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最初に見たのは歴史の教科書だったでしょうか。終戦後、シラミやチフスを撲滅するために、進駐軍によって、頭から白い粉をふりかけられる人々の写真を見たのは‥‥。あまりにも有名な殺虫剤の白い粉、その名も"DDT"。骨董市で、そんな"歴史の産物"ともいえる、DDTに出会った時は、本当に驚きました。それも、味の素でもつくっていたのですね。

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農薬ネットの中の"殺虫剤DDTの歴史"を読んでみると、DDTって、昭和20(1945)年代から昭和46(1971)年まで、日本では使用されたそうです。

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箱の大きさは、高さが115ミリ、横幅が100ミリ、奥行きが70ミリです。真っ赤な紙箱には、「強力殺虫剤 德用函 500g」と明記されています。

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私にとって殺虫剤の思い出といえば、実家の庭に置かれたラベルのない複数の一升ビンです。私が幼少の頃、明治生まれの祖母がつくった庭には、杏、梅、みかん、きんかん、いちじく、ビワ、桃、ぐみ、ぶどう、柿と、美味しい実のなる木が、たくさん植えてありました。それらを食べることは、楽しみではありましたが、虫もたくさんやってくるのです。そこで、一升ビンの登場です。ビンの中には薄められた殺虫剤らしきものが入っていて、祖母は杏などの木についたカナブンやカミキリムシを見つけては、頭をもいで、ビンにポイポイ入れていたのでした。ビンの中に黒い虫が増えていく様子は、子供心に不気味だったなぁ‥‥。でも、おかげで木から直接実を取って食べる経験を重ねられたのですから、今となっては感謝です。

 

おまけ

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三浦市の神社にて。うれしそうなケロちゃん。 

  

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平成22(2010)年から、わが家にいた黄色いベビーバスを処分しました。狭いシンクで使えるようにと、一番小さい物を買って、ギリギリ入ったベビーバス。小さくて首のすわらない赤ちゃんを、ドキドキしながら沐浴をさせたっけ‥‥。シンクで使わなくなったベビーバスは、つい最近まで、お風呂の前に置いて娘が使っていましたが、普通のお風呂に入れるようになり、少し寂しいけれど、場所をとる物なので、お別れすることにしたのです。

今回ご紹介するのは、そんなベビーバスと同じ色の石鹸入れです。陶器でできた、可愛らしい黄色い石鹸入れ。それも、「資生堂石鹸」と文字が描かれています。

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この石鹸入れは、平成14(2002)年に下北沢にある"古道具・月天"にて求めました。ピンクと黄色の2色があり、「珍しいと思うよ。こんな石鹸入れを資生堂がつくっていたんだね」と、店主のTさんと話ながら、つれて帰ったのです。その後、静岡県掛川市にある"資生堂企業資料館"に問い合わせると、この石鹸入れこと、「LUCKY STAND」は、昭和13(1938)年につくられたモノで、当時の化粧品デーの期間中に、1円以上お買い上げいただいたお客さまに、抽選で1等から4等の景品を差し上げたそうですが、この石鹸入れ(別名「BASTAND」ともいうそうです)は、2等の景品で、4色くらいあったそうです。ちなみに当時お聞きした時は、ピンク、黄色、オレンジ、ブルーの4色が確認できているとのことでした。そのブルーの石鹸入れを、お世話になっている"川原の一本松"さんが、ご紹介されました。 なんて、きれいなブルーなのでしょう。まさに、スカイブルー。

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ひっくり返してみると、「意匠登録56419」と「SHISEIDO」、「LUCKY STAND」の文字が、緑色で描いてあります。

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そして、懐かしいお店で、グリーンの資生堂石鹸入れをご紹介しておられました(グリーンもあったのですね! 全部で5色ってことでしょうか)。"アンティークカフェ ギャラリー レイジーボーン" です。香川県にある骨董屋さんですが、以前は(だいぶ前だけど)、京都にお店がありました。京都にも何度かうかがい、香川にも行ったことがあります。本当にステキなお店で、また行きたい。なんだか嬉しかったので、リンクを貼ってしまいました。またいつか、お店にうかがいたいと思います。

