日溜まりの公園で、暮れなずむ街角で、夜のしじまの中で、ひとり「童謡」を口ずさむ時、幼き日々が鮮やかによみがえる…。この番組では、皆様にとって懐かしい童謡の歌碑を巡ってまいります。
桜のシーズンが一段落すると、次の行事は5月5日の端午の節句。武者人形やこいのぼりが飾られる中、子供達はその日の来るのを指折り数えます。ところが、大人になってしまうとそんな気持ちはどこへやら。和菓子店の店頭に出現する「粽予約承ります」の貼り紙を見て、初めて気が付く始末…。この端午の節句に因む童謡はいくつかありますが、今回は『背くらべ』をご紹介します。作詞は海野厚*、作曲は中山晋平です。
『背くらべ』(『子供達の歌 第3集』白眉出版社 大正12年5月 に発表)
作詞 海野厚(うんのあつし、1896−1925)
作曲 中山晋平(なかやましんぺい、1887−1952)
柱のきずは、をととしの、
五月五日の、背くらべ。
粽たべたべ、兄さんが、
計ってくれた、背のたけ。
きのふ くらべりゃ 何のこと、
やっと、羽織の紐のたけ。
柱に凭(もた)れりゃ、すぐ見える、
遠いお山も、背くらべ。
雲の上まで、顔だして、
てんでに、背伸してゐても、
雪の帽子を、ぬいでさへ、
一は、やっぱり、富士の山。 |
『背くらべ』の第1節が作られたのは、大正8年頃。一昨年兄が計ってくれた背の丈、その柱の傷を昨日見たところ、今着ている羽織の紐の長さに過ぎない。その驚きが「やっと」という言葉に込められています。この詞の主人公は厚の弟で、背丈を計った「兄さん」は厚本人です。柱の傷が「おととし」になっているのは、「『去年』だと七五調の詞にならないから」とか、「前年の端午の節句の際に厚が帰省できず(その日、厚は俳句の師であった渡辺水巴の父・省亭の追悼句会に出席していた)、その年の背くらべができなかったため」という見方がされています。後年、厚の弟の一人である欣也氏が、『背くらべ』について「あの歌はみんな私たち兄弟姉妹のことを歌った生活記録」(昭和45年3月5日『朝日新聞』静岡県版「歌を求めて」(3))と語っていますが、そういう背景を考えれば、生活感漂う「粽たべたべ」という表現も極めて自然に出てきたものなのでしょう。
第2節は、『背くらべ』がレコード化された際に追加して作られました。背くらべで使っていた柱に凭れて外を眺めていると、山々が背くらべをしている。でもやっぱり一番は富士山だ。この最後の「一は、やっぱり、富士の山」には、地元の富士山に対する厚の強い思い入れが感じられます。彼は作曲者の中山晋平の要望を受け、この第2節を一晩で書き上げましたが、『子供達の歌 第3集』の後書きには「出来るだけの注意はしたつもりですが、なほ多少無理な個処があるかも知れません。場合に依っては、一節の歌だけで充分と思ひます。さういふことにお含み置き下さい」と記しています。この節の出来について、彼は若干不安を抱いていたようですが、彼の心配をよそに今日『背くらべ』は1、2節とも愛唱されています。
さて、この『背くらべ』の歌碑ですが、厚が通っていた静岡市(当時は豊田村)の西豊田小学校にあります。校舎と体育館を結ぶ渡り廊下の傍らに、児童が目にし易いような形で建てられています。更に学校の西隣には厚が眠る法蔵寺があり、墓前に『赤い鳥』誌上で北原白秋が激賞した童謡『天の川』の碑もありますので、こちらも是非ご覧になって下さい。
*海野厚 うんのあつし。童謡詩人。4男3女の長男として、明治29年に静岡県に生まれる。本名は厚一。静岡中学卒業後、早稲田大学文科に進む。俳句に傾倒して曲水吟社の渡辺水巴に師事。俳号は「長頸子」。大正7年、『赤い鳥』への投稿をきっかけに童謡の作詞を行う。代表作は、『背くらべ』、『おもちゃのマーチ』(小田島樹人作曲)など。後に、雑誌『海国少年』の編集・経営にも従事した。大正14年に死去。享年28。
[参考文献 |
静岡市教育委員会社会教育課編『背くらべ 海野厚詩文集』昭和58年 |
日本児童文学学会編『児童文学事典』東京書籍 昭和63年] |
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場所:静岡県静岡市駿河区曲金2−8−80 西豊田小学校内
交通:JR東海道本線東静岡駅南口より徒歩25分。
尚、歌碑は学校の敷地内にあるため、見学を希望される方は事前に西豊田小学校(TEL 054−285−9165[代表])までお問い合わせ下さい。
法蔵寺:静岡県静岡市駿河区曲金2−7−33
2005年4月21日更新
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