると、すごく助かると、自由に動けない私は、しみじみ思ったのでした。骨董を見にこられる方は年配の方も多いのですから、休憩場所は端ではなく、会場の中央がいいと思うのです。でないと一番奥までたどりつけませ~ん(私だけ?)。まるく喫茶スペースを置いて、業者さんを眺めながら休憩できたらいいな。商談とかモノ自慢をしながら。そしたら、長居できるのに‥‥って、すみません。ひとり言です。

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さて、月天でガラクタ好きの同士(?)をご紹介していただきました。徳島からいらしたOさんです。以前から、お噂は耳にしていましたが、とても優しそうな男性で、「はじめまして。さえきさんがお持ちの達磨に出会えたんですよ」と、ブリキの達磨貯金箱を見せてくださいました。手にとって眺めていると、Tさんに、「さえきちゃんのブリキの達磨貯金箱、両面型押しされてたよな~?」と聞かれ、達磨をひっくり返すと、後ろ姿もきちんとつくってあります。「う~ん。たぶん、そうだったと思うけど、え~、たぶん同じモノです」と答えたのですが、家に帰って見てみたら、うちの達磨は、後ろ姿は平べったいだけで、壁に取り付けられるように、小さな穴が開いていました。すみませんでした。

実は、この達磨は、ちょっと遠回りをして、3年かかって私の手元にやってきたモノでした。その話を骨董の情報誌『小さな蕾 No.409』に書いていて、それをOさんは読んでくださったのです。今までならご紹介していただいた方には、ていねいにご挨拶をしていたのに、今回は動きたい娘と格闘しながら汗だく状態で、Oさんもどうしていいかわからなかったと思います。まともに話すことすらできず、本当に失礼しました。なので、この場を借りて、Oさんとお揃いかと思われたブリキの達磨貯金箱を、ご紹介します。私のほうは、高さが85ミリで、Oさんのより小さいような気がしたのですが。あと色が残っているくらいでしょうか。顔の表情や構造は同じだと思いました。

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もうひとつ、おまけに達磨のカギをご紹介します。なんと、カギを差し込む穴部分が、達磨の口なのです。残念ながらカギ本体は、なかったのですが、なんともシブイ、ステキなデザインだと思いませんか? いったいどこにつけたのでしょう。開けるたびに笑ってしまいそうなカギ(穴)なのでした。

次回は、骨董ジャンボリーで買ったモノをご紹介します。

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気になる街角 

<本郷館 その1>

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この写真は、昨年10月に撮った写真です。木造3階建ての"本郷館"。明治38(1905)年に、文京区本郷に建てられました。部屋室が70もあるという、あまりにも大きくて、有名な歴史あるこの建物が、8月に解体されることになったと、友人F氏から、お知らせいただき、ビックリ! 以下3枚は、慌てて7月30日の早朝に撮った写真です。梅雨に戻ったような雨の後、水分をたくさん吸い込んだ木造家屋は、近寄ると、ものすごい迫力があります。この地に建ってから1世紀。約100年という時間の流れを見てきた本郷館。そういえば、8月1日で都電・荒川線が100年だそうです。お祝いの100年。お別れの100年。少し寂しく見上げます。

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    さえきあすか -asuka saeki-
    忘れ去られてしまいそうな、昔なつかしいモノたちに魅せられて、コツコツ集めています。古くさいけど、あたたかくて、あたらしい。そんな愛すべきガラクタたちをご紹介します。

    旧サイト連載:
    駅前ガラクタ商店街
    …昭和以前の生活雑貨録

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