明治生まれの祖母の部屋は、いつも、きちんと片付いていました。それも、見た目がすっきりとなるように、大半の物を押し入れや、納戸にしまい、引き出しの中も、缶や箱で上手に仕切られ、ボタンはこの箱。野菜の種はこの缶。いただいた手紙は、この箱というふうに、それぞれの物に場所が決まっていました。なので、部屋の模様替えが好きな私の、よく変わる部屋を見るたびに、「真っ暗な中でも、どこになにがあるのか、わかるように片付けなさい!」って、よく怒られたっけ‥‥。
そんな祖母の部屋から見える、縁側の上のほうにある棚には、祖母にしては珍しく、見せる収納といいますか、色とりどりの空き缶や空き箱が、きれいに並んでいました。今にして思えば、祖母にとっての、コレクション(?)だったのかも知れません。遠く離れた子供たちから贈られてくる、お菓子など入ったカラフルな空き缶や空き箱のひとつひとつに、祖母なりの思いがつまっていたのかも知れないと、思ったのです。棚に並ぶ美しい缶たちは、子供の私にとっては、あこがれの入れ物でした。祖母にもらった四角い平べったいお菓子の缶に、海岸でひろった貝殻や、ガラスの欠片を入れて、眺めていたことも、懐かしい想い出です。
今回ご紹介するのは、大正12年に発売された"仁丹の薬歯磨"の空き缶です。仁丹の歴史は、森下仁丹歴史博物館を見ていただくとして、私が子供だったら、祖母の部屋にあったとしても、手に取ることもないであろう、真鍮製のシブイ缶です。大人になったからこそわかる、かっこいい楕円形の缶(横幅105ミリ。高50ミリ)といいましょうか。商品名も前と後ろに彫ってあるだけなので、同色ですから撮影してもわかりづらいのですが、そんな地味さが、ますますお気に入りなのでした。もちろん中央には、小さくトレードマークも彫ってありますが、日本語表示だけでなく、ローマ字も書かれているあたりが、素敵さを倍増させている気がします。
仁丹といえば、町名表示板に仁丹が描かれたホーロー看板、「仁丹町名表示板」を紹介しておられるサイト、"京都仁丹樂會"も、たいへん興味深く、おもしろいなぁと読んでいます。京都をはじめ、大津や大阪など、関西に多いようですが、仁丹探しからはじまった探検は、文化や産業、歴史などの探究にもつながり、それらをていねいに紹介しておられるのです。なんだか、古物の発見とも似ていると思いました。私も、こうして縁あって、大正時代に生まれた"仁丹の薬歯磨"と出会えたからこそ、仁丹の歴史など、知りたいと思ったのですから。