日溜まりの公園で、暮れなずむ街角で、夜のしじまの中で、ひとり「童謡」を口ずさむ時、幼き日々が鮮やかによみがえる…。この番組では、皆様にとって懐かしい童謡の歌碑を巡ってまいります。今回は、『からたちの花』です。
今はブロック塀に取って代わられましたが、昔は生垣の家が多くありました。学校からの帰途、マサキの枝を折り取って鞘付きの刀もどきを作ったり、アオキの赤い実をもぎ取って友人とぶつけ合ったり…。そんな中、カラタチ*の生垣にセーターを引っかけて台無しにしたことがあります。カラタチの枝から出ているトゲは確かに防犯効果抜群でしたが、腕白坊主達にとっては迷惑極まりない代物でした。北原白秋作詞、山田耕筰作曲の『からたちの花』はそんなことを歌ったものではありませんが、この歌を聞くと当時の事がしきりと思い出されてなりません。
『からたちの花』(『赤い鳥』大正13年7月号に発表。歌詞は、『白秋全集26』岩波書店 昭和62年 収録のもの)
作詞 北原白秋(きたはらはくしゅう、1885−1942)
作曲 山田耕筰(やまだこうさく、1886−1965)
からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。
からたちのとげはいたいよ。
青い青い針のとげだよ。
からたちは畑(はた)の垣根よ。
いつもいつもとほる道だよ。
からたちも秋はみのるよ。
まろいまろい金のたまだよ。
からたちのそばで泣いたよ。
みんなみんなやさしかつたよ。
からたちの花が咲いたよ。
白い白い花が咲いたよ。 |
カラタチの白い花を眺めながら、ありし日の光景が次が次へと脳裏に浮かんでいきます。青くて痛いとげ、畑のカラタチ垣根、金色の実、そしてカラタチのそばで泣いた思い出…。この詞は作曲者の山田耕筰の体験を元にして作られました。
10才の時、山田は父を亡くし、東京の巣鴨にあった「自営館」という夜学校を併設した印刷工場に住み込みで働くことになりました。寮の食事は非常に粗末で、腹の足しにするために、秋になると敷地を取り囲んでいた垣根のカラタチから実を取り、生野菜と一緒に食べました。最年少の塾生であった彼は、小さくてすばしっこい性質を重宝がられてあらゆる雑用を任されましたが、朝の7時から夜の12時まで追い回されて、学校へ行く機会がなかなか与えられませんでした。職場は苦学生である塾生と本職の活版職工が混在しており、荒くれた職工からいじめを受けることもありました。活字拾いで両手が塞がった職工が彼を足蹴すると、彼は垣根まで逃げて行き、人に見せたくない涙をカラタチの木の根元に注いだそうです。山田少年は、家を出る時に母から『病気以外は絶対に家へ帰ってはならぬ』と優しく、かつ厳かに諭されていたので、ひたすら我慢し続けましたが、栄養不良と労働過多から遂に大病を患い、13才の時に母の許へと帰りました。
その話を聞いた白秋は、山田少年への深い同情を込めつつ、この歌を作ったそうです。
さて、『からたちの花』の歌碑ですが、白秋が生まれた福岡県柳川市の西鉄柳川駅前に建てられています。柳川には白秋の生家がありますので、こちらも是非お立ち寄り下さい。
ところで、自営館での暮らしは、山田にとって人生の転機になりました。館の経営者が数寄屋橋教会の牧師だったため、館の塾生は教会の日曜学校等に参加しなくてはならなかったのです。山田は讃美歌の歌唱リーダーになるなど、音楽方面で才能を発揮。納所弁次郎(第17回『兎と亀』を参照)の親族であった仲間の一人から、しきりに音楽学校への入学を勧められ、本人も幼い胸の中に『いつか音楽学校へ入ってやろう』という志を宿すことになりました。彼の「自営館時代」は苦難の時代であると共に、大作曲家への出発点でもあったのです。
* カラタチ ミカン科の落葉低木。中国原産で、多くは生垣として栽培。高さは約2メートル。とげが多く枝も多い。樹皮は緑色。春の末、葉に先立ち、白色五弁の小花を開き、秋、実は黄熟し、芳香を有するが食用にはならない。未熟の実は乾して、漢方で健胃剤とする。
[参考文献 |
『広辞苑 第三版』岩波書店 昭和58年の「カラタチ」の項 |
『白秋全集26』岩波書店 昭和62年 |
山田耕筰『若き日の狂詩曲』(『山田耕筰著作全集3』岩波書店 平成13年 に収録)] |
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場所:福岡県柳川市西鉄柳川駅前
・白秋生家
場所:福岡県柳川市沖端町55−1
交通:西鉄柳川駅より西鉄バス「早津江」行きバスで「お花前」バス停下車、徒歩10分
開館時間:9:00〜17:00(季節により閉館時間が変わります)
休館日:年末年始の3日間
入館料:大人400円、小人150円、学生350円
問い合わせ先:0944−72−6773
2006年10月27日更新
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