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「ぶらり歌碑巡り」タイトル

アカデミア青木

http://www.maboroshi-ch.com/hoso/item-43.html
ラジオ版・ああ我が心の童謡〜唱歌編
http://www.maboroshi-ch.com/hoso/item-50.html
ラジオ版・ああ我が心の童謡〜童謡編
まぼろし放送にてアカデミア青木氏を迎えて放送中!

碑

第52回 『ずいずいずっころばし』


 日溜まりの公園で、暮れなずむ街角で、夜のしじまの中で、ひとり「童謡」を口ずさむ時、幼き日々が鮮やかによみがえる…。この番組では、皆様にとって懐かしい童謡の歌碑を巡ってまいります。今回は、『ずいずいずっころばし』です。
 小学校の机や家の火鉢の周りでめいめい拳を突き出して、声をそろえて歌った『ずいずいずっころばし』。大人になった今では全く歌う機会がありませんが、その小気味よいメロディーと指で突っつかれた触覚は、長じてもなお、体の中に残っています。この歌は、古くから歌われてきた「わらべ歌」。『通りゃんせ』や『かごめかごめ』と同様、作詞者や作曲者はわかっていません。



『ずいずいずっころばし』(わらべ歌。作詞者、作曲者共不明)

 

 ずいずいずっころばし
 ごまみそずい
 ちゃつぼにおわれて
 トッピンシャン
 ぬけたら ドンドコショ
 たわらのねずみが
 こめくってチュウ
 チュウ チュウ チュウ
 おっとさんがよんでも
 おっかさんがよんでも
 いきっこなしよ
 いどのまわりで
 おちゃわんかいたの
 だあれ

 

公園遠望

公園遠望

 

 この歌の歌碑は、愛知県宝飯郡御津町の三河湾を臨む公園の中にあります。公園は日本列島を模した形をしていて、そこには富士山を模した小山や各県ゆかりの樹木、花のタイル、童謡・民謡の歌碑などが置かれています。遊びながら地理が学べるという贅沢な仕組みになっており、『ずいずいずっころばし』の碑は岐阜県のエリアに建てられています。

県の花のタイル

県の花のタイル

 徳川時代、将軍が飲むお茶の葉は京都の宇治で採られ、茶壺に詰められて江戸へと運ばれて行きました。その道行きは「お茶壺道中」と呼ばれ、行列の格式は御三家をも上回ったそうです。茶壺がやって来る前には街道筋の人々が狩り出されて道の補修や清掃が行われ、その行列に行き合ったら諸大名以下庶民に至るまで土下座して道を譲らなければなりませんでした。些細な過失で罰せられたり、過怠金を取られたりすることもあったため、沿道の関係者はたかが茶壺のためにあれこれと気を使わされました。「ちゃつぼにおわれてトッピンシャン、ぬけたらドンドコショ」には、息を潜めてお茶壺道中の通過を待つ宿場の人々の様子が描かれているといわれています。将軍の威光を天下に示すデモンストレーションも、庶民にとっては単なる迷惑でした。寛文5年(1665)にお茶壺道中が岐阜の中仙道を通ることになった際、加納藩のお殿様が天神町の久運寺に本陣を命ぜられたのですが、住職の玉葉和尚はこれを拒み、追放処分となる事件が起こりました。後に、そのお寺に『ずいずいずっころばし』の木碑が建てられたそうで、ミニ日本列島の岐阜県のエリアに碑があるのは、この事件に基づいているのかもしれません。
 ところで、『ずいずいずっころばし』の歌詞が今日の形になったのは意外と新しく、昭和になってからのようです。各時代の歌詞を比べてみましょう。

・岡本昆石編『あづま流行 時代子供うた』薫志堂 明治27年
「ずゐずゐずっころバしゃ胡麻味噌ずゐ、烏坊(からすぼう)に追ハれてすっぼんちャん、抜けたァらとの字のどんどこしョ」