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3月11日。東日本大震災から1年が過ぎたこの日は、家族3人で神奈川県三浦市にいました。2時46分前になると、防災無線から放送が流れ、家族で手を会わせました。

お亡くなりになられた方々のご冥福と、被災された方々の気持ちが、少しでも元気になりますように。被災した土地が1日も早く元気になりますように、心よりお祈りいたします。

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今回は、鞄の中にコルゲンコーワのケロちゃんをしのばせていました。ひさしぶりに外に出たケロちゃんは、ご機嫌の様子。ケロちゃんを見つけた娘は、「あっ、ケロ」と抱っこしたり、つれて歩いたり。ビクビクしながら、持たせていました。

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あ~。イイ気分。 ケロケロ。

 

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57-1.JPG明治生まれの祖母の部屋は、いつも、きちんと片付いていました。それも、見た目がすっきりとなるように、大半の物を押し入れや、納戸にしまい、引き出しの中も、缶や箱で上手に仕切られ、ボタンはこの箱。野菜の種はこの缶。いただいた手紙は、この箱というふうに、それぞれの物に場所が決まっていました。なので、部屋の模様替えが好きな私の、よく変わる部屋を見るたびに、「真っ暗な中でも、どこになにがあるのか、わかるように片付けなさい!」って、よく怒られたっけ‥‥。

そんな祖母の部屋から見える、縁側の上のほうにある棚には、祖母にしては珍しく、見せる収納といいますか、色とりどりの空き缶や空き箱が、きれいに並んでいました。今にして思えば、祖母にとっての、コレクション(?)だったのかも知れません。遠く離れた子供たちから贈られてくる、お菓子など入ったカラフルな空き缶や空き箱のひとつひとつに、祖母なりの思いがつまっていたのかも知れないと、思ったのです。棚に並ぶ美しい缶たちは、子供の私にとっては、あこがれの入れ物でした。祖母にもらった四角い平べったいお菓子の缶に、海岸でひろった貝殻や、ガラスの欠片を入れて、眺めていたことも、懐かしい想い出です。

57-2.JPG今回ご紹介するのは、大正12年に発売された"仁丹の薬歯磨"の空き缶です。仁丹の歴史は、森下仁丹歴史博物館を見ていただくとして、私が子供だったら、祖母の部屋にあったとしても、手に取ることもないであろう、真鍮製のシブイ缶です。大人になったからこそわかる、かっこいい楕円形の缶(横幅105ミリ。高50ミリ)といいましょうか。商品名も前と後ろに彫ってあるだけなので、同色ですから撮影してもわかりづらいのですが、そんな地味さが、ますますお気に入りなのでした。もちろん中央には、小さくトレードマークも彫ってありますが、日本語表示だけでなく、ローマ字も書かれているあたりが、素敵さを倍増させている気がします。

57-3.JPG 仁丹といえば、町名表示板に仁丹が描かれたホーロー看板、「仁丹町名表示板」を紹介しておられるサイト、"京都仁丹樂會"も、たいへん興味深く、おもしろいなぁと読んでいます。京都をはじめ、大津や大阪など、関西に多いようですが、仁丹探しからはじまった探検は、文化や産業、歴史などの探究にもつながり、それらをていねいに紹介しておられるのです。なんだか、古物の発見とも似ていると思いました。私も、こうして縁あって、大正時代に生まれた"仁丹の薬歯磨"と出会えたからこそ、仁丹の歴史など、知りたいと思ったのですから。

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    さえきあすか -asuka saeki-
    忘れ去られてしまいそうな、昔なつかしいモノたちに魅せられて、コツコツ集めています。古くさいけど、あたたかくて、あたらしい。そんな愛すべきガラクタたちをご紹介します。

    旧サイト連載:
    駅前ガラクタ商店街
    …昭和以前の生活雑貨録

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