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日曜研究家串間努 第27回
「お茶を商品化した日本文化」の巻


 缶入りお茶が売れている。今では五百億円の市場規模という程に成長した。お茶は家庭で急須から注いで飲むものといった意識はもはや過去のものなのか。本稿では、缶お茶の普及から見た日本人の意識の変容を探ってみたい。

時期早尚だった缶入り麦茶

 缶入り最初の無糖飲料は、常陸屋本舗が昭和43年に発売した「はと麦茶」である。その後、缶入り烏龍茶に先立つこと1年前の昭和55年2月、日本精麦と常陸屋本舗が同時期に缶入り麦茶を発売した。自然発生的に「麦茶も缶ジュースみたく、缶に入れてみるか」と軽い気持ちで生産に着手したようだ。「新宿駅で夏山に行く人が夜行列車の中の弁当と一緒に買っていったみたいですよ」(日本精麦)。
 ところが、委託生産方式のせいでコストが高く、「大量に製造しないと引き合わない」(同社)ため、5〜6年で中止したという。自販機メーカーに売り込みにいっても、他に無糖飲料がない時代の中では理解を得るのが困難であった。「テスト販売では結構売れたんですよ」と残念がる。「缶烏龍茶も出てきたしね。今は大手も缶麦茶出してるけどウチは時期が早かった」。
 ともあれ、パイオニアとしての成果は記録されるべきだろう。

ウーロン茶の爆発的ブーム

 烏龍茶自体は明治時代から日本に紹介され、大正時代には森永製菓から発売されていたが、本格的に愛飲されたのは昭和50年代からだ。昭和54年9月に、当時の大人気歌手ピンクレディがTVでウーロン茶を愛飲していることを発言、これが引き金となり女性週刊誌がウーロン茶を愛用しているタレントの記事を書き立てて、ブームが巻き起こった。「やせる」「美容と健康に良い」ことが女性の関心を呼ぶこととなった。
烏龍茶  この第一次ブームは、昭和56年春頃に終焉。同時期(昭和56年2月)に伊藤園が世界で初めて缶ウーロン茶を発売した。熱湯で飲まれていた烏龍茶を冷やして飲むことを提案し、甘くない缶飲料の需要を喚起した。中華料理など脂っこい食事の後に飲むと良いなど、口コミも広がり、昭和59年から大ブームが爆発し、大小60社が参入することとなった。アメリカンサイズ缶やPETボトルも登場し、現在も清涼飲料界に確固たる地位を築いている。
 こうした缶烏龍茶ブームに触発されて、健康志向の無糖飲料が見直され、はとむぎ茶、麦茶、煎茶、紅茶など缶入り茶飲料が次々に現れることとなった。

烏龍茶
烏龍茶
烏龍茶
烏龍茶

いよいよ日本茶の缶入り登場

ほうじ茶 昭和58年7月に宇治の露製茶が「缶入りほうじ茶」を出し、続いて10月にポッカが、やはりほうじ茶を発売した。
 宇治の露煎茶は、「ティーバックなども出てきているし、『簡便』さを狙ってひとつやって見よう」というのが動機だった。(同社研究所)。
 「58年の5月に缶入りむぎ茶を出したため、冬場対策にホット飲料を出そうということで」。
 というのはポッカで当時開発に当たった山本氏。(現・ポッカ中央研究所次長)。
 ほうじ茶にしたのは、「性質がウーロン茶に似ているため」で、「焙じてあるため既に酸化されており、熱に強い」と技術的な理由もある。
 続いて宇治の露製茶が缶入りの「煎茶」を発売したのは昭和60年3月。伊藤園に遅れることわずか1カ月であった。
茶 伊藤園が「ティー&ブロー技術」を使った、煎茶の缶飲料を発売したのは昭和60年2月のこと。酸化の原因である酸素を完全にシャットアウトするため、鉄分を除去した水を使い、空気との接触を抑える製法技術を開発。有機農法で栽培した原料茶葉を使い、添加物は一切含有しないこだわりであった。
 ではなぜ伊藤園は、開発に困難がない「ほうじ茶」を選ばなかったのだろうか。それは「煎茶が一番多く飲まれているから」という。(同社広報部)つまり、市場が大きいから製品化されやすかったのだった。もともと、緑茶の需要回復のために缶入りを狙ったこともある。
 また、奇しくも同年同月に、日本の茶どころ静岡でも缶入りお茶は誕生している。静安茶連が3年間かけて、煎茶の変質による風味の劣化を防止する技術を開発、缶入りの「緑茶」と「ほうじ茶」を静岡県にテスト販売した。
 平成元年に伊藤園が「煎茶」を「おーいお茶」とネーミングし、340グラム缶とアメリカンサイズへリニューアルしたころから、缶のお茶ドリンクに各メーカーが続々と参入、若い年齢層などこれまでお茶の消費が少なかった世代の消費が伸びてくることとなった。