・平出鏗二郎『東京風俗志 下の巻』冨山房 明治35年
「ずい、ずい、ずっころばし、胡麻味噌ずい、茶壺に追はれて、とち車、ぬけたら、どんどこしよ、お父(とつ)さま呼んでも、おッ母(か)さま呼んでも、いきつこなしよ、それがほんとの鬼ごつこ、俵の鼠が、豆喰つて、ちゅう、米喰つて、ちゅう、ちゅう、ちゅう、ちゅつ」又は
「ずいずいずつころばし、胡麻味噌ずい、鴉べいに追はれて、とつぴんしやん、ぬけたらどんどこしよ、俵の鼠が米喰つて、ちゅう、ちゅう、ちゅう、ちゅつ」
→歌の終わりに当たった者を座から外して、残りのメンバーで歌を繰り返す。最後に残った1人が鬼。

・竹久夢二編『日本童謡集 あやとりかけとり』春陽堂 大正11年
「ずいずいずつころばしや胡麻味噌ずい。茶壺に追はれてとつぴんしゃん。ぬけたらどんどこしよ、俵の鼠が米食つてちゆ。ちゆう、ちう、ちゆう。」

・広島高等師範学校附属小学校音楽研究部編『日本童謡民謡曲集』目黒書店 昭和8年
「ずいずいずんごろまはし ごまみそずい 茶壺におはれて とつぴんしやん ぬけたら どんどこしよい 俵の鼠が 米くて ちゆ ちゆ ちゆ ちゆ。(広島地方)」
「ずいずい ずつころばし こまみそで ちやつぼに おはれて とつぴんしやん つけたら どんどこどん 俵の鼠が 米くてちゆ ちゆちゆ お父さんが呼んでも お母さんがよんでも 言つこなしよ。(富山県上新川郡上瀧地方)」

 明治時代には、烏に追われるバージョンと茶壺に追われるバージョンが存在し、大正時代には、「ずいずいずつころばし〜俵の鼠が米食つてちゆ。ちゆう、ちう、ちゆう。」までの形が確立。昭和に入って「お父さんが呼んでも、お母さんがよんでも、行きっこなしよ」の下りが続き、ラジオ・テレビの普及期に「井戸の周りでお茶碗欠いたのだあれ」が加わったのではないでしょうか。それと共に、この歌の役割が鬼ごっこの「鬼決め歌」から、室内遊戯の「あそび歌」へと変わっていったのだと思います。
 変質を続ける『ずいずいずっころばし』。百年後にはどんな形になっているのでしょうか?

碑

[参考文献

大坪檀監修『お茶のなんでも小事典』講談社 平成12年

『抒情歌愛唱歌大全集』ビクターファミリークラブ 平成4年

岐阜市ホームページ(http://www.city.gifu.gifu.jp/gifu_to_story/culture/03.html)

上笙一郎編『日本童謡事典』東京堂出版 平成17年]

場所:愛知県宝飯郡御津町安礼の崎 三河臨海緑地・日本列島
交通:JR東海道本線豊橋駅東口よりサンライズバス蒲郡線「西浦温泉前」行きバスに乗り、「御津新田」バス停下車、徒歩約15分


2006年11月30日更新
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[ああ我が心の童謡〜ぶらり歌碑巡り]
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第48回 『我は海の子』
第47回 『椰子の実』
第46回 『雨』
第45回 『金魚の昼寝』
第44回 『雀の学校』
第43回 『お山のお猿』
第42回 『俵はごろごろ』
第41回 『兎のダンス』
第40回 『青い眼の人形』
第39回 『シヤボン玉』
第38回 『雨降りお月さん』
第37回 『かごめかごめ』
第36回 『蜀黍畑』
第35回 『あの町この町』
第34回 『黄金虫』
第33回 『四丁目の犬』
第32回 『七つの子』
第31回 『背くらべ』
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第28回 『宵待草』
第27回 『案山子』
第26回 『仲よし小道』
第25回 『七里ヶ浜の哀歌』
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第23回 『どんぐりころころ』
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