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第25回 『七里ヶ浜の哀歌』 |
日溜まりの公園で、暮れなずむ街角で、夜のしじまの中で、ひとり「童謡」を口ずさむ時、幼き日々が鮮やかによみがえる…。この番組では、皆様にとって懐かしい童謡の歌碑を巡ってまいります。今回は、『七里ヶ浜の哀歌』です。
童謡・唱歌の中で哀しい歌の代表といえば、まず『赤い靴』や『十五夜お月さん』などが思い出されますが、『七里ヶ浜の哀歌』はそれらをはるかに上回る悲劇的な歌です。明治43年1月23日の昼下がり、神奈川県の七里ヶ浜の沖合で逗子開成中学校の生徒ら12名が乗ったボートが転覆し、全員が死亡するという事故が起きました。『七里ヶ浜の哀歌』は、彼等のために作られた歌です。作詞者は、当時中学校の近くに住んでいた鎌倉女学校の教師三角錫子*。事故の翌月に開催された慰霊祭では、女学校の生徒達がアメリカの作曲家インガルスが作った『When
we arrive at home』の曲にのせて、心をこめて歌ったそうです。
『七里ヶ浜の哀歌』(明治43年2月6日に発表)
作詞 三角錫子(みすみすずこ、1872−1921)
作曲 ジェレミー・インガルス(米)
真白き富士の根 緑の江の島
仰ぎ見るも 今は涙
帰らぬ十二の 雄々しきみたまに
捧げまつる 胸と心
ボートは沈みぬ 千尋の海原
風も浪も 小さき腕に
力もつきはて 呼ぶ名は父母
恨は深し 七里が浜辺
み雪は咽(むせ)びぬ 風さえ騒ぎて
月も星も 影をひそめ
みたまよ何処に 迷いておわすか
帰れ早く 母の胸に
みそらにかがやく 朝日のみ光り
暗(やみ)にしずむ 親の心
黄金も宝も 何しに集めん
神よ早く 我も召せよ
雲間に昇りし 昨日の月影
今は見えぬ 人の姿
悲しさ余りて 寝られぬ枕に
響く波の おとも高し
帰らぬ浪路に 友よぶ千鳥に
我もこいし 失せし人よ
尽きせぬ恨に 泣くねは共々
今日もあすも 斯くてとわに |
前途有望な少年達の死は世間を大いに騒がせましたが、彼等の遺体が発見されるに及んで、更に深い感銘を人々に与えました。友達同士がかばい合った姿で、兄が弟を抱きかかえた姿で、収容されたからです。
死に臨んでもなお友を愛し同胞を慈しんだ彼等の姿は後に銅像となり、稲村ヶ崎にある公園の一角から事故の現場となった七里ヶ浜の沖合を望んでいます。その台座にはこの『七里ヶ浜の哀歌』の詞が刻まれています。今回はこの「ボート遭難の碑」をご紹介します。
作曲家團伊玖磨の著書、『好きな歌・嫌いな歌』(文春文庫 昭和54年)によると、この歌は歌われているうちにだんだん日本人好みの短調に姿を変え、大正時代に演歌師が巷にこの歌をひろめ出した頃に、完全に短調の歌になってしまったそうです。もしかすると、犠牲者への人々の哀悼の気持ちが、曲調を哀しげなものに変えていったのかもしれません。
*三角錫子 みすみすずこ。明治5年、旧金沢藩士で測量家の三角風蔵の長女として生まれる。明治25年、女子高等師範学校を卒業。札幌女子小学校、東京女学館、横浜女学校、東京高等女学校などで教鞭を執る。大正5年、常盤松女学校を創立し校長となる。『七里ヶ浜の哀歌』の作詞家としても知られる。大正10年、死去。享年48。
[参考文献 |
『抒情歌愛唱歌大全集』ビクターファミリークラブ 平成4年 |
團伊玖磨『好きな歌・嫌いな歌』文春文庫 昭和54年 |
『日本女性人名辞典』日本図書センター 平成5年] |
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場所:神奈川県鎌倉市「鎌倉海浜公園」稲村が崎地区内
交通:江の電「稲村ヶ崎」駅下車、徒歩5分。
2004年11月26日更新
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