茶ブレンド茶が人気に

 平成5年にアサヒビールは「お茶どうぞ十六茶」を売り出し、複数の原料を混合したブレンド茶の先駆けとなった。翌年には二百億円を売るまでのヒット商品となる。
 複数の茶葉をブレンドすることで、渋味などのくせが薄まり、食事に合うお茶となった。カロリーも低く、一種類の茶葉に比べて「お得」な感じがあるというような理由で、若い世代を中心に無糖缶飲料の売上げを牽引することとなったのだ。
 しかし一番の理由は自然の野草を使ったことが、消費者の健康ニーズとマッチしたことだ。各社が追随し、日本コカコーラの「茶流彩々爽健美茶」はCMで若い女性にアピール、より一層ブレンド茶を消費者に認知させることとなった。
茶以上、缶お茶の発達を商品の登場順に見てきた。麦茶が最初に登場したが四季を通じての需要がなかった。次に欧米化された食生活への反動から、「健康的」なウーロン茶のヒットがあった。こうして無糖飲料の下地ができたところに、需要が大きい緑茶が登場し、ミックス茶など商品の幅を広げながら缶入り茶が伸びていったという流れだ。清涼飲料と違い季節を選ばずに飲めるため、自販機網の発達というハード面での理由も見逃せない。

女性の社会進出が缶入り茶を盛りたてた?

 次に精神的、社会的側面から見てみよう。
 温かいお茶をアウトドアで飲みたいという希望は昔からあり、駅弁の友として売店では素焼きの土瓶入りのお茶が売られていた。しかしこれはあくまでも列車内という限られた空間・時間での便利さであり、缶入りお茶のように完成したテイクアウトの利便性はない。
 戸外で「日本茶」を飲む機会が一番多かったのは昼食の弁当を使う時や休憩時だろう。この時、缶入り茶出現以前には、女子従業員からお茶が振る舞われるのが普通であった。ところが今日では、社員銘々が缶飲料を買ってくる時代となった。社会構造の変化から女子社員の「お茶汲み」が問題化されたことで、日本の会社内飲料状況は紙コップ式給茶機とともに缶飲料にシフトしたのである。そうなると毎日飲むにはジュースやコーラでは後味に負荷がかかりすぎる。そこでクローズアップされたのが無糖飲料としての缶茶ではなかろうか。

日本人の美意識と缶飲料

 缶茶の普及は短時間に進んだとはいえまい。まず、年配のオジサンたちには心理的な抵抗があった。「お茶」は嗜好飲料である。毎日家庭で飲んでる味わいに遠いものは受け入れられないのである。駅弁のポリ容器も当初は匂いがお茶に移ることが不評で、克服するために技術の工夫がなされたという。繊細な日本人の舌と鼻をごまかしきれない世代である。タダ同然のお茶に、100円を払うのがもったいないという意識も邪魔をする。「冷たいお茶なんて」という道徳的嫌悪感を抱く人もいる。「冷や飯を食わされる」という表現があるように、温かいものをさめないうちに頂くのが最良、つまり温度も味の内なのである。小さなようだが「こだわり」であり「美学」である。
 これらに何の問題も感じない世代が増えれば売れ行きは増えるばかりとなる。缶のお茶飲料は、変わる一方の日本人の「美学」の最後の砦であったのだ。
 食生活における「美学」の変化の兆しとして、缶ジュースの直飲みを指摘したい。缶ジュースが本格的に登場したのは昭和30年頃。昭和40年代前半は缶詰ジュースがあったとしても「小型の栓抜き(オープナー)」で上部に2箇所、穴を空けなくてはならなかった。そのため、室内にあってはコップに注いで飲むものであり、戸外ではストローで飲むものであった。
 旧来の食生活美意識が残っていた時代では、直接口をびんや缶につけてラッパ飲みすることは、プルトップ缶の登場まで待たねばならなかったのだ。多くの人達は「缶臭い」と感じていたと同時に、「缶詰」という工業製品を生のまま消化することに抵抗を覚えていた。まだまだ「手作り」の食べ物の方が多かった時代、缶詰は「非常」時のもので、消極的な存在であった。
 例えばそのころは「缶ジュース」ではなく、「缶詰ジュース」という呼び方であり、コカコーラの自販機が町の至る所に立つまでは、瓶入りの飲料が断然売れていたのだ。
 そして、直接、ビンや缶に口をつけて飲むことは当たり前の現代では、意識・無意識にしろ、「美学」にこだわる人は少なくなった。お茶が缶に入っていたって関係ない、便利だから「飲む」ということだ。
 こだわりなんぞはもはや成立する余地がないのだ。冷凍食品や加工食品がこれだけ氾濫している今、外食も家庭の食事も遜色がない。食品企業の努力の賜物である。
 おいしいのであれば大量生産でできたお茶を飲む。「工場」という第三者が淹れたお茶を飲むことと、コーラを飲むことがどう違うのか。お茶は「自分でも淹れることができる」に過ぎなく、一連の動作は面倒と感じる人が増えてきた。「水」であるミネラルウォーターにお金を払う時代、手間いらずのお茶一缶110円を、何で惜しむだろう。
 世代の交代による、日常些細な行動の変容の積み重ねが、スタンダードとしての「羞恥心」や「公衆道徳」の意識を変え、暮らしの隅々にまで影響を与えるように思う。オジサンたちの美学は古いものとしてさっさと捨てられていく。そして「美学」は苦しいものであるから、若い世代の合理的な精神は、美学を持たない中間層のオジサンたちをも巻き込んでいく。かくして燃えないゴミを増やしながら、缶入り茶飲料の消費が伸びていくのであった。

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2006年12月22日更新
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