「なぜに、マンドリン?」手に取った瞬間、不思議に思いました。 そして、「マンドリンって、どこの国でできた楽器だっけ?」とも。調べてみると、イタリアが発祥の地なんだそうです。このマンドリン、いったい何かというと、鉛筆削りなのでした。デッドストックだったので、とても状態がよく、新しいモノかと思いきや、箱にラベルが付いており、右横書きで「鶴亀鉛筆削機 専門工廠」と書いてあります。「結構古いんだ~」と驚いて、つれて帰りました。
日本でのマンドリンの歴史ですが、明治27(1894)年に、四竈訥治さんがイギリス人から贈られ、演奏した記録が一番古いそうで、その後、明治34(1901)年に比留間賢八さんが、イタリア留学から持ち帰って普及させたのだとか‥‥。そして、大正時代にはマンドリンブームなるものがあったそうです(おもいで チューズデー参照)。なるほど~。音楽にウトイ私ですが、国内でのマンドリンの歴史も、古いのですね。参考になりました。
元箱入りの鉛筆削りって、なかなか出てこないのですが(私が持っているのは、これだけかも)、マンドリン鉛筆削りは、入っている箱が特にステキなのです。紺色の地に、金色で月と星、土星が描かれたカッコイイ箱で、マンドリンがぴったりおさまります。ちなみに箱の大きさは、縦25ミリ、横70ミリ、高さ20ミリです。
鉛筆の削り口はこちら。
削りカスはたまるようになっていて、捨てる時は、このようにパカッとはずします。‥‥もしかすると、マンドリンの演奏会などで、配られたモノかな? と思ったり。見れば見るほど、気になるマンドリン鉛筆削りなのでした。
話は変わりますが、私の身辺整理?は続いております(No.106参照)。着れなくなった洋服の整理、着れる洋服の追加。身体のサイズが変わるというのは、本当に大変ですね。当然、指輪のサイズも変わりました。指輪が指に入りません。仕方がないので、3年ぶりに湯島にある宝石店、JUJIYAこと、十字屋商店(以下十字屋商店)を訪れたのです。
話の流れから、不要の金を下取りしてくださると聞き、指輪を2つリフォームすることにしました。「月の石」といわれる、乳白色の美しいムーンストーンと、ブルーとグリーンが美しい縞瑪瑙(シマメノウ)です。 実はこれらの石は、実家のリフォームをした時に、ひきだしの片隅からでてきた母の指輪でした。それも、娘時代に母が身につけていたモノで、かれこれ45年以上前の指輪です。台座はゆがみ、石には細かい傷がたくさんありましたが、私も惹かれる石だったので、手元に置いていました。
2つの石を見せると、十字屋商店のご主人は、「研磨すれば再び美しく仕上がるよ」と話してくださいました。これはご縁とばかりに、リフォームをお願いすることに‥‥。後日完成したリングを見た時は、感激しました。ご主人のお言葉どおり、石の傷がなくなって、生まれ変わったように美しくなったのです。シンプルなデザインも、とても気に入りました。そして、このリングを受け取ったのは4月の新月の日。物事のスタートによいといわれる日で、ちょっと嬉しかったりして‥‥。
思えば、疎開後慣れない土地で、成人した母が求めた指輪でした。現在のように物はなく、安易に買うことも出来なかった時代です。私にとって、意味ある指輪となりました。十字屋商店に感謝です。ちなみに、娘も一緒にご来店。3代目の若旦那に遊んでいただき、しばらく帰ろうとせず、まいりました。
十字屋商店では、こんなステキなブローチなども、つくっておられます。使っておられる石は多種多様で、お値段もお手頃価格から、手を合わせて拝みたくなるモノまでと幅広く、お店の前を通るたびに、ついついショーウィンドウをのぞき込んでしまう宝石店なのです。
そうそう、軽く"3代目の若旦那"なんて書きましたが、十字屋商店は、平成18(2006)年に、創業100年を迎えた老舗でもあります。湯島は、まだまだ知らないお店が多い場所ですが、歴史の古いお店が結構あり、いずれ馴染みのお店を増やしたいと、思っているのでした。
余談ですが、ここから徒歩圏内に不忍池があります。写真は4月12日の不忍池です。今年の桜は、散るのが早かったです。
不忍池湖畔には、No.48でご紹介しました蓮見茶屋もあります。
そして、つげ櫛で有名な十三や櫛店も近所にありますよ(No.2参照)。