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「脇役列伝」タイトル

ヒーロー研究家立石一夫

踊る指揮者、スマイリー小原


 中学生から高校生にかけて毎週、首を長くして待っていたテレビ番組は数多い。その中でもフジテレビで放映していた、「ザ・ヒット・パレード」はピカイチであった。
 テレビ番組初のリクエスト形式を取り入れた音楽番組である。演出はすぎやまこういちで、当時は誠に斬新な企画であった。「TVグラフティ」(講談社)でも、この番組の功績に触れている。
<一時期は、日本のポピュラー音楽情報の重要な部分を持っており、ロカビリー、エレキ・ブーム、そしてグループサウンズの流行に火をつけた番組といえる。>
 私達当時の若者は、人気歌手の歌うアメリカン・ポップスに酔いしれていた。
 ミッキー・カーチス、弘田三枝子、中尾ミエ、スリー・ファンキーズ、紀本ヨシオ他のスターは断然輝いていた。
 その中で毎週登場したのが、レギュラーのザ・ピーナッツとスマイリー小原とスカイライナーズだ。この番組がスタートした頃(61年4月)、初めてスマイリーを見た私はたまげた。指揮者は通常、黙々とタクトを振るものだといった概念はいとも簡単に破られた。
 父などは、「踊りながら指揮するとは、ふざけたヤローだ」とすっかり憤っている。

スマイリー小原

 時にはスターである歌手よりも目立っている。彼のおでこも輝いていたが、何しろ華麗で、まるでボクサーのクレイ(のちのアリ)のようなフットワークが、見る者の胸を揺さぶった。彼の率いるバンド名は、スカイライナーズだ。私は京成沿線に住んでいるが、特急スカイライナーは、このバンドから生まれたといったらオーバーだろうか。独特のダミ声で、「ミスター・ベースマン」を歌手とかけ合いで歌う姿が、今でも脳裏に焼き付いている。CMでも活躍した、まさに記憶に残るバンド指揮者であった。


(生) T11.1.2
(没) S59.4.30
神奈川県横浜市出身、本名栗原照夫。S33年に結成した「スカイライナーズ」の踊る指揮者として「シャボン玉ホリデー」「ザ・ヒット・パレード」でレギュラーを長く務めた。S57年バンド解散後は喫茶店、クラブを経営。


不屈の魂、渡辺亮
男の土俵、北葉山
異質な時代劇役者、薄田研二
特撮王国の常連、佐原健二
強肩強打の吉原二世、藤尾茂
”パーっといきましょう”三木のり平
ハヤシもあるでヨ・南利明
ミスター・ニッポン「悪名」でブレーク
男性的な敵役、田崎潤
ボンドガールよ永遠に、若林映子
墓場よりの使者、ザ・マミー
アンパンは木村屋だけじゃない、団令子
悲劇の伊達男<Xイート・ダディ・シキ
おいちゃんは俺だ、森川信
非運のレスラー、G草津
当たり役、風車の弥七・中谷一郎
写真判定男、中村剛
柏鵬時代の反逆児、若羽黒朋明
”たこでーす”たこ八郎
重厚味満点の悪役、高品格
褐色の弾丸・房錦と潜航艇・岩風
黒い核弾頭、ルーター・レンジ
南部のタッグ屋、グラハム&ステンボート
女をなぜなぜ泣かすのよ、城卓矢
教師から俳優へ、戸浦六宏ロッコウ
フックの職人、勝又行雄
当たり役、沢田部長刑事の芦田伸介
名タッグ屋ハードボイルド・ハガティ
名唱ジャイアンツを偲ぶ
2人のもろ差し名人
ニヒルな敵役・成田三樹夫
女性コメディアンの第一人者・若水ヤエ子
知的でとぼけた名優・有島
哀愁のモゲラ
悪役・進藤英太郎賛歌


2006年8月29日更新
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