このたびの地震で被災された方々に、心よりお見舞い申し上げます。
お亡くなりになられた方々のご冥福を、心よりお祈りいたします。
どうかどうか、1日も早く物資が行き届き、仮設トイレ、仮設住宅が立ち上がりますように。0歳児を抱える新米母としては、特に妊婦さん、赤ちゃん、赤ちゃんのお母さんのことを思うと、離乳食の問題、ミルクの問題、オムツの問題が気になります。
自衛隊の皆さん、医療従事者の皆さん、救助に入っておられる皆さんに、心から敬意を表します。1人でも多くの方を助けてください。
そして、原子力発電所でがんばってくださっている方々に、感謝と敬意を‥‥。本当にありがとうございます。どうか無事でありますように、心からお祈りいたします。
神様、皆さんの身体と気持ちをお守りください。
被災した地をお守りください。
日本をお守りください。
3月11日は、築30年近い、エレベーターのない3階にあるわが家は、大きく、長く揺れました。幸いだったのが、エルゴの抱っこ紐をつけ終え、散歩に行こうとした瞬間に、地震が起きたことです。すぐさま赤ちゃんを抱っこし、揺れる本棚を押さえました。押さえなければ倒れたと思いますが、なんとか倒れず、小鳥もいるので、必死に大丈夫だといい続け、どうにか被害は少なくてすみました。赤ちゃんが終始ニコニコしていたのが救いで、ガタガタ震える自分の足に、もっと強くならなければ‥‥と思いました。
余震も続き、原子力発電の問題も連日報道される中で、街からはミルクやオムツ、トイレットペーパー、電池などの日用品が消えました。食品も、水やインスタント食品、牛乳、卵などはなくなり、薬局やスーパーにできた長い行列に、恐ろしさと不安な気持ちを覚えました。けれど、日本の人は強い。大丈夫。どんな状況でも、創意工夫を忘れず、暮らしの中に夢を持ってきました。明治、大正、昭和を生き残ってきたモノたちが、私にそう語っています。
1週間が過ぎ、入場規制があった近所のスーパーも、落ち着きを取り戻し、臨時休業していた薬局も営業をはじめました。普段と変わらず、お仕事をしてくださっている方々に、感謝です。
おしまいに、今回ご紹介する『少年倶楽部』の繪はがきは、大正3(1914)年に、大日本雄弁会(現:講談社)が創刊し、昭和21(1946)年に『少年クラブ』と改名するまでの間に、付録としてついたモノです。水面にフワッと花や葉を浮かべる睡蓮は、赤、白、ピンク、オレンジ、紫、青とたくさんの色があり、花言葉は、純潔、清浄、甘美、純粋な心、信仰だそうです。ジッと眺めていると、手を合わせて祈りたくなる、そんな美しい花です。